こやまゆかり・草壁エリザ『ホリデイラブ〜夫婦間恋愛』

 どこかで書いたと思うが、忘れたのでもう一度書く。
 不倫をするというのは畢竟スイッチの問題ではないか。
 スイッチというのは、「相手を性的に見るスイッチ」である。


 スイッチを入れてしまうことによって、初めは微弱なものだったのに、どんどん自分の中で大きくなっていってしまう。そういうものはどんなに隠そうとしてもきっと漏れるのである。漏れてしまったときに、相手に「きもっ」と思ってもらえれば不倫はおよそ成立しないが、相手もまたスイッチを入れてしまう場合がいよいよ不倫の始まりなのだ。
 当たり前であるが不倫は双方がスイッチを入れなければ成立しない。
 木村千歌が唱えたように「惹かれ合った二人は自然に始まる」というのは一種のイデオロギーであってそんなことはありえない。「(双方が)スイッチを入れる」という主体的行為が必ずどこかに存在するのである。


 不倫をめぐるマンガは、スイッチを入れるという主体的な行為が、一体どこで行われたかを厳しく見られることになる。


ホリデイラブ~夫婦間恋愛~(1) (KC KISS) こやまゆかり(原作)・草壁エリザ(マンガ)『ホリデイラブ〜夫婦間恋愛』1巻(講談社)は平凡で幸福な家庭が、夫の単身赴任をきっかけに始まった不倫によって崩壊する。
 不倫マンガの名作『スイート10』を描いたこやまゆかりが原作なだけあって、夫は決して「妻を裏切り、家庭を顧みない悪逆非道の男」とは描かれない。妻を愛し子どもを愛する「いいダンナさん」にしか見えないところから出発するのである。


 夫(純平)がいったん妻(杏寿/あず)に妻以外の女性(里奈/りな)と深夜に会っていたこと(そしてそれを相手方の夫に見つかったこと)を自白するものの、その後に相手方の夫からの電話で杏寿が不倫現場の“真実”を告げられたときの食い違いぶりがすごい。


 初めに純平が告げた状況は、深夜に家に言って相談に乗っただけで、誓って肉体関係や恋愛っぽいことはなかった、というものだった。職場の同僚の悩み相談に乗っているうちに誤解されてしまった、というものだった。
 しかし、相手方の夫が杏寿に告げた電話は、それを覆す。


おたくのご主人とうちの里奈は
二人ともリビングでセックスの真っ最中でした
ゴミ箱には使用済みのコンドームが捨ててありました


 この「ゴミ箱には使用済みのコンドームが捨ててありました」の破壊力……。
 読者はこの電話のシーンまで純平と里奈の間に何があったのか知らされていないので、衝撃を受ける。そして、職場の同僚には違いないが、どうも出会い系サイトで知り合って職場を同じにすることまで仕組まれていたことが「暴露」されるのである。
 不倫にいたる状況が先に描かれていないので、読者は杏寿と同じような「真実をつげられ、それまでの言説がひっくり返される打撃」を与えられるのである。この時点で純平という男の評価は、読者的にも地に墜ちるであろう。サイテーの男。


 しかし、そこはさすが、こやまゆかり……というべきなのか、草壁エリザというべきなのかわからないが、今度は事態をもう一度夫である純平の視点から再構成してみせる。そして、そこに一定の説得力――不倫に引きずり込まれてしまったのもむべなるかな、という「必然」の描写があるから、恐ろしいではないか。


 この説得力は、渦中の夫にとってのリアリズムであり、不倫に引きずり込む力である。ただの「うきうきした気持ち」から、どのように不倫にいたる道が敷かれているのか、そこを読んでほしい。


 不倫に比べれば、「うきうき感」を持つことには相当なハードルの低さがある。逆にいえば、実際にセックスをしてしまう、不倫そのものにふみこむまでには、現実には高いハードルがある。
 伊藤理佐の『おいピータン!!』で八百屋にカッコイイにいちゃんがいて、彼に会うことで「うきうき」してしまう女性たちの姿が描かれていた。
 最近読んだのでいえば、入江喜和『たそがれたかこ』で主人公の40代女性がラジオのパーソナリティ(20代の男性歌手)に一方的な「うきうき感」を持ってしまう姿が描かれている。
 恋愛ではないが、その萌芽であり、実は性的なスイッチが入っているのだが、本人にはそれという自覚が薄い。ラジオでしゃべっている人とか、八百屋のにいちゃんとか、そういう場合にスイッチを入れてどんどんふくらんでいっても、管理がしやすい。しかし、同じクラスとか、職場とか、ご近所とか、そういう場合は危険すぎるだろ。「ご近所」ということでいえば、野村宗弘『うきわ』なんかそうだけど、濃密な人間関係がある場所でこういうスイッチを入れるというのは、ガソリンが撒いてある場所でタバコを吸うようなもんである。


 純平サイドからの再話の「説得力」は自分で読んでもらいたいので詳しくは紹介しないが、そのような純平側からの説明においても、純平がスイッチを入れてしまう瞬間というものが明瞭に描かれている。純平は「うきうき感」から進入しながらも、不倫へと踏み出す主体的な行為をし続けているのである。



 このマンガはタイトルが『ホリデイラブ〜夫婦間恋愛』となっているので、おそらくこのような不倫を扱って終わりのマンガではあるまい。何か夫婦の修復がテーマになっていくのだろう。不倫はその前提にすぎないのではないか。そうであるにしてもその前提を描くのを蔑ろにせずに、このように心胆を寒からしめるほどに全力で描いたことに驚く。今後に期待している。