下請だけの保護者会なら要らない

奇妙なルール

 うちの保育園には奇妙なルールがある。
 それは、「保護者会の集まり、あるいはクラス単位もしくはそれに近い規模での集まりは必ず園の中でやってほしい」というものである。
 これだけ聞くと奇妙に聞こえない人もいるだろうから、このルールを裏返す。裏返すと、「園外で集まらないでほしい」ということになる。

 いや普通はこうは裏返さないだろう、言いがかりだろう、と言う人もいるかもしれない。

 しかし、ぼくがこのルールに違和感を覚えたのは、保護者会の総会が終わり、新旧の役員で飲みに行く時に「くれぐれも園には内緒で」とか、打ち上げの場で「このことは保育園の先生には言わないでくださいね」とか必ず付け加えられるようになったからだ。
 そればかりではない。
 クラスが休日に集まって公民館などで話し合いをしたり、レクをしたりしたときもやはり同じように先輩ママさん(上の子がいて保育園歴が長い親)たちに言われるのだ。

 保護者が驚くほど、この件で神経質になっている、というか萎縮しているのがわかる。ぼくは「それって単に噂じゃないんですか? 本当に正規のルールなんですか?」と聞いた。わからない、と答える人もいるし、そうだよ、と自信ありげに言う人もいた。しかし、典拠(おたよりやパンフレットに書いてあるとか)もしくは誰が発言したルールかは確認できなかった。

 それである日、園長に聞いたのである。「園外で集まらないでほしい」というルールは本当にあるのか、と。そうしたら園長は「保護者会やクラスの集まりは園でやってほしい。過去にいろんなトラブルがあったから」と回答した。「詳しくは担任に聞いてください」といわれた。
 それで後日、担任に聞いたのだが、返事は同じだった。

「それは園側の推奨ですか、それともかなり厳しい禁止事項なんですか」
「場合によってはかなり厳しく考えるものもありますね」
「理由は?」
「みなさん楽しくてクラスの交流とかを始めるんですけど、人間関係がこじれるんです。そうなると長い園生活ですから、もうクラス運営が成り立たないとか、退園騒ぎになったりするほどになるんです」

 後日他のお母さんから話を聞いたのだが、クラスのこじれが高じて園側を攻撃するようなメールまでが回覧され、子どもたちが精神不安定になったり、保育どころではなくなった事態まで生まれたそうである。

「なるほど。たしかに保育士や理事会が懸念するのはわかります。だとしたら、園側としてきちんとその懸念を伝えるのは必要だと思いますが、禁止するのはやりすぎじゃないんですか」


「みなさん初めは『まあまかせておいてくれ、大丈夫だから』といって交流を始めるんです。ちょうど紙屋さんたちのお子さんの年齢クラスくらいがそういう交流が始まる時期なので一番楽しいんですよ。そういう時期はいいんです。でも数年たつと、グループ化したりいざこざが必ず生まれるんです。とくに今はメールやインターネットがあるでしょう。そうなると文面だけが飛び交って、どんどん暴走しちゃうんですよ」


「……他にも理由があるんですか」


「クラスのレクとかがどんどん私的に行われていくと、そこに参加できない人が生まれます。そうすると、疎外された気分を持つ親御さんや、子どもも出てくるんです。みんなで楽しくキャンプや海水浴のことで盛り上がって、『昨日は楽しかったね』といっているのに、そんな気分から取り残されている自分は何なんだ、と」


「それもわかりますけど、その懸念をきちんと伝えることが必要なんであって、父母の私的な行動まで規制するのはやりすぎではないですか」


「もちろん、紙屋さんがクラスのだれそれのご家庭と休日に遊ぶとか、ドライブに行くとか、そういうことは規制できませんよね。プライベートなことですから。でも園のクラスの集まり、保護者会の集まり、というのなら、まったくプライベートなことというわけにはいかないじゃないですか」


「極論をいうようですが、保護者会は、保育士と理事会と三者での対等な協議会を設けてますよね。だとしたら保護者会やその基礎になっているクラスの活動は、独立しているものですから、園から懇親会のあり方まで指導されたり規制されたりする立場ではないと思うのですが」


「それだけじゃないんですよ。例えば、紙屋さんたちのクラスのご家庭は、仕事のご都合でしょうけど、就寝時間も起床時間も遅い(毎朝登園すると記録を書かされる)でしょう? 紙屋さん、この前、Bさんのおうちと花火大会に行きましたよね。ああいうふうに親が楽しくて交流していることで子どもが深夜まで起きてしまう、子どもを振り回してしまうというのもあるんです。とくにこのクラスは心配です。休日は子どもと家でゆっくりと過してほしいんです」

園側の懸念は一理あるけども…

 保育士から出された懸念は、どれもそれ自体、一定の道理のあるものだとぼくは考える。
 たとえば、クラス交流の中でメールというツールが媒介することで、感情が大きな増幅を受けることを、ぼく自身も参加してきたメーリング・リスト(ML)などでよく体験してきた。参加できない場合の疎外感も実によくわかる。
 ぼくが平和運動関係のMLをしていたとき、ぼくが参加できないイベントがあって、なのに参加者だけがどんどん威勢良く賑わっていくと、本当に自分はとりのこされたような気分を味わうのだ。わが保育園のクラスや保護者会活動での「非合法」MLでも、似たテンションを見ると、自分が参加するしないにかかわらず、「これは参加できない人が淋しいだろうな」と思ってしまうのだ。

子ども・家族の実態と子育て支援―保育ニーズをどう捉えるか (保育の理論と実践講座) 昨年出たばかりの「保育の理論と実践講座」シリーズの第3巻には次のような話が載っている。

卒園を控えていた年長クラスで保護者たちが卒園式終了後に行われる「祝う会」の取り組みをすすめていたとき、園とのちょっとしたズレから一部の保護者から不満が出てきて、それがメールでやり取りされるようになっていきました。園は、そうした不満が出ていることに気がつきませんでした。ところが、不満を持っている方から送られるメールの内容がどんどんエスカレートしていったようで、あれよあれよという間に、「このままでは卒園式が大変な状況になる、ボイコットする人も出るかもしれません!」と言ったメールが回り、緊急にクラスの保護者が集まって話し合いが行われることになりました。……保護者の中には今回のことで、「メールの怖さを感じた」と言ってきた方がいました。メールがクラスに一斉送信され、特に返事をしなくてもいいと思い返事をしなかったら、「返事もらえなかったけどメール届いてなかった?」とまたメールがきて仕方なく返事をしたが、メールすること自体苦痛になりこれでいいのだろうか? と疑問に感じているということを話してくれました。(高杉敏江「保護者への子育て支援と共同をどうすすめるか」/浅井・丸山編著『子ども・家族の実態と子育て支援』所収)


 それと「休日のひきまわし」というのはぼくも危惧するところで、イベントの体験が子どもによかれと思って遠出や「自然体験」などを連続させると、子どもにとってはストレスや疲労をためてしまう、というのはいつも考えねばならぬ問題だと思っていた(ただそのことを念頭におきつつ、行くときは行くし、親主体の楽しみであったとしても、親が1〜2か月に1回くらいは楽しんで悪いとは思えない)。

 だから、保育士や園の懸念には、経験に裏打ちされた尊重すべき価値がある、とぼくも思う。


「園外で集まるな」はどう考えても非常識

 だが、やはり、「園外で集まるな」という規制は、どう考えてもやりすぎである。
 もっとも杓子定規に言うなら、憲法で定められた集会の自由を侵している。憲法擁護のTシャツを着た園の人々の感覚とは思えぬ。*1

 「学校の外で他校生と集まりを持つな」という校則を押しつけられた中学生とそう選ぶところはない。懸念をじっくり伝えて、あとは親の権限にゆだねる、というのが大人同士の間のルールというものである。
 しかも実際には「非合法」の集まりや親睦会がそこかしこで広がっている。
 深刻なトラブルがあったことは事実だろうが、そういうトラブルを引き起こさずに保育園生活を終えたクラスや年度の方が多いはずである。報告があがっていないだけだ。非合法だから。
 また、数名規模の家族での集まりがOKならそこでだって同じ問題は発生することになるんだから、それを放置するのはいいのか、ということになる。

 「インターネットは出会い系で事件・事故が多いことをはじめ、危険なので規制すべき」というロジックと同じで、しかもそれを子どもではなく大のオトナにまで敷衍して管理しようとしていることの異常さといったらない。「園外で集まるな」などという規制は、保育園を一歩離れて事態を冷静に見れば、園側の主観や事情はどうあろうと、親を信頼しない、親をバカにしきったルールということがなぜ園側はわからないのだろうか。

 これはうちの園に特殊な事情かもしれないが、保護者会は各クラスから選出される委員を基礎にできており、保護者会の活動の基礎はクラスでの活動にある。クラスの親が相互に親しくなり、何でもいえる関係になることは、こうした活動を円滑にすすませるうえで、おそろしく重要なことのはずだ。そのメリットにはいっさい目をふさいで、危険だけ強調するという姿勢にも疑問を感じた。




 

保護者は啓蒙され教育されるだけの存在か

 これは、単にこの「へんてこルール」の話だけではない。
 ぼくが自分の園について感じている、園側の保護者会への視線、もっといえば保護者への視線というものが、親や保護者とは保育のドシロウトであり、啓蒙され教育されるだけの存在という見方、ぶっちゃけていえば「上から目線」なのである。

 保育園にとって、親・保護者とはどういう存在なのか。
 もっと実践的にいえば、「保護者会」(父母会、親の会、父兄会)とはどう位置づけられるべき存在なのか。


PTAの戦後出発点における理念は何か

 この問題を考えるうえで、よく似た組織として学校の「PTA」がある。
 PTAは、それ自体はただの保護者の団体ではなく、そこに教師が対等な一員として加わっている協議体である、ということでの違いはあるが、そこはとりあえずおいておいて、その歴史をちょっとふりかえる。

 戦前の日本の学校は強力な国家統制のもとにあり、それが国家が遂行する戦争に人間を送り出す道具となった、という反省から、教育の徹底した民主化がはかられた。
 学校を国家=文部省支配から解放し、教育は地方ごとの住民公選の教育委員会が指導していくものに変えたのである。しかもそのさい、単に自治体単位の教育委員会に住民が公選という形で関与するだけでなく、学校ごとに住民が加わってその運営に参加できるシステムをつくった。それがPTAであった。これらは占領軍であった米国のシステムに影響されており、PTAという形も米国で19世紀から起きてきた住民の教育参加形態であった。

 戦前にあった、「父兄会」「学校後援会」は、教師によって父母が一方的に指導されるもので、しかもそれは国家が十分に支出しない学校財政を、父母負担によってまかなわせる組織でしかなかった。徴税システムとさえいえた。
 GHQはこのシステムを解体し、教育の分権化のなかにPTAを位置づけることで、民主化の重要なツールにしようとしたのだ。
 占領の教育行政に重要な役割果たした民間情報教育局CIEの教育課長、マーク・T・オアは次のように証言している。

教師との密接な関係に親たちを巻き込む方法として、われわれが唯一知っていたのがアメリカのPTAであったので、PTAを採用した。それによって、親たちは学校内でより積極的な役割を果たし、学校内で行われていることを見、さらには、地方当局を強化し、コミュニティ(以下地域と訳す――原注)全体に学校や子どもたちの幸福により多くの責任を感じさせる――地域が教育を正しく評価し、学校で起こっていることについて責任を持つことを期待した。権力の分権化の課題は、法による制度の面だけではなく、このようなPTAの活動にも担われていると位置づけていた。(竹前栄治「教育改革の想いで――GHQ教育課長M・T・オーア博士に聞く――」/『東京経済大学会誌』第115号所収)

 
日本PTA史 (学術叢書) 文部省は『父母と先生の会――教育民主化の手引――』というパンフレットを出し、それを手がかりに、全国で急激にPTAの組織がされていく。

 しかし、現状のPTAが当初期待されたような民主化の重要なツールになっているかといえば、そうはなっていないのは周知の通りである。すでに戦後民主化の「逆コース」が始まる1950年に文部省がおこなった全国調査でPTAが次のような問題点にさらされていたのがわかる。

  1. 結成率はすばらしいが、ほとんど機械的加入。
  2. 役員の数多く、名誉職多し。
  3. 役員の決定方法。(依然安易な間接選挙、学校側の指名多し。)
  4. 総会の開催回数年三回以下が八割以上に達する実状。
  5. 会費の納入方法が不適切である。(世帯単位の会費、児童単位、口数制、教師免除など。)
  6. 会費をPTA本来の目的の為に使っているもの全平均で五割以下。

(PTA史研究会編『日本PTA史』p.29)

 ちなみに1.はPTAは自主加入が原則とされ、5.は親や地域住民が個人を単位とすること(個人を尊重しイエを単位とする封建的慣習の解体を図ろうとした)が原則とされていたからである。
 『日本PTA史』の冒頭論文では、これらの実態調査をひいたうえで、「半世紀近い歴史を持ちながら、依然日本のPTAはニセモノであり、不肖の子」(p.30)とまで断じている。元教師だった人に話を聞いてみたが、現在のPTAも多くは学校行事の下請機関になっている。


共同保育時代には保護者は否応なしに保育の主人公だった

 保育園の保護者会はどうだろうか。
 
 ぼくらの保育園が入っている全国保育団体連絡会(全保連)が編纂した『戦後の保育運動』(草土文化、1989)によれば、戦前の「無産者託児所」のシステムを解説して次のように書いている。

第三は、託児所の民主的運営としての託児所委員会を定期的に開いたことです。直接保育にあたる保母と子どもの親を主体にして、これに協力援助する団体を代表する人たちが加った三者構成による託児所委員会が託児所の執行機関としてつくられました。今日の共同保育や民主保育における保母と父母との協力の源泉は無産者託児所にあったのです。(前掲p.9)

 単にこうした歴史的ルーツがあるというだけではない。戦後、食べるものも職もない人々は働くこと、それを見つけることに必死だった。子どもは労働現場のそばにうちすてられていた。
 その現状を変えようとして、母親たちが「保育所をつくれ」という運動を広げていくのが戦後の保育運動の原点である。

失対〔失業対策事業――引用者注〕に働く婦人の子どもたちはどうしているか。母親は仕事を受けるため紹介所にでかけ、兄姉たちは学校にいってしまい、幼い子どもは一〇円、二〇円と小遣いをもらって危険な路上に放り出されています。となり近所にあずけるには金と気がねがいるのであずけられません。しかたなく上の子に学校を休ませて子守りをさせたり、現場にこっそりつれていきます。監督や仲間に「半人前」とののしられ、ひけ目を感じながら現場に放置しておきます。トロッコ作業や路面作業などの危険、草むらや木陰にねかされた乳呑児に蟻がいっぱいたかった例もあります。(同前p.43)

 しかし、父母の運動で保育所がようやくできあがる。

ほんとうにまるはだかで生まれたこの保育所は、赤土の台地をきりひらいた五〇坪ばかりのがけの上で、四人の保母とテントが一つ、小さな砂場、古むしろ二〜三枚、保母が持ち寄った洗面器、手拭い、絵本などという状態で始められました。(同前p.44)

 こうした絶対的貧困の中で「保育」とは名ばかりの「託児」に近い実態での出発点となった保育所というものは、父母自身が少しでも保育の現状を改善しようと、それこそ、こわれたオモチャや古い絵本をもちよるといったことから、園舎自体を父母自身が建築することをふくめ、文字通り「父母が作る保育園」であった。
 これは高度成長期に入って保育園を急増させていく時期でも受け継がれるスタイルで、「職場や地域に保育所を」という運動をすすめる父母たちが保育園の運営の主体となる。これがいわゆる「共同保育」である。

待ちこがれていた保育園は五八年七月に着工、一二月七日に開園式を行い、青戸共同保育園と名づけられました。園の経営主体は、初めは父母七名の理事でしたが、のちに職員代表も参加した理事会で財政、人事、保育などを協議し、仕事も進めました。また、三月頃から、(1)グループ制の父母の会を月1回開いて、保育問題について保母さんとも膝をつき合わせて話し合ったこと、(2)半日制保育のクラスを設け、家庭婦人の要望にもこたえるようにしたこと、(3)嘱託医をおき、月一回の健康診断や予防注射を行い、後には軽い病児のための隔離保育室をつくったこと、(4)保育園だよりを発行し、保育園全体の意思の疎通をはかり、運動の原動力にしたこと、など、話し合いのなかから実にきめ細かくみんなの問題をとりあげてすすめていきました。(同前p.150〜151、強調は引用者)

 今直前に紹介した青戸共同保育園の前身は、公団団地の住民が保母を1人雇いながら、参加家庭の家々(団地の部屋)をスペースにして持ち回りで保育する、という形態が出発点になっている。

二DKの六畳とダイニングキッチンでの保育は、その家の家族へのしわよせであるとともに、保育者への負担は大きく、その上父母が出勤して帰宅するまで一二時間という長時間保育は子どもにとってたいへんでした。(同前p.150)

蛍雪時代―ボクの中学生日記 (第1巻) (講談社文庫) すぐにわかると思うが、こんな中では「父母が保育園にかかわる」どころか、父母自身がしゃかりきになって保育園と保育をどうするかを必死で考えることになるわけである。学校も戦後期すぐは、矢口高雄の自伝マンガ(『蛍雪時代』)にあるように、生徒・教師・父母が校庭そのものを整備したりしている。そういう意味ではここでも文字通り「父母がつくる学校」だったのであろうが、やはり公が整備の責任を持ち、就学が義務づけられている学校と、保育所では大きな違いがある。
 いくら児童福祉法に「保育に欠ける」子どもへの保育義務がうたわれていたにせよ、結局保育園にあずけずに近所に負担を負わせたり、路上に放置していても、それは「家庭でなんとか保育をしている」とみなされて、緊急即時の措置がとられないのが「保育所入所」というシステムである。父母の熱意・主体性たるや大きな隔たりがある。

 現在でも待機児童問題は深刻な形で存在はするが、「とにかく託児レベルでもいいからどこかほしい」という水準の話であれば、料金・質の高低はあるにせよ、そのような保育・託児サービスはないわけではない。またひとり親家庭支援や生活保護は、依然ひどい水準とはいえ、絶対的生存レベルの話でいえば、戦後直後よりは改良され、受けやすくなっている。

 そうしたもとで、以前のような形で保育運動に保護者が主体的にかかわる、という形は難しくなっている、といわねばならない。保育所を自ら建設し、その運営と保育の質の向上に父母自身が力を入れる、という姿自身が変容しているのである。


保育園保護者会は下請化するか、無用化するか

 そういう時代に、保護者会が「保育園の仕事の下請」化することは一つの必然である。最近のネット上の記事をみても、保護者会はやはり「義務」の一つでしかなく、にもかかわらずそれに「ハマる」人がいるのは、そこに作業を通じて親同士の交流という機能が付与されているからである。 

父母会って何のためにあるの? - チビタス(猪熊弘子)
http://allabout.co.jp/gm/gc/184460/

保育園の父母会、どうつきあう? - All About(吉森福子)
http://allabout.co.jp/gm/gc/184322/

どこの保育園にも保護者会はありますか? - OKWave
http://okwave.jp/qa/q4763983.html

 ここで保護者会について二つの考えが出てくる。

 一つは、保護者の交流・親睦機能として、そして園行事の共同執行者の一つとして残しておく、というものである。たぶん、保育者の側からいわせれば、後者は「下請」ではなく、親を実践的に保育教育する一環なのだろう。
 もう一つは、もう保護者会などなくしてしまうことである。歴史的役割を終えた、と。歴史的役割を終えたという判断からではないと思うが、保護者会を組織せず、禁止さえしている自治体もある(特に公立保育所)。だいたい、仕事が忙しくて子どもをあずけているんだから、保育園にあずけてなんで「仕事」をふやさないといけないんだ、アホか、と思うことにはとても道理があると思う。


 この二つは、一つの考え方で共通している。
 それは、保育は専門性のある保育者が中心であって、親や保護者はそこには事実上存在せず、せいぜい保育園の保育方針・専門的な保育理論と実践を啓蒙され、教育される対象でしかない、というものだ。

 うちの保育園は、保育者の専門性を高めることには感心するほど熱心である。
 「保育の質」「保育者の専門性」という言葉がある。
 保育条件の劣悪化、民営化や市場化のなかで非正規労働やコマ切れの保育労働が広がり、保育者の専門性がゆらがされ、保育の質が低下していく――こうした問題が保育運動のなかでは議論されてきた。
 保育運動の担い手たる保育士たちは、必死で合同研究集会などを設けて「保育の質」「保育者の専門性」を高め、こうした流れに抗しようとしてきた。
 そのこと自身、ぼくは頭が下がる思いでいっぱいである。うちの保育園とて例外ではなく、熱心に保育の理論と実践を研究し探求している。だから、こと「保育」については大きな信頼をもっている。
 機械的・管理主義的とも思える規制を保護者会にかけるのは、たえずトラブルが発生しやすくそれが保育やクラスを破壊してしまうほどの影響を持つような病根は、きっぱり断っておくことこそ、「安心できる保育」に専念できる道だと考えているせいかもしれない。

 しかし、であるからといって、親がたえず「専門性をもった保育者」から啓蒙され教育されるだけの存在であるなら、ぼくは保護者会活動など必要ないと思う。




保育に対する保護者の意思を表示し、要求を反映する機関に変えよ

 結論的にいえば、ぼくは上記の二つの考え(保護者会の下請機関化、あるいは廃止)のいずれにも与しない。
 保護者は、専門家である保育者(保育士)にたいして、住民・国民の目線から批判とチェックを入れ、その保育要求をぶつけて、保育者の狭い専門性を破壊し豊富化することを期待されている。その反映システムが本来保護者会なのだ。

 たとえば、夜間保育をやってほしい、という要求がある。保育者はそれは資本の要求に隷属した親の即時的な「ニーズ」に合わせただけのもので、その要求に応えることは必ずしも子どもの最善の利益にはならない、と指摘するだろう。だが、そのために子どもの面倒をみきれなくなって虐待や安易な託児が広がるなら、保育者の側は「子どもの最善の利益」という問題をもう一度考え直さねばならなくなる。

 つまり、保護者会は、保育要求に対する保護者の意思を表示する機能を果たさねばならぬ、とぼくは思うのだ。


 もともと、PTAの歴史をみても保育園保護者会の歴史をみてもそうなんだが、

  1. これらは「意思決定・表示や要求実現」の機関としての側面も持っているし、
  2. 学習や講演会をくり返すことで「啓蒙・教育」され、学校や保育園側の考えを共有される対象、理解を求められる対象になる、という側面も持っている。

 教育や保育への要求をつきつけるには、自分自身がまずは学校や園の方針を理解しないといけないし、そのためには多少の学習も必要になってくるわけで、その二つは本来、車の両輪なのである。しかし「意思決定・表示や要求実現」機能が衰退し、後者だけが残っていったといえる。


 保育要求に対する保護者の意思を表示すると言った場合、これは重要な問題において、意思決定し意思表示する、という大きなものから(たとえば公立園が民営化される場合、その是非について保護者としての意思表示をする、というようなもの)、日常のちょっとした保育への要求や願い、つぶやきのようなものまでを吸収するという小さなものまでを含む。

 自分が何かを言う、つぶやく、願うことで、保育士や理事会の側もそれを受けとめて自らを変える、対話する、という姿勢が必要だ。それが積み重ねられることで、デフォルトとして与えられていた保育環境や保育条件が決して不動のものではないという確信が生まれてくるのではないか。


 

アンケート活動

 ぼくが娘を通わせている保育園および保護者会をみていると、まず保護者会としての大きな意思表示と意思決定はどこでおこなわれるか。

 保護者会には総会が年2回ある。しかし最初の総会は人事の決定、議案書はあるが、そこには役員の「抱負」が書かれていてそれがそのまま年度の方針書になっている。せいぜい年間イベントの確認だ。年度末の総会は会計の承認、次期主要役員の選出や年間活動の総括に費やされる。何かを意思表示するような状態にはない。
 うちの園では運動会でのビデオ・カメラ撮影が禁止されている。これは何年かにわたって総会で議論されているが、アンケートすらとられず、役員(ぼくも務めたが)はそれについて結論や提案を出すでもない。

 保護者会・理事会・保育士の三者による協議体はあって、それぞれのトップが臨む。その議論のその中身はニュースになって概略が保護者に配られる。議論に出たことはないので本当のところはよくわからないけども、議論の中身はイベントの確認と注意事項の伝達、保護者会が配布するものの検閲と承認、という具合である。ちなみに、この協議会の承認を得なければ保護者会は保護者に対して自由にニュースもビラもチラシも配れない。

 こういう現状では、保護者会が園側と違った判断を意思表示するということはありえないだろう。たとえば、まあ極端な話だけども、園側が「これから英語教育をやる」と決定したとする。それにたいして、うちの保護者会が果たしてNOと言えるのか。
 仮にその決定に不満をもっていたとしても、「退園」という形で意思表示するだろう。ハーシュマンのいう、「Voice」ではなく「Exit」である。*2

 日常の細かい保育要求はどこで反映されるのだろうか。
 形式的にはクラス委員を基礎にして役員会へ反映されることになっているが、現在のところ、これはほとんど機能していない。ぼくが役員のときには開かれもしなかった。そしてそのような場としてとらえられているかは甚だ疑問である。
 保護者会主催の学習会というものもある。議論の時間がないわけではない。しかし、たとえば今度の学習会テーマは「食について考える」なのだが、この議題に限られるうえに、一方的な啓蒙の場となるだけの可能性が強い。

 おそらく最も機能しているのは、個別の家庭とクラス担任がやりとりする日々の連絡帳であろう。そこでの悩みやつぶやきなどが保育士によって詳細に検討されて、アドバイスや相談という形になる。
 また、園(保育士)側が開くクラスの懇談会でも、各家庭の様子が交流され、悩みや要求も出される。
 しかしこれらはいずれも保育園側の機能であって、それで十分であるなら、ますます保護者会は要らない、ということになる。また、実際には前者は本当に個別の連絡のやりとりで終わることもあるし、後者はやはりテーマが絞られてしまう。

 こうした、「要求反映、意思表示機能」が衰退・解体していくという状況は、保育園の保護者会に限らない。
 ぼくがたずさわっている、町内会でも同じことが起きている。町内会もやはり住民の意思や要求を汲み取る機能が衰えていくと、義務としての仕事、自治体の下請仕事だけが残ってしまう。そんなものは誰もやりたくない。いや、義務感と使命感を持つ「公民」だけが歯をくいしばって(あるいは作業を通じての交流を楽しみながら)残るであろう。

 保育園に子どもをあずけている家庭というものは、それほど時間があるわけではない。だから、「保護者会として保育要求をくみあげるしくみ」の、複雑なものをつくってもおそらく機能しない。

 ぼくが今考えるかぎりでできる最も簡単な改善方法は、保護者にアンケートをとることである。
 なんとも凡庸な回答に見えようとも実践的に今すぐできることはこれなのだ。

 これは前述した「保育の理論と実践講座」シリーズ(浅井・丸山編著『子ども・家族の実態と子育て支援』)のなかでも、父母の保育実践への参加をどうすすめるかというテーマの中で、わざわざ項目をさいて取り上げられている。大阪保育運動連絡会の樋口和恵の一文だ。
 その実践を読むと、まず保育運動をしている関係者(とくに園側)のなかには、そもそもアンケートのような方式で保育要求をくみとることに、アレルギーを持つ人がいるという。水臭いというか、面と向かってコミュニケーションすべきだ、というわけである。

最近では独自に保護者アンケートを実施している保育園や幼稚園も多くなっていますが、「アンケートでは本意がわかりにくい。直接の対話で」とアンケートには消極的な園もあります。「保護者とともに保育を創っている」と自負しておられる園長さんで、「無記名アンケートは実施しない」との考えを持っておられる方もいます。

(「保育を創る対話のちから――モンスターペアレント論を越えて」/浅井・丸山前掲書p.90)


 だが、同講座で実際に実践をしているケースを見てみると、アンケートにはびっしりと日常の保育に対する悩みや要求が書かれてくる、という。

 確かに、アンケートの是非についてはその目的、設問、実施方法などいろいろな課題もありますが、各種の保護者アンケートの自由記述の欄に書かれている保護者の声を読むと、今日の保護者がかかえている問題や、保護者と園そして保育者との関係づくりにおおいに改善の余地があることがわかります。


 大阪保育運動連絡会や保育園の保護者会などが取り組むさまざまな保護者アンケートを読むたびに、「直接、保護者と保育社または保育園と話し合う機会があればかならず解決するであろう」と思われる内容が数多くあり、考えさせられます。中には「自分が言っていることを絶対保育園には知られたくない」と書かれていることもあります。訴えておられる内容は、その保育園ならかならず前向きに解決できることだったのですが、その方は「とても保育園には言えない」と思っているのです。しかし、もしその内容をそのまま保護者がずーっと一人で抱えていたとしたら、「してもらえない」との思いがつのり、保護者と保育者の関係および保育園との関係は深刻なものになるであろうと思える事柄でした。どの園でも、保護者の不安を取り除く関係づくりにいっそうの工夫が必要なのかもしれません。


 また別の園の保護者アンケートでは、「こんなことを園に言うとモンスターペアレントと思われるのではないかと心配で言えないのですが……」と書いている人もいました。しかしその内容を一日も早く保育園に伝えれば、保育者も保育の見直しや気付きができ、子どもさんの状態の改善にもつながり、双方にとって望ましいことなのに、「クレーマーと思われるのでは」と保護者が園に伝えるのをためらっているのが大変残念なことでした。

(同前p.90〜91、強調は引用者)

アンケートの自由記述の欄にびっしり書き込んであるものも多く、保護者が「園や保育者と何でも気軽に話したい」と願っていることがよくわかります。保育園でも幼稚園でもそのことを願っているのですが、実際には人的にも物的にも余裕のない園運営などで、その機会が少ないために保護者と保育者の意思疎通を欠き、誤解や不信をかえって広げていることもあるようです。(同前p.92)


 団地の自治会でもぼくはこの方法を使った。
 そうすると、団地のなかで多くの人が「持主のいない放置自転車によって駐輪スペースがふさがれている」という不満を持っていることがわかったので、これを共益費の黒字部分を使って撤去することにしたのだ。
 自治会は役立つもの、というメッセージを発していかないと、誰も彼もが面倒くさい役務を逃れようとする。いま国勢調査や校区の運動会などの要請が来ているが、いくらそれが「意義」があるものだと言われても、義務感だけで意欲が生まれるものではない。

 保育園の保護者会の場合、常々署名などの行動と日常の保育要求との間に乖離があることに疑問を持っていた。「お世話になっている保育園のいうことだから」というで署名はそこそこ集まるし、意識の高い人たちは署名活動を一生懸命やるわけだが、日常の保育要求の実現が積み重なっていかないところで、いきなり「制度改悪反対」といわれても本当のところピンとくる人はなかなかいないのではないかと思う。

 ただ保育園のイベントの下請をするだけの保護者会なら、ぼくは解散すべきだと思う。

*1:憲法を「よく学んだ」この人々は、「憲法は国家による国民への規制だけが問題なのだ、私人間には適用されない」というかもしれないがwww

*2:ハーシュマンによれば、何かの改革をさせようというとき、この二つのやり方があるという。ダイエーよりもイトーヨーカドーにというのはExitの選択で、学校でPTAでモノを言いたいというのはvoiceの選択であるが、前者だけを強調していくと後者が弱まっていくというものだ。