「読売」はウクライナ戦争について識者に意見を聞いているのだが、今日(2024年4月17日付)載っていた横手慎二のインタビューが面白かった。
横手の本については以前感想を書いたことがある。
横手のインタビューは、プーチンと、エリツィン、スターリンの思想的・政治的な視野の広さ、射程の大きさを比較するものだ。
その視野の広さ(狭さ)によって、政治的手法の違いが生まれていることを簡潔に解き明かしている。
このインタビューは言い回しの「面白さ」がある。
たとえばこうだ。
本質を短く言い表すという鋭さが生み出す表現の「面白さ」だ。
その上で。
エリツィンとの比較はこんな感じ。
99年まで在職したエリツィン・ロシア大統領は、クリミアをロシアに取り戻したかっただろうが、我慢した。ウクライナに「返せ」とは言わなかった。「国境に手をつけないようにしよう。それしかロシアが生きていく道はない」と考える程度に、政治家として成熟していた。
巨大な植民地帝国が崩壊しても、国境問題は残り、それは紛争の火種となるはずだが、ヨーロッパの一員として生きていこうという視野があったエリツィンは、そこを問題にすることを我慢した。
エリツィンは1991年12月、つまりソ連が崩壊した時にNATO加盟を要請する発言をしている(NATO側は「申請しているとは認識していない」と反応した)。97年7月のパリ首脳会議では、NATO・ロシア基本文書を調印し「お互いに敵とはみなさない」ことを確認し、NATOとロシアの「常設合同理事会」をも設立している。
97年の基本文書の合意の後にも、ロシアは確かに東欧諸国のNATO拡大には反対の態度を取ったのだが、ポーランド・ハンガリー・チェコなどに事実上拡大していくのにも抑制的な態度を貫いていた。
プーチンもこの路線を継いだかに見えた。
2002年にはプーチンがNATO特別首脳会議に招かれ、「NATO・ロシア理事会」が設立されている。*1
しかし、東欧へのミサイル防衛システム配備や2004年のさらなるNATOの東方拡大を契機に、NATOとの関係は悪化していく。
プーチンはNATOとの対立・敵対に舵を切っていくのである。軍事同盟という思想そのものに立脚するようになってしまう。
こうした路線転換を、横手はプーチンの政治家としての射程の大きさ(小ささ)から解明する。
プーチン氏はクリミアを取るような局地的な作戦は得意だ。また、いかにも頭がよさそうにしゃべる。しかし、大局観がないのは明らかだ。
それがはっきり表れたのが北大西洋条約機構(NATO)拡大への対応だ。プーチン氏は、NATOの東方拡大がロシアを脅かしていると主張した。
プーチン氏は、ロシアが東欧諸国などに与える脅威感をほとんど理解していなかった。本来、それを踏まえてどの辺で妥協ができるかを考えるのが政治家の仕事だったのに、しなかった。
〔プーチンは〕大統領になって(20世紀前半の民族主義者)イワン・イリインやドストエフスキー、ソルジェニーツィンといった、ユーラシア主義的な傾向〔欧州の一員という立場と対比し、ロシアの独自性を強調する立場〕を持つ思想家の本を読んでいるが、付け焼き刃だ。
外交史家、ジェフリー・ロバーツ氏がスターリンの蔵書の書き込みを研究して明らかにしたように、スターリンはものすごい勉強家で大知識人だった。第2次世界大戦当時、スターリンが世界情勢について考えたスケールは、ルーズベルト米大統領やチャーチル英首相と比べて全く遜色ないレベルだった。
横手は、かつて出した新書では、スターリンの「知性」の特徴を次のように規定している。
この指示は、スターリンの蔵書がきわめて実務的性格を持っていたことを示している。また同時に、彼の関心が非常に広かったことを示している。明らかに彼は、国家統治に関わるあらゆる分野に通じたいと考えていた。さらに言えば、高等教育を受けていなかった彼は、まさに独学で、役立つと思われる知識を貪欲に吸収していたのである。(横手『スターリン』中公新書p.146)
スターリンはどう見ても権力者になる以前の時期から、人文・社会科学の広範な領域での当時の専門的知識を求めており、高度な書物を読むだけの知的能力を発揮していたからである。ただ、彼の場合にはあくまで実践的姿勢が優勢で、抽象的な論理に終始する理論的著作を読む知的訓練(高等教育)を受けていなかったというのが実情に近かったと思われる。彼が原理的演繹的に考えることを得意としたトロツキーやブハーリンに知的劣等感を抱いていたすれば、おそらくこの程度のことであった。(前掲p.147)
レーニンから続く西欧知識人的な伝統=抽象的概念を操る思考訓練は受けていなかったものの、実務・実際的視点から知識を貪欲に吸収し、それが彼の政治思想のバックボーンとなり、欧米の知的指導者に伍する力(大局観・歴史観)をもつに至ったという分析である。
聞き手の森千春は、このインタビューを受け、エリツィンは局地作戦に長けているという実務的成功が仇となったという分析をしている。
小さな実務的な成功の体験に縛られたプーチンは、それに執着するようになる。その小さな成功への執着を起点にして、大きな戦略を組み立てようとするのだが、その戦略の射程や視野が狭ければ、歴史観や大局観による修正が効かずに大失敗をしてしまうことになる。
先日、岸田文雄の米議会での演説を(英語の勉強を兼ねて)読み、聞いた。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/pageit_000001_00506.html
導入の柔らかさ・個人的なエピソードから日米間の戦略的な問題に迫っていくという構成はスピーチとしては聞きやすいものだった(「フリントストーン」って「ギャートルズ」のヒントになる先行作品だったんだと改めて知ったよ…)。
ただ、そこで示された内容に大局観・歴史観はあまり感じなかった。新聞記事レベルのことを装飾しているだけのように思われた。
政治主張としての立場ではなく、岸田と比べて大局観・歴史観を感じられるものになるかどうか、楽しみにしている。