PTA会長の「偉さ」今昔

 桂正和電影少女』を読んでいたら、PTA会長に見咎められて、退学処分になるというエピソードが出てきた。校長は寛容にしたのだが、PTA会長の息子を殴ったために、会長が許さなかったというのである。
*1
 どんだけ偉いんだ、PTA会長……。*2


 『うる星やつら』にも、PTA会長が教室の「たるみ」の噂を聞きつけ、「抜き打ち視察」を行い、校長が慌てふためいてそれに随行するシーンがある。
*3


 どちらも高校。
 桂の方は1990年、高橋の方は1980年である。
 PTA会長とはかくも権力的だったのか? と自分が経験した保育園の保護者会会長やPTA役員群像に照らしてあまりに隔たりがあったので最初はものすごく違和感があった。
 当時はPTA会長にどんな権力構造が…とか変な悩み方をしたのであるが、よく考えてみれば、単に地域の有力者がPTA会長であった、ということに気づいた
 ぼくが中学生のころも、同級生の父親が自民党県議会議員だったので、PTA会長にそのままなっていた。
 今でも例えば市議会議員がPTA会長に就任するとかはよく聞く話だ。


 ただし、昔と今とでは、例えば市議会議員が仮に会長や副会長になったとしても、あまり権力的に振る舞うことはない……と聞いている。
 むしろ行事の時に準備や作業や親睦を一生懸命やって保護者に「愛してもらう」というような受け入られ方をしている例を聞くので、その点では時代による変化があるのだろう。昔は地域の顔役がPTA会長に就任し、その権力性を誇示する場になっていたのではないかと想像される。あくまで「想像される」だけなんだけど。


 1948年に文部省内PTA研究会と時事通信社が共著として発表した『PTA読本』には「PTAの現状に対する反省」と題して次のような指摘箇所がある。

二、役員 相談役、顧問などを設け顔役を並べている所が多い。選出の方法も適当でない。役員殊に会長には婦人の進出が望ましいにもかかわらずわずか〇・五、副会長には二六パーセントしかでていない。一般にPTAがB(ボス)TAの評を受けるほどボス的存在が役員として活躍している。(同書p.25、強調は引用者、以下同じ)

 1948年は戦後すぐであり、PTA制度が発足して間もない時期である。それは戦前の父母後援会同様の「地域の顔役」が支配する場所になっていたことが、この記述からうかがえる。
 ちなみに、次のような「現状」への「反省」もある。

六 割当寄付をしている所が多い。
七 会員に強制加入が多い。従って、PTAの趣旨、目的を理解していない人が多い。
八 相変わらず学校側が主導性を握っている。(前掲書p.26)

先般「こども放送討論会」で、ある小学校の女生徒から、「近頃、PTAというものができて、お父さんや、お母さんを寄附金で苦しめていますが、なんとかならないものでしょうか。」という質問があった。しかし、笑いごとではなく、これが日本におけるPTAの現実の一面である。(前掲書p.26)

 それから約30年が過ぎた1980年、東京都社会教育振興協議会会長であった西村文夫は、「学校後援会」であることを否定して出発したPTAの歴史をふりかえり、しかし学校後援会になってしまった事実を承認し、一定の意義があったことを認めつつ、次のようにその功罪を論じる。

学校後援が活動の主分野となれば、寄付集めに都合のよい町の有力者や、役所に顔の利く名士を会長役員に選ぶことになり、それはPTAの保守性を強くし、そのことが教育の民主化を支え育てる存在になりえなかった一つの理由となっている。(吉本二郎・永岡順編『現代学校教育全集 第21巻 学校と地域社会』、ぎょうせい、p.56)

 PTAをめぐる議論を知らない人は、「PTAは学校を後援するところじゃないのか」と驚くかもしれない。
 しかし、学校教育を追認するようなあり方が、戦前、子どもを国家に奉仕し戦争のために送り出した教育を追認させたことを反省し、PTAはむしろ学校後援的な
あり方を否定した。父母たちが教師たちといっしょに勉強(社会教育)をして、賢くなって、自分の頭でものを考える場としてPTAが考えられたのである。
 そして、ここでいう「学校後援」はもっと端的に、「学校予算が足りないから父母の寄付でまかなう」という、「強制寄付団体」としてのPTAの側面である。戦後長らく学校の予算は満足なものがつけられず(今でもそうなのだが)、それを父母たちからの寄付でまかなったのである。


 この西村の記述のように、PTA会長に地域の顔役が配置されるのは、このような歴史の名残として存在した。
 ただし、先ほども述べたように、たとえここに今地域の顔役である有力者や地方議員が座ることになったとしても、その役割は昔とは少し違っている。有力者や地方議員はむしろ、会長や役員として懸命に働くことで、自分の顔を売ろうとしているのである。その意味では、顔役の権威性は逆転したとも言える。


 そのような権威性の解体・変質があって、役員も会員も自由にものが言える組織になっているなら、そのPTAは民主的になったと言える。
 しかし、結局顔役が奉仕者になったとしても、組織全体が、顔役の演出するための機構になっているだけなら、そのPTA組織全体としては、相変わらず自由にものが言えない、ただ前例を踏襲し、学校の後援をするだけの保守的な組織なままなのである。
 





 

*1:桂正和電影少女』2巻、集英社、46ページ。

*2:この処分は作品中ではのちに停学処分に変わる。

*3:高橋留美子うる星やつら』3巻、小学館、152ページ。