『逃げるは恥だが役に立つ』11巻

 『逃げる恥だが役に立つ』を新春のドラマでやっていて、観るともなしに観てしまった。

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 当然原作マンガとドラマは違うわけであるが、原作で第二部的に始まった10巻と11巻においては、ドラマでは省かれてしまった雨山のエピソードがぼくのお気に入りである。

 

 

雨山からの恋愛相談

 雨山は、平匡が妻帯者とも知らずに好きになってしまい、そのことを胸に秘めたまま、あるきっかけでその事実を知り、勝手に失恋する平匡の同僚女性である。

 平匡は鈍感なのでそのことに全く気付かないのであるが、みくりが分娩室に運ばれてから“平匡が職場同僚に恋愛相談を受けている”という事実を平匡自身から聞き及び、“それはどうもおかしいのではないか”といぶかるのである。

 それで陣痛の間隔が短くなるまでの間、何とみくりが平匡に成り代わって、スマホで雨山の「恋愛相談」に乗ってしまい、そうとは知らない雨山から感謝までされてしまうのである。

 みくりが不審を起こしている表情がぼくはとても好きなのだが、一体なぜこの一連の表情が好きなのか、自分でもよくわからなかった

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海野つなみ逃げるは恥だが役に立つ』11巻、講談社、p.146

 

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同前p.149

 たぶん、とても決然としているからであろう。

 「夫が浮気をしているかもしれないことを疑う女性」として、世の中でしばしば描かれる際の弱さや暗さがまるでない。パートナーのスマホを取り上げてタイムラインを見た挙句、失礼なコメントまでするというのは、明らかに「やりすぎ」感があるが、それもふくめて、このみくりにものすごく魅力を感じる。上がり気味の眉といい、理路整然とした明瞭な推理といい、ここには知性的な強さがあるのだ。

 こういう平匡への質問などは、何というか、平匡を追い込もうとか、詰問しようとかというのではなく、純然たる知的好奇心というか、今この状況の理性的な最適解を出そうという態度がよく表情に出ている。この表情もすごく好き。

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同前p.148

大沼田会

 ドラマでは「大沼田会」もかなり省略されてしまったのだが、原作で展開される「コミュニケーション道場」である同会(飲み会)では、集まったメンバーがお互いについての本音を自由に言い合う(人格攻撃は罰金)。

 灰原課長は、体育会系もしくはスクールカースト上位のノリを持つ男性であり、ここでも「男同士はいじって笑いをとるコミュニケーション」をしたことを、夫婦に持ち込んでやったために離婚を切り出された経験を持つ。そのために、「女性はサゲずに褒める」ように行動を変えたのだという。

 しかし、それは雨山から「居心地が悪い」と批判される。雨山がどう具体的に批判したかは作品を読んで欲しいのだが、実はぼく自身としては、灰原的な「いじり」をやってしまいがちなのである。

 娘とか、同僚とかをそうしてしまう傾向がある。

 ホモソーシャル的なメンタリティがぼくの中に蟠踞しているのである。

 灰原は平匡の1ヶ月育休を批判したマッチョなタイプなので、8ヶ月も取得した自分とは一見最も縁遠いように思ってしまうのだが、「内なる灰原」がいそうで自分的には大変恐ろしいシーンなのである。