蓑輪明子「保育士の処遇の現状をどう変えていくのか――愛知保育労働実態調査を手がかりに」

 統一地方選挙が始まっている。

 当然そこに「保育園に入れない子どもをなくす」という公約も入ってくるだろうけど、肝心の保育士がいないという問題に多くの自治体が直面している。

 

「保育士は確保されている」というトンデモ認識の福岡市

 すでにいろんな街で起きていることだと思うけど、福岡市でも、保育士が確保できず入所する子どもの定員を割ってしまう事態が市内各地で生まれている。

 2月議会での福岡市議会のやり取りを聞いていたけど、びっくりした(2月15日本会議)。

 

綿貫(共産) この(市の)保育士人材確保事業で、本市の保育士不足は解消しているのか、答弁を求めます。

こども未来局長 福岡市では就職準備金等の貸付、就職斡旋、就職支援研修会などの開催、正規保育士への家賃補助など保育士の人材確保に努めており、保育に必要な保育士は確保されております。

 

 目が点だわ……。

 このご時世に、“自分たち市当局の保育士処遇は万全だ、保育士は足りてる”という答弁なのだ。「必要な保育士が確保されている」という認識なのに、なんで新年度に「奨学金返済補助金」なんか始めたのか。この理屈で言えば「税金の無駄遣い」ってことになるだろ。

www.asahi.com

 福岡市は議会での追及を恐れるあまり、自分たちの現在の保育士処遇策を「正当化」するのに汲々としていて、そこに課題があることさえ認めようとしない感じだった。話にならない。

 

蓑輪論文の5つの刺激的なポイント

 さて、そういう福岡市のようなトンデモ認識はあるものの、ふつうの自治体では保育士の確保に頭を悩ませている。

 よく「保育士の月給は全産業の平均給料に比べて月10万円低いから、給料をアップさせることが必要だ」という意見を聞く。これはその通りなのだが、さらにそこから具体的な認識を得たいと思っていた。

 その点で、蓑輪明子(名城大学准教授)の論文「保育士の処遇の現状をどう変えていくのか――愛知保育労働実態調査を手がかりに」(「前衛」2019年3月号)が非常に参考になった。

 

前衛 2019年 03 月号 [雑誌]

前衛 2019年 03 月号 [雑誌]

 

 

 「非常に参考になった」点のポイントを先に示しておくと、

  1. 賃金だけでなく長時間・過密労働の解消が重要であり、その基礎をつくるためにも、どこからどこまで時間外労働として認めるべきかというルール(ガイドライン)の確立と徹底が現場レベルで必要。
  2. 次善の策だが残業代を明確に支払わせることで賃金が上がるし、それをちゃんとさせることが長時間労働の解消の基礎にもなる。
  3. 休憩が取れないという実態が、経営側のデータではなく労働者の実態調査から証拠づけられ、そのために「人を増やさないと労基法が守れない」ことが浮かび上がり、現状の国・自治体の配置基準が適正なものではないことが明らかになる。
  4. そもそも経営側が労働時間の管理をしていない。
  5. 自治体全体(ここでは愛知県全体)を網にかけるような保育士の実態調査をするために学者の力を借りることの大事さ。

などである。

 

実態調査が市レベルでほしい

 蓑輪の論文は、前半は、官製の統計である「賃金構造基本統計調査」をもとにしている。これでもいろんなことがわかるんだなと思ったのだが、残念ながら、都道府県レベルのものしか公表されておらず、政令指定都市という括りでは見当たらない。

 例えば福岡市という単位で保育士の実態を明らかにしようと思うと、依拠できるデータがないのだ。「福岡市の保育士の平均給与は?」ということさえ簡単にはわからない。*1

 

 また、労働組合などだけだと、加盟していない保育園の労働者には本当に手が届きにくくなる。実態調査でさえ、園側が堅くガードして保育士たちにアプローチさせないようにすることも少なくない。

 それゆえに「大学の先生」たちが研究目的で労働者に実施したこのアンケートは、経営側の協力も得られて、約1万646人から調査が得られており、とても貴重なのである。

https://aichi-hoiku.tumblr.com

 

 処遇の改善として通常イメージされている「給料のアップ」についても詳しく書かれているが、そのあたりは実際にこの論文を読んでほしい。

 

労働時間が管理されていない保育の現場

 ぼくが認識を深めたのは、長時間・過密労働についての保育の現場の様子だ。

 そのポイントとなるのは、経営側が「そもそも労働時間の管理をしていない」(p.193)という点。「申請できない雰囲気がある」というよくある「残業ハラスメント」ではなく、

「そもそも残業申請をする習慣がない」と答えた人が最多で、四一・五%にものぼったのです。(p.193)

 

「残業パワハラ」は、一応労働時間管理をしていて、申請の仕組みもあって初めて出現する社会現象です。ところが保育の現場は、そもそも労働時間の管理をしていない施設が多く、「残業パワハラ」すら起きない状況が広がっている。労働時間管理すら行われていない状況になっていることが、浮き彫りになったのです。(p.194)

 

 しかも経営側がこのような姿勢であるために、労働者側も「何が労働時間にあたるのかが、そもそもわからなくなっている状態があります」(p.199)。例えば調査では、勤務時間前の時間外労働には7割以上の人が、超過勤務手当が「まったくついていない」と答えている。

 時間外の対応として「保育の準備、たまっているジム、保育室等の環境整備、おたより帳、保育記録、会議、行事準備」などが挙げられている。

 

 蓑輪は「何が労働時間にあたるのかが、そもそもわからなくなっている状態」を是正するために、何が時間外労働に当たるのかを一つ一つ明確にしていく作業が大切だと述べる。

 

そうした状況を是正するため、愛知県内の自治体で、公立施設に対し、未払いになりやすい業務を一つ一つ列挙し、未払いが発生しないよう通知を出しているところがあります。勤務時間前だとこんな仕事が、休憩中だとおたより帳が、持ち帰りではこういう準備が、時間外にあたると、仕事の内容を一つ一つ列挙して、「こういうものを時間外労働として認めないのはダメ」「若いからと認めないのはダメ」との但し書きをつけ、各施設に出しているのです。時間外労働のガイドラインのようなものです。私たちの労働実態調査をうけてこうしたガイドラインを出した自治体もあります。……私は、こうした積み重ねのなかでこそ、国の配置基準の拡充が可能になってくるのではないかと思います。(p.199)

 

 「こうした積み重ねのなかでこそ、国の配置基準の拡充が可能になってくる」。

 ここ非常に大事な。

 中原淳+パーソル総合研究所『残業学』という新書でも時間外労働の可視化作業を職場全体で共有することが、まずは出発点だと言っていたが、

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

どこで残業が発生していて、どれくらい人が足りていないのかをはっきりとした数字で表す必要があると思うんだよね。

 

第一にやるべきは、(残業削減の)施策をたてることではありません。まずは、残業時間をきちんと「見える」化していきましょう。(『残業学』p.234)

 

 保育の場合、人員の配置基準が国と自治体でつくられているんだけども、実はその通りやっていたら、昼休みにおたより帳を書くとか、保育の準備をする時間が含まれていないことになってしまう。だから休憩を削ったり、家に持ち帰ったりすることになる。

 国や自治体の配置基準通りやっていたら、休憩が取れない。保育士の公定単価を割り込んでしまう――そういうことが労働時間把握と残業認定によって明確になるのだ。

 保育士の配置基準をもっとよくしてほしい、と市にお願いするのだが、市は「国の基準通りだ」という形式的な答弁しか返ってこない。

 その時には「保育士は大変なんだ」ということでは説得力が弱い。「現場のことがわかっている人たち以外に、保育労働の大変さは伝わりにくかったように思います」(p.190)という蓑輪の指摘はまさに当を得ている。

 それをもとに単に「保育士は大変だ」というレベルを超えて、「人を増やさないと労基法が守れない」という行政を追い詰めるロジックが成立しうるのである。

時間外手当を払っていないことをうやむやにしたままで「人を増やせ」というのでは、世論に対して、なかなか説得力を持たないのではないでしょうか。(p.195)

 

 残業代を支払わせる意義

 2.に関して。

 保育士の低賃金についてこの実態調査では「仕事に見合った賃金ではないから」と言うのが72.7%なのだが、次に「他産業・他業種に比べて低いから」が37.3%となっている。

 そして蓑輪が「なるほどと思った」のが、「残業代などが支払われていないから」が34.3%もいて「他産業・他業種に比べて低いから」に匹敵する数字があるということだった。

 つまり未払いへの不満が一定数あるというのだ。

 逆に言えば、この未払いの解消によって賃金が上がる(もしくは長時間労働が解消される)ことになる。

 それはあくまで次善の策なんだろうけど、それによって賃金への不満を緩和することができると蓑輪はいう。

 そして、先に述べたように、未払い労働を支払わせることで、何が時間外労働であるかも明確になり、長時間労働を解消していく基礎になる。

 

 このように、示唆深いことが多い論文である。

 ぼくはまず保育労働者に実態調査を市がやるように働きかけ、それを完全に公表するようにすべきだと思う。それが処遇改善の第一歩になる。

 

 

 

 

*1:福岡市は例えば「福岡市保育所運営補助のあり方検討委員会」の報告書の中の資料で様々なデータを出しているが、「保育園職員名簿」とか「実地監査結果」とか、非公表のものばっかりで、しかも経営側の帳面を根拠にしている。これでは労働者の本当の実態はわからないばかりでなく、市側につまみ食い的に資料を出されてしまう。 http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/49571/1/hoiku_houkoku.pdf?20170308183103