白波瀬達也『貧困と地域 あいりん地区から見る高齢化と孤立死』

まず「あいりん地区を知る1冊」として

貧困と地域 - あいりん地区から見る高齢化と孤立死 (中公新書) 正直なところ、「釜ヶ崎」、あいりん地区がどうなっているのか、ぼくはよく知らなかった。
 「日雇い労働者の街」というイメージもあり、少なくともぼくが左翼運動に加わった1980年代にはたしかにそういうイメージ通りの活動が行われていた。


 だけど、今でもそうなのか?
 これが素朴な疑問。


 建設現場で人手不足が聞こえる現在、若い日雇い労働者がどんどん供給されて、建設現場で調整弁のように吸い込まれ、吐き出されているのか?
 うーん、そんなことないだろう。
 となれば、日雇い労働者がいなくなり、街はゴーストタウン? それとも、かつての日雇い労働者が高齢者になって生活保護受給者の街に?……というのが、うすうすの予感。このあたりまで想像してみた。


 まず本書には、「釜ヶ崎」、あいりん地区が戦前から戦後にかけてどういう街として変化したかが、研究をたどる形でコンパクトに書かれている。
 著者から、「だからそういう単純化してはいけないって書いてあるだろ!」と怒られそうだけど、本書を読んで街の変遷としてぼくが読み取ったのは、

  1. 戦後の高度成長前までのスラムの時代……(1)貧困家族、(2)貧困単身者、(3)反社会的集団、(4)高齢者・障害者などの混合(簡易宿泊所)。
  2. 高度成長期のドヤ街への変化……(2)が急速に膨らむ。建設現場などへ流れる日雇い労働者。
  3. バブル崩壊後の福祉受給者が多くいる街……あいりん地区住民の40%が保護受給者。

という変化だった。
 ぼくにとって本書の何よりの収穫はこの点。あいりん地区がどういう変遷をたどっているかがコンパクトにわかる点だと思う。


「現代のコミュニティ論」として読む

 しかし、あいりん地区とかドヤ街に関心のない人には、どうでもいいことかもしれない。
 ただ、本書のオビの紹介には「現代のコミュニティ論である」とある。こうした普遍的な意義を持った本としても読める。
 具体的には、貧困が集中している地域で行政、町内会、NPO、市民団体がどう協力し合っているか(もしくは協力していないか)が書かれているのだ。
 評価はどうあろうが、「新左翼」的な運動など、「行政とは連携しない社会運動団体」(本書p.84)が複数存在し、教会の救援活動など、「類似の支援が過剰に供給」「あいりん地区の無料の食事の機会はとてつもなく多い」(p.85)。「自立を阻害している」と言われようがどうであろうが、

複数の担い手による支援が多層化している状況は、あいりん地区に暮らす野宿者や生活保護受給者に大きな安心をもたらしていることも事実だろう。(本書p.86)

ということなのだ。そして、

身寄りがなく単身で生きることに困難を抱える者たちにとって、生活上のリスクに対応した社会資源が豊富なあいりん地区は暮らしやすい地域だ。(本書p.90、強調は引用者)

という一文は、読みようによっては衝撃的な一文とさえいる。

専門家や行政が主体でない使い勝手について思いを馳せる

 本書の中に「サポーティブハウス」について書かれたところがある。
 保護を受けながら支援が必要な人が集まって住み、スタッフの支援を受けながら生活しているところである。共用部分を除くと一人当たりの居住面積が5平方メートルしかなく*1一見「貧困ビジネス」のように思えてしまうが、囲い込まず、自由であり、お金の取り方も違うのだという。
 住居費用と別にスタッフの料金は取られていないので「無償」である。保護費から対応するお金が出ないからだ。しかし、そのためにここにいる支援スタッフは「ソーシャルワークの専門家ではない」(本書p.118)。「支援の質を客観的に証明することは容易ではない」(同p.119)。
 ここからは想像。
 こうした支援は、NPOや市民団体としての素人が持っている、気さくさ、気楽さ、居心地のよさ、勝手気ままな交流、というものがいかにもありそうな雰囲気だ。しかし、専門家としての明確な「質」はない……こんな感じだろうか。
 こういう想像をするのは、ぼくが関わってきた無料塾なんかはまさにこんな感じだから。手弁当で講師も集めてくるが、それは講師としての「質」を意味しない。しかし、そこが楽しいから、子どもが集まる、親が居場所にする、となる。
 それでもいいのではないか、とふと思う。
 専門家や行政が来て四角四面になってしまうよりも。
 とはいえ、そこにはやはり限界がある。どこかで行政としての責任が関与してここにいる人たちの生存権が保障されねばならないはずだ。その限界を踏まえて意義を考えるなら、こうした自生的(かつソーシャルビジネス的)な社会資源の果たす役割は大きい。

宗教の原初的な姿

 他に印象的だったのは、「釜ヶ崎見送りの会」の取り組みだった。身寄りのない人々が、人生の最終段階でコミュニティを作り、死に際してコミュニティが見送る。
 同会がある会員を見送った時の浄土宗僧侶(杉本好弘)の「引導文」が心に残ったので引用する。

飲食業を営むなどしてこの町に根を下ろしかけたあなたは、ほどなくして病を得て生活保護で暮らすようになりました。あなたの周りにはいつも飲み友達が集まり、あなたの部屋にはいつも飲み友達が訪れていました。あなたの酒は、人生の最後のひと月ほどを病院のベッドに縛り付けることになりましたが、同時に人生の宝である友達をあなたに贈ってくれました。酒と共にもうひとつあなたが好きだった博打のことで、あなたの友達がこんなことを言っていました。「博打は勝ったり負けたりだから面白い」。これは本当のことかもしれません。だとすれば「人生も平かな一本道ではなく山あり谷ありの曲がりくねった道だから面白い」と言えるでしょう。あなたの人生はまさに山あり谷ありの曲がりくねった人生でした。あなたはこの人生を十分楽しみましたね。(本書p.159-160)

 名文である。
 その人の人生が、その人に即して見事に肯定されている。
 アルコールやギャンブルというそれ自体を社会的に取り出せば十分な管理が必要な、はなはだ危険な代物も、一人の尊厳ある個人の生き様の中では、しっかりとした位置を占めている。酒が人生を楽しくさせ、人生が博打のような興奮であったと。保護受給者からこれらをとりあげ、通報し、監視する思想と対極の眼差しがここにある。


 このような「引導」こそ、宗教の原初の姿ではないのか。
 例えば仏教は、心に湧き上がってくる不安や悩みをどうコントロールするかという宗教だが、その中心にはやはり「死」の不安がある。死んだらどうなってしまうのか、ということもそうだが、一人で死んでいくこと、特にその死を迎えることや、死を意識したときにどのような生を送るのかを考えていき、心の平安を与えられるものが宗教なのだとすれば、これはまさにそれではないのか。

脱線=引導文「白骨の御文章」

 ちょっと脱線して申し訳ないけども、最近、『この世界の片隅に』つながりで井伏鱒二『黒い雨』を読み直した。その中に、主人公が原爆で亡くなった人たちのために、にわかにお経を読む役割を言いつけられ、近くの寺から覚えて来た「白骨の御文章」(蓮如)を引導文として読む場面がある。
 映画でもこのシーンは印象的だ。
 特にこの一節。

われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。


〔私が先か、人が先か、今日かもしれず、明日かもしれず、おくれたり、先立ったり、人の別れに絶え間がないのは、草木の根本にかかる雫(しずく)よりも、葉先にやどる露よりも数が多いと、いわれています。だから、朝には血気盛んな顔色であっても、夕方には白骨となってしまう身であります。〕

http://www.hotokuji.com/hakkotunosyo.html

 ぼくは、この時初めて「引導」(葬儀の際に導師が棺の前に立ち、死者が悟りを得るように法語を唱えること。また、その法語――デジタル大辞泉より)というものの役割を知った。
 と同時に、上記のサイトに

「白骨の章」といわれるこの御文章は、一般的には葬儀を通して拝読され、絶大な影響力を持っています。
この御文章を耳にすると、胸しめつけられる想いがする、と口にする人が少なくありません。
特に身近な人との別離において、そこにしめされる無常観には共感の嗚咽が広がることにもなります。

http://www.hotokuji.com/hakkotunosyo.html

とあるのだが、『黒い雨』でこの引導文に出会った時、原爆の投下という不条理に対する「怒り」とか「憤り」のようなものが、確かに「無常」といった世界観に絡め取られて、鎮められてしまう自分に気づいた。だが、たぶん、それは投下直後の、ある種の人々にとって必要なことだった。
 ぼくはそこで宗教が機能している姿を感じたし、今この本の中で僧侶・杉本が読んでいる引導文にもそれを強く感じたのである。

再開発は追い出しになっていないか

 さて、本書に戻る。
 本書の後半では、あいりん地区の再開発に触れている。
 ここには、強く疑問が残った。
 著者は、対立意見がかなり出され、それが透明・可視化され、「合意形成」へと進んだことを評価しているように読めるのだが、本書にも「従来と同じように生活困窮者を吸収し続けることは困難になりつつある。あいりん対策で設けられた生活保護施設は次々と閉鎖されている。公園でテントや小屋を建てて暮らすことが禁じられるようになり、野宿者のためのシェルター(臨時夜間緊急避難所)も規模が大幅に縮小した」(p.203-204)として、簡易宿泊所がドヤ街的なものから、インバウンド観光客を吸収するためのものに変貌しつつある状況が描き出されているように、単に追い出しが進んでいるだけではないのか。


 ……と書いてみたが、実際のところは、西成やあいりん地区をよく調べてみなければわからない。本書を読んだ限りでは、とりあえず疑問を持った、という程度にとどめてみる。


貧困に向き合えない町内会

 最後に、町内会について書いておく。
 本書では、あいりん地区の町内会加入率はわずか6%だとされている。
 「匿名」のドヤ街だったところではさもありなん、と思う。
 そして、前述の再開発にかかわる合意形成の一角に町内会がいて、もしそれが「追い出し」という流れと結びついていたら……と思うと少し暗くなる。いや、そのあたりについても実際どうなのか、よくわからないけどね。

 本書の「終章」には、

したがって、真正面から貧困問題に向き合うならば、あいりん地区が経験してきたように、支援のあり方をめぐって対立や葛藤が生じる可能性が少なくない。
 たとえば北九州市に拠点を置くNPO法人抱樸は二〇一二年、新しいホームレス支援施設の建設に着手したとき、町内会・自治会からの反対が噴出した。地域には反対ののぼり旗が次々に立った。旗には「取り戻そう!静かで安心して住める街」と書かれた(奥田二〇一六)。(本書p.203-204)

とある。

(118)どこまでやるか、町内会 (ポプラ新書) ぼくは、『どこまでやるか、町内会』(ポプラ新書)の中で、“防災や防犯は町内会の「必須」の活動だというくせに、なぜ「貧困対策」は「必須」と扱われないのか”として、行政や町内会側が従来「必須」「必要」「不可欠」などと言ってきたジャンルがいかに恣意的なものかについて論じた。
 これについて、町内会問題に詳しい中田実(名古屋大学名誉教授)は、次のように述べている。

町内会・自治会は、住居=世帯を単位として組織されています。そして、世帯内の問題は世帯内で処理し、地域組織は、地域環境整備や交通安全・防犯の活動、そして住民総出の地区行事という、世帯を超えた領域で活動を行えばよい、という役割分担ができていました。(中田「町内会・自治会の特質と現代的課題」/「住民と自治」2016年1月号所収、強調は引用者)

 つまり従来の町内会は、基本的に「家庭内」には踏み込まなかったのだという。このような町内会の旧来的なあり方が、社会的包摂ではなく、社会的排除のしくみとして町内会を機能させてしまう根源になってきたのではないか。
 何を隠そう、ぼくも『どこまでやるか、町内会』の中で、「非行少年」を警察を使って団地から「追い散らす」ことしかできなかった反省を書いている。対比的に、近くの団地自治会で、彼ら・彼女らの学習支援や行事参加にとりくんで逆に「包摂」を成し遂げたことにも触れた。
 中田は、世帯がいよいよ少人数化し、高齢化・非正規化・貧困化が進む中で、町内会の活動参加自体が難しくなるとともに、地域課題が変わってきたとする。つまり「家庭内」に踏み込むようになってきたのである。
 例えば高齢者の見守り。
 これまでは町内会とは近いけども別の組織、民生委員(ボランティア公務員)がその仕事をしてきたが、現在この課題にとりくむ町内会は増えている。
 また、『どこまでやるか、町内会』では貧困対策の一環である「子ども食堂」の取り組みを拒否した町内会の話を書いているが、2017年1月10日付西日本新聞には「子ども食堂 全27自治会に 大野城市、公民館を活用」という記事が1面トップを飾った。
 町内会は原理そのものを変え、新しい装いにしないと「貧困問題」には対応できないだろう……と、本書を読んで、そんなことも思った。


 なるほど本書はあいりん地区の個別問題を超えて、「現代のコミュニティ」について考えさせてくれた一冊であった。

*1:2017年現在最低居住水準は単身者で25平方メートル。