増本康平『老いと記憶 加齢で得るもの、失うもの』

 ぼくのような一般人には「歳をとる→記憶が衰える→物忘れが激しくなる→頭を使わなくなる→認知症になる」というような図式と不安がある。

 それにこうするために脳トレだ、という風潮もある。

 本書はそのような図式に対する批判であり、一般人への啓蒙だといっても良い。

 

老いと記憶-加齢で得るもの、失うもの (中公新書)

老いと記憶-加齢で得るもの、失うもの (中公新書)

 

 

 本書の前半を読んで、ぼくの拙い理解はこうだ。

 歳をとっても衰える記憶の機能と衰えない機能がある。

 記憶の保存の機能というのは、あんまり衰えない。

 脳のワーキングメモリ、つまり作業台は小さくなるようなので、若い頃はマルチタスクでやれていたような処理ができなくなり、そのために例えばメガネをふと置いた場所などを意識づけて覚えられなくなってしまう。保存の力はあるけど、入力の際に効率の良いタグ付けができないので検索しにくくなる。

 そういう状況に対して、脳トレをやってもあまり効き目がない。

 例えば、覚えることそのものをやめたほうがいい。メガネをいつも定位置に置くとか、補助ツール(スマホとかメモ帳)を使うとかする。

 ただ、若い人が物忘れをしないかというとそうでもない。年寄りはワーキングメモリが小さくなるけども、他のもので代替する。覚えるべきことの重要性を若い人より認識していたり、補助ツールを使うことを知っていたり、定位置に置くという工夫ができる。つまり代替する「知恵」が経験によって豊かになる。

 門外漢なので、正確にたどれていないのだけど、前半(の一部分)にはこういうことが書かれている。ここにあるのは一つは老いに対して脳トレをすることに批判的な著者の思いだ。もう一つは、老いによる記憶の低下というのはそんなに単純な話じゃないということ。最後に、老いてくれば代替になるものがあるので、必要以上に絶望することはないよ、ネガティブにとらえること自体が記憶の機能を悪くするよ、という励ましと警告だ。

 

 この本にはグーグル・エフェクトの話が書いてあるけど、ぼくも「自分が覚えている」ということに頼って用件を締め切りまでに処理することは怖くてできない。パソコンや携帯で自動的に締め切りを知らせてくれるようにしている。そして、終わったことはでかい手帳を買ってそこに日誌のようにつけていって頭からデリートしている。まあ、本来それはスマホやパソコンで一括してできるものなんだろうけど、日誌に絵を描いたり感想をメモったりするので、依然そこはアナログなのである。

 つまり補助ツールはすでに使っているし、自分の記憶にとっても主要なものになりつつある。

 老いても人は代替する知恵を発達させるのだから、「記憶が衰える」ということをそんなに恐れなくてもいいのだな、というポジティブな気持ちになった。

 

 そして、こうした加齢によるある種の記憶機能の低下(または維持)の問題とは全く別に認知症の問題がある。本書の後半の一部はこれに当てられている。

 過剰な期待をしてはいけないとしつつ、認知症*1の予防について書かれている。

 簡単に言えば、偏食をしないこと、運動すること、社会交流をすることなどである。特に社会交流の効果は大きい。

 テレビ見てぼーっと過ごしているのが最悪のようだ。

 なーんだ、町内会の活動やったり、社会運動やったりしてりゃいいんじゃん、と思った。それも楽しく。

 まあ、前も言ったけど、左翼活動って、組織で会議したり、人をオルグしたり、ビラ配りに階段を駆け登ったり、お食事会したり、認知症予防にバッチリだと思うけどなあ。「認知症予防に、あなたもコミュニストになりませんか?」ってオルグしてえ。

 

 本の最後は、高齢期の発達課題――人生の統合と絶望のバランスについて描いている。死や人生の後悔のようなものとどう折り合い、自分の人生をどうとらえるか、という感情のコントロールのことだ。

私たちは例外なく身体や認知の機能が年齢とともに衰え、健康状態も悪くなり、最終的には死を迎えます。この時期をどのように過ごすかが人生の評価には重要であり、これまでの人生が素晴らしいものであっても、最後の数年間の経験がつらいものであれば、人生はつらいものとして再構成される可能性があるのです。(p.165)

 よく「死ぬときに人は幸せなら人生は幸せ」みたいな教訓として言われるんだけど、本書を読んできてこのテーゼをもう一度噛み締めると全く別の「恐ろしさ」を感じた。がんで苦しむとか、パートナーに先立たれ孤独になる、ということをあれこれ考えてしまった。

 これは仏教が本来テーマにしてきたことだろう。

 これは本書を読んで考えてみてほしい。

 

 はじめにあげた「歳をとる→記憶が衰える→物忘れが激しくなる→頭を使わなくなる→認知症になる」という図式に対して本書でえられる批判としてはその図式の「記憶が衰える」というところが単層すぎること、そして「記憶が衰える→物忘れが激しくなる」という因果はないこと、そして「→認知症になる」というのは全く違うことがわかる。

 まあ、とにかく脳トレは意味がないのですよ(笑)。

 そんなことをやっている時間に、代替機能として「知恵」を拡大するための時間、認知症予防のための社会交流に時間を割いたほうがよっぽどいい。

 

*1:ここではアルツハイマー病のこと。