日本共産党の自衛隊論を整理する

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 ついている「はてブ」のブコメが、まあなんと言おうか…。

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 なーんて冷笑している場合じゃない。こういうブコメがつくのも、共産党が国民に広く自分の立場をこれまで知らせてこなかったという「問題」でもあるのだろう。知らないのは、国民のせいではなく、当該政党の努力の問題じゃ、ということ。

 

共産党自衛隊に対する方針(ざっくり簡単に)

 日本共産党自衛隊への態度とはつまるところ、こういうことだ。

  1. 自衛隊違憲であり、将来的には憲法9条は完全実施(自衛隊の解消)されるべきである。
  2. しかし、それは将来、アジアの国際環境がよくなり、国民が「もういいじゃない?」と合意してのちであって、それまでは自衛隊は存在するし、活用する。専守防衛の部隊として侵略者と戦うのである。
  3. 共産党が参加する政権ができたときも同じ。党としては違憲という考えを持ち続けるが、国民合意ができるまでは、共産党参加政権であっても「自衛隊=合憲」として扱う。

 

その根拠(共産党は本当にそんな方針なのかという根拠)

 根拠を見てみよう。

 1.と2.は共産党の基本方針である「綱領」に明記されている。

自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。

 2.の後半は、今から20年以上前(2000年)第22回党大会で決めている。

自衛隊問題の段階的解決というこの方針は、憲法九条の完全実施への接近の過程では、自衛隊憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定の期間存在することはさけられないという立場にたつことである。……そうした過渡的な時期に、急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要にせまられた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために、可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責務である。

 今でも共産党が全住民向けに配布しているリーフレットなどで繰り返し語られている。

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 3.は野党共闘が発展する中で、新たに対応を迫られて明らかにした問題である*1。例えば2020年に志位和夫は次のように表明している。

自衛隊についても、われわれは憲法違反という立場ですけれども、一致しませんから、政権として自衛隊は合憲という立場で対応する。

 ちなみに、もう少し詳しく言えばこうなっている。

野党連合政権にのぞむ日本共産党の基本的立場――政治的相違点にどう対応するか/幹部会委員長 志位和夫

 

違憲」のものと共産党はどう付き合うのか

 「違憲のものと共存する」という考えをどう見たらいいのだろうか。

 共産党が「違憲」と思うものはたくさんある。たとえばこういうものだ。

  • 政党助成金。国民の思想信条の自由を侵す強制献金だ。
  • 生活保護の現在の水準。とうてい「健康で文化的な最低限度の生活」は満たさない。
  • 大学の高学費。教育を受ける権利、機会均等を破壊している。
  • 公務員のストライキ権剥奪。「勤労者の団結する権利」を奪っている。

などなどである。キリがない。

 共産党はそもそも綱領で革命(民主主義革命)の目標を「憲法の完全実施」においているくらいだから、今の日本社会は「違憲だらけ」という現状認識がある。

 「憲法どおりに政治をしろ!」というのが革命のめざすところだというわけだ。

 ところが、現在の自民・公明政権は現状が「憲法違反」だなどとは微塵も思っていない。当たり前である。政権が「憲法違反」だと思って運営していたら訴えられてしまうからだ。

 つまり今の政府は森羅万象一切のものを「合憲」として運用しているが、共産党としてみれば「違憲」である現実は無数にある。これが共産党にとっては革命によって改革されるべき課題そのものだ。

 

 しかし、これらの違憲の現実は、共産党が参加する政権ができたからといってすぐに解消されるわけではない。

 例えば政党助成金

 仮に立憲民主党と組んだ政権ができたとしよう。

 立憲民主党政党助成金を受け取っている。

 助成金廃止の合意など簡単にはできない。

 だとすれば、共産党としては「違憲」だと思っている政党助成金を出す政権が長く続くのである。共産党はそこに閣僚として参加せねばならず、国会で認識を問われれば「合憲です」と答弁せざるを得ないのだ。

 連立政権とはそういうものである。

 そして、共産党はどこまでいっても単独政権はめざさないことを基本方針にしているから(必ず連立・連合政権)*2、こういう「自分は違憲だと思うけど、他の党や国民はまだそんなふうには思っていないもの」がたくさんある。

 この「たくさんある違憲のもの」と共産党は長く「共存」し、付き合っていかないといけないのだ。それは選挙のたびに「これを変えたいのですが…」と公約し、一つ一つ、国民と他党の合意を取っていくしかないのである。

 粘り強いおつきあいが必要なのである。

 

 本論はここまで。

 あとは余談である。

 

日本共産党にとっての自衛隊とは

 日本共産党にとっては、アメリカへの従属は日本にとって緊急に改革すべき危険なものである。なぜなら、日本とは関係のない戦争に巻き込まれる危険が大きいからであって、朝鮮有事や台湾有事はまさにその危険をはらんでいる。

 アメリカとの軍事同盟は、アメリカがもし先制攻撃戦略によって先制攻撃をやってしまえば、日本自体が「侵略国家側」に身をおくことになる。そして米軍の出撃拠点として核やミサイルの標的になるのである。

 自衛隊はそのようなアメリカの従属部隊として活動してしまえば、これほど危険なことはない。だから、日本共産党アメリカへの従属の解消、そのポイントとなる日米軍事同盟=日米安保条約の解消は革命における重要な目標である。

 他方で、自衛隊アメリカの従属部隊として活動しないのであれば、つまりたんに武力一般として存在しているのであれば、それは大した問題ではない。とっくりと国民に思案してもらい、自衛隊が存在している間、必要なら防衛のために使えばいいのである。文字通り「専守防衛」のための部隊であれば、ほとんど問題はないといっていい。

 そして、東アジアの安全保障環境がもし良好になり、「ああ、もう不要かな」と国民が判断したらその時に初めて自衛隊の解消(9条の完全実施)をすればいいのである。それまでは長い間、自衛隊との「共存」が続く。

 アメリカへの従属や海外での戦争に出かけていくような自衛隊のあり方には反対し、専守防衛の部隊として改革するというのが、自衛隊との「共存」期間中の日本共産党自衛隊政策である。

 ぼくからみた「不満」は、日本共産党にとって、この「共存」期間が長いのだから、共産党はもっと積極的な「専守防衛」政策を打ち出すべきなのである。そこの努力がもっと求められるとぼくなどは思う。

 

日本共産党の安全保障政策

 ここまで見てくればわかるが、日本共産党の防衛政策・安全保障政策は、自衛隊を「抑止」(相手より強い武力を蓄えて相手に思いとどまらせる)に使わず、防衛のために使うという方向である。

 これは「攻められた時に、必要最小限の防衛力をどう使うのか」というレベルの話。

 問題はそこではない

 一番大事な安全保障政策の本体は、「軍事同盟か、非同盟中立か」、もう少し言えば、「軍事同盟(集団的自衛権)か、集団的安全保障か」という選択肢だ。

 日本共産党は後者を取る。

 世界規模で見ればこれは国連であるが、地域規模の平和協力機構が育ちつつある。日本共産党がこの間なんども「お手本」に挙げているのがASEANである。

 軍事同盟は同じ価値観の国で同盟し、「敵」を排除していく。このやり方は東ヨーロッパ・旧ソ連でとられてきたが1988年以降、ナゴルノ・カラバフ戦争、チェチェン紛争、クリミア併合、そして今回のウクライナ侵略と、正規軍がぶつかり合う大規模な武力衝突が10以上繰り返されている。

 軍事同盟は「抑止」の発想に立っていて、様々な弱点がある。

 今回のことでもそれが露呈した。

 例えば、抑止であるから、相手より武力が上回らないといけない。今アメリカは軍事力において中国よりも「上」と考えられているが、それは本当にそうなのか。もし、中国が「上」となったらどうなるのか。果てしのない軍拡競争がそこには待ち受けている。

 あるいは、本当に抑止として機能するのか。いざとなったら第三次世界対戦を恐れて介入できないのではないか。あるいは、「相手側の同盟軍は介入しない」という「合理的判断」のもとに侵略が起きるのではないか、という不安である。

 そして、これが最大のものだが、いったん戦争が始まれば、核戦争までいく危険があるということだ。そのような戦争に巻き込まれてしまうのである。

 

 他方で、集団的安全保障は軍事同盟とは逆の発想である。

 価値観の異なる国をもメンバーにして、それらの中で調整をはかって紛争を抑え込んでいく。インクルーシブなやり方である。(国連はこれに軍事制裁機能がついているが、地域協力の枠組みにはこの機能はない。)

 ASEANでは1988年における中越南沙諸島海戦以降は、大規模な武力衝突はない。東南アジアはかつてSEATOという軍事同盟が存在し、ベトナム戦争をはじめ戦争と紛争の常襲地帯であった。様変わりである。

 もちろん中国による南シナ海での横暴に直面し、人工島や軍事施設の建設などが止められていないが、ASEANは中国を排除するのではなく、中国やそれと対立する米国を巻き込んでここでの紛争の平和解決を進めている。

 フィリピンによる国連海洋法条約(中国も参加)の常設仲裁裁判所でのたたかいにより、同裁判所から“中国の人工島建設は国際法条の根拠がなく、国際法に違反する”という判断が下された。

中国も参加する海洋法条約をたたかいの土俵としたのは、ひとつの知恵でした。(川田忠明「憲法9条を生かした安全保障を考える」/「前衛」2022年3月号)

 “ASEAN型の地域協力の枠組みさえつくれば何もかもうまくいく”のではない。それでも軍事同盟依存型よりははるかに安全である。根気のいる、粘り強い努力が必要なのだ。日本共産党平和運動局長である川田忠明は、じわじわと体質を改善し、ゆっくり効いてくるこの種の地域的協力の枠組みの努力を、「漢方薬」になぞらえている。

 

軍事同盟と絶対に両立しないのか

 「軍事同盟も集団的安全保障も、どっちもやればいいではないか」という意見もあろう。

 それは一理ある

 日本共産党としては、台湾や朝鮮の紛争をかかえるもとで、日米軍事同盟の廃棄は日本の切実な改革だとは思っているようだが、先に挙げた日本共産党平和運動局長の川田は、ASEANなどの地域の平和協力の枠組みを日本でも取り組むべきだという戦略を述べた後で、こう語っている。

ここまで述べてきたように、「憲法の平和原則をいかした安全保障」とは、安全保障政策において、軍事が優先される状況から、外交など非軍事的対応を優先し、その比率を飛躍的に高めることです。それは、今ある法律や国際合意の改定や廃止などを必要としません自衛隊日米安保条約の存在を前提にしたものであり、政権にその意思があればすぐにでも実行可能なものです。(川田前掲)

 ここでいう「政権」とは自民・公明政権も含むことは言うまでもない。

 川田は、同じようにASEANに参加しながら、アメリカと軍事同盟を結んでいるフィリピンについて次のようにのべる。

ASEANの中にも、中国の動きもにらんで軍事費を増額し、アメリカとの軍事交流、協力を進めている国もあります。フィリピンはアメリカとの軍事同盟(米比相互防衛条約、一九五一年)を結んでおり、定期的に共同演習を行なっています。しかし重要なことは、軍事力を保持するが、安全保障政策の基軸は、あくまで外交においているということです。(前掲)

 軍事同盟を結びながら、とりあえずASEANのような枠組みに努力するということは十分あり得ると共産党は考えているわけである。

 

憲法を変える「必要」はあるのか

 「じゃあ、憲法を変えて自衛隊を書き込んでもいいのでは?」と思うかもしれない。

 しかし例えば自民党憲法草案はどうなっているか。

 自民党案では戦争を禁じた現行の9条1項に

前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない

という新しい第2項を加える。

 一見何の問題もないように見える。

 しかし、「自衛権」は個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権も含まれることになる。

 じっさい、自民党のパンフレットには、

自衛権の行使には、何らの制約もないように規定しました

と書かれている。

https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf

 

 自国が攻められてもいないのに同盟国の戦争に巻き込まれる、まさに危険なシステムである。共産党として、そういう改悪に付き合うわけにはいかないのである。

 自衛隊は現状でも政府解釈で「合憲」である。

 それをわざわざなぜ変えるのかといえば、アメリカとともに海外で戦争する国=集団的自衛権のフルスペックに踏み込みたいからである。アメリカは攻められてもいないのに相手に攻撃を仕掛ける「先制攻撃戦略」を持っている。それは国連憲章違反であり、侵略である。

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 それにお供をして戦争をすることになれば、それはまさに「ウラジミール、君と同じ未来」を見てしまうことになるだろう。

 

 2015年まで日本政府は、集団的自衛権行使を許されない「必要最小限度の実力」として自衛隊を扱い、そのような政府解釈をしてきた。半世紀にわたって国民が選び、使ってきた、その実績ある条文と解釈に立ち戻ればいいのである。

 

 

 

おまけ・余談の余談

 さっき、4月15日発売予定の志位和夫の『新・綱領教室』が手に入って読んだんだけど、もしすっかり条件が整って、「自衛隊を解消していいよ」という国民合意ができた場合に、共産党が参加している政府として憲法判断を変えるかどうか問題まで書いているな(下、p.73)。すごい念の入りよう。

 

 

 実は2017年の党首討論では、志位はその場合、「政府として『違憲』判断へ切り替える」と言ってたんだが、ぼくは「そりゃ、無理なんじゃない?」と思っていた。↓

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 んで今回、志位はその判断を意固地なものにしなくなった。

 今回の本では、2017年にぼくが書いた記事のように「憲法解釈は変えずに、政策判断で自衛隊をなくす」という選択肢も入れるようになって“その時、国民が決めればいい”と柔軟になったのである。

 よかったよかった。ようやく、一緒になりましたね!(笑)

 

 当然だと思う。

 これは他の問題でも起きうる。

 例えば学校給食の無償化。

 憲法には「義務教育は、これを無償とする」(26条)とうたわれている。

 共産党としては「学校給食は教育の一環であり、有償なのは憲法違反だ」と言いたいところだろう。ぼくもそれはそう思う。

 しかし、「無償というのは授業料のみ」というのが政府の解釈であり、判例であり、多数学説であるのだ。(有力ではあるが、非多数派の学説として、「修学にかかる一切の費用が無償」という見解がある。また、せいぜい「無償とすることが26条の精神にいっそうかなう」(宮沢俊義)というほどのものである。)

 共産党が参加する政権になったら、その解釈をひっくり返して「学校給食有償は憲法違反」という政府解釈をするのは、立憲主義から言ってもあまりうまくない。

 共産党が考えている「違憲の現実」について、何から何までぜんぶ憲法解釈を変えていったら大変なことになってしまう。

 政策判断として学校給食を無償にすれば十分なのである。

*1:「この問題に答えを出したのが2017年でした」(志位和夫『新・綱領教室 下』新日本出版社、p.68)。

*2:「現綱領の土台をなすのは、1961年の第8回党大会で採択された綱領です。現在の綱領との関係では、三つの点で現綱領に引き継がれる画期的内容が、すでに61年の綱領で確立されていることを強調したいと思います。……第三は、社会の発展のすべての段階で、統一戦線と連合政府の立場を貫いているということです。つまり、日本共産党だけで社会変革をおこなう、日本共産党の単独政権をめざすというのは、最初からわが党綱領とは無縁のものです」(志位和夫『新・綱領教室』上、p.27-28)。しかし1980年に社会党が社公合意をしてこのパートナーから消えて以降、20015年までは、政党としては連合相手は空席のまま、「革新懇」を開いて「相方」政党の登場をひたすら待つという路線で共産党はやってきたから、信じられない人もいるだろうね……。