今野晴貴『会社員のための「使える」労働法』

ブラック企業から身を守る! 会社員のための「使える」労働法 類書はたくさんある。
 だから、正直「今さらまたこのタイプの本か」というような気持ちで手にとった。
 だが、つい終わりまで読んでしまった。そして読み終わると思いを新たにしたことがある。

知らなかった知識もある

 一つは、そうは言ってもやっぱり知らなかったこと。
 基本的なことだけど、傷病手当と、労災と認めてもらってもらう休業補償給付の違い。その違いに着目してググればそう難しい違いではないのだが、そもそもその違いに頭を向かせること自体が、あまりない。


頼ってはいけないもの

 二つ目は、頼ってはいけないものを教えていること。

自分で弁護士を探しても、多くの弁護士がハズレだ。(p.28)

手頃なのが、会社にある労働組合。企業ごとに作られている労働組合である。/でも、これはぜんぜん使えない場合が少なくない。(p.87)

社会保険労務士産業医たちは基本的に「経営者側」なので、労働者が相談をするとひどい目にあうことが多い。(p.29)

 厚労省の出先である地方労働局の「総合労働相談コーナー」でどういう人が相談者として雇われているかを聞いたことがある。職員は「例えば社会保険労務士の方ですとか……」と答えた。本書にも労基署の「総合相談窓口」の職員は「社労士や労務関係者のアルバイトが対応する」(p.45)とある。
 まあ、そういうことだ。


 労基署については駆け込むことを本書では推奨しているが、「労働基準監督署は、確実に解決しそうなケースしか動こうとしない」(p.43)と述べ、証拠固めなど3つのポイントを示し、それをやった上での相談(正確には「申告」)を勧めている。


「自分がどうすべきか」という視点

 三つ目は、「ルールの解説」というより、「自分がどうすべきか」という視点。そして最終的には一人ひとりが主張することでルールや道徳が決まるという、市民社会というアリーナでの生き方を考えるもの。
 これが本書を読む一番大事な意義ではないかと思う。

 国家が決める最低限の法律はある。しかしその権利は使わないとどんどん薄められ、改悪されてしまう。「どんどん労働法が改正されて、解雇しやすくなってきたのは、争う人が少なくなってきたというのも理由の一つなんだ」(p.165)。


 法律の基準自体が動く。
 あるいは法律を超えてどこまでが「守られるべき労働条件のレベル」なのか?
 それは、自分たちがたたかって決めるしかない、と本書は言う。
 8時間働いたら帰ることは正しいのか? 正しくないのか? 法律には8時間までと書いてある。でもそんなものを守っている職場は本当に少ない。

 本来、「これが正しい」なんてものは、この世の中には存在しない。
 だけど、一人ひとりが交渉したり、主張したりしていくことによって、世の中の道徳やルールが決まってくる。これが市民社会なんだ。
 そういう意味で、労働法というのは、まさに、市民社会のアリーナなんだ。
 だから、話し合ってみる、争ってみる。それによって、いろんな可能性が出てきて、よりよい道徳が生まれてきたりするわけだ。
 個人のレベルだったら裁判、もっと社会的なレベルだったら、労働組合
 それらによって、ルールを作り変えていこう、ということだ。(p.166)

 「アリーナ」はもともと階段状の客席に囲まれた闘技場・劇場を意味する言葉だけど、参加者が意見を戦わせながら合意形成をしていく場所というようなイメージで使われている。


 大勢に逆らう意見を言うことは、ネガティブにいえば、「もめごとを起こす」ことである。
 「当事者たちの努力」という範囲を超えてその環境や条件を問い直す。そうした意見をいうことは、まさに職場や集団にとっては「もめごと」である。
 別に職場でなくてもいい。
 PTAだっていい。
 一人ひとりに強制しないで、任意を前提でやって見てはどうでしょう?
 言わないと始まらない。あれこれ意見が出て変わっていく――というふうにならないのだ。

自治体のブラック企業規制条例

 前も今野晴貴の著書を論じたところで書いたが、もしブラック企業規制条例を自治体でつくるとなると、このような中身になるのではないか。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20151020/1445281623


 どこかの市だけ労働法の規制を強めるのではなく(そもそも労働法は全国一律が望ましい)、市民の中に無数に相談が受けられる場を作り、また市民の中に「ブラック企業対抗ワクチン」とも言うべき労働法の知識、権利を使いこなす感覚を育て、できれば労働組合をあちこちにつくらせていく、つまり市をあげて市民の中に「ブラック企業への対抗力」を育てる――このようなことに資する行政をつくることこそ、自治体が定めるべき「ブラック企業規制・根絶条例」になるのではなかろうか。