的場昭弘監修『マンガでわかる資本論』

 ある出版社の出している『資本論』を手に入れようと大手書店の経済書のコーナーに立ち入ったら、しばらく見ないうちにずいぶんいろんな『資本論』入門書が出ているじゃないか…!?

 というわけでその中から3冊ほど感想を書いてみたい。

 

 最初は的場昭弘監修『マンガでわかる資本論』(池田書店、マンガ:ユリガオカ・サイドランチ)。奥付に「執筆 佐藤賢二+真代屋秀晃+石津智章」とあるから、本文は実質的にはこの人たちが書いたんだろうな…と想像する。

 

 

 

 

 この本がぼくの興味を引いたのは2点。

 

 第一は、入門書として、現代の起業の物語をマンガとして使うことで、職人的な手工業から現代的な資本へという資本の歴史を、身近な題材で見てもらおうという工夫があることだった。

 ぼくが構成を務めた『理論劇画 マルクス資本論』は、『資本論』の中身をマルクスと作者(門井文雄)が掛け合いをしながら説明するというもので、まあある意味で誰もがまずは思いつきそうな「マンガ化」の方法である。

 

 しかし『理論劇画』の方法の良さは、『資本論』の解説としてはいいけども、マンガの面白みや物語性のようなものが生かされにくいのである。

 

 この点で本書(『マンガでわかる資本論』)は、「スタートアップ」という、ある意味で今の人たちにとって現代的な材料と物語を使う。初めは友人と二人だけでやっていた企業がやがて人を雇い大企業へと成長していく。

 歴史=論理である。

 資本というものが歴史として登場してくるプロセスを見ることで、そこに資本の論理がどう働いてくのかを読者は学ぶことになる。

 『資本論』を「解説」にせず「物語」にする手法は、イーストプレスの「まんがで読破」シリーズの『資本論』でも採用されているが、イーストプレス版は、舞台が昔のヨーロッパである上に『資本論』の構成に縛られすぎている(良く言えば『資本論』の順番をちゃんと意識している)。

www1.odn.ne.jp

 

 これに比べて本書は、かなり大胆に『資本論』を「バラバラ」にした。物語が自由になり、没入度を高めることができる。

 

 第二は、ちょうどぼくが若い人たちとやっている『資本論』学習会が今まさに協業やマニュファクチュアのあたりをやっていて、この本ではそのあたりの解説の分量が非常に多いのである。

 

どこが問題か

 問題点は、不正確な粗が目立ってしまうということ。今回連続で紹介する3冊の中でもっともそれが目立った。

 細かくあげればきりがないし、あまり意味のある作業とも思えないので、2点ばかり指摘しておく。

 

 その1。商品の「使用価値」と「交換価値」を「商品がもつ2つの価値」という説明をしてしまうこと(p.42-43)。

 これ、すごくよくある説明。いや確かに「使用価値」と「交換価値」っていうふうにどっちにも「価値」がついているからね。だから「2つの価値」なんでしょうね。

 でもですよ。マルクスはわざわざ「価値」という概念で、『資本論』を説明していくんですよ? これがどんな混乱を生み出すか考えたことがありますか。

 「1メートルの布」は「1キロの小麦」で交換価値を表すのだが、なぜ何もかも違うように見える「1メートルの布」と「1キロの小麦」が交換できるのかと言えば、同じ手間暇をかけている、つまり投下されている労働量が同じだからであり、それが価値だという説明をしていない。

 このため、「使用価値」が「価値」であるなら、生産力が上昇するとなぜ「価値」が下がっていくのかがわからなくなってしまう。

 本の中では「価値」「交換価値」の使い方が時々に変わり、読者は混乱する恐れがある。

 

 その2。相対的剰余価値の説明で「特別剰余価値」という概念を使わずに説明して、しかもその説明がよくわからない(p.122-123)。

 

 相対的剰余価値とは、資本家が技術革新による生産性の向上などで特別のもうけ(特別剰余価値)を手に入れようとして、その結果社会全体の生産力が上昇して、労働力価値(労働者の賃金=労働者が衣食住のためにかける費用)が下がり、増える剰余価値のことである。

 今述べたように、資本家は特別剰余価値をめぐる争いをして、意図せざる結果として相対的剰余価値を手に入れることになるのだが、そのテコとなる特別剰余価値についての説明はない。

 

 しかも、服をめぐる原価や利益の計算を書いているのだが、ぼくの頭が悪いのか意味がわからないのである。簡単に言えば「生活費が下がって給料が下がる」ことで儲け分(剰余価値)が増えることが相対的剰余価値のはずだが、本書では「給料は変わらず」、生産力が上がると「利益が増える」ことになっている。

 もしぼくが勘違いをしていたら、ぜひ指摘してほしい。

 

 「え、なに、じゃあ間違いだらけなの?」というとそういうことではない。

 上記の2カ所を除けば、細部に間違いはあっても、大ざっぱに理解する上では問題ないと言える(いや、問題ありまくりだ! という人もいるかもしれないが、程度の問題だと思う)。 

 まあ、監修者はもうちょっとよく監修してくれ、と注文をつけておく。