齋藤孝『図解 資本論 未来へのヒント』と『資本論』学習の支援

 最近出た『資本論』入門を紹介するシリーズの3冊目。

 齋藤孝『図解 資本論 未来へのヒント』だ。

 これが一番正統な「入門書」だろう。『資本論』第1部の順番にだいたいそって、内容を紹介し、解説するというもっともオーソドックスなやり方をとっている。

 ただし「図解」とあるのだが、「図解」なのか……これ……? という感じではある。ざっと数えて20ほどの「図」があるのだが、そもそも200ページの中で20しか図がないって「図解」と銘打つほど多くはないよね? と思うし、出てくる「図」もそこまで『資本論』の内容を噛み砕いているとは思えない。図で言えば先に挙げた的場昭弘監修『マンガでわかる資本論』の方が「図」が多いし、わかりやすいものが少なくない。

 しかし、文章はさすがである。こちらは的場や斎藤幸平と違って監修ではなく、齋藤孝本人が著書だとしている。齋藤孝が書いているのである。たぶん。

 素直に読んでいけば『資本論』第1部のポイントはわかるようにできている。正真正銘の「入門書」だ。

 

 とはいえ、まず難点から上げておこう。

 上記の「図が少なくわかりにくい」というのが第一。

 第二は、やはりここでも「価値」には「使用価値」と「交換価値」がある、とやってしまっていることだ。まあ、的場本と違い、すぐに「交換価値」は出なくなるのであまり混乱しないとは思うが、この解説の間違いはホントにいろんな本で出てくるなあ。なんとかならんのか。

 第三は、出来高賃金と時間賃金の記述があるが、これが労働力価値という本質が賃金にどう現象するのかという解説がないので、問題が全くわからない。

 どちらも搾取分が隠蔽されて、あたかも「労働の価値」であるかのように現れる。労働力価値を時間や出来高の「平均」で割ることで、この隠蔽の仕組みが出来上がるのだが、そのあたりのことは一切書かれていない。

 第四は、いまぼくが学習会で協業やマニュファクチュアのあたりをやっているせいでそこに目がいってしまうのだが、「うーん」と首をひねってしまう記述がいくつかある。

 例えばp.110で協業は労働者を分断されてしまうと書かれる。これは『資本論』で労働者が「お互いどうしでは関係を結ばない」*1という箇所を根拠にしているのだが、これは分断というよりも、資本が主導的に関係を結ばせるので、協業によって生まれる生産力の成果は資本のものになり、生産力は資本の生産力として現れる、という点がポイントだろう。むしろ、中世の職人的な分散した職場から合同した職場が出現するので、共同の契機になりやすいとさえ言える。

 また、p.115で「マニュファクチュアでは、多くは単純な作業となります」とある。これは正しい。しかし「そこで、熟練する可能性を奪われた労働者たちが生まれてくる」と続く。うーん、これはどうかな。熟練がなくなるんじゃなくて、不熟練と熟練に分かれるんだな。齋藤孝が言いたいのは昔の職人みたいに全ての工程を一人でやってしまう「完全な職人(労働者)」がいなくなってしまうということだろう。中世では「一人前」でない場合は見習いでしかなく、就業できなかった。しかし、マニュファクチュアのもとではみ不熟練工であっても就業できるようになる。熟練工がいなくなるのは、機械制大工業が生まれてからだ。

 まあ、一生不熟練工ってことはあるかもしれないのだが。

 

 と4点も難癖をつけちゃったのだが、だからと言って悪い本ではない。

 たぶん、資本論』の中身を『資本論』の内容に沿って理解する、という入門書の基本に立ち戻って考えると、これまでに紹介した中では一番いい本だろう

 齋藤孝のわかりやすい文体・文章が、入門書としての良さを際立たせ、200ページで読み終えられるという「短さ」も幸いしている。

 区切りごとの冒頭に掲げられている『資本論』からの引用・抜粋もおおよそ的確である。いまぼくがサブテキストで使っている土肥誠『面白いほどよくわかるマルクス資本論』も区切りごとにマルクスの『資本論』の原文が引用されているのだが、「え、ここを最大のエッセンスだと思ったわけ?」と首を傾げたくなるようなトンチンカンな部分が引用されていることが少なくない。

 

 

 的場監修本にも区切りごとのラストに『資本論』の抜粋が要約されて載っているのだが、あまり適切でない部分であったり、ひどい時には意味が反対のものが載せられている時もある。

 

 齋藤孝の本でいいなと思ったのは、8章の労働時間短縮のための労働者のたたかいを齋藤孝自身が高く評価し、結構力を入れて書いているということである。

 不破哲三マルクスが解明した資本主義分析の特徴を4つあげ、『資本論』の読み方についても次のような注意を与えている。

資本論』を読む際、搾取の本質(第一の特徴)と利潤第一主義(第二の特徴)だけで済ませてしまって、こういう搾取社会だから変革が必要なことを理解する。これはたいへん大事なことですが、マルクスは、そこだけにとどまっていません。資本主義の発展のなかで、次の社会変革に進む客観的条件(第三の特徴)と主体的条件(第四の特徴)がどのように準備されるか、そのことを含めて資本主義社会についての経済学を展開しているのです。(不破『マルクスと友達になろう』p.29-30)

 ぼくはこれに同意する。8章における労働運動の叙述はまさにこの第三と第四の特徴に関わるものである。

 

資本論』を学ぶために必要な支援

 若い人たち、それも『資本論』についてほとんど予備知識もなく、翻訳した西洋古典と付き合った経験がない人たち(こういう人を仮に「超初学者」と呼ぼう)と学習会をしてみて、『資本論』を学ぶうえでどういう入門書や学習支援が待ち望まれているのだろうか。

 第一は、内容の柱をつかむこと。『資本論』の内容をざっくりと理解するような平易な解説である。しかも『資本論』を順序立てて。齋藤孝の本はまさにこれである。昔は労働組合のテキストなどでそういう本がいっぱいあったが、今はもうほとんどない。

 不破哲三などはこういう類の本にあまりいい顔をしない。なぜなら、「解説を読んでわかった気にならないでほしい」と思っているからだ。そして解説の方の解釈がじゃまになって、古典を素で当たったときの新鮮な理解が曇らされると思っているからである。それはそれで一理ある。

 しかし、「超初学者」にとって、『資本論』という森、いやジャングルに入ることがいかに困難なことか想像してほしい。ガイドや地図もなしにジャングルに入らされるようなもので、迷うこと・挫折すること必至である。「いまどの辺りにいる」「何合目まできたな」という感覚がない。

 第二は、内容の柱が現代のどんな問題と結びついているかを簡単に理解すること。あるいは、視覚に訴える教材を使うこと。

 例えば、価値や貨幣の問題は抽象的な議論である。それを現代のこんな問題と結びついてますよ、と示すことで興味や関心を持続できる。

 昔の労働組合や左翼組織は堅苦しい文章を印刷するしかなかったが、今は動画とか写真・イラストとかがネットなどで無料で自由に使えるから、こんなに恵まれた条件はない。

 ぼくは、マルクスが8章や11章で持ち出す綿工業や時計産業の具体的な姿がわかりにくいので、ネットで動画を探してみんなで見てもらったりしている。例えば「紡錘」は何回も『資本論』で登場するが、若い人は見たこともない。

www.youtube.com

 

 第三は、『資本論』原文に入った時に、段落ごとを1行か2行程度に要約したものがほしい。あるいは、すぐに理解しなくていい箇所とここはどうしても理解してほしい章・節・段落を示すことだ。

 第一、第二のような解説本や教材はその気になればある。

 だけど、問題は原文を読み始めた時の難解さなのだ。どんなに気の利いた解説本を読んでいても、現代との繋がりがトピック的にわかっていも、いざマルクスのクソ小難しい、ペダンティックな皮肉交じりの文章の洪水に付き合わされたらたじろがざるを得ない。正直辟易する。

 いかに事前に「エベレストはきつい山ですよ」「アマゾンは途轍もない密林ですよ」と言われ、地図で難所や見取り図を確認し、トレーニングを積んだとしても、いざ登ってみたら・入り込んでみたら、とんでもないことに気づかされるのと同じである。

 

 『資本論』を実際に読む上で最大の問題は、何度目かの挑戦者ならともかく、一読めの読者は、ここは大事な箇所だなとか、そこはどうでもいいマルクスのおしゃべりだな、という遠近感が全く掴めないので、全部必死で意味を取ろうとすることだ。そんなことができるわけがないのに、逐語的に意味をつかもうしとして最大の難所である冒頭の3章(いや3章どころから、価値形態論になる1章3節)までで疲れ果てて挫折するのがパターンである。

 飛ばしていいところは飛ばす。理解しようとこだわらない。

 登山や密林探検で言えば、「ヘリコプターに乗って飛ばしていい」箇所があるのだ。いちいち丁寧に全て踏破しようとするな。その「飛ばしどころはここだ」「意味がつかめんかったけどこの段落はだいたいこういうことなんだな」という理解で次へ進める、そういう本が必要なのである。

 不破哲三『『資本論』全三部を読む 新版』はそういう本だと言えなくもない。

 

 問題はこれを前から順番に読まないことだ。

 そして、不破が面白がってしゃべっている脱線話にもいちいち付き合わなくていい。本を読み慣れていない人には、この本を読むだけでハアハアフウフウしてしまうのだから。わからない時に辞書を引くように読めばいい。

 全然書いていない箇所もある。そういうところは飛ばしていいんだなと思うようにしろ。

 しかし、そういうふうにすると今度は飛ばしすぎになる。ほとんど何も書いていない章・節もあるからだ。

 できれば章ごと・節ごと・段落ごとの要約があるものがよく、超初学者にとって大事でないとこ路・大事なところが色分けしてあるのがなお良い。

 

 例えば日本共産党は「新版『資本論』の普及と学習をすすめよう」ということを大会決定にしている。

 しかし、そのような「学習」を進めるための、ぼくが今あげたような第一、第二、第三にふさわしい資材・教材が作られているとは思えない。共産党には「学習・教育局」というのがあるんだから、そういう努力をしてみてはどうだろうか。

 今あげた第一、第二、第三の方向とは違うかもしれないのだが、実際に『資本論』を読んでいると、「マルクスが言っている、この記述はどういう意味だろう」と思うような箇所がいくつもある。

 8章は労働時間をめぐる具体的な話だからわかりやすいと思うかもしれない。しかし実際に読んでみると、年齢ごとの時間規制が複雑に入り組んでいて整理するのが一苦労な上に、誰のどういう利害がどんな行動に駆り立てているのかが、当時の事情がわからないとよく理解できない。

 例えば次の記述について、賢明な諸氏は状況とか、誰にどう有利で不利なのか、理解できるだろうか?

一八五〇年の法律は、「少年と婦人」についてのみ、朝の五時半から晩の八時半までの一五時間を、朝の六時から晩の六時までの一二時間に、変更したにすぎない。したがって、児童については、変更されるところなく、依然として彼らは、その労働の総時間は六時間半を超過してはならなかったとはいえ、この一二時間の開始以前に三〇分と、終了以後に二時間半、利用されえたのである。この法律の審議中に、かの変則の無恥な濫用にかんする一統計が、工場監督官によって議会に提出された。しかし無駄であった。背後には、好況期には、児童の補助で成年労働者の労働日を再び一五時間に引上げる、という意図が待伏せていた。つづく三年間の経験は、このような企図が、成年男子労働者の抵抗のために挫折せざるをえない、ということを示した。かくして、一八五三年には、ついに一八五〇年の法律が、「児童を少年および婦人よりも、朝は早くから晩は遅くまで使用すること」の禁止によって補足された。(エンゲルス,向坂逸郎マルクス資本論』2  Japanese Edition Kindle の位置No.3988-3997  Kindle 版)

 本当に学習会をやっていたらそういう困難に必ず出くわすはずなのだ。

 だけど、例えば共産党が出している学習支援雑誌「月刊学習」にはそういう話は一度も出てこないし、「赤旗」の学習のページにはそんなことが載った試しはないし、そういうことにフォーカスした支援教材も出てこない。実際に少しでも学習がされてるのかね? と疑問に思う今日この頃である。

 以上で、『資本論』入門書の紹介シリーズは終わる。

*1:新日本出版社版では3分冊p.588。「それら個々別々の人間は、同じ資本と関係を結ぶが、お互いどうしで関係を結ぶのではない」。