デービッド・アトキンソン『新・生産性立国論』

 著者アトキンソンによれば、人口減少の日本では生産性を上げる以外に未来がなく、著者はそのための3つの政策を提唱している。

 

デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論

デービッド・アトキンソン 新・生産性立国論

 

 

 えーっと、まあ別に書いてもええやろ。この人の本は、この3つの政策を種明かししたからといって価値がなくなるようなタイプの本じゃないので。

 

  1. 企業数の削減
  2. 最低賃金の段階的な引き上げ
  3. 女性の活躍

 

である。なぜこういう政策が導かれるのかというロジックはそれこそ本書を読むといいだろう。

 

 この政策のうち1.と2.についてちょっと書く。

 左翼としてどう考えるかってことを。

 

企業を淘汰すること

 まずこの1.なんだけど、アトキンソンはホントこの点は容赦ないんだよね。

 というのは、日本はサービス業で生産性が悪くて、それは劣悪な労働条件をそのままにしている中小企業がこの分野で温存されているからだという。で、昨今中小企業数が減っているのをアトキンソンは大喜びしているのである。

国の生産性はあくまでも全体の平均ですから、生産性の低い企業が消えることによって平均値が上がります。この動きは歓迎すべきです。この動きに対してもっとも大事なことは、政府が余計なことをしないことです。(p.210)

  「余計なこと」というのは中小企業保護政策である。

 中小企業の中でもとりわけ零細な企業を守る法律、「小規模企業振興基本法」が2014年にできたけど、これなんかアトキンソンが想定する「余計なこと」の最たるものかもしれない。

 「中小企業振興条例」が今全国で抜本改定される流れがある。

 福岡市でもこれが数十年ぶりに大幅改定されたんだけど、その中には「小規模企業者への配慮」(14条)なんていう項目がある。

市は、中小企業の振興に関する施策を講じるに当たっては、経営資源の確保が特に困難であることが多い小規模企業者(法第2条第5項の小規模企業者であって,市内に事務所又は事業所を有するものをいう。)の事情に配慮するよう努めるものとする。

  アトキンソンからすれば、このような「余計なこと」=中小企業の保護が、現状の最低賃金レベルの時給しか払えず、労働法も無視した働かせ方を残し、生産性を下げ、デフレを引き起こしているではないかというわけである。こうした企業は淘汰されるべきであり、2060年には今の企業数の半分でいいと言う。

 アトキンソンは、地価を算定するために莫大な不動産物件の測量・調査を、原始的な人海戦術でやっている実態に驚く。そんなところになんで貴重な人手を割いているのだ、と。

 

最低賃金を上げること

 もう一つの最低賃金

 こちらについてアトキンソンは、人口減少なのに賃金を下げたためにデフレになったといい、生産性と非常に高い相関関係を持っているのが最低賃金だと指摘する。「最低賃金が高ければ高いほど生産性も高まるのです。その相関係数は、実に84.4%。驚異的に強い相関関係が見て取れるのです」(p.231)。「日本の生産性が低いのは最低賃金が低いから」(p.233)。

 アトキンソンによれば一人あたりのGDPが日本に近いドイツ・フランス・イギリスの場合、1人あたりの最低賃金は一人あたりのGDPの約50%にあたるという。

 その式に当てはめれば、日本が1.5%の成長をしていくとしたら、2020年に目指すべき最低賃金は1225円ということになる。

 ちなみに、最低賃金をあげたら失業が増えるのではという問題についても英国の例を出して反論している。この話題は最近韓国のことが引き合いに出されるのだが、アトキンソンはこの本を出した後、次のような記事を書いているので参考にしてほしい。

a.msn.com

 まあ、要はアトキンソンの主張は「韓国の失敗は、いっきに引き上げすぎたという、引き上げ方の問題でした」というだけなんだけどね。

 いずれにせよ、これは左翼的主張にほぼ重なる。

 

企業の淘汰と最賃引き上げの二つを左翼としてどう考えるか

 企業数の削減(事実上、中小企業の淘汰)と最低賃金の段階的引き上げ。

 一見すると、現在の日本の左翼的政策からすれば前者は受け入れがたく、後者は歓迎すべき政策のように思える。

 例えば共産党なんかは、小規模企業振興基本法にムッチャ期待をかけている。

www.jcp.or.jp

 読めば分かる通り、「成長発展」と別カテゴリーとして「持続的発展」をする存在として小規模企業をとらえている。

 企業数の削減(事実上、中小企業の淘汰)と最低賃金の段階的引き上げの関係をどう考えたらいいか? 前者は誤りで後者のみが正しいのだろうか?

 

 ぼくは、最低賃金を例えば時給1000円にして(中小業者には一定の支援を行うにせよ)、それに耐えられない中小企業には市場から退場してもらうのがいいのではないかと思う

 最低賃金を引き上げることで、一定期間後にも経済はよくなり、中小企業ももはや自分の力で賃金を引き上げる環境はできるだろう。そうやって支援を外して、それでもなお1000円を支払えない企業は淘汰されるべきではなかろうか。

 もっと言えば、最低賃金だけでなく、ブラック企業規制も同じである。つうか、労働法の厳密な適用な。

 例えば労働基準法32条な。

第三十二条 使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
○2 使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。

 ぼくは左翼として、当然こうした法律の厳格な適用を要求する。

 「いやあ、そんなこと中小企業には無理だよ」と言う中小企業の経営者がいるだろうか? ぼくが中小企業団体を訪問して話を聞くと、たいてい「中小企業の多くはまじめに労働法を守っている」と言う。

 それならば、いいではないか。できない企業には遠慮なくつぶれてもらおう。

 労働時間を法律通りに短縮する。

 「労働法通り」の働かせ方を要求するのである

 労働者が人たるに値する最低賃金への引き上げ。ブラックな働かせ方を一掃すべく現行労働法の厳格な適用。これである。

 それをすることで、耐えられない中小企業が出てくるかもしれない。しかしそのような企業は淘汰されてしかるべきである。マーケットから退出してもらおうではないか――これは中小企業経営者も(少なくとも建前では)認めざるを得ないだろう。

 短い労働時間で、より多くの賃金を出す企業――つまり生産性の高い企業だけが生き残る権利があるのだ。

 かくてぼくら左翼的政策とアトキンソンは基本的な一致を見る。

 まあ、これは別にアトキンソンだけでなく、例えば冨山和彦(経済同友会副代表幹事)なども言っていることなんだけどね。

www.sankeibiz.jp

 ただ、左翼としてこうした政策の結果として生産性を打ち出すことはこれまであっただろうか? そこは調べていないのでよくわからないのだが。ぼくは打ち出してもいいんじゃないかと思うんだけどね。

 

 

女性の活躍とはなんじゃらほい

 ところで、アトキンソンのいう「3.女性の活躍」なんだが、これは早い話が、専業主婦がサラリーマンの夫の家計補助的な労働力として「150万円の壁」の範囲内でパートをするという働き方は「贅沢」であり、破壊しろ、というものだ。

 収入150万円までの税制上の「優遇」、専業主婦ゆえの「優遇」をやめて、働くほどトクになる制度設計にしろという話なのだ。

 アトキンソンは人口減少に対して子どもを産むことを奨励すべきなのだから、子育て、とりわけ多産に対して相当なプレミアムをつけろと主張する。結婚しても子どもをもうけることとは別だから、今や結婚=夫婦のユニットを支援する税制は古臭いのでやめろともいう。

 どんな家族形態や生き方を選択しても、「健康で文化的な最低限度の生活」ができるような社会保障は必要だと思うので、子どもをもうけないことが劣悪な生活になってしまうような社会はダメだろう。しかし、すべての人に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障した上で、子どもをつくることがコストでなく明らかなアドバンテージであるとする制度は、あり得なくないだろうか?

 いや、それをやると社会的にやはり「子どもを産め」というプレッシャーを助長しかねない気もする。

 ここはよく考えないといけないところなので、保留しておこう。

 

 

 というぐあいに、本書は刺激的である。

 読むべし。