梅本ゆうこ『マンガ食堂』


マンガ食堂 マンガに出てきた食事を再現する有名なブログ「マンガ食堂」が、書籍化されたもの。
http://umanga.blog8.fc2.com/


 ぼくが自分の胸に手をあてて、心の声に耳をすましたとき、「食べたい…」と思えるマンガ料理、というかまず思い浮かべるマンガ料理は、なんといっても料理人修業物語牛次郎ビッグ錠包丁人味平』のカレーである。
 兄が「少年ジャンプ」を雑誌でときどき買ってきていたのが家の納屋に捨ててあり、ホコリまみれの古雑誌をくり返し読んだものである。当時『味平』が連載中で、しかもこのカレー対決と、ラーメン対決が古雑誌として我が家に残っていて夢中になって読んだものである。
 いまでもうまいラーメンを食べると、ビシッと割り箸を置きたくなる心のクセは、あきらかに『味平』の痕跡だ。


 梅本の本書にこの『味平』のメニューが入ってなければ、このような本はホンモノではない……などと無意味な基準をたてて本を開いたら、あった。ありましたよ。しかも2品も!
 「味平カレー」と「ブラックカレー」。


 2つのデパートが客を寄せるためにカレー戦争を勃発させるのが発端だ。
 そういうビジネスっぽい雰囲気が「ジャンプ」の他のマンガにはないオトナな感じであったうえに、梅本の本書で「料理漫画の元祖」と解説されるほどに味や素材についてのウンチクがなんとも「科学的」な印象をぼくに与えたのである。


 しかし、マンガ書評ブログ「BLACK徒然草」にかかれば、牛次郎ビッグ錠コンビの料理マンガは、

ビッグ錠先生が描く料理マンガといえば、牛次郎先生とのコンビで描く料理マンガ「包丁人味平」「一本包丁万太郎」という、読んだ人の誰もが確実にお口アングリになるグルメマンガ

http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50337345.html

などと、完全にイロモノ扱いされている……というのが、その後のグルメマンガの隆盛のなかでの牛次郎ビッグ錠コンビのポジションである。とほほ。
 たしかに「BLACK徒然草」には、このコンビが描いた『スーパーくいしん坊』についての書評があるけども、

http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50337345.html
http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50341655.html
http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/50348711.html

時間内につくるために洗濯機でラーメンをゆでるとか、のりを投げ入れるとか、たしかにマトモな料理マンガのルビコンを渡ってしまった感の強い状況。

 しかし気をとりなおして、「味平カレー」である。
 それを作るプロセスで梅本が次のように書いているのが可笑しい。

作る前の私はちょっと憂鬱でした。だって味平がカレーを作るシーンで、スープの中にルーを入れたとたん、こんな事態(図版参照)になるんですよ!
 カレー汁が盛大にスプラッシュ! これは熱いブイヨンのなかに、ラードの油たっぷりのルーを放り込んだことで、スープが吹き出してしまう現象らしいですが、
「たいていの初心者はこの失敗をやらかす」
という一文がさらに恐怖を倍増させます。「カレーで全治1か月」なんてハメになったらどうしよう……。(梅本p.147)


 梅本の本は、こうしたマンガ紹介が書かれた部分と、実際の料理との二つの見開きに分かれていて、ページをめくると、この「味平カレー」をつくったときの様子が出てくる。肝心の「スプラッシュ」は起きたのか……。


2にカレー粉を入れて香りが立つまで炒め、鶏ガラスープの入った鍋に投入。スプラッシュしたらどうしよう……と、緊張の一瞬。が、特に何も起こらず。やらかさなくてよかった……。(梅本p.148)

 さて、味の方であるが、次のようにある。

 肉も入ってない、みじん切りした野菜だけのカレーなのに、めちゃくちゃ美味しい!(p.148)

 諸君、みたまえ! これで「BLACK徒然草」のキワモノ扱いが、反動的デマであったことが如実にさらされたではないか!

 ……といいたいところであるが、もう一つのカレー、カレー将軍・鼻田香作の「ブラックカレー」の方は、苦戦したようだ。「BLACK徒然草」では、

中でも「包丁人味平」に出てくる、カレーの中に麻薬の成分を入れて食べた人を虜にする「ブラックカレー」の話は、料理マンガ界における語り草、いや、もはや伝説と呼んでも差し支えありません。(「BLACK徒然草」管理人J君『なんだ!? このマンガは!?』p.109〜110、強調は原文)

といった具合に、「お口アングリ」の最も象徴的な料理として、このブラックカレーを挙げている始末である。
 梅本は麻薬を入れるわけにはいかず、合法的に手に入る麻の実・芥子の実を入れた料理になったようである。その結果は、

 気になるお味ですが、焙煎したスパイスのほろ苦さが、いままで食べたことのない味です。「美味しい」と素直に言えないけど、何となくクセになる点は、本物に近づけたかもしれない。(梅本p.153)

と微妙な評価。やはり「お口アングリ」マンガなのか……。


 ちなみに、ぼく個人が惹かれていたのは、精確には「隠し味に醤油」という「味平カレー」そのものではなく、「ミルクを入れる」カレーの方だった。こちらの紹介は書籍ではなく、梅本のブログの方にある。

食べた感想は……給食のカレーにそっくり!

http://umanga.blog8.fc2.com/blog-entry-132.html

 本書、梅本ゆうこの『マンガ食堂』は、料理にそれほど関心のない、ぼくのような人間にも楽しめるようにできている。というのも、やはり「文の芸」が光っている。マンガ自体を手早く、しかも興味をひくように書いたうえで、そのなかの料理シーンをさらに惹き付けるように書き、料理プロセスを無味乾燥なレシピ風にせずに、楽しげに書く、というようなことを短いページ数のなかでやってのける、その技量は尋常なものではない。
 さらにいっておくと、マンガの趣味が、ぼくとモロかぶりで、「お前は俺か」といいたくなるほどであった。

 本書で「キワモノなのに作ってみたい」と思わされたのは、東村アキコきせかえユカちゃん』の「ごはんサンド」で、梅本の「実際に食べてみると、これはたしかに意外な美味しさ」という一文で心を動かされた。

 料理に関心がない人は、ぼくのように、「文の芸」としての梅本の文章とマンガ紹介を楽しむといいと思う。

梅本が回避し続けるもの

 梅本のブログにはざっと検索した限りで見当たらないもの……それは「ジャイアンシチュー」である。ブログのコメント欄で梅本とおぼしき人間が言及していて、「陶芸科のスペシャルカクテルは、ほんとにやばそうw ジャイアンシチューとタメを張るくらい危険なのでは……。 」とあるように、別格の危険度の認識をされている。

 ジャイアンシチューについては、すでに下記のサイトが有名だが、
http://a-c.comic.to/dora/gianstw0.html

そのサイトでやっているように「食べられるジャイアンシチュー」の開発が今後の梅本の課題として残されている(誰もそんなことは思っていないだろうが)。