共助が限界、そして負担の軽い自治会という問題

 「しんぶん赤旗日曜版」(3月3日号)で東日本大震災の災害公営住宅におけるコミュニティ特集。

 見開きの特集なのだが、随所に町内会(自治会)の負担問題と共助の限界が書かれている。

高齢者見守り 共助では限界

…しかし、見守りを強めようにも、活動の担い手がいません。

 2017年12月、入居していた25世帯に尋ねると、「運動会・夏祭り・防災訓練に参加できる」と答えたのは3世帯だけでした。

 見守り活動の負担は松谷さんに集中。民生委員なども兼任する状況です。「退院直後で衰弱している人がいて、買い物などの送迎を自ら引き受けました。自助や共助のあとに公助では間に合わない。行政や福祉の支援も同時に走り出す仕組みがほしい」

 これはまさにぼくが共助批判として指摘してきた問題そのものであるが、同時に、これだけだと、行政や福祉と、共助がどのような責任関係にあるのかが明確になっていない。 

 行政は現場では、「みんなで一緒に」というのを宣伝文句にしてやってくる。福岡市で言えば「共働」とか「共創」とかいうスローガンだ。行政がコーディネート役になってしまうか、多少の実働の支援は得られても、自治会が元気に動かないところは手もあげられないという状況になるか、そのあたりが関の山である。

 ぼくは民生委員が実質上の素人ボランティアであった現状とあわせて、こういうものを統合したソーシャルワーカー的な人員に置き換える必要があると思う。

 いや、いるよ。今。コミュニティ・ソーシャルワーカーって。だけど、基本、コーディネートやアドバイザーなんだよね。現場でかかわりをもつ実働部隊じゃない(多少持つけど)。

 

 これは、ある人と話をした時に聞いたことではあるが、「いまICTの時代なんだから、むしろ役所については本庁に人は要らない。現場の支所とかに職員を配置するようにシフトしたほうがいいよ。むろん総量の人員も増やすほうにして」と言っていた。そう思う。

 

 あるいは、「石巻じちれん」会長、のぞみ野第二町内会長の増田敬(67)のコメントの一部。

高齢者や孤立しがちな単身世帯に何かあった時、すぐ気がつくのは隣近所の人たちです。負担が少なく誰でも参加しやすい町内会の体制づくりが大事です。

 まさにこれは「ミニマム町内会」のことだ。

 そして、岩手大学の船戸義和特任助教のコメント。

 

 ゼロからコミュニティー自治会をつくるためには、意識的にその機会をつくる支援が必要です。

 しかし、担い手不足や負担の集中により、自治会役員が疲弊する姿が見られます。自治会まかせの共助には限界があります。行政も一体になった共助の仕組みづくりが求められています。

 生活弱者の見守りのために自治会をつくるのではなく、日常的な人とのつながりやコミュニティーを継続する力を育てることです。それが結果として見守りにも役立ちます。(強調は引用者)

 

 これはまさにぼくが『どこまでやるか、町内会』で指摘した問題。日常的な人とのつながりをつくることを最小限に考えればいいのである。

 

(118)どこまでやるか、町内会 (ポプラ新書)
 

 

 これを引き延ばしていくと、コミュニティ・ソーシャルワーカーなどが現在とっている、「自治会の見守り体制を前提にしてそこを支援する」という考えを、本当は覆してしまうものだと思う。

 なぜなら、自治会はちょっとした人のつながりさえあればいいんだから。

 「ソーシャルワーカーが大量に配置され、それを主体となって、共助のネットワークを生かす」というようなイメージに転換しないと、それは最終的には「自治会まかせの共助」になってしまう。

 そうした「公助」を出発点にして、もし自治会の中で面白がってやってくれるような主体が育ってきたら、ソーシャルワーカーがそこにまかせていく……ような発想にしないと、自治会がつらくなるばかりだし、穴があいたままになるだろう。