重田澄男『資本主義を見つけたのは誰か』


 不破哲三は「資本主義」という言葉は「マルクス命名」したとくり返し書いている。*1 その際不破は『資本論』冒頭の「資本主義的生産様式が支配している…」という和訳を一つの根拠にあげている。


 しかし、マルクスが生前の自身の公刊物の中で「資本主義」Kapitalismusという言葉を使ったことは一度もない、というのはパッソウがすでに1918年に指摘しており、それはマルクス主義者の中では有名な話で、不破が知らないはずはない(皮肉ではなく)。
 また、不破が根拠としてあげる『資本論』の「資本主義的生産様式」は単に和訳でそうなっているにすぎず、英語でthe capitalist mode of production、ドイツ語でkapitalistische Produktionsweiseであり、capitalistやkapitalistischeは「資本家の」と訳した方がどうみても適当である。つまり「資本主義的生産様式」とするよりも、「資本家の生産様式」とか「資本家の生産のやり方」とか「生産の資本家的方式」のような訳語の方がいいはずなのだ。


資本主義を見つけたのは誰か また、不破は重田澄男の労作『資本主義を見つけたのは誰か』(桜井書店、2002)をも知らないはずはない。
 重田の本書は、「資本主義」という語を最初に使ったのは19世紀の初期社会主義者・ピエール・ルルーであり、マルクスはほとんど使っていないが、「資本家的生産様式」 という言葉で、今日の「資本主義」というカテゴリーの本質を見つけ出していた、としている。
 マルクスが最終的に到達した「資本家的生産様式」(多くの『資本論』の和訳では「資本主義的生産様式」)という言葉の前に、マルクスは「市民的(ブルジョア的)生産様式」という言葉を使っており、さらにその前には1847年のプルードン批判『哲学の貧困』で「ブルジョア的生産形態」「ブルジョア的生産諸関係」という言葉を用いている。 *2
 この1847年以降のマルクスの使用方法を重田は、

近代社会特有の生産の歴史的形態を示すものとしての資本主義範疇を表現する(p.133)

近代社会における特有の歴史的諸形態を示すという性格と意義をもつ「資本家的生産様式」というマルクスの資本主義範疇は、現在われわれが近代社会の経済システムや社会体制を表現するものとして一般に使っている「資本主義」という用語と、社会構造的な内容を示す用語として本質的な同一性をもったものである。(p.151)

とまとめている。
 つまりざっくり言えば、「マルクスはだいたい今使っている『資本主義』っぽいとらえ方を、1847年にはしてたワケよ」ということだ。
 そこで重田はこう結論づける。

「資本主義」発見のプライオリティ(priority)、すなわち、最初の発見者としての優先権は、マルクスのものであるということができる。(p.153)

ルルーは「第一発見者」とは言えないのか

 ルルーは1848年の『マルサスと経済学者たち』で「資本主義」という言葉を使っているので、ルルーにそのプライオリティを与えてもいいじゃねーの、という意見はありうる。マルクスは1847年の時点では「ブルジョア的生産形態」なのだから。
 重田はルルーの「資本主義」用語については、こう評価している。

ルルーが『マルサスと経済学者たち』の1848年初版において使っている「資本主義」という新しい言葉は、その直前に使用した「資本家の産業」というかたちでの「資本家」という言葉に触発されながら、「資本家」あるいは「資本家的経営」の鞭のもとでの労働と同じ意味内容の言葉として、使われているということができるものである。(p.31)

 すなわち、ルルーの「資本主義capitalisme」は「資本家的やり口」みたいな感じで使っているのである。あるビジネスの過酷なやり口を告発するイメージというわけだ。このような系列に属する今風の言葉で言えば「ヤミ金的手口」「電通チックな働かせ方」みたいなもんだろうか。したがって、重田はルルーに対して「資本主義」用語の第一使用者としては認めながら、近代社会認識発見者としてのプライオリティを与えることを退けているのだ。
 重田は、マルクスまでで追跡を終わらせるのではなく、その後のシェフレ、ホブソン、ゾンバルトを調べて「資本主義」という言葉がマルクス的な認識を引き継いで今日のように使われてきたことを跡づけている。


 ただ、ここまで重田の本を読んでみて、ルルーに第一発見者・使用者としての栄誉を与えてはいかんのかなあ? という思いはぬぐえない。
 だってさ、マルクスの使った「資本主義的生産様式」の原文=the capitalist mode of productionってさっきも書いたけど、「資本家の生産のやり方」とか「生産の資本家的方式」とかって訳したくなるじゃん。だとしたら、ルルーの使い方にちょっと似てない?
 まあ、ルルーの著作そのものにあたっていないので、単なる印象に過ぎないんだけどさ。


 そして、本稿の最初の疑問にもどれば、不破哲三はこうした事情を知りながらなぜ「マルクス命名」と何の留保もなくくり返し述べているのか、ということだ。
 「マルクス命名」と断言するには、迂回路が多すぎるのである。
 「不破っておバカさんだなー。最初に使ったのはマルクスじゃないでしょ? 無知すぎて草」「マルクスは生前の公刊物の中で一度も『資本主義』って使っていないよ? そんなことも知らないの? アホ杉」という「反論」がありうるから、「いえいえ、それはですね……」という再反論が必要になるはずだ。その手続きをいちいち書くのは面倒くせえにちがいない。だからせめて重田を参照文献であげればいいのに。何でそれをしないのか。重田を参照することに躊躇があるんだろうか。


 謎である。*3

*1:最近では不破『『資本論』刊行150年に寄せて』、『マルクスと友達になろう』など。

*2:さらに厳密に言えば1846年のマルクスのアンネンコフあての手紙。

*3:不破の刊行物をていねいに全て当たれば、重田の本書への言及があるかもしれない。そこまではぼくは探求していない。