田辺真由美『見合いへGO!』

 お見合いというシステムについては10代くらいまでは軽蔑をもってこれを見ていた。すなわち「お見合いするやつは甲斐性のない、モテないやつ」。20代半ばくらいまでは嫌悪をもってこれをとらえていた。すなわち「恋愛もせず、相手のこともよくしらずに、家畜の掛け合わせのように結婚(その先にある子づくり)を求めるシステム」。

 高校の卒業アルバムにマルクスのイラストを描いてその横に「人生とは恋愛、労働、闘争だ」などと五木寛之青春の門』からのパクリを書きつけたぼくは、恋愛を人生における重大な人間的価値だと考えていた。
 恋愛は、人間的価値の高い人間がその価値を見いだされて「選ばれる」ものであり、その報酬であるかのように非常な精神的高揚とありえないほどの快楽がそこには待っている、と思っていた。「歌謡曲」が恋愛ばかり歌っているのも、漫画が恋愛であふれているのも、そういう理由からだろうと(ぼんやりと)考えていたわけである。

 しかし松田道雄『恋愛なんかやめておけ』を一つ読めば、それが近代のイデオロギーでしかないこと、あるいは実際に恋愛をし結婚してみれば「恋愛感情」というものの貴重ではあるがそれは人生のホンのひとコマでしかないということもよくわかる。

 だからまあ昔は見合いに過剰な嫌悪感を持っていたけど、今はそうじゃないよっつう話なんだが、それでもやっぱりこれから一生暮らすことになるかもしれない結婚相手を見つけるシステムにしてはお互いを知る時間が短くねえか? という疑念はあるのだ。
 そのあたりどうなんですか、という気持ちと、もっと俗な「お見合いパーティーってどんな雰囲気なの」という気持ちがないまぜになって本書を手にとらせた。

 

 

 当たりであった。笑えた、という意味で。

 本書は、お見合い・お見合いパーティーの体験にもとづいたフィクションだと銘打たれている。「この物語は実際の体験をもとにしていますが、あくまでフィクションです。作者の田辺真由美先生と(主人公の)マタミは別人ですし、登場人物も全て架空の人物です。お願いですから、そういうことにしておいてください!!」という注付きで。
 もともと女性漫画誌『YOU』で田辺真由美が連載している『ムコ☆ムコ』というエッセイ風フィクションの見合いに関する部分をまとめたのが本書である。主人公のマタミは「漫画家。農家の長女。24歳で結婚、25歳で出産。28歳で離婚。現在は父、母、息子と実家暮らし。好みの男性のタイプは子供好きで面白い人。イケメンならなお良し。猫とドリフとテニスが好き」という「設定」。
 そこはかとなく、「実話」臭のする説明なのだが、どこまでネタなのかわからない。まあ読者としては「実話だが、フィクションということにして批判や抗議を逃れる仕草」として受け取っておきたい。

 読んでみて、見合いうんぬんのウンチクが面白いということが基本にあるせいなんだろうけど、この人のこの作品でのギャグのテンションが自分ごのみ。
 なぜか少女漫画風にかなりかわいく造形された主人公が、打算深く腹黒いわりには悲しい運命(笑)に出遭い続けるというノリがまずヨイし、ギャグを一つひとつ強調しすぎずにテンポよく流れていく感じがまた好き。

 マタミの同窓生の「まっつん」に大宮駅で偶然に会った時に、「私達 自腹で参加してんの!!」と怒鳴るマタミに「超本気ってこと!? 引くわぁ〜」という会話の調子がひどく可笑しかった。おまけにまっつんが「おなかすいたー」といってじゃがりこを唐突に食べだすという流れも馬鹿っぽくていい。

 

図1:田辺真由美『見合いへGO!』集英社、p.28



 ギャグに花をそえているのが、古典的な少女漫画の表現をパロディ的に使用しているもので、ショックで目が白くなるというのはけっこう見るが、右の図1ような目・口・手の当て方の表現は久々に見た(さらにローマ字の大文字で後ろに読者やアシへのメッセージなどを書いてもらえるとさらによかったのだが……)。

 ちなみに、図2のように「りぼん」出身の作家の面目躍如たる少女漫画的な表現(図2の主人公)、古典的な少女漫画的表現(図2の左隅の登場人物)とともに、二ノ宮知子のエッセイコミック的な表現(図2の主人公の横にいる男性)が混在していて、そのどれもがうまく使い分けられている。

 妹の内気な友だち・エミをお見合いパーティーに連れて行くときに、超地味な顔立ち&スウェット上下でモジモジしていたのが、化粧と着替えで瞬時に昔の『りぼん』の主人公みたいな派手さになるのだが、「メ…メイク濃くね?」とマタミが軽く訊くと「私 ひとよりまつ毛が長くてマスカラつけるとこうなっちゃうんです…」とフツーに困った顔でつぶやくときに「自慢かよ!?」と心のなかでツッコミしつつ、すぐ「ところで何で別れたの?」とサラリと次に行ってしまうあたりが軽妙だ。
 ちなみにそれにエミが答える時に「彼とは3年つきあってたんですケド」と言った後、次のページで2段ぬきの大きめのコマをつかって「3年間中出ししてたのに出来なくて」と少女漫画ばりの顔で運転しながらつぶやくのも笑った。飲んでいるものを吐き出すマタミに「あ大丈夫ですか?」といいつつ「車汚さないで下さいね」と小さく描き込みしてあるのが楽しい。
 そのあとのエミの描写も、「内気ではなく実は腹黒」というキャラクターではなくて「内気なんだけど天然」という感じがよく出ていて、いじりがいがある。

 

 

図2:田辺真由美『見合いへGO!』集英社、p.98



エミ「は〜… 誰からも相手にされなかったらどーしよー…」ドキドキ
マタミ「大丈夫だよ そんな時はお菓子のこととか考えてればすぐ時間たつよ 紗々ってどー作るのかなーっとか」

っていう会話の、マタミのアドバイスがわけがわからなくて愉快だった。

マタミ「せっかくだから楽しまないとね!」
エミ「はい もこみちみたいな人 来ますかね(はあと)」
マタミ「アハハ〜 もこみち〜?」
   くわっ「来るわけねぇじゃん」

 そしてマタミのセリフ。「金持ちだけとサエない男とかー 顔がよくても話がつまんない男とかー 『モテない男しか来ない』と思ってた方がいーよ!」。エミが青くなってつぶやく。「それ 望みないじゃないですか」。

 そこにマタミの名言が!
 「だってココは泥沼で砂金を探す場所なのよ!?」。

 さらに、マタミの担当編集者であるメルヘン君の至言が続く。「それはこっちも同じ気持ちですよ… 化粧の技術ばっかり進歩したオバさんとか 理想が高くて夢みがちなダメ女しか来ないっスよ」。
 「スッピンが別人のエミちゃんに失礼だろ!?」とメルヘンの胸ぐらをつかんで揺さぶるマタミに笑う。

 「泥沼で砂金を探す場所」。これが見合いパーティーの基本的世界観なのだろう。いや、知らないけど。

 エピソードの終わりごとにだいたいコラムがついている。本書の最後に載っている「成功率アップの秘訣」は身も蓋もない、ガツガツした相手の探し方である。しかしそこには見合いパーティーの覚悟というか極意が書いてある。

「極端にガツガツした作戦を紹介した理由は、『お見合いパーティーカップルが成立してナンボ』だからです。実際、お見合いパーティーで相手が自分を選ぶかどうか、一番の決め手は、『容姿』でも『性格』でも『相性』でもなく、ズバリ『カップル成立できそうかどうか』です」

「そう、お見合いパーティーは『出会う』場所です。カップルが成立して、初めてその相手と出会ったことになるのです。相手のことを本当に知るためには、パーティーの後、お互いにもっと時間が必要でしょう」

 深い……。これで冒頭にぼくが抱いていたお見合い(パーティー)への疑問は解決されてしまった。実際、この作品で読むエピソードではどれも抱腹絶倒でパーティーや出会う相手がショボかったり笑えたりするのだが、「泥沼で砂金を探す場所」だと心得て、まずはカップルになって交際を始めるチャンスをつかむということを絞り込んだ目的とするのであれば、パーティーがいかに滑稽であろうが泥沼であろうがショボイ相手が多かろうが関係ないのだ、とわかる。

 パーティーの雰囲気や細かいリアルさが、煩雑ではなく自然にわかるうえに、読後お見合いパーティーの真実というか核心までわかるようになっているのだ。そういう意味ではギャグだけでなく、ノンフィクション、ルポとしてもすぐれているといえよう。

 恋愛イデオロギーから解放された20代末〜30代の人であれば、男女を問わず楽しめるであろう作品。