「『漫画家になりたい』という子どもを待ち受けているもの」


季刊人間と教育 86 特集:こころを支配する国家 季刊「人間と教育」(民主教育研究所編集)で「マンガばっかり読んでちゃいけません!」という連載をしているが、86号(2015夏)で「『漫画家になりたい』という子どもを待ち受けているもの」という記事を書いた。


 うちの娘(小2)はマンガばかり毎日描いている。
 帰宅後は友だちとも遊ばない。宿題もしようとせず、ぼくが職場からもってきた、不要なA4の上質紙の裏にひたすらマンガを描く。ものすごい「量産作家」である。絵をていねいに描くことにはあまり関心がなくて、物語を絵にしたいという願望が強いようだ。
 いろんなものを描くけども、圧倒的には『ドラえもん』の二次創作。
 絵の水準はアレなんだが、「後ろ姿」とか「投げ飛ばされた」とか、いろんな構図に果敢に挑戦する姿勢はすごいと思っている。ぼくなんか横山光輝ファンだったのでバストアップの5パターンくらいの絵があれば、だいたい事足りたもんだが。


 さて、そんな娘が「漫画家になりたい」と言ったらどうするか。どうするか、って本人が決めるんだから親はどうしようもないだろ、と思うわけだが、そこはホレ、やっぱり不安になるわな。
 いや、すでに保育園のときにそういう願望を述べていた。


私の血はインクでできているのよ (ワイドKC Kiss) 久世番子のコミックエッセイ『私の血はインクでできているのよ』には、「漫画家になりたい」と子どもが言ったときの親の反応が、10歳以前と20歳以後では天地の差があることがネタにされてる。
 ぼくの記事もこの久世の話を導入にして書いた。


 子どもたち、とくに女子は漫画家になりたいようである。下記の記事では小学校卒業段階で女子の人気ベスト5に「漫画家・イラストレーター」が入っている。

将来就きたい職業に「研究者」 子どもの人気集める - 47NEWS(よんななニュース) 将来就きたい職業に「研究者」 子どもの人気集める - 47NEWS(よんななニュース)


 そこから第4次産業革命の話、リストラや不要となる職業、森永卓郎の「1億総アーティスト」論などを紹介した。
 さらに、どれくらいが「プロ」として成功するのか、また、「食えるプロ」になる以前にどういう水準の生活が待ち受けるのか、などを数字で考えてみた。


 うーん、どうも厳しいなあというのが結論。
 漫画家を「気楽な」職業とするには、社会改革による「労働と所得の分離」、つまり自由時間で描けるような条件づくりしかないのかなあ、というオチにしている。共産主義的改革である!


 ま、そこはアレなので、思考の実験のように読んでほしいのだが、そういう社会改革が実現するまでの間の「漫画家の食い扶持を広げる話」として、竹宮恵子が提唱している「機能マンガ」についてもとりあげた。


 要は「実用マンガ」「解説マンガ」のことである。


ナナのリテラシー1 これは鈴木みそ『ナナのリテラシー』1巻で漫画家の未来について作中人物の怪しげなコンサルタントが論じている次のセリフがわかりやすいかもしれない。

今まで仕事だと思ってなかった所に 商売のたねがあるもんです
全国津々浦々に届く本ではなく 
一部の人に濃い情報を届ける方向にシフトしていく
まとめると
業界専門紙をマンガで作る
国や県の補助金を使って雑誌を刊行する
老後を扱ったマンガを真剣に作る
企業相手の小部数の本をたくさん出す
案外いけそうなのは
大学を退官間近の先生の自伝本
これをマンガで描き下ろす
チラシや看板を描いてほしい
数パターン作ってひな形を用意すれば
マンガ家ならだれでも作れるはず
本を書きたい人は多くて単価が高い
そういう細かい仕事を出版社は受けなかった
マンガ家というイラストレーターを抱えているんだから
そこを積極的に売り込んでいく
教育関係に出て行って
参考書や副読本を出すのもいい
ゆるキャラ お祭りチラシ 企業ロゴ
広告代理店のように広げていって
仕事の少なくなったマンガ家に振っていく
(同書p.126-128)

竹と樹のマンガ文化論 (小学館新書) 竹宮は2010年のころには「機能マンガ」という概念について「実用マンガとは一線を画する」*1とのべているが、2014年の内田樹との共著では「新しい概念ではなく、昔からある『実用マンガ』のことです」(『竹と樹のマンガ文化論』)としている。
 2010年のころの論立てでは、「〔機能マンガは〕そこにクライアントの意思を強く盛り込む実用マンガとは違い、いかにニュートラルに情報を整理・伝達するかを重要視する」*2と述べていたが、その後、こうした規定に無理があると考えたのだろう。


 この機能マンガは、いいように見えて、あっという間に市場が飽和してしまう気もする。たとえば、学習マンガというのは、書店の児童書を見に行くとわかるがとてつもない勢いですでに広がっている。
http://www.shogakukan.co.jp/books/series/B50001


 だから、もうあんまりのびしろはないんじゃないか、という危惧にもとらわれる。
 しかし、まだもっといけるのではないか、とも思う。
 これらの1冊を任意にとって読んでみた時、「マンガにしてほしいツボ」とは少しズレていると感じるのだ。
ちびまる子ちゃんの四字熟語教室 (満点ゲットシリーズ) たとえば、『ドラえもんの国語おもしろ攻略 百人一首で楽しもう』。百人一首の情景のマンガ化にはあまり力が割かれず、単にドラえもんのキャラクターを使ったギャグだけが展開されていて、「これはマンガにする意味がない…」と思わざるをえない。他方で『ちびまる子ちゃんの四字熟語教室』は4コマと四字熟語が印象的にセットされている。マンガとしても水準が高い。



 ぼくが切実に今マンガにしてほしいのはたとえば次のようなことである。

(x+y+4)(x+y+7)=(x+y)^2 +(4+7)(x+y)+(4\times7)

 これは中学で習う乗法公式、

(x+a)(x+b)=x^2+(a+b)x+ab

の応用であるが、この(x+y)を一括りの文字として扱う、ということをマンガにしてほしい…。
 

やさしくまるごと中学理科: DVDつき 下記は池末翔太・高山わたる『やさしくまるごと理科』(学研)で飽和水蒸気量について扱っているイラスト(p.138)であるが、

これをもうちょっと物語にして、わかりやすく印象づけてほしいのである。

 つまり学習マンガにおける「理解」というのはもっともっと進化する可能性がある。そこにもマーケットがあるんじゃないかということだ。