西餅『ハルロック』


ハルロック(1) 電子工作という分野はそれ自体に興味もなければ、ましてや実際に手出しをすることもない、「自分とは関係のないもの」ズバリそれである。電子工作をする女子大生・ハルが主人公の『ハルロック』の中で展開される、ある装置をつくるために必要な電子工作の膨大な解説には、ぼくはまったく心を動かされない。
 動かされないにもかかわらず、なぜぼくはこの作品をこよなく愛しているのか。


 うん、そこはわかんないんだよ。作者がびっしりな文字で描きこんだそこはほとんど興味がわかない。
 だけど、「ゴキブリを発見したらそれを通報してくれる」とか「ひとりぼっちであるとツイートするとその『ぼっち』さを地図上に可視化してくれる」とかいった、くだらないにも程がある……とは言い切れないニッチな切実さをまずつかみ出し、そしてそれらを実現する技術を、一つひとつ機械そのものとは別のロジックに替えて示してくれているのが、とてもいいのだ。


ハルロック(2) たとえば2巻に出てくる「ひったくり防止バッグ」。
 ハルは幼なじみである六佑(ろくすけ/六)といっしょにこのバッグを考えるシーンがあるが、まず六は、たいていの人が考える「ひったくられた瞬間に大音量のブザーが鳴る」という機能はどうかと提案する。しかしハルは犯人逮捕までつながる機能をつくりたいと述べる。バッグにしかけをするのだ。
 たとえば犯人がバッグをあけた瞬間爆発するとか。
 ああ、これ、ぼくも考えたことある。ぼくの場合「軽く爆発」じゃなくて、大爆発して犯人がくたばればいいとか思ったけど。(※そちらの方が重大な犯罪です。)
 遠隔操作は技術制約があるのでは?
 では、ブザーを犯人を引きちぎることでトラップになるとしたら?
 そして、バッグをあけたときに、犯人が特徴づけられるような仕掛けをしたら?…


 その結果、ブザーがひきちぎられるとツイッターで犯罪が拡散され、そしてバッグをあけると「唐辛子入りの小麦粉まみれ」になるように小爆発がおこり、しかも異常な臭気が犯人に付着するというしかけが生まれる。
 これにGPSで犯人の近くにいる人に、「全体的に白くて、目が赤くて、臭い」という異様きわまる犯人追加情報がツイートされる……。
 そして見事に捕まるのである。


ハルロック(4)<完> (モーニング KC) ここがとてもロジカルである。
 そしてこの理屈の流れは、決して電子工作マニアだけにしかわからないものではなくてきわめて開かれている。ここが面白いと思った。


 作者の西餅自身は電子工作をしないという。インタビューにこう答えている。

IT系のエンジニアである夫に、メカに詳しいという同僚を紹介してもらって会いに行きました。その方のキャラクターがすごかったのもあるのですが、1度話を聞いただけで、もうすごく面白くて。文系の自分でも面白いと感じたので、後はそれをうまく伝えられればと考えました。今は、その方がこのマンガのブレーンになって、いつもネタの相談をしている状態です。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140725/367164/?P=2

私は面白発明が好きで、いろんなアイデアが出てきます。私がアイデアを考えて、まずは夫に話をして、実際に実現できそうなものに絞ります。その後ブレーンに相談して、実際にどのボードでどんな風に作れるかを教えてもらい、作品に反映しています。

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20140725/367164/?P=2


 この「自分はしないけど、他人から聞いた面白いことを人に伝えたい」「面白発明が好き」というのは、本作の面白さの核心にあるものだ。たぶん、電子工作マニア本人が描いたのであればこのわかりやすさは生まれなかったはずである。


 前にぼくも書いたと思うけど、たとえば薬局で薬の効能の説明を聞く時に、エチゾラムという薬の働きのメカニズムを「ベンゾジアゼピン受容体を活性化させ、Cl−を流入させる」といっても全然わからない。逆に「不安をおさえる薬です」では丸めすぎている。「脳が働きすぎることで不安を感じるので、脳の働きを抑えるために、ベンゾジアゼピン受容体という部分を元気にして、脳の働きをおさえる物質が流れ込むようにする薬です」というとぼくにとってわかりやすくなる。


ハルロック(3) もちろん西のギャグは冴えている。
 たとえばハルの大学の友人の小松が、太りすぎて一瞬見過ごしてしまうのを、モブ的に画面の一部に小松を描いてハルともう一人の友人がそれをスルーして小松を最近見なくて心配だと会話するコマを入れ、その次に、バックを暗転させて二人が「今何か通った…?」的にフリーズするコマを連続させて描いている。
 この最初のコマの小松の登場のさせ方が、絶妙である。後ろ向きで学食のチケット自販機に歩み寄っている小松が小さすぎず大きすぎず、読者が気づくようで気づかないさりげない大きさにされているのがたまらなく可笑しい。
 ギャグは冴えている。冴えてけども、しっかりした核があるから、より生きてくる。


 そして、本作について、やはりハルという主人公の、美少女としての魅力にふれているレビューも多い。
 それは少年マンガ的な添え物美少女ではもちろんないし、少年マンガ的女性キャラクターの変種である『ナッちゃん』のような「元気で前向き美少女」でもない。フリーク的に一途で、空気が読めない、他人(母親)にコーディネートされて小ぎれいな美少女なのだ。マッドである。

 このような美少女は、ぼくのようなオタクの理想の一つである。
 コミュニケーション力が高く、男性を序列づける(と思われている)現実の美少女ではないし、電子工作という回路さえ制すればお近づきになれることはハッキリしている。マッドな感じは、逆に御しやすそうなのである。


 さて、本作の3巻の終りから4巻にかけて、物語のトーンがかわる。
 ハルが仲間たちと起業を始めるからである。
 つまりシロウトの電子工作ギャグというスタンスを離れるのである。


 サイト「ひとりで勝手にマンガ夜話」の白拍子泰彦は、この転換について「私の嗜好」と断りつつ、

簡潔にいえば、「ハルロック」というコメディともちょっとしたギャグとも言える電子工作を趣味にした主人公のマンガが、なにやら物語のありがちな流れに抗えず簡単に乗ってしまった点、つまり、キャラクターとして成長してしまったことが残念であり、寂しささえ感じるのである。

http://www.h2.dion.ne.jp/~hkm_yawa/kansou/harurock.html


と述べている。「業界マンガに変貌してしまった」という言い方もしている。

 そして、ぼくの場合もそれこそぼくの勝手な「嗜好」によるものだろうが、この転換を歓迎した。
 先ほどものべたように、ぼくはこのマンガの核心には技術をわかりやすく伝える、つまりニーズは何であり、それを解決するにはどうしたらいいか、技術制約は何かといった開かれたロジックにおきかえて提示してみせていることにあると感じたので、4巻でビジネスとしてこれをやるにあたってハルたちが四苦八苦しているのを見るのはこの作品にとって本質的なものであり、楽しかったのである。ギャグやキャラクターはあくまでその周辺的なものであった。

 しかも、4巻で描かれたスタートアップのさいに利用できる共同施設とか、エネルギーハーベストとか、自治体施策として撤去自転車を街頭においてダイエット+人力発電に利用するとかいったいう話がこれまた個人的にグッときてしまった。
 いやもうそれはホントに個人的な事情なんだけど、再生可能エネルギーとか自治体施策といったときに、都市部でできることは何かについてずっと考えているからだし、福岡市の高島市政が「起業だ」「スタートアップだ」と喧伝していることについて、左翼的な対案をもって対峙してみたいという思いもあったし、何より起業ということにぼく自身が関心があるからだ。


 あれ……? やっぱり個人的な嗜好にすぎないのかな。