都留民子『失業しても幸せでいられる国 フランスが教えてくれること』


失業しても幸せでいられる国―フランスが教えてくれること 外国の視点から日本を叩く、という近代史の初めからあったやり方の問題はまあ承知しているつもりだし、この本で「フランス社会についていささか美化」「フランスは天国ではありません。それどころか問題は山のようにあります」(本書p.106)とエクスキューズを入れているのを見てもわかるように、これを読んで「フランス万歳、日本死ね」とはならないし、なりたくない。


 それでもやっぱり、とりあえず簡単に日本の現状を相対化してみる道具、日本では「当たり前」と思っていることが実は異常ではないかと考えるヒントとして、本書、都留民子『失業しても幸せでいられる国 フランスが教えてくれること』(日本機関紙出版センター、2010)は使えると思って読んだ。「首都圏青年ユニオンニュースレター」連載の蓑輪明子のエッセイで紹介されていたのだ。
 しかし、そうした最初の印象を超えて、単なる日仏の事情比較・データ比較にとどまらず、大ざっぱで極端な語り口に乗せ、労働や社会保障のラジカルな思想の見直しを迫る傑作である。


 2010年の本なので「今では少し違うよ」ということがあるかもしれないが、ちょっと紹介しながら、雑感を付け加える。

週35時間労働

10年前からワークシェアリングとして35時間制になりました。実働時間も管理職を入れても残業含め平均で37〜38時間です。残業を含めても39時間以上働いてはいけないのです。(p.9)

フランスでは、ほんとに7月、8月、9月は仕事になりません。だいたい4月になるとバカンスでどこに行くかがみんなのあいさつですから。(p.11)

彼らは仕事中はものすごく働きます。1日7時間でもすごく労働密度は高いと思います。だから日本人が残業で夜10時まで働いているというと、彼らは「なんて能率が悪いの、なんてダラダラ仕事しているの、あなたの国の人たちは」って言ってますね。(p.111)

 巻末に日仏の労働生産性の比較がある。フランスは1労働時間あたりのGDPが52.7ドル、日本は37.3ドルである。

 ほんとかよ。にわかには信じられない。
 日本の労働基準法をじっと見つめる。

第三十二条 使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
2 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。

https://www.jaish.gr.jp/anzen/hor/hombun/hor1-3/hor1-3-35-4-0.htm

 日本で働いている(主に正社員の)人々の感覚は、「8時間を下限にして、どこまで残業できるか」という感覚だ。6時間、7時間で終えることにして、どうがんばっても8時間以上はやったらご法度だ、という感覚がない。

 この問題の大もとが政治によってつくられている、ということはもちろん言わねばならない。
 だけど、本書にあるように、やっぱりそこに職場の文化の問題を考えざるを得ない。

フランス人は親切じゃありません。日本のような暗黙の了解とか、あうんの呼吸などを求めてもだめです。……ずっと聞いてはくれるんだけど、「で、私に何をして欲しいわけ?」と言います。(p.16)

 契約や明文ルールですっぱりしてほしい。8時間と書いてあれば、8時間で帰る。残業の協定を結びたければ提起するし、いやなら結ばない。そういう明白なルール。

労働組合

 フランスの組合組織率は

低いです。10%にも満たない組織率です。労働組合はいわば活動家集団です。でも、みんな労働組合ストライキには味方するんです。だって、みんなの要求のために闘ってくれるんだもの。だから組合員じゃない人たちもストライキに参加するんです。(p.35)

 日本では組織率は17%である。
 しかし、以前の記事でも紹介したが、ストなどでの労働損失日数は日本はフランスの250分の1なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20170829/1504015310

 都留は、日本人や日本の労組に根底に「労働礼賛」思想があるのではないかと問題視する。

日本の労働組合の場合、組織率が低いからストライキをやれないんじゃなくて、根本的な問題は「労働礼賛」という考えだと思います。労働に対しての考えを改めないと。現在の仕事は一般的な労働じゃなくて、賃労働という性格を忘れてはだめです。(p.34-35)

労働組合が就労支援だとか、自立支援だとか、労働は素晴らしいなんてことを言っててはだめ。過酷で低賃金の労働は放棄しなきゃだめですよ。(p.34)


 例えばこういうことになる。
 生活保護で「就労指導」をされるけども、就職を促された会社の時給が789円だったとする(福岡県の最低賃金)。これを「時給1000円以下は健康で文化的な最低限度の生活が実現しない」としてそういう会社で働くことを断固拒否する、ということだろう。
 あるいは、仮に789円を前提としても、「この会社は就業前と後に準備のための実質1時間のサービス残業を要求している。これだと最低賃金を割り込む。そんな会社では働かない」と言うこともできる。
 8時間を超える労働を拒否する、といういわば順法闘争型のストライキもできるだろう。
 え? 会社が潰れるって?
 潰れてもらうしかないのでは。
 フランスではそれでやっているというのなら、国が潰れることはないだろう。

貧困対策

 フランスの生活保護RMI、エレミー)は、「今すぐ役所に申し込みに行ってください」というテレビの宣伝がずっと流れているという。役所の掲示板にもエレミーができたのですぐ受けろ、と。
 日本ではひたすら隠す。
 日本の議会で「もっと生活保護制度を知らせろ」と質問すると、「ホームページに載せています」「市政だよりに(年1回)載せています」「役所の窓口にビラを置いてます」。誰が見るんだ。
 日仏の保護受給率でいうと、フランスは日本の6倍くらいある。


 この間福岡市議会で、自民党会派の市議が、“生活保護をもらっているお母さんが、全身にタトゥーと入れている”というケースを批判的に取り上げていた。そして「生活保護制度は…いわば納税者の善意により成り立っている制度」だなどと平気で説教するのである。*1
 善意で成り立っている、つまり「お恵み」なのだから、受ける方は身を正して小さくなってろ…とまで言わなくても、「清く正しく」なければならないとする(そもそもタトゥーそれ自体は「清く正しい」かどうかとは関係ない)。
 都留はこういう風潮と、そこに抗わない運動を批判する。

 札幌餓死事件のときに私が非常に疑問に思ったことは、「お母さんがこんなにがんばっているのに、こんなにいい人なのに、ケースワーカーが申請を断った」という運動の風潮でした。
 おかしいと思ったんです。たとえそのお母さんが悪い人だって、がんばらない人だって構わないじゃないかと思いました。そんな運動のキャンペーンっていたら、絶対足元すくわれるよって思っていたら、案の定すくわれましたよね。週刊誌が母親の問題点を書いたら、いっぺんに運動がトーンダウンしました。大した問題ではなかったのですが、運動の側も「聖人君子」を求め精神主義です。(p.68、強調は原文、ただし原文は傍点強調)

 選挙権のある・なしに、全身タトゥーを入れていることが問題になるだろうか? 酒を飲んだりパチンコをしたりすることが問題になるだろうか? 「いや、それは生活保護だからであって…」というなら、幼稚な言動ばかりしているから、という理由で「選挙権110番」のようなダイヤルができて、「あいつに選挙権を与えるのはおかしい」という告発を行政は受けるべきだろうか?


 しかし、フランスでは生活保護費それ自体は低い。
 最低賃金の半分しかないのである(もちろん都留は「住宅手当や医療保障とかも全部別な制度であることを忘れてはいけませんが」と付記している)。

パリは特に物価が高いですから、これじゃあやっていけないよ、どうするのってワーカーに聞いたら「ヤミ労働ですね」って言うんですよ。つまり、税金の申告をしない、社会保険も払わない、収入申告をしない不法労働で働いているんでしょうって言うの。(p.69)

 制度が不備だから自己防衛だ、「こういうフランス人の『いい加減さ』も好きです」(p.70)と都留はあっけらかんと言う。


 このほかに、高齢者は定年になったら、とっとと年金生活に入って、日本みたいに再就職したり死ぬまで働いたりしねーんだよ、とか、財源はどうしているのか、などの話が続く。

本書の一番の魅力はラフな語りの中に思想を見出すこと

 都留の本書の一番の魅力は、実はこういうフランスの個々の事情の紹介にあるのではない、とぼくは思っている。もちろんその紹介がないと具体的イメージができないのでそれは最小限必要なんだけど、本書の白眉は、12章以降の語りの部分であろう。
 大ざっぱながら、根底にある考えを、ややエッジをかけてラフに語る仕草がとてもいい。それが日本の常識に凝り固まったわれわれの脳天を爽快に叩き割る。ラジカルなのである。
 例えばこんな調子だ。

 社会保障っていうのは「働かなくても食べられる権利」です。高齢、病気、子どもにしても、働けない人に働かなくてもいいよ、失業したら無理して働かなくていいよといえるのが社会保障です。
 フランスではね、仕事はしっかりと選びなさいっていうんです。日本は仕事を選べないでしょ。贅沢いわなきゃ仕事はなんでもあるなんて言うのは違いますよ。
 日本のように失業保険支給期間が短ければ、「仕事を見つけるときに3カ月や4カ月しかなくて、どうやって見つけられるのか」と言われました。フランスでは失業してもじっくりと見て検討しなさい、以前よりも賃金・労働条件が酷い職に就いてはいけない、という考え方です。(p.98-99)

仕事がないのも自分は頭が悪いからとか、学歴が低いからとか思ってはだめです。関係ありません。働いてるんだから、どんな仕事に就いても食べられるようにしろ、結婚でき子どもが生めるようにしろと要求しないとだめです。
 職業訓練なんて無意味です。教育によって仕事に就けさせるなんてナンセンスです。個人責任論です。なんのためにもならない。……教育なんて「貧困」には無力です。教育ではなくて、仕事の条件をきちんとしてこそ「貧困」はなくせます。そして教育で大切なのは、仕事のためではなく、人類の英知を身に付ける社会・自然への科学的味方を学ぶことです。(p.102)

専門性がなくたって、8時間働いたら、食べられる給料よこせっていうのが普通でしょう。専門性があるとかないとか関係ない。そこですり替えられちゃうのね。だから考え方の土台をしっかりもたないと。(p.103)

 だから、働かないで生活保護を受けるのは、ある意味、社会的なストライキです。労働組合ストライキを起こしてくれないんだから、失業者が個人としてストライキをしているんです。(同前)

学費無料化や医療費無料化っていうのは、教育や医療費を労働で稼がなくていいということです。つまり、賃金からの解放っていうことです。(p.104)

 ただのフランスのデータではない。
 単なる経験的事実ではない。
 これぞ思想である。
 本書によってぼくらは思想の見直しを迫られるのだ。