「ブラック校則」の「合理的理由」をしつこく問い詰める

 福岡市の中学校の人権侵害の校則、いわゆる「ブラック校則」が話題になっている。

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「学校まかせ」では人権侵害がいつまでも解決しない

 ぼくは市内の中学校に娘を通わせる一人の親として強い関心を持ってきた。

 ぼくがずっと感じている不満は、「校則は学校ごとの問題。学校ごとに決めればいい」という扱いをされることだ。結果的にいつまでたっても問題が解決しないのである。

 学校という単位になると、一人の保護者が言えることは実に限られている。担任や校長に話したこともある。それで変わるかどうかはわからない。というか、悪意にとらえれば、「3年間、のらりくらりとかわしていれば、このモンペは子どもが卒業してしまうのでおさらばだ」と思われているのだろう。

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PTAを通じた改革の可能性と難しさ

 PTAはどうか。福岡市でもPTAを通じて改革したケースはある。

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 これは貴重な経験には違いない。

 しかし他方で、「会長」や「役員」でなく、「いち会員」としてこれを取り上げるのは至難だ、というのがぼくの実感である。

 小学校のPTA総会でぼくは「いち会員」として「PTA加入は任意であることを規約に明記してほしい」と発言し、提案したが、否決された。総会に出す前にも、役員会のようなところで意見を述べたりもしたが、取り合ってもらえなかった。

 本当は親同士のつながりで総会に乗り込んで意見を言うのがいいのかもしれない。ぼくはほとんど今つながりがない。いや、全くないわけではないが、総会で意見を言うところまで「勇気」を持てる人はぼく以外にいない(同じ中学校の中では、頑張ってもあと一人くらいだ)。そうなると総会で一人で意見を言わねばならないが、総会の現数出席の大半は教員である。要するにあてにならないのである。3年というリミットの中では望みは薄いと思っている(しかも昨年はコロナで一堂に会する総会がなかった)。

 つまり「学校ごとに決めろ」という口上――それは戦後教育制度の中で学校が中央統制ではなく教育をする主体としての地位を保ってきた良い側面なのだが、他のあらゆる問題は中央政府の意向を忖度しまくって教育委員会の号令で各学校を従わせるくせに、都合の悪いことは「学校ごとに」と言って逃げてしまうのである。

 しかし、問題は「人権侵害」が校則によって起きているということだから、問題の性格上、それは教育行政によって直ちに是正されるべきもののはずだ。例えて言えば、「いじめ」が起きているときに「まずは学校で話し合って」という悠長なことはしないはずであろう。

 

 だとすれば教育行政として、つまり教育委員会がイニシアチブをとって、具体的に人権侵害である校則をなくすようにしてほしいと思っている。

 

抽象的な権利規定の弱点

 しかし、ここで注意しなければならないことがある。

 例えば「子どもの人権条例」のようなものを制定した場合果たして効果があるのだろうか。

 ぼくは、それすらも困難だと思っている。

 なぜなら、教育委員会や学校は、「子どもの人権」と「校則(教育的指導の名)による人権侵害」を全く分けてしまっているからだ。すでに「憲法」や「子どもの権利条約」には「表現の自由」が明記されている。

 それと同じようなものを市の条例で作ってみても、教育委員会や学校は「教育的指導」としてそれをすり抜けてしまうのである。

 憲法・条約上の人権を、「教育目的」の名で勝手に抽象化して、規制してしまうのだ。

 このやり方を打ち砕くには、具体的でロジカルなやりとりが必要になる。

 それを密室の交渉の場ではなく、責任ある場所で行うこと――それはまさに議会もしくは教育委員会会議以外にない!

 そこまでしなければ校則はこじ開けられない。少なくとも福岡市では。

 

 このことに着目した、今年3月23日の、福岡市議会における条例予算特別委員会総会の場での、山口湧人議員(共産党)の質問は、大変鋭かった。普通なら抽象的な答弁によってすり抜けてしまう教育長を、なんどもなんども具体的に問い詰めて「雪隠詰め」にしていったからである。

 「ツーブロック」の合理的理由を問いただした池川友一都議(共産)の質問は有名だが、この山口市議の質問もブラック校則の「合理的理由」をしつこく議会で問い詰める、稀有な取り組みだ。

 もちろん教育長は「ごめんなさい」とは言わなかった。しかし、やりとりによってその不当性が十分に浮かび上がったとぼくは思った。(以下の引用は、ぼくが動画から起こしたものであり、正式な議事録によるものではない。29分ごろから校則問題が始まる)

smart.discussvision.net

 

 

説明がちゃんとできるような合理的理由なくして表現の自由は規制できない 

山口湧人「今年2月、福岡県弁護士会が、(福岡市内の市立)中学校69校の校則や生活の決まりなどの調査を行い、合理的理由が説明できない校則や生徒指導の実態が明らかになったとして、そのような校則や生徒指導の廃止、もしくは見直しを求める意見書を提出した。私自身も、69校の校則を調査し、見直しを求める当事者の話を聞いてきた。憲法21条、子どもの権利条約13条1項には何と書いてあるか」

教育長憲法21条には『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する』及び『検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない』、子どもの権利条約13条1項には『児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む』と示されている」

山口湧人表現の自由を制限するには、合理的理由が明確でなければならない。校則や生徒指導が真に必要かつ重要な教育上の目的、社会通念上、合理的理由が認められるのか、質していく」

  まず、憲法そして条約の上で「表現の自由」が子どもを含む日本国民に保障されていることが明記されている。*1

 ここは前提としてとても大事なところで、本来「表現の自由」は規制できないのである。

 規制するには、よほど明確な合理的理由が必要になる。つまりきちんと必要性を説明できなければならないのだ。

 これは例えば制服のような規制だってそうである。

 ぼくらはついつい「めちゃくちゃな校則」だけを問題にしがちであるが、制服でさえ、その必要性をまともに子どもに説明できないのであれば、規制ルールとして存在することはできないものなのだ。

 

二転三転する教育長の答弁

 まず、スカート丈は「膝の上にするのはダメ」、要するにミニスカートにするな(というほどミニではない)という規制である。このやり取りを見てみる。

山口湧人「ほとんどの中学校がスカート丈の長さを『膝の上にならない程度に調整』『うつむかず背筋を伸ばして立った状態で膝が見えない』などと規定している。スカート丈の長さを規制する教育上の目的はどこにあるか」

教育長「スカート丈の長さの規制は登下校を含めて生徒が健全で安全な学校生活を営み、よりよく成長するための行動の指針として定めており、社会通念上、極端でない長さの規定は必要かつ合理的な範囲と考えている」

山口湧人「その基準は誰が決めたのか、客観的基準を明確に答弁せよ」

教育長「各学校で決められている」

山口湧人「学校で決めるというけど、教育委員会の『新標準服採用における校則に関するガイドライン』では参考例でスカート丈の長さについて『直立姿勢で、膝が隠れる程度の長さにすること』として示している。教育委員会が合理的な理由、教育上の目的について指針を持っていると思うが、重ねて答弁を求める」

教育長教育委員会から指針を出しているが決定するのは各学校だ」

山口湧人「『健全で安全な学校生活を営み、よりよく成長するため』にはスカート丈が膝の下にないといけないというなら、その客観的基準を答弁せよ」

教育長「規定については生徒が規範意識を持って健全な学校生活を営むことを目的としている。その内容は生徒の実情、保護者の考え方、地域の実情、社会の常識、時代の進展などを踏まえたものだ」

山口湧人「そういうことは生徒自身が判断すればいいだけだ。客観的基準は存在しないということだ。スカート丈の規制は意味がない」

  教育長の答弁が二転三転している。

 最初は「学校が決めている」と言い逃れしようとしているのがわかるだろう。

 しかし、山口議員は、教育委員会自身がガイドラインで「膝が隠れる長さ」というヘンテコなルールを学校に示しているという反証を突きつける。学校を誘導しているのは教育委員会ではないかと。

 これを受けて教育長は「指針を出しているが決定するのは各学校だ」という支離滅裂な答弁をする。「指針の根拠」を尋ねられているのに、「決定の所在」に話をすり替えているのである。

 最初の「学校が決めている」という答弁は不当だったことがわかる。

 山口議員がさらに「『健全で安全な学校生活を営み、よりよく成長するため』にはスカート丈が膝の下にないといけないというなら、その客観的基準を答弁せよ」と畳み掛ける。

 教育長は「生徒の実情、保護者の考え方、地域の実情、社会の常識、時代の進展など」という、あまりにも幅が広く、どうとでも解釈できる「基準」しか言えない。

 「生徒の実情」で膝下? 膝の上だと生徒にどんな困ったことが起きるのか?

 「保護者の考え方」で膝下? アンケートでも取ったの?

 「地域の実情」で膝下? 福岡市では奇抜な習俗があるのか?

 「社会の常識」で膝下? 「膝上のスカートなんか見たことがない」という常識がどこに?

 「時代の進展」で膝下? 時代は令和になってスカート丈が伸びたの?

 つまり合理的理由を説明できないのである。

 

 ポニーテール、お団子、ツーブロックは「社会規範を守れていない」のか

山口湧人「ポニーテールやお団子、ツーブロックなどの髪型が禁じられている。なぜ禁じるのか、教育上の目的、合理的理由の説明を求める」

教育長「髪型の指導は生徒が規範意識を持って健全な学校生活を営むことを目的としているが、その内容は生徒の実情、保護者の考え方、地域の実情、社会の常識、時代の進展などを踏まえたものでなければならない」

山口湧人「意味がわからない。『規範意識』とは何か。その客観的基準を説明せよ」

教育長「(1分間沈黙)準備ができてないので答弁できない。(後ろと打ち合わせ)社会規範の遵守について適切な指導を行うことは極めて重要なことと認識している。このことは文科省の『生徒指導提要』にも記載されている」

山口湧人「『提要』にはなんと書かれているのか」

教育長「手元にない。(後ろからメモがくる)『学校には一定の決まりが必要』『社会規範を重視し適切な指導を行うことは極めて重要』『校則は必要かつ合理的な範囲で制定されたものであり、校則を制定する権限は校長にある』とされている」

山口湧人ツーブロック、ポニーテール、お団子の髪型の生徒は『社会規範を守れない』というのか」

教育長「髪型の規定は規範意識を持って健全な学校生活を営むためのものだが、その内容は、生徒の実情、保護者の考え方、地域の実情、社会の常識、時代の進展などを踏まえたものでなければならない」

山口湧人「一律にツーブロック、ポニーテールの髪型は禁止と校則に定めている。規制になんの根拠もない。熊本市教育委員会は、ツーブロックなどの髪型の規制には合理的な理由が認められないとして見直しの対象にしている」

 

 教育長がしばしば立ち往生している。答弁できないのである。自民党議員が「発言通告していないだろ」とヤジを飛ばしているが、「福岡市議会会議規則」(条例に準じるもの)49条には発言通告書の提出が議員に義務付けられており、通告しないテーマは質問できない。山口市議はきちんと通告書を提出しているから議長(ここでは委員長)は山口市議の質問を制止していないのである。*2

 結局、時間をとって答弁に戻ったものの、「ツーブロック、ポニーテール、お団子の髪型の生徒は『社会規範を守れない』というのか」という山口議員の質問にはまともに答えることができていない。

 

無理やり髪の毛を染めなおす、眉毛を描きなおすのは「教育」

山口湧人「染色やパーマも多くの学校が禁止している。違反した際の指導について驚くべき内容が明文化されている。『髪が染めてある状態では教室にあげない』『学校で黒く染めることもある』『一旦黒に染めるが、本来の自分の髪の毛に戻せるよう過去した部分を切っていくよう指導する』など意味不明だ。中学生は一律に黒髪でストレートにしなければならないという規制に合理的理由は見出せず、無理やり力づくを直させるのは明らかな人権侵害ではないか」

教育長「髪を染めた生徒には色を元に戻す指導を行い、指導に従わない生徒については別室にて学習を行うこともあるが、教育的指導の範囲内だ」

山口湧人「重大な答弁だ。人権侵害の生徒指導を放置するのか」

教育長「教育的指導の範囲内だ」

山口湧人「ある学校では眉毛を加工したら、『別室で指導』『太く大きく描く』『眉毛が生えそろうまで休み時間はトイレなど以外は教室から出さない』――こんな校則まである。授業を受ける権利を侵し、人権侵害ではないか」

教育長「教育的指導の範囲内だ」

山口湧人「あらためるべきだ」

教育長「いや、教育的指導の範囲内だ」

 

  自民党議員席から「よく言った!」と激励のヤジが教育長に飛ぶ。そういう感覚の議員に守られて教育行政が営まれている。

 これは本当にひどい答弁で、道理も納得もない、教育の敗北である。

 

下着検査をしているのに「していない」と強弁

山口湧人弁護士会の調査では市の学校の8割以上で下着検査をしている。下着の色を規定する教育上の目的は何か」

教育長「肌着などの規定は華美な色が透けて見えることや経済的理由からカッターシャツやブラウスの下に着用するものは色を指定することもあるが、それ以外は色を指定することはない。なお福岡市においては下着の検査は実施していない」

山口湧人「一般社会では下着の色まで決められていることはない。このような校則があるため、下着の色を目視でチェックするなどの生活検査が行われている。弁護士会の調査では『女子生徒が男の先生から下着の色を指摘され、それ以来学校に行けなくなった』という声が紹介されている。下着チェックは明らかなハラスメントであり、人権侵害ではないか」

教育長「令和2年11月に教育委員会が調査したところ全ての中学校で下着の検査は実施していない」

山口湧人「『カッターシャツの下に着る下着は白』『柄シャツは脱がせて担任が預かる』と城南区の校則に書いてある。これは下着検査ではないのか」

教育長「教育的指導の範囲内だ」

山口湧人「『教育的指導』ということで(検査を)行なっているということだ。大阪・枚方市では教職員が生徒の下着の色・形を話題にすること自体をセクハラとしている」

 

 共産党は2019年に独自の調査で下着検査を議会で告発したが、その時教育長はそんな検査は「ない」と否定した。共産党は直後に教育長に“調査もせずに否定するな、ちゃんと調査しろ”と申し入れるが、教育長は聞く耳を持たない。

 そして、昨年県弁護士会が独自の調査で福岡市内の中学校を調査し、意見書を提出。やはり冒頭に紹介したような異常な事例が大量に見つけ出された。

 ところが、教育委員会弁護士会の意見すらも否定したのである。下着調査など行われていない、と。共産党はさらにこれに対して抗議し、調査を要求している。

 教育委員会のロジックは「上から目視するものは下着検査ではない」ということだ。仮にそれを脱がせて預かるにしても、である。

 山口議員は「『カッターシャツの下に着る下着は白』『柄シャツは脱がせて担任が預かる』と城南区の校則に書いてある。これは下着検査ではないのか」と聞いて、教育長は「教育的指導」であるとしているが、「下着検査」であるかどうかは答えていない。ごまかしているのである。「下着検査でない」といえば、あまりにも詭弁が露骨になるし、「下着検査だ」といえばこれまでの答弁が虚偽になってしまうからである。

 ただ、「『カッターシャツの下に着る下着は白』『柄シャツは脱がせて担任が預かる』という校則・指導の存在」は教育委員会も争っていない。そういう校則・指導が存在することは認めるのだ。

 そうではなくて、さらに、県弁護士会が見つけた事実、「廊下に1列に並ばされて、シャツの胸を開けて下着をチェックされる」というような実態は存在すら否定し続けている。どんな調査を教委が「令和2年11月」にしたのか知らないが、生徒に聞き取りもせずに、学校当局に照会をかけただけ——「ありますか〜? あったら言ってね〜?」で一斉メール…みたいな腐った調査を仮にしていたとしたら、そんなもので「不都合な真実」がわかるわけがない。「調査した」という体裁だけだ。

 

 

男女別髪型規制は不適当であると認める

 こうしたやり取りの中で唯一教育長が不適当な校則であることを認めたのは、男女別髪型規制であった。

山口湧人「男子は『前髪は眉や目にかからない、横髪は耳にかからない』、女性は『前髪は目にかかる場合はピンで留める』『両眉が見えるようにする』『肩にかかる場合は耳より下で結ぶ』と明確に男女別に規制している。男・女以外の性を自認する人、生まれた性に割り当てられた性と性自認や性表現が異なる人などいる。にも関わらず、男女区別して頭髪を規制する合理的な目的はあるのか」

教育長「頭髪規制は清潔感を持たせ、不快感を抱かせず、顔の表情をわかりやすくするために教育上の目的を達成するために必要なものとして定めているが、男女別の規制はわかりやすさなどから慣例的に設けられてきたものだ」

山口湧人「矛盾している。ジェンダー平等は世界の流れだ。男女差をなくした新標準服の導入の趣旨と矛盾するのではないか」

教育長「男女別の頭髪規制は男女の公平性やLGBTの配慮などを踏まえ、生徒一人一人の個性が尊重され、多様性が認められるものとなるように改善することが望ましい旨を各中学校に通知している」

山口湧人「頭髪の男女区別を規制するのは見直すべきだ」

教育長「すでに改善するよう通知している」

山口湧人「私がもらった各学校の校則では男女別の規制が行われている。今後指導していく、なくしていくということか」

教育長「教委として改善することが望ましい旨の通知をしている」

山口湧人「改善されたかどうかしっかり実態を調査すべきだ」

 

 山口議員が指摘しているように、これは教育委員会鳴り物入りで宣伝している「男女区別をなくした新標準服」の考えに真っ向から矛盾してしまうからである。

 ただ、この問題でも「通知している」というだけで、学校現場でこの種の人権侵害が実際に是正されたかどうか、確かめる気はさらさらない。

「 学校は社会の理不尽さに適応し我慢する力をつける場ではない」

山口湧人熊本市のように子ども・教職員・保護者へ大規模な実態調査をすべきだ」

教育長「市立中学校においては必要かつ合理的な範囲内で校則が定められている。今後も校長会と連携し各学校の校則が生徒の実情、保護者の考え方、地域の実情、社会の常識、時代の進展などを踏まえたものとなるよう見直しを行う」

山口湧人「明らかな人権侵害が起きている。教育委員会がイニシアチブを発揮して是正すべきだ。学校は社会の理不尽さに適応し、我慢する力をつける場ではなく、子ども自身が、自身に関係することは自由に意見を言えて、理不尽なものは変えていけるということを学ぶ場であることを教育委員会が認識すべきだ。子どもを管理・規制の対象とせず、権利の主体として捉え、人権侵害の校則を直ちに廃止し、子供から直接意見を聞き取り見直しのための手立てをとるべきではないか」

教育長「校則は学校が教育目的を達成するために必要かつ合理的な範囲内で定められるものであり、生徒が健全な学校生活を営み、よりよく成長していくための指針として各学校において定められている。今後とも各学校の校則が保護者に理解されより教育的効果を高めるよう取り組む」

 

 「学校は社会の理不尽さに適応し、我慢する力をつける場ではなく、子ども自身が、自身に関係することは自由に意見を言えて、理不尽なものは変えていけるということを学ぶ場である」とはまことにその通りである。

 学校で行われていることは、まさに「理不尽さに適応し、我慢する力をつける」という「修行」であり、反教育ともいうべき営みが日々再生産されている。

 

韓国の「学生人権条例」を読む

 韓国のことに詳しい知人から、「学生人権条例」を訳したものを見せてもらったことがある。相当詳細な中身だ。基本的人権を抽象的叙述にせず、対象や状況を相当具体的に絞り込んで権利を明確にしている。

 例えばソウル特別市の「学生人権条例」の第12条はこうである。

  1. 学生は服装・髪型など容姿における自分の個性を実現する権利を有する。
  2. 学校長と教職員は学生の意思に反して服装・髪型など容姿について規制してはならない。

 具体的に絞り込んでしまうことは、権利の使い勝手を悪くしてしまうのであるが、ぼくの率直な感想は「これくらい言わないと使えない」というものだ。具体的に行政や学校の手を縛る必要がある。

 韓国の(ソウルの)「学生人権条例」は、単に髪型や服装だけにとどまらず、学習や休息に至るまで全面的で包括的な生徒の人権を保障し規定している。

 

日本でも「人権侵害の校則を禁止する条例」が必要ではないか

 そこで韓国の「学生人権条例」のような、しかしそれほど包括的でない、人権侵害校則の禁止に絞り込んだ、明確な条例が必要だとぼくは思った。

 上記でさんざん見た通り、教育長があれこれいい抜けできないような、厳しい、具体的な条例が必要だと思うのだ。

 例えばこんな具合である。

(目的)

第1条 この条例は、福岡市立学校における校則が子どもの基本的人権を侵害しないようにし、もって日本国憲法および子どもの権利条約の理念が市立学校の子どもの生活において実現することを目的とする。

 

(定義)

第2条 この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。(略) 

 

(校則における基本的人権の尊重)

第3条 市立学校は子どもの基本的人権を侵害する校則を制定してはならない。また、子どもの基本的人権を侵害する指導をしてはならない。

2 市立学校において、合理的理由なく、日本国憲法および子どもの権利条約で保障された子どもの基本的人権を規制してはならない。

 

(服装等の自由)

第4条 子どもの服装等は表現の自由が保障されなければならない。

2 市立学校は制服および標準服等を制定し、強制してはならない。

3 市立学校は子どもの服装等を規制してはならない。

 

(頭髪等の自由)

第5条 子どもの頭髪等は表現の自由が保障されなければならない。

2 市立学校は子どもの頭髪等およびそれに関する道具について規制してはならない。

3 市立学校は子どもの頭髪等について本人の意思に反する証明を求めてはならない。

 

(持ち物の規制)

第6条 子どもの持ち物は原則として自由であり、市立学校は合理的理由なく子どもの持ち物を制限してはならない。

 

(学校外行動の自由)

第7条 市立学校は子どもの学校外行動を制限してはならない。

 

(校則検討委員会)

第8条 市立学校は校則の制定および改廃について子どもの意見表明の機会をもうけるために子どもを参加させた校則検討委員会をつくり、その意見を尊重しなければならない。

2 子どものうち10人以上から校則の制定および改廃について発議されたときは、市立学校は前項を踏まえた上で発議を検討し、その結果を公表しなければならない。

 

*1:なお子どもの権利条約13条の2項では権利の制限の条件が書かれているが、制限は法律によらなければならないことが明記されている。

*2:ここで自民党議員が想定している「通告」とは会議規則で定められた「発言通告書」のことではなく、おそらく事前に答弁と質問の台本を作り、質問者と答弁者がすり合わせることだが、そんなことをやる義務は議員側にはない。規則でも条例でも慣習(法)でもそんな定めはない。完全に「当局とのすり合わせ脳」になってしまい、自分がヤジっている内容の低レベルさを自覚すらしないタイプの、恥ずかしいヤジ。