大学の軽音サークルに入った「みわ」と「冴子」という女性2人がつきあう話である。
同性同士であることの困難や社会的な摩擦は、ぼくからするとわりと「あっさり」乗り越えられていくので、ぼくがこの作品を「性的マイノリティの物語」として読むことはまずない。
読者であるぼくは「みわ」と「冴子」のどちらかの視点にスイッチしながら読むという、完全にぼくにとっての「百合」の読み方になっている。もっと言えば、時には「みわ」を恋人として、別の時には「冴子」を恋人として(性的に)見るわけである(まあ、どちらかと言えば「冴子」目線なんだけど…)。ぼくにとっての同性である男性が排除された空間なのである。
相手の体に触れたいとか、キスをしたいとかいう、恋愛初期の一番高揚した衝動をじっくりと描き込みながら、それを一方的なものでなくて、相手との合意によるコミュニケーションに落とし込もうとするのが、オトナな感じがして好感が持てる。こういう恋愛がしたいではないか、と思わせるのだ。
2人はサークルの仲間や周囲から心配されたり、応援されている。そのあたたかい感覚も、読んでいて心地いい。
今の多くの少女マンガを読んでいる時に、主人公周辺の女友達の共同体とは距離を感じる。いくらそこで主人公たちが支え合おうが慰め合おうが、自分と地続きのリアリティを感じることはあまりない。
だが、本作を読んでいると、自分の大学時代のサークルのことも思い出しながら、それを裏返して理想化したような人間関係に思えてくる。こういう人たちに囲まれていたらさぞ幸せだったろうな、と。
例えば2人の友人として登場する「リカ」が、高校時代の女同士の共同体にいることの「つらさ」から、大学に入って解放され、「うっしー」に出会うシーン。うっしーは、「声めっちゃキレイだよね!?」と手放しで「リカ」を褒めながら飲み会でバンド組もうよと接近してきた。「リカ」は高校時代の人間関係と違った、直截な関係があるのだという新鮮な衝撃を受け、つるみはじめる。
高校的なものの批判者として大学が登場する。
この感覚、久々に思い出した。
この作品は、ぼくにとって居心地のいい人間関係に取り巻かれた空間としてあるのだ。