石原俊『硫黄島 国策に翻弄された130年』

 ぼくが選挙に出た際に自分の戸籍を眺めていたら自分の出生場所に違和感(というほど大げさなものではなく「あれ?」程度のものだが)があったので、親に尋ねたら、高須克弥が現理事長を務める病院で自分が生まれたことを知った。

 その高須克弥であるが、ぼくは「スペリオール」を毎号読んでいて、西原理恵子「ダーリン」シリーズには必ず目を通す。

 同誌2019年1月25日号での西原「ダーリンは74歳」は、高須・西原カップルが硫黄島を訪ねる回だった。

 この回もいつものサイバラ節で、どのコマでも大はしゃぎするカップルが描かれるが、摺鉢山で合掌する「かつや」は、他のコマとトーンがちがって神妙に描かれている(下図、前掲誌p.377)。そこにこの作品の感情の特別性が現れている。

 

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 そしてそこを管理支配している自衛隊への感謝と賛美が繰り返されている。

 つまり高須克弥において硫黄島とは「地上戦」であり「自衛隊なのである。

……と高須克弥を笑って(?)いられないのがぼくである。

 

ぼくの硫黄島認識

 ぼくはそもそも硫黄島を「いおうとう」と読むことさえ知らなかった。「北硫黄島」「硫黄島」「南硫黄島」などからなる硫黄列島であることも知らなかった。政府の宣伝を信じていたのかもしれないが、「人も住めない島」というイメージがあり、漠然と「火山活動や硫黄などで生活が長くできない」ように思っていた。なんの根拠もないが。

 硫黄島のイメージはまさにアジア・太平洋戦争末期に「米軍の島嶼占領を許さぬために日本軍が立てこもって強固な抵抗をし、凄惨な地上戦が行われた島」ということだけだった。よくある「アジア・太平洋戦争の経過を振り返る映像」の中でその一コマとして眺める程度だった。

 

 石原俊による本書『硫黄島』はぼくのようなイメージをひっくり返すために書かれた本である。

 

硫黄島-国策に翻弄された130年 (中公新書)

硫黄島-国策に翻弄された130年 (中公新書)

 

 

 

本書の目的は第一に、硫黄島をめぐるイメージを、長らく日本社会で支配的であった「地上戦」言説一辺倒から解放することにあった。(p.199)

 

 

 硫黄島にどのようにして人がすみ、どんな社会が形成されたか、といういわば「地上戦」の「前史」(本書を読めばわかるが、それは「前史」ではあり得ない。)を知ることで、「『地上戦』言説一辺倒」、ましてや硫黄島が「不毛の地」であったかのような印象が打ち砕かれる。

 特にぼくがその点でインパクトを受けたのは第2章「2 硫黄島の生活の記憶」「3 北硫黄島の生活の記憶」だ。

 

筆者が強制疎開前の生活経験の記憶をもつ二〇人以上の島民にインタビューしたかぎりでは、基本的な衣食住に困窮するケースは少なかったようだ。(p.49)

 

須藤*1さんは地上戦前の硫黄島を、「暮らしはいい所だった」と強調する。(p.55)

 

家畜の「豊かさ」が妙に印象に残る

 その中でも、家畜類の育ち方について妙にあれこれ想像してしまった。

 

家畜家禽類では、牛・豚・鶏の飼育がおこなわれていた。牛には島内に自然に生えている青草が、豚にはパパイヤやタコノキの実が、鶏には島内いたるところに生息するカニやバッタが餌となるため、飼育にはほとんどコストがかからなかった。……小作人層にとって最も日常的なタンパク源は、鶏の卵であった。鶏に関しては放し飼いが主流で鶏舎はなかったので、卵を適宜回収して食べていたという。また、必要に応じて鶏を絞めて肉を消費していた。(p.50-51)

 

 へー、鶏が餌の心配なしに「飼える」んだー。自分がもし硫黄島で生きていくとしたら…と想像してしまう。

 『この世界の片隅に』の監督である片渕須直が、戦前写真に写った本土女性たちの肉付きの状況を見て“コメばかり食べている”という趣旨のことを言っていて、それは逆に言えば本土の人たちというのはタンパク質があまり摂取できないんだろうなと想像した。だから、タンパク源にあまり不自由しない硫黄島の生活ということが、ある種の「ぜいたくさ」としてぼくにはイメージされた

 これらの島民の生活の「豊かさ」が生き生きと書かれた部分が本書の中でも硫黄島の戦前イメージとしては重要だと感じた。もちろん、これは硫黄島が楽園だという意味ではない。会社の支配や小作としての過酷さが基本にある。あくまで食料という点だけにしぼった一断面である。詳しくは直接本書を読んでその魅力を体感してほしい。

 このような本書の叙述が、「地上戦」一辺倒の言説だった硫黄島への見方からぼくらを解放してくれるのである。

 

 そして、このような生活がそこにあり、その上で、103人の島民が徴用され、生き残ったのは10人しかいなかった。つまり住民が動員され、戦闘に巻き込まれ、犠牲になった。

 そこから、著者・石原は「唯一の地上戦が戦われた沖縄」という言説が支配的であったことを批判する。

 これも全くぼくの不明であるが、「唯一の地上戦が戦われた沖縄」であると思っていた。左翼業界でも普通に使われてきたし、今も使われている。本書はその認識を更新させるであろう。

 

 

帰島を望む島民の存在

 本書のもう一つの目的は、「硫黄列島の視点から、日本とアジア太平洋世界の近現代史を捉えていく作業であった」(p.200)。

 日本帝国の「南洋」における植民地開発モデル、本土防衛の軍事的最前線、米軍による秘密核基地化、郷里に帰れないままの島民を置き去りにした日米共同の基地化という歴史が本書でわかる。(そしてここで行われている訓練(FCLP)の馬毛島への移転をめぐりまさに今ホットな話題になっている。)

 

 特にこの点では、戦後も硫黄列島に帰りたいという島民が存在し、社会運動として闘われてきたということをぼくは初めて知った。

 硫黄島自衛隊が訓練をしてきたことは知っていたが、その島にもともと住民がいて、帰りたいと願っているということであれば、その島についての認識はずいぶん違ったものになる。

 ぼくのような左翼としては硫黄島での軍事訓練を見る目は、単に「対米従属的な軍事訓練をやめよ」というほどのものであったが、住民の生活の場だったものが奪われているという認識はもっと根源的な問題を突きつける。

 石原が書いているように、

 

硫黄列島民は二〇一八年末時点で、すでに約七五年も故郷喪失状態に置かれている。現在の日本政府の不作為的態度は、硫黄列島民の一世が全員この世からいなくなるのを待つ方針、言い換えると硫黄島の生活の記憶が消滅するのを待つ方針であるといっても、不適切ではないだろう。(p.185)

 

ということになるからだ。

 硫黄島は「地上戦」ナショナリズム(というか高須克弥的なショービニズム)の場であることをやめ、むしろ沖縄的な色彩、「住民を巻き込んだ地上戦」「棄民」「秘密基地化」というイメージをまとって現れてくる(このような規定自体を石原がしているわけではないと思うし、こうした安易に似せた比喩にすることを石原は是としないかもしれないが)。

 

 そういうわけで、ぼくはまんまと石原の企図した通り、硫黄島について「地上戦」一辺倒の言説からも解放されたし、それをぼくなりに、というかぼくのなかにある紙屋流近現代日本史の中にその位置を据え直すことができた一冊となった。ひとの歴史認識を更新させるという意味において(単なる知識の増量だけでなく)、コンパクトながら破壊力のある本だ。

 

 なお、本書にある通り、硫黄島は人が生活するには適しない島のように政府側(正確には「小笠原諸島振興審議会」とそれにもとづく閣議決定)が判断して帰島を許さないわけだが、島民は必ずしも納得していない。「基地として最適な島」を手放したくないという政権の意向がまずあって、そこから忖度された結論のようにぼくには思われた。

 そのような前提を外して、全く自由に議論すべきだ。

 まず島民が納得できるまで徹底して議論し、もし帰島できるという結論が出ればそこはもともと住居地なのだから自衛隊は利用を制約されるか、撤退するべきであろう。

*1:章。著者・石原がインタビューした島民の一人。