人格を分裂して評論するスタイルしかないと思った。
28歳の専業主婦で結婚している主人公・今井ハルが夫(今井マコト)の転勤で関西暮らしを始めるがバイト先の本屋で働いているバイト仲間の大学院生(後藤アラタ)に惹かれていってしまう話である。一応フィクション。
主婦が不倫するだけ?
主婦が不倫するっていうだけの話でしょ? なんでこのマンガがいいわけ?
そんなこと言ったら『罪と罰』だって「学生くずれが金貸しのババアを殺すだけの話でしょ? 何がいいわけ?」みたいな雑なまとめになるだろ…。これ、職場不倫なんだよな。職場って、仕事するところだから、そもそも性的な感情出せない。
デフォルトで「性的な感情出せる場所」って、この世にそうそうないぞ。
う…まあ、そうなんだよ。でも職場は特に厳しいコードがあると思う。「ここには仕事しに来てるんだから」と。
職場で性的な感情を出す・出さない
どのへんがいいわけ?
やっぱ、職場恋愛なので自分と相手のやりとりを恋愛=性的なものと認めちゃうかどうかでせめぎ合っているところがたまらんです。
夜中に他愛のないラインのやりとりしてて、映画に誘おうかどうしようか迷うあたりな。
やり取りをしていて、意を決したように「変なこと言っていいですか?」って、映画誘う。映画誘うのは「変なこと」じゃないよね。
「命がけの飛躍」感ある。汗びっしょりだわな。
「映画に行くくらいなら大丈夫だよね……?」ってハルが自分に言い訳するんだけども、夫には言わないんだから「大丈夫」じゃねーだろ。
最初にハルは、文面的にはほぼ事務的な安否確認のラインを、なぜか夫に対して衝動的に隠してしまう。自分の中に後藤に対する性的な感情があることを薄々感じていたから、ハルは隠してますよね。そこが「初手」ですから、別にヤバいことをやり取りしてなくても「夫に隠れて夜中に異性とラインをする」というヤバい感じになってしまった。
「夫に隠れて夜中に異性とラインをする」っていうシチュ、字面だけ見ても相当ヤバいな。
客観的に見るとこの2人、もうデキてるでしょ? って思うんですが、それを探り合いするのは、桜井のりお『僕の心のヤバいやつ』をはじめ、学校を舞台にしたマンガ、それも男性目線でのマンガと同じで、グッと来ますね。
そうなんですが、それは「学校」だからね。「学校は勉強しに来るところだぞ!」なんていうのは昭和な教員くらいしかいないけど、さっきも言ったように職場には強烈な性的コードがあって、しかも最近はセクシャルハラスメントという基準がかかったので、相手を性的に見るということ自体を口にするのがタブーに近い状況ですよね。そういう中で「これは恋愛感情ではない」「これは性的な行動ではない」というのを自分の中でも言い訳して、相手にもアピールする必要が出てくる。
例えばどこ?
後藤の言動が結構そうですよね。ハルのことが心配なのに見に来たのに、“たまたまトイレに行くついでなんだ”って見せたり。ハルがセミを踏んだのを引き剥がすために手を取った後、つなぎぱなしにして指摘されると大慌てして謝罪してこれはセクハラですよねすいませんすいませんみたいに。
こっち(読者)はハルの心が丸見えだから、ああもうじれったいなと思いますよね。
そうですね。読者は後藤の心の中は見えないんですけど、第三者的な俯瞰をしつつ、ハルの心の中が見えるので、「どう考えてもこいつら惹かれあってるよね」とわかる。根底にその安心があるので、「じれったさ」を楽しめる。
現実での「勘違い」セクハラのコワさ
だけど、現実社会でこれが「勘違い」だったら、本当にコワいですよね。
「勘違い」?
つまり、例えば女性の方は単に誰にもで親切にしているのに、それを特定個人、つまり自分に向けた好意、性的な感情じゃねーのか、「脈アリ」だろと「勘違い」してしまうとコワい。アプローチが性的なニュアンスになっちゃうので、すぐセクハラ領域に入ってしまう。
確かに職場恋愛はそこが怖い。
金子雅臣『壊れる男たち——セクハラはなぜ繰り返されるのか』に出てくる事例なんですけど、そういう勘違いから出発して恋愛感情をこじらせていくと、別の状況で相手に冷たくされたり、素っ気なくされたりしても、「照れてるんだな」とか「まわりを気にしたんだ」とか、どんどん自分に都合よく解釈して…。
こわっ!
そういうアプローチはどのみち学校の生徒同士でもアカンわけですけど、とにかく職場ではこの性的な感情を表明する瞬間というのは相当タイミングを選ぶわけで、これがハルと後藤の関係では最後まで、それこそ関係を持ってしまう瞬間まで付きまとってますよね。
「きゅうううう…」がイイ!
このハルが恋愛感情揺さぶられるときの「きゅうううう…」っていう表現、いいですよね。
「きゅうううう…」ね! 俺も好き! 無表情で!
無表情てww あれ、感極まってるんでしょ。
変に笑ったり、記号的に喜んだりしてないところが「感極まり」感出てる。それが突き抜けて無表情になっているのがイイ。
アマゾンのカスタマーズレビューだとこの作品のこういう擬音的な表現をすっごく褒める人と、ウザい扱いする人ときっぱり分かれてて興味深い。
アマゾンレビューと本書の新しさ
アマゾンのカスタマーズレビューといえば、236個も評価がついてる。肯定評価しているのが基本多いけど、「どっちもクズ」「全員が最低」「不倫を旦那のせいにしているゴミ女」「クズだけがキュンとするクズ作品。関わると心が腐りますわ」みたいな徹底批判のも多いwwww
批判じゃねーよ、それ…。まあ不倫ものはしょうがないよね。憤るのもフィクションの楽しみ方の一つ。
って言いたいけど、そういう低評価つけてるやつは、「楽しんで」ないよね。「読む価値なし」とか「気になって買いましたがお金出すほどのものじゃなかった」とか。
不倫なんて本人たちはすっごい運命的な熱愛しているつもりでもハタから見ると超陳腐だから。
そんなこと賢しらに言ってみても、不倫かどうかに関わらず、恋愛自体がそうでしょ。恋愛ものが成り立たんわ。
うむ、まあ、やっぱりこのレビューのすさみようは、不倫もの独特のものではあるな。不倫する側の心情を描くとどうしても不倫の合理化という側面を持つから、どうしてもこういう反応は出てくるよね。しかし、一般的にそう言える「不倫もの」の中でも毀誉褒貶、特に「毀」や「貶」が目立つ作品ではあると思う。
さっきも言ったけど、この作品は、合理化の手続きに相当コストをかけている作品だと思うんだよね。そこを丁寧に描いているがゆえに、合理化に汲々としているように見えて、嫌がられる人に徹底的に嫌がられるんだろうと思う。
「合理化の手続き」?
つまり、職場にある性的コードを慎重に避けるってことに、登場人物が腐心している。夫との間で言い訳がつくように「これは同僚間のやり取り」みたいな「心の棚」に上げてしまう作業。
んー、例えば夫が自分をぞんざいに扱っている、性的に扱ってくれない、という不満を描くのは不倫(を合理化する)マンガではままあるよね。
そこは他の不倫マンガと同じだと思うけど、そこの点の合理化にとどまらずに、職場仲間と性的な感情を踏み越える・踏み越えないを、かなりていねいに描いたという印象がする。そこはこの作品が登場する新しさだと思う。