公約でいっぱいあった「ブラック企業規制条例」はどうなった
宇都宮健児が都知事選に立候補したとき「ブラック企業規制条例をつくります」というのが公約にあった。
この前のいっせい地方選挙でも「ブラック企業規制条例」を公約に掲げた候補がいた。
しかし、くわしい中身については検索しても出てこない。
宇都宮選対の関係者に電話したこともあるけど、条例の大綱のようなものはないという話だった。
「ブラック企業規制条例」……。
ブラック企業を何とかしたい。
そんで自治体にできることは何かないだろうか、という意気込みは伝わってくるんだが。
宣言的な条例っていうモノものある。理念条例。こういうまちにしますよ、というような考えを示す。この場合だとブラック企業は許さないよ、という宣言をして、まあたとえば官民一体で社会運動やりますよとか。
そういうのもアリだ。
やれることは何でもやったほうがいい。
ただ、自治体の施策として何かできることはないだろうか、とぼくは常々思っていた。そういうときに本書を読んだのである。そして、自治体のブラック企業対策、なかんづく条例をつくることを考えるうえで参考になることが多かった。
2012年に初版が出た『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』と、今年出た『ブラック企業2 「虐待型管理」の真相』と2冊ある。『1』『2』とそれぞれ呼んでおこう。
ブラック企業が「進化」し、たえず対応策を変えること
『1』で参考になったことは、ブラック企業のパターンを7つ紹介したうえで、「辞めさせる『技術』が高度になってきた」(『1』p.114)ということだった。つまり、ブラック企業自身が「進化し続ける」(p.122)。
かれら〔ブラック企業のこと──引用者注〕は社会的な配慮でも、新卒や若者への情けでも動かない。ブラック企業にとって重要なことは、自社の利益を上げることだけである。そのためならば、いかに反社会的であろうと自社のリスクを最大化し、利益を最大化させる方法を最大限に追求する。こうして現れたのが「辞めさせる技術」なのであり、これがいかに非道なものであっても、彼らにとって「合理的」である以上は進化し続ける。(『1』p.121-122)
ブラック企業の特徴をおさえて、それに対応する対策を条例に盛り込んだとしても、ブラック企業が「進化」してしまえばその条例の対策はあっという間に古くなってしまう。
そのことを見越した条例でなければならない、ということだ。
『1』で参考になった点は、他にもある。
今野晴貴はブラック企業は一般の違法企業とは区別されるとして、ブラック企業の本質は何かということを明らかにしようとしている。
今野によれば、これまでの「日本型雇用」は雇用を守るかわりに、外国と比較して、労働者に対する強い命令権をもってきた。契約に「この仕事をしてください」とハッキリ書くんじゃなくて、あいまいにしておいて、いろんなところに飛ばす。そのかわり雇用は守ってやる。企業のメンバーであることを保障してやるかわりに強い命令がある、というのである。
ブラック企業はこの「強い命令権」(とそれと裏返しの「あいまいな契約」)だけを残してメンバーシップなどさらさら保障する気はないという「進化」をとげたと今野は言う。
「日本型雇用」を(悪く)進化させたものであるから、「すべての日本企業は『ブラック企業』になり得る」(『1』p.186)と今野は指摘する。
したがって、このようなブラック企業の本質観からくる核心的な対策は、「労働時間規制や業務命令に対する制約を確立していく」(『1』p.231)ということになる。もう一つは「失業対策と非正規雇用規制である」(『1』p.232)。
労働時間規制などの政策は、まさに国の法律や施策によって確立すべきものだから、ここにはなかなか地方自治体の出てくる幕はない。
労働法教育・啓発の役割の大きさ
やっぱり地方自治体にやれることはないのか、と思うのだが、読み進めていくとそれ以外の施策を今野が重視しているのが見えてくる。
今野は「ブラック企業をなくす社会的な戦略」(『1』p.238)を2点提起している。一つは労働組合やNPO(今野がやっているPOSSEのようなところ)へと相談・加入するつながりをつくること。もう一つは、労働法教育の確立・普及である。
つまり、若者・労働者側が知恵をつけ、組織力を背景にした対応にきりかえていくことを促すことにより、「進化」を続けるブラック企業に対抗できるというわけである。
もちろん、労組に入ることや労働法教育・啓発の大事さはぼくなりに理解してきたつもりでいたのだが、今野の『1』を読んでブラック企業の行動パターン、生態、「進化」を続ける様を知った後だと、結局労働者自身が力をつけることを地道にしていくことが実は一番の早道なのではないかと改めて思い至るようになったのである。
もちろん労働時間規制のような国レベルの法律改正は、それを本気でやる体制とセットにすることが大事だと思うけど、その問題は今日はおいておく。
ということは、自治体としてできることは(1)相談窓口をたくさんつくり、できれば労働組合につなげていく(2)労働者や若者に対する労働法の教育・啓発──この2点がブラック企業対策としてはカナメになるのではなかろうか。
くり返すけど、相談窓口や労働者への啓発はこれまでも自治体施策としてあげられてきたが、それは自治体ができるブラック企業対策のカナメとして位置づけ直すということである。
ぼくは正直にいえば、それは「当面やれること」というほどの位置づけだったのだが、今野の本では「社会的戦略」は一番重要な結論として提起されており、それを読んでぼくは自分が教育・啓発や相談の仕事を実際には軽んじてきたのではないのかと反省したのだ。
教育、医療、住居に関する適切な現物給付
『1』の中でさらに参考にできる点がもう一つあった。
それは、賃金に依存しなくてもいいように、「教育、医療、住居に関する適切な現物給付の福祉政策があれば、低賃金でもナショナルミニマムを担保できる」(『1』p.233)としている点だ。
賃金を求めてブラック企業に吸い込まれるのであれば、教育、医療、住居のサポートを自治体がすることによって若者や労働者がひどい企業への就職をあせったり劣悪な労働環境にがまんする必要はなくなる。
これは自治体ができる施策だ。
教育のサポート。安い学費や給付制の奨学金、できれば無償の高等教育があれば、ブラックなバイト漬けになったり、返済地獄でブラック企業につかまる動機はなくなる。
医療のサポート。所得の2割にもおよぶ国民健康保険料。払えずに医者にもかかれない、とかそういう事態をなくすためにも、国保料(国保税)を下げる。これはまさに市町村や都道府県の仕事となる。
住宅のサポート。もはや新規の建設をほとんどやってない公営住宅をたくさんつくる。
2015年10月12日付の「日経」で神戸大の平山洋介が「若年向け賃貸住宅 支援を」という意見を書いている。平山によれば、親元を離れ世帯形成をするのは、90年代の3分の2に減ったと言う。
00年代前半のデータによれば、公的賃貸住宅率と公的住宅手当の需給世帯率は、オランダでは35%と14%、英国では21%と16%、スウェーデンでは18%と20%、フランスでは17%と23%。これに対し、日本では公的賃貸住宅は5%と少なく、公的住宅手当の受給世帯は皆無に近い。
経済低迷と賃貸支援の弱さの組み合わせが、若年層を停滞させるメカニズムを構成した。若者が親元を離れ、単身者として独立するには賃貸住宅が必要になる。結婚して新しい世帯を形成しようとする人たちもまた、最初の住まいとして賃貸物件を探す。持ち家促進に傾き、借家支援が弱い区にでは賃貸コストが高い。……離家・結婚に必要な賃貸コストを負担できない若者が増えた。……若者が親の家にとどまって独立せず、独立しても動かないという状況は、経済活力をそぐ一因となった。
ぼくは、こうした施策を「若年支援」として、自治体がわかりやすいパッケージでうちだし(つまり施策を細切れでやらずに)はっきりとそのメッセージを打ち出すことが必要だと考える。若い人たちに対し、支援施策そのものが、ブラック企業と闘う知恵となるし、激励になるからだ。
労働法教育の具体的なあり方が参考に
さて『2』である。
『2』についても、「自治体の条例づくりにどう生かせるか」という観点で読ませてもらった。その観点で『2』を読んで大事だと思ったことは労働法教育の具体的なあり方だった。
今野は『2』において「ブラック企業をなくす3つの方法」を提案し、その一つに「労働法教育」をあげている。これは『1』の結論を引き継いでいる。
『2』ではその教育のあり方について、現状の教育のあり方を批判しながら、あるべき労働法教育について提言している。そのポイントは条文教育ではなく、マインドの教育を求めている。ぼくなりに言い方を換えさせてもらうと、要するに「実践的に使える教育を」ということである。
今野があげているPOSSEの3000人アンケートの結論──労働法の知識があってもそれが違法行為への泣き寝入りにほとんど影響を与えない、という事実はなかなかに衝撃的である。
これは、今野の本を読んでいけばわかるが、「自分が悪い」と思い込まされることがブラック企業では多いから、知っていても権利行使をしようと思わなくなるのだということの起因している。
そこでたとえば「権利行使は社会人としてのマナーだよ」というような、権利行使が引き出されるマインドの育成をはかる。
ユニークだと思ったのは、「ブラックバイト対策」を「社会人訓練」として位置づけていることだった。ブラックバイト経験はブラック企業で我慢する「練習」になってしまっているが、これを適切な支援と組み合わせることで、「ブラックバイトへの『対応』が、ブラック企業に対応する準備へと変質するだろう」(『2』p.247)と見通している。
そのために学校教育とNPOとの連携を説いている。
これだけではなく、『2』にはさらに具体的に自治体の施策として考えられるヒントが様々書かれている。
「ブラック企業規制条例」の骨格をぼくなりに考える
このように今野の『1』『2』を通して、自治体がつくりうる「ブラック企業規制条例」とは骨格として次のようなものになるのではないか。
- ブラック企業・バイトを根絶する自治体の決意。社会をあげた行動としての決意と根絶の意義を理念としてしめす。
- 調査活動。地域ごとにブラック企業のあり方も特徴があるだろう。そうした実情にあわせた対策とするための実態調査が必要になる。
- 相談活動。市町村でこの種の条例をつくろうとすると当局側が持ち出してくるのは「国や県のやることでごわす」というものだ。しかし、「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律」では20条で「情報の提供、相談、あっせんその他の必要な施策を推進する」ことを自治体が「努めるものとする」仕事として規定した。実際に相談をやっている市町村も生まれている。たとえば福岡市は労働問題での相談件数が年84件しかないのに(しかも実態は相談を受けているのではなく県や国の窓口に流しているだけである)、川崎市や横浜市では独自に相談をおこない、1000-2000件もの相談を受けている。ただ、行政機関につなぐのは次善の策で、『1』『2』にも書かれているようになかなか頼りにならない部分も多い。ベストは労働組合やふさわしい専門家などにつながることだ。
- 啓発活動。相談と違って、啓発は市町村の仕事としてとらえられている場合が多い。福岡市の場合、相談は県の仕事だと冷たいが、啓発はやりますと議会でも答弁している。
- 計画づくり。以上の「調査・相談・啓発」を基本にしつつ、ブラック企業が「進化」するとすれば、それ以外の細かい対策を条例に書き込むことは施策の柔軟性を失うおそれがある。ゆえに、ブラック企業の「進化」に対応して年次計画もしくは数カ年での対策の計画をつくるのがよい。そこには教育・医療・住宅での若者支援をパッケージ施策でもりこむ。
- 計画への若年層や労組の参加。
これは「規制条例」とまではいえないかもしれない。せいぜい「ブラック企業対策条例」だろうか。それでも自治体がここまでふみだせば相当画期的なことではなかろうか。
「命令権の制約・縮小」部分での検討もふくめて、自治体でできることはまだまだあるはずだ。