ぼくの住む福岡市には校区ごとに「男女共同参画推進協議会」というものがある。校区ごとにあることからもわかるように、自治会・町内会に関連した地縁的組織である。自治会単位ごとくらいに1人ずつ委員を出して、その校区の「男女共同参画推進協議会」をつくるのである。
いわば自治会の「役」の一つのように見なされているものだ。
下記はある校区の「男女共同参画推進協議会」の去年1年の活動である。
実施日 | 活動内容 |
---|---|
4月某日 | 「男女共同参画推進協議会」総会 |
4月某日 | 校区花植えうちあわせ |
5月某日 | 草取り |
5月某日 | 花植え |
6月某日 | 花植え |
6月某日 | 花植え(ひまわり) |
7月某日 | 草取り |
8月某日 | 草取り |
8月某日 | 夏祭り(露店) |
8月某日 | 夏祭り片付け |
9月某日 | 草取り |
9月某日 | 花植え(コスモス) |
9月某日 | 花植え |
10月某日 | 草取り |
11月某日 | 全体会 |
12月某日 | 草取り、コスモス撤去 |
1月某日 | 葉牡丹 |
2月某日 | 枯れた花苗の撤去 |
2月某日 | 「男女共同参画推進協議会」研修会 |
3月某日 | 花植え |
そして新年度の「男女共同参画推進協議会」でもずらりと花植えが続く。ぼくはびっくりして質問する。
「花植えと男女共同参画推進はどういう関係があるのですか?」
答弁した人によると、こうだった。
この「男女共同参画推進協議会」が数年前に始まったが、学んでもよくわからなかったので、とりあえず花を植えることは男でも女でもいっしょにできるだろうということで始まり、現在までずっとこの活動が続いている。
「とりあえず花を植えることは男でも女でもいっしょにできるだろう」というくだりがあまりに唐突。いやまあ、その通りなんだろう。しかし、あまりにその通りすぎて、無限定にもほどがある状態になっている。
ここには「花を植える」でなくても何でも入るのである。
「とりあえず料理をすることは男でも女でもいっしょにできるだろう」
「とりあえず犬を飼うことは男でも女でもいっしょにできるだろう」
「とりあえずセックスをすることは男でも女でもいっしょにできるだろう」
「とりあえずデモをすることは男でも女でもいっしょにできるだろう」
「とりあえずブログを書いて『そんじゃーね』と末尾につけることは男でも女でもいっしょにできるだろう」
「とりあえずイスラエルの核保有に対する非難決議をすることは男でも女でもいっしょにできるだろう」
それ以上つっこまなかったが、おそらくかつての「婦人会」が「男女共同参画推進協議会」に衣替えをした結果、このような活動実態になっているのだろうと思った。じっさい、2008年頃の市の資料をみると「女性協議会」になっているから、まず間違いあるまい(福岡市コミュニティ関連施策のあり方検討会「コミュニティ関連施策のあり方に関する提言(第2次)」http://www.city.fukuoka.lg.jp/shimin/community/shisei/001_2.html)。
まさに「衣替え」だけである。
「『女性=花』というのはジェンダーにとらわれた意識でアル。男も女も花を植えることでその既成イメージを打破するのダ」ということなのかもしれないが、いやー、実態としては「婦人会活動の延長で花を植えました」に近いというか、このジェンダー意識を前提にした活動ではないかと。
他の校区の活動とか写真があるんだけど、地域の健康づくりのとりくみで料理をしているのは、写真に写った人を見る限りではどうみても女性ばかり……。
http://www.city.fukuoka.lg.jp/hakataku/kikaku/life/komyu/koukutiikizyouhou/21/santikukenkou.html
http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/19802/1/DSC05093.JPG
いや、「だからお前らの男女共同参画なんてまやかしなんだよ」と言いたいんじゃなくて、婦人会を男女共同参画という看板にして推進させるという手法は拙劣ではないかということなんだよ。
男のぼくが「準会員」になっている、平塚らいてうとかが作った新日本婦人の会っていう女性団体があるんだが、これは戦後、保守系の婦人会に対抗して革新側がつくった女性団体で、けっこう今でも若いお母さんたちなんかが入会している。
革新系団体であることからもわかるように、その中で男女平等とか女性の地位向上とか、「男女共同参画」の運動を熱心にやっているこうした団体でも、別に「女性団体」という枠組みを崩すわけでもないのだ。
町内の婦人会もそうすればいいんだよ。
女性っていう枠組みで団体をつくるのがこれまで自然だったんだから、そっから出発すればいいんじゃないか、ということだ。
そもそも女性の問題は男女共同で解決する、というのは、これまでの婦人会活動の一つの側面でしかない。「婦人会」「女性協議会」を「男女共同参画推進協議会」にしてしまうのは、その一側面への矮小化であり、女性だけが集まって楽しいとか、気心がしれるとか、そういう女性団体の多様な側面をはじめから切り捨てているのだ。
むろん、このような看板の付け替えは自発的に起こるわけではない。
福岡市では校区の町内会の連合体、それに関連する団体が集まって「校区自治協議会」をつくっている。そこに市は補助金をおろしているのだが、補助金は市の要綱で要件を決めている。
その第2条で次のような団体をふくまなければならないとされている。
ア 当該小学校区内のおおむね8割以上の自治会・町内会
http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/32647/1/youkou.pdf
イ 校区交通安全推進委員会
ウ 校区体育振興会
エ 校区男女共同参画協議会
オ 校区青少年育成連合会
カ 校区ごみ減量・リサイクル推進会議
キ 校区献血推進協力会
ク 校区衛生連合会
ケ 校区自主防災組織
このような枠組みを校区につくらねば補助金をやらないからな、という縛りによって事実上統制されているわけである。だから、婦人会の校区の協議会はこのような看板になってしまうのだ。
ところで、大原悦子『フードバンクという挑戦』を読んで、フードバンクの活動に参加してみたいな、と素直に思った。
フードバンクというのは、廃棄されるしかないがまだ十分食べられる安全な食べ物を集めて、お金がなくて食料を必要としている人たちに再配分する活動のことだ。一種の救貧活動である。
ぼくの「こういう活動をしてみたい」という意欲は実に素直に引き出されている。
このようなNPOの活動は、いまの旬な・ホットな問題意識にもとづいたテーマごとにつくられている。参加(出入り)もある意味で自由である。
こうしたものを「のぞき見」しながら、つまみぐいするように、あるいは「飽きる」までその活動をやってみるようにして、NPOを渡り歩くこともできる。
「役」につきたくないけど、とりくみが面白そうで、いつでも離脱可能なものだったら、「ちょっとのぞいてみようかな」というインセンティブは働きやすい。
しかしこういうものを自治会や婦人会のような地縁組織制度にして、役員選出をがんじがらめにしてしまうとそれだけで近づきたくなくなる。ましてや、人手不足が喧伝されていると(まあこの記事もそういう喧伝に一役買っているわけだが)、「自分がなったが最後、二度と足抜けできないのでは…」という恐怖心に駆られる。ヤクザかよ。
いまの旬のテーマをふくめテーマメニューが無数にある。
出入りが自由。浅い、様子見だけの活動も自由。深くかかわるのも自由。深くかかわっても退出が容易。