久住昌之・水沢悦子『花のズボラ飯』


 ぼくもつれあいもジャンクフードが大好きな人間だ。ポテトチップスとか喜んで食べる。娘さえ生まれていなければ、そういう「食事」が食卓を満たしていたであろうことは想像に難くない。娘が独立して、ぼくら夫婦だけに戻ったら食生活がはなはだ心配だ。

花のズボラ飯 さて、今回紹介する『花のズボラ飯』は、夫が単身赴任をしているパート主婦・花のズボラな飯の記録である。
 ただ、ズボラな飯、すなわち「ズボラ飯」は、いわゆる「ジャンクフード」とは区別されたものだ
 スーパーで売っている食材、というか、通常の家庭では冷蔵庫や台所の棚の奧に転がっていそうな安っぽい加工食品と、むちゃくちゃありふれた食材(ニンジンとかタマネギレベルのありふれた感覚)のみを使うという点において、「ズボラ」なのだが、その食材をどう使うかについては、おそろしく創意工夫に満ちている。


ありふれた安っぽい加工食品を使う

 たとえば冒頭。夫が不在で、くそ汚い部屋に下着姿で寝転がる花。食事の時間だというのに炊いてあるご飯がないことに気づき、呆然。しかし、鮭フレークがあることを思い出す。
 最初は鮭フレーク+マヨネーズで食パンをトーストする。これだけ。

ジャーン!! 創作料理「シャケトー」!!

などと独り言ちながら、

んぅ……!!
うんまァ!!


 「ざぐっ」「はぐっ」などと音を立てつつ、恍惚の表情で頬張る。
 次に、食パンに「ピザの素」をぬり、千切りにしたキャベツととろけるチーズ、そして「これは鮭ではない!! これは……アンチョビである!!」と「念」をかけつつ鮭フレーク、パルメザンチーズで再びオーブン。「ピザトーストのシャンチョビ味」などと称して美味そうに食べるのだ。

 ぼくは非効率といわれようとも、ほぼ毎日、娘を保育園から迎えにいった帰りにスーパーに寄って買い物をするのだが、肉、野菜、卵など買うものはあまり変化がない。しかし、そのとき、チラリと棚を見ておもうことがある。
 それは、加工食品の豊かさである。
 「こんなものまであるんだ」という「創意工夫」に満ちたレベルのものから、それを使う人にとっては定番の、しかし使わない人にはあまりなじみのないレベルのものまである。
 前者はたとえば上記に出てくる「ピザの素」。いわゆる「ピザソース」であるが、ぼくはこの作品を読むまで存在すら知らなかった。あと「かおりよき あおのり」とか定番らしいのだが、まったく知らないぞ。
 後者はたとえば上記に出てくる「鮭フレーク」。存在は知っているし買ったこともあるけど、ほとんど使わないのである。
 スーパーの缶詰類とかは、よく見るとかなり豊富なものがあって、「あれを利用したらけっこうぜいたくな食卓がつくれないか?」とかいつも思うのだが、結局素通りしてしまう。ふりかけとかだって、ぼくらが子どもの頃は思いもよらないようなたくさんの種類があるというのに、「ふりかけで味をごまかさないように」という保育園の指導に沿おうとするので、ふりかけを買うことはまずない(そもそも実家の親が素朴なふりかけを送ってくるのだ)。

 花の「ズボラ飯」においてフル稼働するのは、「通常の家庭では冷蔵庫や台所の棚の奧に転がっていそうな安っぽい加工食品」である。その特性を熟知し、おどろくべき「創作料理」を生み出す花の料理感性は、「ズボラ」の前とは裏腹に、相当な水準にある。

 「サッポロ一番塩ラーメン」を語る花を見よ。

このスープ…
絶対隠し味にカレー粉が入ってる
それがハナコをトリコにして離さないのです

サポイチの塩は
ゴマの量を
ケチってないのがエライ!!

この語りが「世界の料理ショー」を思い出させる!

 しかし、ただの料理ウンチクマンガであれば、ぼくは興味はない。
 この作品を彩っている要素は数々あるのだが、最も核となっているものは、花が独り言として語るそのノリのいい「しゃべり」なのだ。
 たとえば、チャーハンを作っていくうちに、次第に「スポーツの実況中継のようになっていく」シーンがある。

あ〜っと失敗!!
ごはんがうまく返りません!!
ちょっとこぼれましたが大丈夫でしょうか……
いや 大丈夫です
あとで拾って食べます!!


失敗しても笑顔で演技を続ける花選手!!
ケナゲですねぇ!!
今日はご主人もテレビで観戦してるということで
頑張ってるんでしょう!!


「卵をごはんに混ぜておくと誰でも
パラパラのチャーハンが出来るのだ」と
中華料理やでバイト経験のあるご主人に
教えてもらったそうです
愛ですねぇ!! 愛!!


お 花選手 ここで隠し技か!?
そばつゆをちょっぴりフライパンの端に落としたァ!!
いい匂いが報道席まで届いてきました!!
すかさず塩コショウ!!
場内騒然です!!

世界の料理ショー DVD-BOX このノリ……どこかで見たことがある。
 そうだ。世界の料理ショー」である
 「世界の料理ショー」とは、料理研究家グラハム・カーがしゃべりをしながら料理をつくっていくカナダの料理番組で、日本でも70年代くらいに放送されていた。ぼくのいた中部地方では三重テレビで夕方から観ることができた。黒沢良が吹替えの声優をやっていたという。
 観客のいるスタジオで料理をするのだが、アメリカの喜劇ドラマっぽく、笑い声が強調されてところどころに入っている。
 まあよくわからない人は、YouTubeにアップされている、違法なんだかどうなんだかわからない動画を観ろとはいわないが。


 「世界の料理ショー」の「しゃべり」はこんな具合だ。

200ccのボウルに入れましてですね。
このようにかき混ぜんの。
ふぁ〜……眠い眠い(笑)
「今日は絶対にヘマしちゃだめよ!」って
女房にムチで殴られながら徹夜で練習してた……(笑)
それなのに…
かあちゃんがよなべ〜をして
♪とおちゃんをぶってた〜(笑)


女房にはディスコパーティで会ったんだけども
ぼかぁ 一目で彼女に……ベタ惚れ!!(笑)
〔いきなり調理台を離れてひざまずくポーズ〕
「お願いケッコンして!」(笑)
これだからいつまでたっても頭があがりゃしねえ。
女房の言う通りだからね。
お袋にゃあ いつもお玉で頭を殴られるの。
「お前の父さんにそっくりだよ!」(笑)

 「世界の料理ショー」では、広川太一郎みたいな、しょうもないオヤジ駄洒落も入る。

いいオレンジでしょう?
「だれんちの?」「おれんちの」なんて!(笑)


 こういう駄洒落を、『スボラ飯』の花もしゃべる。

げっ
ごはんが無いチンゲール!!
冷蔵庫には……
無いチンゲール、too!!

 「too」って何だよ。

うっま〜っ
このうまさには
大森貝塚やむを得ず!!

 こんな具合である。

極道めし 1 (アクションコミックス) 料理のマンガ表現というのは、一方の極に、『美味しんぼ』のような「ウンチク」が控えている。他方に、土山しげるのように、「食べっぷり」を描くマンガというものがある。

 本作は、両方の要素をもっているが、前者の要素を徹底的に解体する。そのためには「世界の料理ショー」のようなトークが必要とされる。「ウンチク」を話芸と花のキャラクターに変えてしまい、それとわからぬように読者に提供している。


性欲と食欲を重ねて

 本作は十分に「食べっぷり」もいい。食感や味についてのマンガ表現も秀逸だ。
 そもそも「夫の単身赴任で残された若妻」という設定が、「ズボラ」さを出すための演出とだけは思いがたく、どこかに性的なニュアンスを残している。そしてふくよかで豊満な姿態は官能的ですらある。つまり全体的に花には「欲望的」な雰囲気がただよっている。
 その雰囲気は、そのまま食欲に伝染しているのだ。


 有名喫茶店*1のバナナチョコレートケーキを食べる様を3ページにわたって描いているが、図*2のとおり、食欲を満たす表現がそのまま性的ニュアンスに満ちている。

 「食べものの味と性交感覚の形容は誰が書いてもおなじになるのが残念ながらことわり」だ、と『美味しんぼ』の表現を酷評した関川夏央の言葉をのりこえて、『花のズボラ飯』は味覚を表現する。

 アマゾンのカスタマーズレビューをみると、この作品を低評価にしている人が少しいる。その人たちのレビューは、花が汚いとかズボラすぎるとかいう非難をしているんだが、「ズボラ飯」っていうタイトルなんだからさあ……。

*1:現在閉店。

*2:本作、秋田書店、p.73