残業の削減を「データとエビデンスに基づく分析」(本書p.7)によって「具体的な解決策を提案」(同前)ことを売りとする。
残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか? (光文社新書)
- 作者: 中原淳,パーソル総合研究所
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2018/12/12
- メディア: 新書
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ただ、ぼくが本書で面白いなと思った部分は、実はこの「データやエビデンス」部分ではなく、日本社会では歴史的どのあたりで残業が発生し、なぜ常態化したのかという解説部分であった。
- 『女工哀史』の頃は労働時間概念そのものがない。
- 1911年の工場法で初めて女性と子ども限定で労働時間規制が持ち込まれた。
- 1930年ごろから「残業」という考えが定着。
- 1947年の労働基準法がエポックメイキング。36協定による「規制」(事実上の青天井)。
90年代以降の労働時間の「短縮」はパートタイム化・非正規化によって起きていたことは知っていたが、「日本以外のほとんどの先進国は、様々な規制や施策によって労働時間を減らしてきました」(p.68)という断言は新鮮であった。日本と同じような仕組みかと思っていたからである。
ヨーロッパとの比較でいえば、
- 労働時間の法規制のゆるさ
- 仕事がジョブ型でなく仕事の区分が明確でない
という2つが大きな問題となってきた。後者についてはヨーロッパが仕事の内容が明瞭に契約に書かれるのに対して、日本でははっきりしないとされ、
その結果、「必要な仕事に人がつく」のではなく、「職場に人がつき、それを皆でこなす」形になるため、「仕事の相互依存度」も高くなります。自分に与えられた仕事が終わっても、「職場のみんなが終わっていなければ終わりにくい」ところがあり、他の人の仕事を手伝う、若手のフォローアップを行う、といったプラスアルファが求められます。(p.70)
ということになる。そして、「内部労働市場」であるがゆえに、雇用を抱えたまま残業をしたりしなかったりして、調整をする。
ぼくは、ここまでを読んですでに結論が出てしまったのではないか? とさえ思った。
- 労働時間の規制をきつくする。
- ジョブ型に近いものに変えていく。
ということが解決策になるんじゃないの? というふうに思ったからだ。前者は政治の仕事である。後者は経済(職場・労組)の仕事である。
著者(中原淳+パーソナル総合研究所)は「時間当たりの成果」がこれからの成果指標になると言っているのだが、
- 付加価値=労働時間×労働者数×労働生産性
である以上、いくら「時間当たりの成果」すなわち労働生産性をあげても、経営者はどうしても付加価値全体を高めようとするので、労働者数を変えなければ、労働時間に規制がなければ労働時間を上げようとするに違いない。
著者の前提、つまり「時間当たりの成果」をこれからの成果指標にするためには、労働時間をかたく上限規制する以外にない。
著者は国会での「働き方改革」法案の審議について、「何十時間まではOKで何十時間まではNG」というような議論を「条件闘争」だと言って批判しているのであるが(p.34)、仮に「残業は例外業種を除いて月45時間。それ以上は違法」と決めていたら、社会は劇的に変わったはずである。「条件闘争」などという軽いものではないだろう。
もしもこのような規制が、重いペナルティと十分な監督体制とともに決定されていたら、おそらくブラック企業は生き残れまい。ひょっとしたら中小企業のある部分は潰れる可能性すらある。逆にいえばブラック企業の淘汰と労働生産性の飛躍が起きたかもしれないのだ。
そして、著者が鋭く指摘しているように、「残業=残業代がないと生活できない」という問題をどう解決するか、という点では、これも本来政治が乗り出す必要がある。
ぼくが前から言っているように、とりあえずは教育費と住宅費を社会保障に移転していくようにすべきなのだ。教育の無償化、公的住宅の増設(または公的借上げ)、公的住宅手当などである。
まあ、以上はぼくの本書に対する「批判」とも言える部分なのだが、こうした反論を引き起こすというだけでも本書は刺激的である。十分にこの部分についても読むに値する。
労働時間規制が事実上ないもとでの本書の意義
そして、こういう形でぼくは本書を批判をしてきたものの、大事なことは、現在安倍政権のもとでまともな労働時間規制が実際には行われていないという事実から出発することだ。*1
その事実を踏まえた場合、本書の後半部分は、「労働時間規制がまともにないもとでの職場での残業削減=働き方改革の指南」ということになり、実は本書の意義はまさにここにあるのではないかと思う。
そう。
いろいろ言ったって、残業時間規制が事実上ないようなもんなんだから。「ない」という社会でぼくらは残業を減らすことを考えないといけないのだ。
この部分こそが「データとエビデンス」に基づく残業分析であり、残業削減の具体的改革策なのである。
そこはいちいち紹介することを避ける。本書を読んで味わってほしいが、ぼくにとって役に立ったごく一部を紹介しておく。
一つは、残業時間の「見える化」をするということで、「サービス残業」もふくめ、「平均」でとらえず、特定の個人・部署に集中している状況を明らかにすること。
二つ目は、男は時間ができても(放っておけば)家事・育児などしないということ。
三つ目は、会議にとって事前予習・準備はさほど効果的でないというデータが出ており、むしろ終わらせる時間や司会の力量にかかっているということ。
四つ目は、「残業武勇伝」的な残業賞賛文化を、いろんな場で破壊する学習機会を設けるということ。
残業時間規制がゆるゆるの現状ではあるのだが、若い人は長時間労働を嫌う傾向にある。いいことだ。結局短期で業績が出ても、長い目で見ればそういう企業体に若い人は寄り付かなくなる。条件のよい企業へ移っていくだろうから、最終的には長時間労働を前提としているところは淘汰されていくだろう。割と早いスピードで。法的規制とは別の方向から、各企業にはお尻に火がついている。だからこそ、著者の主張するような社内改革も現状でも一定の効果が期待できるように思われる。