雁須磨子『名前をつけて保存しますか?』

 ぼくは今PTAに入っていない。少し前に退会したのだ。PTAは任意加入が原則なので、それを規約で定めたり、加入届で確認したりしてほしかったのだが、その要望がかなわないので脱けることにしたのである。

 誤解のないように言っておけば、喧嘩別れしたわけではない。校長先生はぼくの質問や意見にも丁寧に答えてくれたし、PTAの役員は退会にあたってぼくのPTA委員活動について心のこもった労いの手紙までくれた。いわば「円満退会」である。

 世の中では、PTAや町内会を脱けたりすると、陰で「ずるい」と言われることがある。他の人のそういう悩みを聞くこともある。

 一体「ずるい」とはどういう感情だろうか。「しなければならぬことを巧みになまける」と『広辞苑』にはある。

 冒頭に述べたように、PTAも町内会も任意加入である。入っても入らなくてもよい団体なのだ。俳句のサークルに入るのと変わるところはない。「この俳句サークルは自分に合わないな」と思って退会するとき、ふつう「ずるい」とは言われないだろう。子ども食堂のボランティアならどうか。やはり同じだ。「本業が忙しくなったので、一年ほど手伝いは休みます」と言って脱けたとしても、誰もそれを「ずるい」とは責めないだろう。

 同じ任意加入、つまり「しなければならぬこと」ではないはずなのに、PTAや町内会の場合は「ずるい」と言われてしまうのである。

 PTAの中にはポイント制をやっているところもある。「大変な役職」をやればポイントが大きく、一定以上貯めると役職を免除されるという。ポイント制は「ずるい」という感情の噴出を抑え、管理する道具なのだ。

 

 雁須磨子という福岡県出身のマンガ家に『名前をつけて保存しますか?』(講談社)という短編集がある。

 

 

 その中の収録作品の一つ(「手の鳴るほうへ」)に、キホという妹を姉が諭すシーンがあり、「キホ あんたしんどいの? ズルいって出ちゃうとき 人ってそれに我慢してるから出てくるんだよ 自分がしんどいことは キホ やめちゃってもいいんだよ」というセリフが出てくる。

 至言ではないか。

 生活保護を受給している世帯に対して「ずるい」という責め言葉を投げつける人がいる。生活保護は貧困に陥ったとき、つまりある所得・資産条件以下になったとき、誰でもそれを受ける権利がある制度だ。「病気になったら医療保険が使える」のと何ら選ぶところはない。その正当な権利に「ずるい」という気持ちを抱いてしまう人は、自分がつらくて、何かを我慢しているのだろう。

 もしも本当に不正があって「ずるい」というなら「ずるい」などと言わずに堂々とその不正を告発すればいい。だが、大抵それは思い過ごしだ(相続税の非違行為は申告件数全体の二〇%もあるのに、生活保護の不正受給は支給総額の〇・五%程度である)。だから陰にこもった「ずるい」という言い方になってしまう。

 PTAや町内会の活動で「ずるい」という言葉を使ってしまう人は、PTAや町内会がつらいのかもしれない。そう思うなら、楽しいものにすればいい。活動も任意だ。余計な事業はリストラして、自分たちのやりたい仕事・やりがいを感じられる必要な事業だけやればいいではないか。どうやっても楽しくならず、つらいのであれば、PTAや町内会を脱ければいい。

 「やらなきゃいけない仕事ばかりだ。減らせるわけがない」と思うのは、思い込みにすぎないこともある。例えば町内会の防犯灯。あれは町内会がお金を出すものだと信じて疑わない人がいるが、LED化で費用が半減するのを契機に行政に移管する自治体もある。もともと公共インフラである防犯灯を町内会が負担している方がおかしいのである。

 「ずるい」という言葉で表現される現実は、まさしく不当なものか、実は正当なものか、どちらかしかない。その明確な判定を避けようとするがゆえに「ずるい」という表現にとどまってしまうのである。「ずるい」という言葉には表立っては相手に言えない自信のなさがうかがえる。

 「ずるい」という言葉をやめてみてはどうだろうか。

 

 ……という、以上の文章は、実は少し前に、あるメディアからの依頼で書いたエッセイの没稿の一つである。

 「『ずるい』という言葉をやめてみてはどうだろうか。」でこの文章を結んでいるけども、実は雁の作品(「手の鳴るほうへ」)のラストでは、その姉が、「ズルい」という言葉を母親に軽い調子で連発するというオチを用意している。姉自身がキホに告げた「ズルい」論が解毒されていると言ってもいいだろう。どの短編もそうなのだが、家族の関係を、ある価値観で裁定することを避け、基本的に許し合おうとする雁の態度がこの短編集にはベースに流れている。

 もし雁のその態度に学ぶなら、むしろ「ずるい」と言ってしまうPTA・町内会関係者をこそ、ぼくは「そうかもしれませんね〜」的に許してしまうべきかもしれない。