「ママ友」義務臭の正体


ママ友をつくるのが苦手な人よ、お前もか - kobeniの日記
http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20100608/1276004566


 子育てという共通項だけでは簡単に「友だち」になれないし、保育園などでは親しくなる時間が少ないから難しいよ、だからコミュニケーションが苦手な人は無理につくらなくてもいいんじゃない、義務感で作るのはどうかな、というような記事。

 ぼくはママではなくてパパである。どちらかというとリアルのコミュニケーションは苦手。ママであるつれあいはもっと苦手。

 ママ友が「必要」だという義務臭がただようのは、端的に「子育てのことを相談できる、グチを言いあえる人が必要」というただ一つの必要性に規定されているからだろうと思う。

 子どもは子ども同士で仲良くやるから、保育園に行っていれば(いじめでも起きないかぎり)特に問題はない。情報がほしければ、kobeni_08が記事で書いているとおり、保育園の先生に聞いてもいいし、聞く程度なら「友だち」にならなくても保育園のクラスの人に声をかけてもいい。聞き漏らすと重大な情報から疎外されるということはない。得したい、という程度の情報なら、ネットを漁っていた方がよほどよい。

 「子育てのことを相談できる、グチを言いあえる人が必要」という必要性は、子育てのことを独りで考えていると煮詰まってしまい、ひどいときはそれで鬱になったりするから生じるものだ。逆に言えば、もしパートナーがかなり優良な相談相手として存在しているなら、もうママ友の絶対的必要性というものは満たしている。もう1人、2人ほしいなあと思うのはただの「付け加え」程度の問題でしかない。

 保育園や地域にいなくても、職場に1人でもそういう人がいれば大丈夫である。ネットの掲示板やツイッターというのは考えようによってはリアルよりも濃密だし、リアルのように余計なものを引き受けなくていい分、むしろすぐれているかもしれない。

育児なし日記vs育児され日記 保育園という場で「ママ友」ができるかどうかという問題だが、これは時間軸を長くとらえる必要がある。漫画家の逢坂みえこは『育児なし日記vs育児され日記』のなかで、自分自身を、

超人見知りのくせに
我が強く協調性がナイ
集団行動には最も不向きな性格です

と規定したうえで、

公園ではもちろん
既成グループには入ろうともせず
母親に輪をかけて内気な息子と
2人ちんまり遊んでいました

と報告する。その逢坂が変わるのが保育園での人間関係だったと書いている。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/ikujinashi-nikki.html

 ただ、それはよく読むと、保育園の終わるころにそういう関係ができている、というものだった。ただちに親密になれるわけではないし、そういう関係が山のようにできるわけでもない。

 ぼくは、上記の記事を書いたとき、

 ぼくはまだ娘を入所させて1年もたっていないが、行事に参加したり、帰りにお互いの状況をかわしあっているうちに確かに次第次第にお互いの状況がわかっていく。そして今文集委員を務めているが、たしかにこういう濃厚な作業を経ると自然に挨拶を交わすようになるなあと思った。
 ただ、プライベートで遊びにいくほどには親密な関係な家族はおらず、保育園が終わるころまでにそんな人間関係ができているかどうかは未知数なのだが、いずれにせよ、「自然と壁が崩れていく」という感覚は非常によくわかるものであった。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/ikujinashi-nikki.html

と述べたのだが、それをアップして2年近い歳月が流れた今、「プライベートで遊びにいく」パパ友、というか家族が存在するようになった。この前の日曜日も自転車に乗って、パパ2人と互いの娘と計4人で数キロ離れた川の浅瀬へ行ったり、少し前にも蛍を観に行ったりした。

 別の家族からも声をかけられて家におじゃましたこともある(このサイトを知っていたという恐るべき状況だったのだが)。

 保育園の役員についてはどうか。文集委員だけでは十分親密になれなかったが、その後、父母の会役員を1年経験したり(うちの保育園では必ず何かの役をやることになる)、強引に誘われた夏祭りの太鼓たたきにまきこまれるうちに、「友だち」といえる状況はほとんどないけども、いろんな人と親しくなった度合いはぐっと増した。声をかけられるのである。

 親密な人がわんさかとできて……という状況ではないが、じりじりと親しさが前進した保育園の2年間だった、というのがぼくの体験だ。


 結局、保育園が終わるころにようやく親しい家族が1つか2つできる、そんなイメージではないのか。だから、保育園に行ったらすぐに友だちができるとか、役をやればすぐ親しくなれるとか、そんな感じではないと思う。そして、積極的に親しくなろうとまでは思わなくても、ある程度、役を買って出るとか、行事に参加してみる、というほどの能動性があって、それで卒園する最後の頃にようやく……というようなものではないだろうか。

 しかも、縷々述べてきたように、ママ(パパ)友をつくら「ねばならない」という感情の正体は「子育てのことを相談できる、グチを言いあえる人が必要」が満たされているかどうか、子育ての絶対的孤独に陥っていないかどうかであるから、どこでもいいから一人でもそういう人がいるのであれば、あるいはいなくても気詰まりしない性分であれば(そういう人は「ママ友がいない!」という強迫に囚われないとは思うが)、ママ(パパ)友がいなくても全然気にする必要はないと思う。