秋山はる『オクターヴ』vol.4

 宮下雪乃が新たに担当することになった、同い年の女性タレント「しおり」の造形がすばらしい。

 

 

 

 本作は元アイドルだった宮下雪乃が再度上京し、やはり元歌手だった作曲家・岩下節子と同性愛関係になる物語である。
 しおりは、雪乃を一目見て虜になってしまい、3日もせぬうち、打ち合わせの最中に、「タレントとマネージャーの恋愛」という一般的な話題にかこつけて、不意に告白を始めるのだ。

「私——さっき宮下さんに触ってもらえて
 どっかいっちゃいそうになりましたもん」

 しおりが言う「触ってもらえて」というのは、撮影のために雪乃にニップレス(乳首隠しの絆創膏)を貼ってもらったときのことだ。はからずも雪乃の側も同性の乳首をいじるという行為に、性的な感覚を得ていた。そのことをまるで見透かされたようだったのである。

 しおりは、雪乃の真情をすべて知っているかのように強引で一方的に告白を続けていく。

「おととい会ったときから
 宮下さんのことで頭がいっぱいなんです……

 宮下さん
 私の——
 恋人になってくれませんか?」

 あっけにとられる雪乃。さらに「彼女に悪いですか?」と追い打ちをかける。雪乃が同性愛者であることさえ気取られているのである。雪乃は「……彼女?」と返すが、それはとぼけたというより、「なぜ知っているのか?」という当惑にしか見えないものだった。

「彼女を裏切りたくないんですね
 でも大丈夫ですよ

 私 宮下さんを略奪しようなんて
 そんな大それたことを考えているわけじゃないんです

 私 絶対しゃべりませんし——
 宮下さんもしゃべらないし
 彼女にばれっこないです」

 雪乃の真情を知り尽くしたうえで、これは明らかに「不義密通」をささやくものだった。
 それがなぜぼくに甘美に響くのか。快楽に割り切ったつきあいを提示していることで、何か、女性が「私」に対して約束された大きな性的快楽を保証してくれているかのように聞こえて堪らないからである。
 じじつ、しおりは畳みかける。

「私——
 あれからずっと濡れてるんです

 今も………
 ………すごく

 宮下さんと抱き合いたいです
 キスしたいです
 そんなことばかり考えてます

 宮下さんが好きなんです
 秘密の恋人でいいですから
 私……きっと宮下さんを
 すごく気持ちよくしてあげられると思うんです」

 そういいながらしおりは対面に座った雪乃の手に自分の手をのばし、それをからめながら、伏し目がちに告白を続けていく。純情の吐露ではない。明確に性的快楽の照準をしぼりこんで、その保証を与え、相手を追い込むように強力に推進していくのだ。

 雪乃を臆病男性であるぼくに置き換えてみると、告白する勇気もないぼくの真情を自在に汲み取ってくれて、しかも性的快楽にしぼった告白をしてくれる、およそ都合のいい存在のように思えてくるのだ。
 雪乃の当惑は、ぼくが理想とする反応でもある。
 肉欲を漲らせるかのようにがっついてその提案に飛びつくのでもなく(品がない!)、かといって「正義」をかざして提案を毅然と断るでもない(偽善だ!)。
 「戸惑う」という振る舞いは、本当に戸惑っている者にだけ与えられた特権であって、それは女性に相対した(多くのヘテロセクシャルの)男性には望むべくもない。同性であり恋人を持っているという社会的障壁をその内面に抱える雪乃のような存在にだけ許された行為なのだ。
 男性であるぼくが手に入れたいと思っている振る舞いを、強靭なリアリティを伴いながら再現させているのが、この雪乃の戸惑いなのである。

 秋山はるの絵はいわゆる「上手」というわけでもないし、顔の表情の作り方なども一見、それほど複雑な感情を搭載できなさそうな簡略なもののように思える。
 にもかかわらず、ぼくは秋山の描くストーリーやセリフはもちろんのこと、そのグラフィックに搦めとられている。
 簡略な造りだからこそ余計な要素が削ぎ落とされ、コマの構図や様々な漫画的記号(頬の赤らみや困惑の汗など)の操作によって、逆にシャープに、シンプルに、登場人物の心情が伝わってくるのかもしれない。

 同性愛という設定によって、雪乃と節子の恋愛は、「将来」のない閉塞した息苦しいものとして描かれている。
 この設定が与える効果は、リアルな同性愛の持つ「悩み」ではない。
 「将来」を望むとは、恋愛を終えて結婚という経済生活を展望することであり、「愛」という名に隠れて「恋」という純粋な激情を放棄すること、死なせることである。今ここでしか通用しないかのような「同性愛」を描くことは、刹那の気持ち、一時の気の迷い、たちまちに過ぎ去る瞬時の快楽を描くのではなく、逆に、現代ではおよそ手に入りにくい、美しい純愛と、強固な絆を描くものになっている。

 将来の打算に何もつながらないからこそ、現在の一瞬がありえないほどに美しい、というのだ。
 ぼくはすっかりこの「百合」の持つマジックにやられっぱなしである。