ウクライナ問題と憲法9条

 福岡市議会は3月3日に全会一致でロシアのウクライナ侵攻を非難する決議をあげた。

ロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議

 ロシアは去る2月24日、外交手段による問題解決を模索した国際社会の努力を踏みにじってウクライナへの軍事侵攻を開始し、主要都市の占拠に向けた、軍事施設の破壊を始めとする一方的な軍事行動を展開している。こうしたロシアの攻撃により、ウクライナでは多くの国民が犠牲となり、また数多くの難民が生じている。

 ロシアによる軍事侵攻は、領土の一体性の侵害と武力の行使を禁じた国連憲章及び国際法に明瞭に違反するものである。また、力による現状変更の試みは、平和を希求する国際的な秩序への明らかな挑戦であって、断じて許されるものではない。

 さらに、ロシアは、我が国を始め国際社会が連携して実行している経済制裁に反発し、戦略核兵器の使用を示唆した。こうした威嚇や挑発は、全ての人類と文明社会への敵対行為と言うほかなく、唯一の被爆国である我が国としては断じて看過できない。

 よって、福岡市議会は、ロシアによるウクライナ侵攻を厳しく抗議し、ロシアに対し、軍を無条件で即時に撤退させることを強く求めるとともに、日本政府が国際社会と緊密に連携し、ロシア軍の撤退が早急に実現するよう毅然とした対応を取ること及びウクライナに滞在する邦人の保護に全力を尽くし、人道的な観点からウクライナの人々に対する必要な支援に取り組むことを強く求めるものである。

 以上、決議する。

 予算議会の最中でもあり、地方議会で同様の決議が広がっている。

www.jcp.or.jp

www.sankei.com

 党派を超えて、あるいは日本国憲法に対する態度の違いを超えて、ロシアの行動に反対する1点で共同が広がっていることは、一つの自治体を代表して声をあげる行為なのだから、地味な話だが大事なことだと思う。

 このブログを読んでいる人も、すぐできる行動として、自分の市町村の議員に働きかけるといい。

 

 

 他方で、ウクライナの事態を受けて「憲法9条は無力だ」という批判があるそうだ。

 これは9条を完全非武装論と解釈した場合の話だろう。

 単純に「9条のもとで個別的自衛権を発動する必要最小限度の実力たる自衛隊が存在し、その解釈で2015年まで戦後ずっとやってきたのだから、急迫不正の主権侵害を受ければ9条のもとで自衛隊が活動するのでは?」と思う。

 9条のもとで自衛隊を使えばいいではないか。

 共産党でさえ、現行憲法下での自衛隊活用を認めている(5ページ)。

https://www.jcp.or.jp/web_download/202202-JCP-gimon.pdf

 そして、現時点(3月6日時点)では、集団的自衛権にもとづく軍事対決ではなく、経済制裁や外交など非軍事的手段によるプーチン政権の包囲が進められている。

www.sankei.com

www.bloomberg.co.jp

www.jiji.com

 「デモや国連、非軍事のやり方などなんの役にも立たない」という主張こそ、立場を失っているように見える。

 もちろん、直ちに軍隊が手を引く効果を生み出さないから、ある種の「じれったさ」が伴う。また、最終的にうまくいくかどうかもまだ保障されていない。

 しかし、現状ではこれが取りうる最善の手段と世界は考えている。

 

 いわば個別自衛権行使と非軍事手段による包囲が、憲法9条の現実における運用であるから、このような運用は、今眼前に展開しているウクライナの事態に、(全面的ではないが)ある一面をのぞかせているのではないだろうか。

 

 ぼくが9条擁護派なのは、個別自衛権専守防衛にとどまるべきだと考えるからである。

 9条改定は現在の自衛隊の単なる承認(追認)ではない。それなら現状で問題ないはずだ。

 9条改定が執拗に狙われるのは、現状を超えようとしているからだ。

 端的に言えばフルスペックでの集団的自衛権行使と海外派兵の容認である。

 9条の改定は、例えば自民党憲法改正案にのっとったばあい、自衛隊は「国防軍」となり、「自衛権の発動」を認めてしまうので、個別的自衛権の範囲を超えて集団的自衛権行使も認められてしまう。

constitution.jimin.jp

 そうなれば、自国が攻撃されてもいないのに「同盟国の危機だから」という理由で戦争に出かけることになる。また、従来の政府の軍事に関する法解釈がリセットされるために公然たる核保有(核の共有を含む)にも道を開く。

 つまり9条の改定は、「ウクライナにならない道」ではなく「日本がロシアになる道」ということではないだろうか。

 

 この点で松竹伸幸(ジャーナリスト、「自衛隊を活かす会」事務局長)の次の指摘は頷ける。

 だから、昨日の講演で重視したのは、いまのウクライナの事態を目の前で体験している日本国民にとって、9条を守るという立場をただ非武装だということに限定してしまうと、国民から遊離してしまうということだ。でも、いまのウクライナ国民のように、侵略に対して軍隊が抵抗するし、国民も抵抗するということは、9条を守るということと矛盾しないし、それどころか9条の思想からすれば、そういう抵抗に共感できるのだという立場に立つべきだ、そうすれば現在の局面は「困ったな」ということにならず、逆に「今こそ9条」ということになるのだと述べてきたのだ(この講演内容は、現在の複数の連載が終わったら、大連載します)。