文書にして出すということ


 娘が保育園を卒園した。


 0歳児から6年間預けた。子どもは一人しかいないので、おそらくこれで保育園とはおさらばだろう。


 保護者会の会長を最後の1年間つとめた。
 園の存続が大問題になり、ぼくとしてはこれに明け暮れた1年だった。いったい保育園が消えてなくなるかもしれない、という事態なのに、「保育の向上」を組織目的にかかげる保護者会が何もしなくてどうする、というのがぼくの思いだった。
 今はまだ詳しく書けないが、かなりのことができたと思う。しかもそれはぼくにしかできないことでもあった。支えてくれる人がたくさんいて、心底うれしかった。
 組織体としてもPTA的形骸化が進みつつあった中で、久しぶりに自主的な運動の息吹をとりもどしたと感じた。


 この運動の中で感じたことは、「文書にして意思を示す」ということの大事さだった。特に、お役所との関係では、決定的である。


 地域(地元の町内会のようなもの)に要請というか、かけあいに言ったとき、対応が冷たいところがあった。「だってあんたがたは、これまで保育園を残してほしいとか、そんなことは一度も言ってこんかったじゃないか」と言われたときには愕然としたが、やっぱりなというふうにも思った。


 保育園がなくなるということで、不安に思っていた父母は、行政がやるアンケートやそれこそ町内会のやるアンケートの類にもぽつぽつは書いていた。もちろん、保育園の中でも「どうなるの?」みたいな不安はささやかれていた。
 だけど、それは「ない」ことになっていた。
 行政も同じである。
 この保育園の保護者が、総意としてどう思っているのか、一度も表明したことはないのである。


 運動をいっしょにやってきた保護者はこのセリフに本当に歯ぎしりをした。こんなに強く「この園を残して」と思っているのに、どこにもそれは届いておらず「ない」ことにされていたからである。


 だから、まず保護者会で臨時に総会を開いた。
 そういう運動をやるぜ、というふうには、定期総会で報告した、つまりしゃべっていたので、それでもういいだろとは思っていたのだが、他のベテラン役員たちから「いや、紙屋さん、もう一度総会を開いてよく確認した方がいいですよ」とたしなめられた。「臨時総会」など、ぼくが入って6年間、一度も開かれたこともないし、聞いたこともなかった。面倒くさい、というのがホンネだった。しかし今思えば、面倒くさがらずにこのプロセスをやって本当によかったと思う。
 総意であることが特別に、しかも明確に確認できた。
 そして、それは参加者の強い自覚にもなった。
 「一部の人がやっている」という逆宣伝の口実を奪った。


 行政はもちろん、関係機関、地元など、働きかけたが、すべて文書でおこなった。総意という後ろ盾をきちんと作って、それを文書にする。これ最強。埼京線埼京線弱冷房車


 その結果、行政の文書には、保護者会がこうした意思を示していることは明確に記載されるようになった。端的には議会での答弁。○○保育園の保護者会からそういう要請が出ております、といって、びっくりするくらいクリアに出てくるようになった。


 要請の文書にする。
 文書は明確な形になって残る。
 サヨク議員から教えられたことでもある。


「自分たちの言いたいことは、とにかく文書にしないとダメですよ。口頭でのやりとりは、残りにくいんです。お役所側から言われたことを確認するときも文書がいいですよ。向こうに文書を出させるんです。だって口頭だと絶対ニュアンスの差がありますから。こっちは都合のいい解釈をしてしまうけど、むこうもそうするわけです。『言った・言わない』っていう論争になりますもん」

「要請への回答とか、役所が交渉のときとかに言うこともできるだけ文書にしてもらう。文書にすると、お役所のなかで決裁されます。上の方がきちんと検討してくれるものになるんですね。お役所から出す文書はぜんぶ決裁が要ります。どんなちょっとしたメモでも。日数はちょっとかかるけど、住民をはぐらかすために担当者がその場でいい加減なことをしゃべる、という行為ができなくなるんです」


 この議員、たしかにすぐ「それ、文書にして持ってきてくれませんか」と言うのが口癖。役所の担当者が「いやあセンセイ、それ、できませんから」とあれこれ理由をつけるんだけど、それに対して必ずそう言うのである。


 お役所側に悪意がない場合。つまり現場担当者が、相談してきている住民側に同情している場合でも、文書はあった方が断然よい、とそのベテラン・サヨク議員は言う。


「現場が上に意見をあげるとき、住民からこんなことを言ってきています、というのは、口頭での相談を再解釈するのはとてもやりづらい。文書があればイッパツ。そしてインパクトがある。要請がわかりやすい、具象的な形になっていますから」


 サヨ的プロ市民として役に立った、ぼくの唯一の能力だったかもしれない。
 町内会の仕事で、行政宛の文書が書けずに、頭から煙を出して何週間もフリーズしてしまっていた人を見た。
 今回もそういう親御さんによく出会った。
 他の保護者から、半ば呆れた感じで「紙屋さん、よくもこういう文書がスラスラ出てきますね」と言われたとき、ごく特殊な能力だろうなと自嘲せざるをえなかった。


 ちなみに、存続運動はこれからも続く。予断は許されない。
 しかし今では保護者が存続の意思を表明していることを否定する関係者はいない。
 行政・関係機関・地元。当事者のすべてが公式答弁では、存続を願っていることになっている。
 運動はそこまで進むことができた。