石塚真一『BLUE GIANT』7巻には日本のジャズ演奏場所として最高位とされる店「So Blue(ソーブルー)」の事業部の人間、平(たいら)が出てくる。
『BLUE GIANT』は高校からサックスをはじめた宮本大が主人公で、現在東京に出て、ジャズのサックス奏者になることをめざしている。7巻ではやはりジャズピアニストをめざしている沢辺雪祈、宮本の高校時代の同級生でドラム初心者の玉田とともに「ジャス」という名前のバンドを組んでいるが、このバンドで「So Blue」の舞台に立とうという野心を燃やした沢辺が、人を介して平に演奏を聴きにくるよう懇願する。
演奏後にショットバーで待っていた平が、感触を確かめにきた沢辺を完膚なきまでに叩きのめす――言葉で――シーンが心から恐ろしく、そしてクールであった。
「平のようになりたい!」という感情がわいてきた。叩く側になりたいって……お前、アホかと言われそうだが。ふつうは、ビルドゥングス・ロマンである本作の中心にいる沢辺の側に感情移入すべきところだ。
見た目から入るけど、まず平の髪型。服装。雰囲気。
これから厳しい知的断罪をくだすというのに相応しい容貌を兼ね備えている。やや禿げ上がったデコ、ジャケット、ジーンズ、口ひげ、無口な物言い。すでに57話のラストでドアをあけて薄暗いライブハウス内に入ってきた平を大写しにしたコマでもう射抜かれた。宮本流に言えば「カーッケ!」(なぜか「カッケー」ではない)。
※石塚真一『BLUE GIANT』7巻Kindle班、小学館、位置No.173/212
(ここからネタバレあり)
そして、沢辺にダメ出しをするシークエンス。
宮本と玉田の演奏について好感をよせるコメントをしつつ、沢辺のピアノ演奏に対して厳しい批判を浴びせる。
言葉として激しいというよりも、本当の意味でのソロをやれていないという核心中の核心を射抜くから厳しいのである。
黒のタートルネックと薄暗い店内をバックにして、手を開きながら平はこう言いだす。
全力で自分をさらけ出す、
それがソロだろ。
やがて手を大きく開きながら、何一つブレない目と口調で、どこからともなく光が差し込んでいるような配置にして(虚構的な演出である)、いわばはっきりと沢辺に「宣告」するのである。
内臓をひっくり返すくらい
自分をさらけ出すのがソロだろ。
君はソロができないのか?
そしてただちに、平は沢辺の「人間としてのダメさ」をストレートに沢辺本人にぶつける。
「いいオトナ」は普通こんなことはできない。
いや、言葉だけなら言うやつ、いっぱいいるよ。
だけどたいていは、怒りにまかせて言い散らすだけだ。
そうじゃなくて、相手の本質を刺すように、計画的に、的確にいう大人。
何かをメモしていて、沢辺が来たらそのメモを整理してしまう様子や、沢辺を一通り批判した後で1杯飲む様子、そして両手でテーブルを軽くたたいて終了を宣言して店を去っていく様子――そういうものの一つひとつにブレがない。これ以外に言うべき言葉はなく、ムダな言葉や足りない言葉は一つもないというような自信。そういう雰囲気がにじみ出ている。
啄木の
ダイナモの
重き唸りのここちよさよ
あはれこのごとく物を言はまし
のような、そういう気持ち。
沢辺は、有名なギター奏者に「ソーブルー」への仲介を頼むさいに、十代で「ソーブルー」に立つというあまりにも壮大な野心を聞かされそのギター奏者から「ナメた考えだろ」と非難されるが、沢辺はそれに反論する。
自分が高校時代に応援した野球部は、すべてのメンバーが甲子園に行くつもりで野球をしてきたが、実際は県大会で敗退した。チームメンバーの全員がそこで泣いたのは、誰一人として甲子園に行くことを「ナメていなかった」からだと、沢辺はそのギター奏者に語った。自分もその気持ちである、というわけだ。
そうやって実現した「ソーブルー」の人間との接触は、いわば、「県大会で敗退するレベルのチームが強豪校と対戦してコールドをくらった」ような結果だった。しかし沢辺は「ナメていなかった」ので、その結果を真正面から受けとめて、泣くしかなかったのである。沢辺はギター奏者に宣言した「ナメてません」という言葉の対価をきっちりと正価で支払わされたのだ。
沢辺が7巻のラストで「あの人、いい人だな……」と泣くのは、平の言葉を逃げずに受け止めたことを証明している。
それにしてもこうして書いてみると、沢辺に憧れるのではなく、「平のようになりたい」というぼくの欲望がいかにみっともないかわかるな。つまり「カッコよく説教するオトナになりたい」、的確にエラそうなことが言える立場になりたいってワケだから。
沢辺のようにボロボロにされるのは、体力がいるよ。40すぎたら「沢辺のようになりたい」と言えないところに、人間としての頽廃がある。