石井遼介『心理的安全性のつくりかた』

 リモート読書会の次のテキスト。ぼくはファシリテーターである。

 ハラスメントは、それをやってしまったら人権侵害になってしまう。じゃあハラスメントがなければいいのかというと(もちろんそれはそれで大事だが)、仮に「ハラスメントがない」とされる職場であったとしても、自由にモノが言えない・言いにくい職場というのがある。そのような職場はどうしたら作れるだろうか…という問題意識がぼくにはあった。

 

「生産的でよい仕事をすることに力を注げる」という要素

 もともと「心理的安全性」概念を提唱したエイミー・C・エドモンドソンは本書によれば

チームの心理的安全性とは、チームの中で対人関係におけるリスクをとっても大丈夫だ、というチームメンバーに共有される信念のこと(本書p.22)

だという。しかし、本書の著者である石井はこれを次のように定義し直す。

一言で言うと「メンバー同士が健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をすることに力を注げるチーム・職場」のことです。(同p.22-23、強調は引用者)

 ここでエドモンドソンとの違いは「生産的でよい仕事をすることに力を注げる」という要素が入り込んでいることに注意する必要がある。

 ネット上で共産党内でのハラスメント問題が話題になったとき、「心理的安全性」について話題にする人がいた。それに対して、「ハラスメントと心理的安全性は違う」という意見、さらには「心理的安全性は資本の側が用意した概念ではないのか(だから左翼が迂闊に使うべきではない)」という意見があった。この二つはある意味でどちらも正しいと思う。

 「ハラスメントと心理的安全性は違う」は冒頭にぼくが述べたような意味で。

 「心理的安全性は資本の側が用意した概念ではないのか(だから左翼が迂闊に使うべきではない)」については、本書が日本能率協会マネジメントセンター出版であることからも推察されるし、本書の著者・石井が「生産的でよい仕事をすることに力を注げる」を出口にしていることからも、ある意味でうなずける。

 ただ、仮に左翼が政権を握ったり、社会を運営する中心に座ったりした場合でも、「職場が自由で民主的な雰囲気で、なおかつ生産性の高い(あるいは目的を遂行する)仕事をどうしたら実現できるか」というテーマは考えねばならないはずである。というか、政権とか社会とか言う前に、まず自分たちの組織がそのような組織でなければならないはずだ。

 本書にも出てくるが*1、「モノも言えず、恐怖や統制のノルマで縛られたキツい組織」であることはもってのほか。しかし、かといって「自由で民主的だが、いっこうに仕事ははかどらない。みんな無責任でやることをやらない」というわけにもいかない。「自由で民主的ならほっといてもやってくれるさ!」というのは、ある意味でそうかもしれないが、そう単純でもないところが、現実の難しいところではないだろうか。

 多くの進歩的組織はそういうことで悩んでいるはずだ。

 モノを言うことも建前は自由だが、実際には同調圧力でしばられていてモノが言えない。あるいは、異論を言えば、あれこれの理由をつけて村八分にされる。あるいは、恐怖や統制はないが、「●月までに●%アップ!」という目標達成など内心は誰も信じておらずなんとなく惰性でみんなやっている。だけどそれを根本から見直すことはできない…などという会社や団体もあるだろう。たぶん。どこかに。

 

「結束したチーム」は実のところ、異論を唱えることが難しい

 本書の隠れたテーマは「自由で民主的な雰囲気と、高い生産性・目的遂行力は両立するのか? 両立するならどうやってそれを実現できるのか?」ということだ。

 最初は「自由で民主的な雰囲気」づくりをやっても、何らかの仕事上の達成をしようと思うからこそ、ホンネのところでは「でもいざとなったら、みんなでキツいノルマをやるしかないかんね」となってしまって、「ツラいけど文句を言わずにやる」「文句いうやつは目的遂行の妨害者」的な空気へと逆戻りしてしまうのだ。「お遊びの時間はおしまい」というわけである。

 スポーツチームなどでも「選手をシゴいたり管理したりするのが結局は高い能力のチームに仕上げる近道」という信念はなかなか拭えず、「選手一人ひとりの意見を聞いて、モチベを上げて、みんなで甲子園行く」というような方向を非現実的なヌルい道としか思えず、「まあ草野球で楽しめばいいっていうチームはそういうことやったら?」としか思っていないわけである。

 スポーツマンガにはそういう対立がだんだんと描かれるようになってきた。

 『おおきく振りかぶって』は近年のその嚆矢だと思うけど、最近では西餅『僕はまだ野球を知らない』、特にその第二部にあたる『僕はまだ野球を知らない・second』は父子のチームが激突して、この対立のクライマックスとなっている。

 

 本書では次のようにこの問題意識をまとめている。

 「心理的安全性」という言葉は、字面や表面だけを捉えると誤解を生みがちです。心理的安全なチームというのは、外交的であることでも、アットホームな職場のことでも、単に結束したチームのことでも、すぐに妥協する「ヌルい」職場のことでもありません。

 例えば、「結束したチーム」はスポーツの文脈で良く語られ、目標に向かって一致団結する姿がチームの理想として認識されています。

 しかし裏を返せば、「結束したチーム」は実のところ、異論を唱えることが難しいチームともいえます。心理的に安全なチームはむしろ、チームメンバー大勢の意見が一致しているように見えるときでさえ、「それは違うと思います」と容易に反対意見が言えるチームのことなのです。(本書p.33、強調は著者)

 著者の石井は、最初にこの両立についての概念整理を行う。

 つまり、どうすれば心理的安全性と、仕事をバリバリやることが両立するか。もっと言えば単に両者が対立するのではなく、心理的安全性こそが仕事をバリバリやる条件になるのか、という整理である。

 石井はこの点について、「高い基準(ハイ・スタンダード)の仕事」という考えを提唱する。これは目標を高くしろと誤解されそうだが、と石井はいう。そうではなく、「妥協点が高い」という意味なのだという。

 「来期、100兆円売り上げるぞ!」という高すぎる目標設定をするが、期が始まってしばらくすると、「とりあえず、昨対5%増を目標に……」などと、すぐに妥協するリーダーは妥協点が低く、その高い目標にメンバーが共感することもありません。

 一方「今期、ここまで行こう」ときちんと目標を決めて努力し、あと半年では達成が難しいことが分かっても、粘り強く行動を増やしたり、新しいことを試したり、どんどんとノウハウをメンバーに共有したりするリーダーもいます。(p.35-36、強調は引用者)

 これが「妥協点が高い」のだという。妥協を簡単にしないことか? と思うが、そうではない。しかし、ここではそれ以上書かれていない。

 全体を読んでぼくが後から思ったことだが、この場合で言えば、最初の目標設定に理由・根拠があること、それを実現できる資源があること、その資源の動員が可能であること、などがメンバーによく共有され、納得されているということなのだろうと思った。根拠が徹底的に検証され、メンバーはそれを納得して共有し、いつでも自由に反対の異論が出せて、目標が変えられるようになっていることだ。論拠の正しさがあってみんなが納得すれば、目標は変えられてしまうという緊張感がある。逆に言えば、そうでないうちは、掲げた目標をなんとしもやり切ろうとすることになる。しかし、根拠と納得と自由な討論の雰囲気があるので、士気は高い。

 「●%増やすしかなかろう」といって、ろくすっぽ実現性も検証されないまま押し付けられるような目標だと、すぐに「●%増」という当初の目標は現実的には下ろされて、現場では「まず前回比を超えよう」という妥協したものにすり替わってしまう。うん。どこかで聞いた話だ。

 

「カルチャー」の改革と、「スキル・行動」の付与にフォーカス

 しかし、こう概念整理できたからといって、じゃあ具体的にどうすればいい? となる。

 石井は、そこで概念的にコトを分けて示そうとする。

 まず、一般的にモノが自由に言えるということではなく、高い生産性を実現する条件としての「心理的安全性」の要素として4つを提示する。

  • 話しやすさ
  • 助け合い
  • 挑戦
  • 新奇歓迎

 まあ、これは字面だけ見ても、何となくわかるだろう。詳しくは本書を読んでほしい。

 そして変化させるレベルを混同しないように3段階に腑分けする。

  1. 構造・環境
  2. 関係性・カルチャー
  3. 行動・スキル

である。1.は会社の業種とか、会社・業界がおかれている環境とかである。これはまず取り組みの対象にしていない。2.は会社や職場の組織的文化、気風のことだ。いわば土壌のようなもので、時間はかかるがこれを変えないと話は進まない。3.は職場で一人一人がどうすべきかというレベルの話だ。すぐにでもやれることである。

 つまり本書は2.と3.にフォーカスしている。

 

リーダーが行うべき課題としての心理的柔軟性

 その上で、2.を変えるためにはリーダーによる「心理的柔軟性」が必要になるとして、その展開を第2章で行なっている(第2章 リーダーシップとしての心理的柔軟性)。

 会社や職場の組織文化を変えるということが、実は「心理的安全性」を築く上では大きな土台になる。だから、本書のサブタイトルも「『心理的柔軟性』が困難を乗り越えるチームに変える」になっているのだ。まさに第2章が一つのキモだ。

 そして、この課題は主に職場の個々のメンバーではなく、リーダーがとるべきものとして提起されている。厳密に言えば本書は「リーダー」ではなく「リーダーシップ」=他者に影響を与える能力の発揮を求めているので、例えばヒラでもリーダーシップは発揮できるし、部長でもお飾りなだけならリーダーシップは発揮できない。いずれにせよ、「まず心理的安全性の保証となる文化を職場につくろう」と思っている人が、主体的にその変革に挑むという課題を示し、具体的にどうすればいいかを提示している。

 ただね。

 この章は読みやすくないところも多い。

 概念化=学問化しようとする意思が強すぎるのだろうが、抽象的で「言っていることはわかるけど、何のためにそんな話をしているのか?」と首を傾げてしまような記述もある。あるけども、そこはまあとりあえず飛ばして大ざっぱに「ここはリーダーシップをとって、職場に心理的安全性の文化を根付かせようとする努力方向について書いているんだな」と理解して進むのがいいだろう。

 結局のところ、カルチャーを変えようとすると抵抗が出てくる。しかし、そこにあんまり囚われすぎずに(「変わらないものを受け入れる」p.101)、奨励すべき、いい雰囲気の行動に注目してそれを励ましていくのがいいんじゃね?(「大切なことへ向かい変えられるものに取り組む」p.121) ということなのだろう。

 その上で、「正しさやタテマエ、これまでの自分の体裁に囚われるな。必要なことはこれだということをプラグマティックに見分けろ」というアドバイスをする(「マインドフルに見分ける」p.128)。

 これがリーダーがやるべき課題だというのだ。このような心のありようを石井は「心理的柔軟性」と呼んでいる。

 

メンバーに身につけてもらうべき行動

 次に、個々のメンバーが「心理的安全性」を作る上での課題を示す。

 段階で言えば3.の「行動・スキル」にあたる部分で、リーダーではなく職場のメンバーがどうすべきかという話になっている。

 一人一人が心理的安全性を保障するような行動をしないと職場に心理的安全性はもたらされないのだが、それをいきなり個々のメンバーに与えるのではなく、まず2章でリーダーシップによって土壌を耕す、もっと言えばリーダーがイニシアチブをとって土台をつくることなしにはできないと思っている。

 そういう意味では、この3章よりも前述の2章の方がキモなのだが、その結果、個々のメンバーがどう変わるべきなのかはこの第3章「行動分析でつくる心理的安全性」に書かれている。

 実は、この章も、前章と同じで、学問化させようとするあまり「いったい何の話をしているの?」と思ってしまう箇所がいくつかある。

 でもあまり難しく考えずに、そこは読み飛ばそう。

 要は、話しやすさ・助け合い・挑戦・新奇歓迎という心理的安全性の4つの因子を阻害するような「きっかけ・みかえり」を減らし、4因子の行動が増えていくような「きっかけ・みかえり」をどんどんやっていこう、ということなのだ。

 おそらく本書を手に取ったとき、読者が一番知りたかったことの具体的な話は、この章のp.198からの具体的な「行動分析」に書かれている。

 例えば

 新人が不十分と思える報告を持ってきた。

 さあ、あなたはどうする?

  • 「君の報告はわからん。ちゃんと分かりやすく報告してくれ」
  • 「報告ありがとう」

 この場合、後者を選ぶべきだと石井は言う。

 「スキルが低くてよい」「結果が出なくてよい」ということではない、として石井が整理を行う。

重要なのは「望ましい行動を増やす」ことと、「まだ高くないスキル・品質を切り分ける」ということです。(p.201)

 

 挑戦を引き出す際には、範囲を限定して制限を課すことでアイデアを出しやすくする…などの提起もされる。

 ここは具体的に本書を読んで実感してほしいところである。

 

形式でないルールをどう作るか

 第4章「言葉で高める心理的安全性」は、リーダーにもメンバーにも共通することとして、職場につくった「ルール」——ここでいうルールは、会社で言えば事業計画や方針、左翼組織でいうところの政綱・綱領あるいは決定のようなものだが、それを

いかにして「形式的なルール」にせず、実感を持って行動に移せるチームに変えるのか(p.231)

をテーマにする。

 章の前半は、形式から実感へと職場のメンバーの気持ちはどう進化していくのかが概念的に示される。

  1. 言われた通り行動
  2. 確かにそうやな行動
  3. そんな気がしてきた行動

 まあこれも本書を実際に読んでみてほしい。

 後半は、そのように進化させるためには、機能別チーム(「営業部」「開発部」など)での実践の仕方と、プロジェクトチーム(各部から寄せ集めてプロジェクトを達成する場合)での実践の仕方が違うとして、それぞれの場合について書いている。

 

実はみんなが読みたいのは第5章では?

 本論はこれで終わりである。

 最後に「第5章 心理的安全性導入アイデア集」。

 いやーさっき3章で「実はみなさん知りたいのはこういう具体的なティップスでしょ?」という趣旨のことを言ったのだが、この第5章はモロにそれである。これまでのような議論が苦手な人は、この章だけをまずは読んでみてもいいかもしれない。

 例えば

研修として、職場のチームで料理をすることで、固定化した役職・階層が解きほぐされ、チームを新しい観点で捉え直せる(p.292)

というような例が載っている。

 

 このようにみてくると、改めて本書が、「生産的でよい仕事をすることに力を注げる」にフォーカスしていることがわかると思う。単に「勝手にモノを言い、言いっぱなしの職場」をつくろうとしているのではないのだ。

 もちろん、これで成功するかどうかはなんともわからない。

 だから、内容がすごくいいかどうかは判断はつかないのである。

 

社会進歩としての心理的安全性の構築

 しかし、ぼくは思ったのだが、資本の側は資本の側として、自由で民主的であることを条件としてどうやって生産性を高めるのか、ということに努力してんだなということだった。こういう資本の側からなされている努力も(いやむしろそのような努力こそが)、職場を自由で民主的にしていく、社会進歩の構成要素になるのではないだろうか。

 タテマエでいくら「私たちの職場は自由にモノが言えます」「異論はいくらでも言えます」「それでみんなで目標に向かって頑張っています」なんて言ってたって、そういう虚飾はもうたくさんなのだ。

 沈滞したムードと同調圧力が漂う中で、「まあ…これ以外に他に道もないし…とりあえず言われたことをやっておくフリでもするか」といって、黙々と従い、危険な挑戦や新奇な異分子が出れば上司の顔色を伺いながら上つ方とご一緒にそういうバカを排除するムーヴをやる。そういう組織はやがて滅びる。

 滅びないために、資本側も必死である。だから、こういう努力が生まれてくるのだろう。

 とはいえ、本書の限界として言える一つのことは、会社なり、事業所なり、組織なりの大きな進路を問う技術は、本書には入っていないことだ。そもそも大きな方向が間違っている、ということを問うことは意味がないとして、3つの段階分けの時にシャットアウトしてしまっている。

 太平洋戦争で言えば、戦争勝利のための作戦遂行にはあれこれアイデアを出せるけども、戦争目的そのものが大間違いでは? という根本的な議論を提出するにはどうしたらいいかはここでは書かれていない。

 大前提を疑わせないという思考は、別に左翼組織の中にも根深くある。

 そのようなところにまでさかのぼるにはどうしたらいいかは、本書からはみ出してまた考えてゆかねばらないことだろう。

 

「激しい言葉」での「率直な討論」は成り立つのか

 「自分たちは率直な討論をしている」という組織がある。自分たちは自由な討論をしている、率直になんでも言っている、だから、今さら「心理的安全性」など学ぶ必要はないとか、激しい言葉に聞こえるかもしれないけど、率直にモノを言ってるだけだ、とかそういう。

 仮に「率直な討論」なるもので「激しい言葉」がハラスメントに該当しないとしよう。

 その場合に、「率直な討論」が成り立つのは、それは様々な立場の人がいることを前提とした「一般社会」であろう。完全に一般の社会であれば、多様な意見は不快なままでも共存しあい、討論は(名誉毀損などにならない程度に)どれだけボルテージが上がろうが自由であり、社会の中で競争し切磋琢磨し淘汰し合えばいいからである。*2

 ところが「仕事の遂行」という共同目的で結ばれた「チーム」においては、「率直な討論」は単純に機能しない。同じチームとして共同の仕事を進める以上、「激しい言葉」でのやり取りは、感情的な困難が残るからである。*3

 しかも、討論のメンバーの間に、

  • 極端な力の非対称性(一方が指導者で、他方がヒラとか)
  • 一方の発言が非常に強く制約されている(発言時間、発言機会、発言届く範囲など)

のような場合には、なおさら「率直な討論」は成立しないだろう。そこに心理的安全性はなく、場合によっては「激しい言葉」そのものが「率直な討論」ではなく、一方が他方を抑圧するハラスメントになりかねない。

 だからこそそういう場合には、本書で披瀝されたような、心理的安全性を確保する技術が必要になる。それがなければ、実際には力や権限を持った者が幅をきかせ、萎縮や同調圧力が働く、心理的安全性ゼロの職場となってしまうだろう。*4

 

本書ですぐに役立つこと

 いろいろあるんだけど、本書の中ではまず「相手の発言や取り組みに感謝をする」ということはすぐにできるんじゃないか。この種の「きっかけ・みかえり」がなんども出てくる。

 「報告してくれてありがとう」「その取り組みはなかなかいいね」ということを、理由をつけて返すのである。

 新人とか、慣れていない人とかが、不十分な発言・方向・仕事を持ってくる。だけど、早く持ってきたとか、チャレンジしているとか、仕事の遂行を前進させる——ここでいう4因子(話しやすさ、助け合い、挑戦、新奇歓迎)を励ますものであれば、とにかく理由を含めて励ますことはできるのではないかと思っている。

 不十分なところや批判点をあげつらって、本書でいう「嫌子」を増やしてしまうのではなく。

 本書の実践は、いきなり全部を始めなくてもいいんじゃないかと思う。

 それはできるだけぼくもやってみようと思っていることなのだ。

*1:p.36。「キツい職場」「ヌルい職場」「サムい職場」。)

*2:あるいは、学会のように、チームとしての共同作業をそのあとに前提としない場でも機能するであろう。

*3:なお、ハラスメントについての訴えは別である。被害者が「激しい言葉」を使うのはある意味で当然だ。

*4:革命前のロシアのボルシェヴィキは、革命事業の遂行という共同性を前提としつつ、激しい言葉で議論しながらも、会議に応じてグループ(フラクション)を作り、会議が終われば後腐れなく分かれるという、稀有な存在だった。インテリゲンチャ性がそれを可能にしていた。

ハラスメントは組織の外で認定してもらうべきだ

 ハラスメント問題の処理——認定や救済は、組織や団体の中で閉じ込めて、外に漏らしてはいけないだろうか?

 ハラスメントは日本では現在違法——犯罪扱いされていない。

 しかし、ハラスメントの中でも例えば刑法に触れる性暴力に該当する場合は、さすがに組織内にとどめよ、と主張する向きはあるまい。レイプされても組織の外に出してはいけない、ということになったら、これはもういくら結社の自由でそういうルール(内部問題が外部に持ち出さない)を設けていますからといっても、そういうルール自体が「公序良俗」に反することは明らかだ。

 では、現行法に触れない程度のハラスメントはどうだろうか。

 例えばハラスメントについての国際条約を日本も批准して一刻も早くハラスメントを違法=犯罪として扱うべきだ、と主張している団体があるとすれば、そういう団体においては、当然ハラスメントは全て犯罪として扱うべきであろう。そのような組織においては、ハラスメントを受けても組織の中で問題をとどめておくべきだ、絶対に外に漏らしてはいけない、などとするはずはない。もしそんな主張をしたとしたら、その組織は深刻な自己矛盾に陥るだろう。

 ただ、そのような理屈を除いても、つまり、ハラスメントを犯罪・違法とするかしないかにかかわりなく、ハラスメントは、会社や団体から独立した機関によって、認定や救済が行われるべきである。つまり組織の外に持ち出すべきである

 

 日本共産党の次の提案は実に参考になる。

ハラスメントなくせ/倉林氏 禁止規定を要求

 倉林氏は、セクハラ被害の行政救済制度の活用状況(2017年)について、相談件数6808件に対し、調停はわずか34件、解決金の中央値は29・5万円だと指摘。「圧倒的な相談者が諦めているのが実態だ。現行制度は『被害者と事業者の譲り合い』が前提で、被害者にとって受け入れがたい。被害の認定、加害者からの謝罪、権利の回復ができる独立した救済機関を設置すべきだ」と主張しました。 倉林氏は、セクハラ被害の行政救済制度の活用状況(2017年)について、相談件数6808件に対し、調停はわずか34件、解決金の中央値は29・5万円だと指摘。「圧倒的な相談者が諦めているのが実態だ。現行制度は『被害者と事業者の譲り合い』が前提で、被害者にとって受け入れがたい。被害の認定、加害者からの謝罪、権利の回復ができる独立した救済機関を設置すべきだ」と主張しました。

 会社や団体で認定できないどころか、政府から独立していないために、認定や救済が全く進まないという実態が告発されている。

 組織内で解決ができるなどと到底期待できないことがわかる。

 日本共産党の提案は、ハラスメント認定などを行う独立機関を設置するよう要求しており、当然組織の外に持ち出すことを積極的に奨励している。そうしなければ問題が解決しないことをよく知っているのだ。

 ぼくの身近で、ある左翼の人が「ハラスメント解決は自己改革でこそ解決できる」とうそぶき、専門家を含めた独立した第三者機関の提案に対して「企業などはすぐそういう丸投げをやるんですよね」と悪罵を投げつけていたのを思い出す。そういう「左翼」人士には、ぜひこの日本共産党の提案をよく読んでほしいものである。

 

職場におけるハラスメントをなくすための実効ある法整備を求める申し入れ/日本共産党国会議員団 対策チーム

ハラスメントを受けた被害者がアクセスしやすく、行われた行為がハラスメントかどうかを迅速に調査・認定し、事後の適切な救済命令(行為の中止、被害者と加害者の接しない措置、被害者の雇用継続や原職復帰、加害者の謝罪と賠償など)を行う、政府から独立した行政委員会を設置することが必要である。

 

主張/ハラスメント防止/実効性ある法律にするべきだ

政府案は被害者救済と権利回復のための救済機関の設置にも一切触れておらず、顧客や取引先など第三者からのハラスメントも対象にしていません。…日本共産党提出の修正案は、(1)ハラスメント全般(第三者からの行為も含む)を禁止する規定(2)被害にあった労働者の申し立てを受け迅速に調査・救済する独立した第三者機関の設置―を求める内容です。

 

ハラスメント禁止“不十分”/高橋議員 法改定案に反対討論/衆院本会議可決

 日本共産党高橋千鶴子議員は反対討論で、改定案にはハラスメント行為を規定し法的に禁止する規制がないため、「『ハラスメントがあった』と認めてもらうこと自体が困難だ」と指摘。改定案で被害者が事業主に相談したことによる不利益取り扱いを禁止したことは当然だが、現状を大きく変えるものではないとして、「独立した救済機関が必要だ」と強調しました。 

ハラスメント禁止へ修正案 共産党提出/衆院厚労委 高橋議員、可決の政府案批判

多くの被害者が声を上げることができず、勇気を振り絞って相談しても事業主から適切な対応が取られず、加害者から謝罪さえ受けられず、心身に不調をきたし、休職・退職に追い込まれたりしています。ハラスメントを防止するためには、禁止規定を明確化し、独立した救済機関を創設することがどうしても必要です。

 

ハラスメント防止に実効性なし/女性活躍推進法等改定案 倉林議員が反対/参院委で可決

「被害者救済のための実効ある機関や企業への制裁措置がなく、多くの被害者が謝罪さえなく、心身に不調をきたし、退職・休職に追い込まれている」と述べ、独立した救済機関の設置を求めました。

 

共産党・吉良よし子参院議員の質疑

これ、就活生だけじゃなくて、あらゆるハラスメント被害者がそうだと思うんですけれども、安心して相談できる、そういう明確な機関、政府や企業から独立した救済機関、どうしたって必要だと思いますが、大臣、こうした独立した救済機関、すぐにでもつくるべきじゃないですか、いかがでしょう。(参院厚生労働委2019年5月16日)

 

 ハラスメント問題は、組織内に閉じ込めるべきではない。

 ハラスメントは本質的に違法であり、犯罪である。

 その可能性がある以上、組織の外に訴えて、独立した専門家に認定してもらうことがまずは必要だ。

 ましてや加害者が「ハラスメントではない」などと認定するなど論外中の論外である。ハラスメント対処のイロハさえ踏まえてないことになるだろう。

 ぼくはそういう対応をやった組織を身近に見たし、その組織にいる人でこれまで立派な人だなあと思っていた人たちが次々そんなずさんな対応によく考えもせず賛成し、賛辞を繰り広げていった知的退廃の有り様を見て、それらの人たちに心の底から失望したものである。

 

 

補足(2024.3.21 10:58)

 ブコメで「裁判でいいのでは?」という意見が散見されたので、共産党の質疑ではその辺りどう考えているのかを補足して書いておく。

共産党・本村伸子衆院議員の質疑

○本村 次に、現状の裁判の限界についてもお伺いをしたいというふうに思います。
 大臣にお伺いしたいんですけれども、セクシュアルハラスメントの被害を受けた方が裁判に訴えることはなかなかハードルがある、難しいというふうに言われている、当然そうなわけですけれども、大臣は、その理由は何だというふうに認識をされておりますでしょうか。

○根本国務大臣 セクハラ被害者が裁判を起こすことについては、幾つか心理的なハードルがあると考えております。原告としてみずからの名前が明らかになってしまう、会社にいづらくなり、やめざるを得なくなることもある、被害者に落ち度があった等の中傷を受ける、セクハラを受けたという明確な証拠を示すことが難しい、あるいは費用や時間がかかるなどの理由によって特に心理的なハードルがあると考えられると思っております。

○本村 裁判にかなりのハードルがある、被害を受けた方々にとって本当に高いハードルなんだということはお認めいただいたというふうに思います。だからこそ、私たちは、独立した行政の救済機関が必要だというふうに考えているんです。(衆議院 厚生労働委員会2019年4月17日)

 

ハラスメント被害者を「厄介者」扱いする組織

 

しんぶん赤旗1月22日付


 しんぶん赤旗1月22日付に「自衛隊セクハラ 深刻さ告発」「現役隊員の国賠訴訟」という記事が載った。

航空自衛隊那覇基地でベテラン隊員から受けたセクハラに対して組織が不利益防止措置などをとらなかったとして、昨年2月に国を相手に損害賠償請求を起こした(しんぶん赤旗1月22日付)

という事件である。ハラスメント加害者であるベテラン隊員はA、訴えたCさんは現役自衛官だ。すでに、AがCさんに対して起こした反訴の地裁判決では、Aの訴えを棄却し、AのCさんに対して行った「セクハラの事実をおおむね認めました」(同前)。

 

 この裁判を起こしたCさんは裁判の意義をこう語っている。

被害を告発した人に不利益を与え、被害を隠蔽する自衛隊の深刻な実態を社会に知らせたい(同前)

 (1)被害を告発した人を徹底的にバッシングする(2)被害を隠蔽する、という抑圧的な組織体質に注目した。

 自衛隊だけではあるまい。

 様々な組織——たとえ進歩的組織であってもそういうことが起こりうるだろうと思ったからである。

 記事では組織が告発者Cさんに加えた不利益、被害隠蔽が書かれている。

被害を組織に訴えましたが、セクハラ相談員からは「我慢するしかない」、上司からは「加害者にも家庭がある」などと対処されませんでした。(同)

 被害を訴えても、例えば弁護士のような専門家が判断しておらず、組織の一員である「相談員」が被害を隠蔽していることがわかる。

 ただ、この組織(自衛隊)では一応第三者であるはずの相談員が相談にのる仕組みがある(その結果は上記の通りひどいものだが)。ひどい組織になると加害者自身が「それはハラスメントではない」などと判断を下すところもあるという。それが進歩的な看板を掲げている場合すらある。

14年、自衛隊那覇基地内の隊員を対象に、加害者Aを匿名にする一方、Cさんの実名をさらした上で、セクハラにあたらない案件を騒ぎたてている印象をあたえる不適切な内容のセクハラ研修を実施。同基地内で陰口や嫌がらせなどによって厄介者扱いを受けたことで追い詰められ、不眠が続き体調が悪化していきました。(同前)

 “ハラスメントではないのにハラスメントだと騒いでいる”という徹底を組織内で行ない、組織内で被害者を「厄介者」扱いする——こういう組織体質は他でも実によく見られる。ぼくも身近に知っている。

 Cさんが民事訴訟を起こした際に、「自衛隊の法務班がAを全面的に支援」(同前)。

セクハラ被害を受けた現場で働き、被害者と加害者を隔離する措置を任じられていた隊員らが、陳述書の中でAを「心の広さや器の大きさに感心」などと称賛しました。一方でCさんに対しては、元交際相手との関係や、処方薬などをさらした上で、「情緒不安定」「激しい性格」などと人格を否定し、セクハラはなかったと事実をねじ曲げ、問題の隠蔽を図りました。(同前)

 組織として子飼いの手先に被害者に殴りかからせ、被害者を叩く。

 この光景もどこかで見た光景である。

 少し違う話だが、ぼくは被害者に対して加害者を非難するな、「言葉がどきつすぎる」「もっとリスペクトすべきだ」と繰り返しトーン・ポリシングする加害加担者たちの言説を間近で見たことがある。

 被害を受けた者が必死で抗議の言葉を紡ぎだそうとする中で言葉が激しくなるのは当然である。他方で、加害者はすでに行為を終えているのだから、あとは加害者は落ち着き払ってそれを否定すればいいだけだ。加害者は落ち着き、被害者は激昂する——この構図ができるのはむしろ自然である。



Aに対して自衛隊は戒告という軽い処分を下しただけで、その後Aは定年で退職。(同前)

 軽い処分で終わらせたことに驚くが、それでも、一切不問に付し、それどころか「ハラスメントではない」と加害幹部が開き直り、むしろそれを称賛さえさせる組織もあるのだから、抑圧組織というものは、どこまでも闇が深いのだと思わざるを得ない。

被害者のCさんが声を上げてから現在に至るまで、昇任を遅らせ、ボーナスを減額するなど、不利益を被らせています。(同前)

 ぼくの知っている組織でも、被害者を役員からおろし、組織内選挙権を勝手に剥奪し、徹底した不利益を与えている例を知っている。

 Cさんは支援集会でこう発言している。

私はSNSで発信したり、メディアに対して自由に答えることが許されていない(同前)

 そういう組織あるよね、としみじみ噛みしめる。

この集会についても何を発言するか、どのメディアが来るか、参加者は何名程度かなどを組織に事前に報告しなければならない(同前)

自衛隊をやめないのかと聞かれることもある。でも、現役だからこそ自衛隊組織の問題に社会は焦点を当てざるを得ないと思う(同前)

私は、このどす黒い事案を今後も一生引きずって生きていかなきゃいけないんです。でももし、この時間がそれぞれの視点によって社会が良くなるように活用されるのであれば、私自身軽くなって生きていけます。これからもみなさんの視点でこのことをSNSなどを通して社会に発信して支援の輪を広げてほしいです(同前)

 Cさんの事案と、ぼくが見知った事案は、違う組織の話だ。

 だが、違うものの中に、同じ光を見出すのが連帯である。

 ぼくはCさんに連帯する。

 

山崎聡一郎『こども六法』

 山崎聡一郎『こども六法』を娘と読んでいる。

 夕食が終わり、こたつでぼくがゆったりとしていると、保育園のころに「絵本を読んでほしい」と言ってきたときのようなのと同じニュアンスで、高1の娘が本を持ってやってくるのだ。

 別に「勉強しよう!」とかそんな意図ではない。娘から言い出したのだが、辞書の見出し語でクイズをやるのと同じように、要はヒマつぶしである。

 ぼくが持っているのは第1版だが、すでに法律が改正されたものもあり、第2版が出ている。

 ぼくは法学を大学で学んだはずだが、知識はほとんどゼロ。

 ただ小学生のとき、子ども向けに民法とか刑法を解説した本(確か「さ・え・ら文庫」だったと思うがタイトルや著者はもう忘れた)を読んで、「未必の故意」という考え方を知り、法律ってヘンだなあ、面白いなあと感じた記憶はある。

 それと同じことが、娘(高1)にも起きているのだろうと思う。

 たとえば、「遺棄罪」と「保護責任者遺棄罪」がある。

 「え、なんで違うの?」と娘は聞く。

 親が1歳の子どもを部屋に置き去りにしてしまうというのはイメージしやすい。これは「保護責任者遺棄罪」。他方で、「遺棄罪」は、たとえば86歳の花子さんが近所に住む青年・太郎さんと山に行き、太郎さんが花子さんを置いて帰るようなケースだろう。誰が置き去りにするかということで犯罪が変わってくるのだと説明する。

 へえ、というような顔をして聞いている。

 

 と、知ったような顔をしてぼくは娘に説明しているが、先ほども述べたように、実は法律について何にも知らない。

 本を読んでいたら「遺棄等致死傷罪」が出てきた。

 遺棄等致死傷罪の条文には次のように書いてあった。

刑法第219条 前2条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

 う? 「害の罪と比較して、重い刑により処断する」とはどういう意味か。

 娘も不思議に思ったらしく聞かれた。

 だが答えられない。

 仕方ないので、ウェブを検索してみる(強調は引用者)。

https://www.yokohama-roadlaw.com/glossary/cat/post_485.html

傷害の結果(遺棄致傷罪)の場合、傷害罪と遺棄罪を比較し、罰の上限と下限について、それぞれ重い方を本罪の刑罰とすることになります
傷害罪の刑事罰は15年以下の懲役または50万円以下の罰金であり、遺棄罪の刑事罰は3月以上5年以下の懲役です。
すると、刑の上限は15年以下の懲役となり、刑の下限は3月以上の懲役となります。
したがって、遺棄致傷罪の刑事罰は、3月以上15年以下の懲役です。
死亡の結果(遺棄致死罪)の場合、傷害致死罪と遺棄罪を比較して刑の上限と下限をいずれも重い方を採用します。
傷害致死罪の刑事罰は、3年以上の有期懲役(20年以下)であり、遺棄罪の刑事罰は3月以上5年以下の懲役です。
よって、遺棄致死罪の刑事罰は、傷害致死罪と同様の、3年以上の有期懲役(20年以下)です。

 上限はわかるが、下限を「それぞれ重い方を本罪の刑罰とする」ってどういうこと? とよくわからなくなってしまった。

 そこで、日を改めてもう一度、ウェブの記述や刑法の本などを読んでみた。

 その結果次のような意味ではないかと思った。

 

(遺棄)
第217条 老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、1年以下の懲役に処する。

(保護責任者遺棄等)
218条 老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、3月以上5年以下の懲役に処する。

(遺棄等致死傷)
第219条 前2条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

(傷害)
第204条 人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

 「遺棄罪」でなく、「保護責任者遺棄等罪」と比較してみる。
 親が小さな子どもを山の中に置き去りにして無事発見されたら「保護責任者遺棄等罪」(218条)だが、その子どもが死んだ・大怪我したら「遺棄等致死傷罪」(219条)になる。

 

------- ここからの文章は末尾で修正 -------

(末尾で修正していますが、まずはそのまま載せています)


 「遺棄等致死傷罪」(219条)の刑罰の量刑の範囲は条文には定められていない。
 そこで、「保護責任者遺棄等罪」(218条)と「傷害罪」(204条)を比較する。
 「遺棄等致死傷罪」(219条)は「3月以上5年以下の懲役」。
 「傷害罪」(204条)は「15年以下の懲役」。
 よって、219条に「傷害の罪と比較して、重い刑により処断する」とあるのだから、「重い刑」である「傷害罪」(204条)は「15年以下の懲役」を適用する。


 だが、それだけではない。
 これは上限についての「比較」しているだけだ。
 もし「15年以下の懲役」だけだとたとえば「懲役2ヶ月」もありうる。


 そこで下限についても「比較」する。
 「保護責任者遺棄等」(218条)は「3月以上」。
 「傷害罪」(204条)は下限がない。
 すなわち「傷害罪」(204条)の方が「重い刑」であると言える。
 よって、下限については「保護責任者遺棄等罪」(218条)の方(「3月以上の懲役」)を採用する。
 つまり、「遺棄等致死傷罪」(219条)の刑罰は「3月以上(より重い下限)15年以下(より重い上限)の懲役」となる。

------- ここまで  -------

 

…っていうことだろうか? 専門家ではないので、当てずっぽうである。

 つれあいから「その解釈が正しいっていう根拠はあんの?」とツッコミをされた。

 専門家の方がこのブログを読んでいたら正否を教えてほしい。

 


 その上で思ったこと。

 なぜ第219条で量刑の範囲を具体的に書き込んでいないのか。これと同じタイプの条文は刑法にいっぱいある。いちいち条文で定めてもいい気がするのだが、そうしていない理由はわからない。改訂が面倒くさいのかもしれない。

 


 また、遺棄して子どもが死んだとしても、傷害致死罪(205条)と比較するのではなく傷害罪(204条)と比較していることにも注意。「故意に傷害して(殺すつもりはなく)結果的に死なせる(傷害致死罪)」よりも「故意に遺棄して結果的に死なせる(遺棄等致死傷罪)」の方が軽い(せいぜい「傷害罪」程度)という考え方なのだろうか。

 


 また、つれあいが事前に予測していたこと———「遺棄等致死傷罪」と「傷害罪」が同時に起きていて、比較しているのでは?———は的外れだったということになる。「遺棄等致死傷罪」は故意に傷害をしていないから「傷害罪」には該当しないからだ。…と思うのだが、これもよくわからない。「いや、おつれあいが正しいですよ」という専門家がいたら、名乗り出るように。

 

補足(2024.3.13)

 名乗り出ていただいた…わけではないだろうが、ブコメ欄で次のような指摘が

snowdrop386 2024/03/05

いやいや、刑法219条が比較対象としているのは傷害罪(204条)ではなく、傷害の罪(204条〜208条の2)ですよ。遺棄致傷なら傷害罪(204条)、遺棄致死なら傷害致死(205条)との比較です(引用された部分にも書いてありますよ)。

 なんと。

 まず、「引用された部分にも書いてありますよ」という指摘を見る。

https://www.yokohama-roadlaw.com/glossary/cat/post_485.html

傷害の結果(遺棄致傷罪)の場合、傷害罪と遺棄罪を比較し、刑罰の上限と下限について、それぞれ重い方を本罪の刑罰とすることになります
傷害罪の刑事罰は15年以下の懲役または50万円以下の罰金であり、遺棄罪の刑事罰は3月以上5年以下の懲役です。
すると、刑の上限は15年以下の懲役となり、刑の下限は3月以上の懲役となります。
したがって、遺棄致傷罪の刑事罰は、3月以上15年以下の懲役です。
死亡の結果(遺棄致死罪)の場合、傷害致死罪と遺棄罪を比較して刑の上限と下限をいずれも重い方を採用します。
傷害致死罪の刑事罰は、3年以上の有期懲役(20年以下)であり、遺棄罪の刑事罰は3月以上5年以下の懲役です。
よって、遺棄致死罪の刑事罰は、傷害致死罪と同様の、3年以上の有期懲役(20年以下)です

 まさにsnowdrop386ご指摘の通りだった。

 遺棄して、その遺棄された人が死んだ場合は、傷害罪ではなく傷害致死罪と比較していた。

 では、刑法第219条にある「傷害の罪と比較して」という一文はどうなるのだろう。

刑法第219条 前2条の罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断する。

 snowdrop386の指摘は

刑法219条が比較対象としているのは傷害罪(204条)ではなく、傷害の罪(204条〜208条の2)ですよ

ということだった。

 ちょっと古いけど、前田雅英他編『条解 刑法〔第3版〕』(弘文堂)には次のようにある。

致傷については、単純遺棄による場合は15年以下の懲役、保護責任者遺棄による場合は3月以上15年以下の懲役となり、致死については、いずれの場合も3年以上の有機懲役となる。(p.639)

 まさに、snowdrop386の言った通りである。

 

 では219条にある「傷害の罪と比較して」という一文はどうなるのか。

 これも簡単。

 刑法の第27章が「傷害の罪」というタイトルになっている。

 つまり、204条「傷害」、205条「傷害致死」、206条「現場助勢」、207条「同時傷害の特例」、208条「暴行」、209条「凶器準備集合及び結集」、これ全体が「傷害の罪」の条文なのである。

 したがってここでもsnowdrop386の指摘が正しかったということがわかる。

 

 ありがとうございました!

 

『ねじ式 紅い花 漫画アクション版 つげ義春カラー作品集』

 奥付には「2024年2月24日」発行とある。

本書は、1969年に刊行された「漫画アクション」誌に加え、「ゲンセンカン主人」(アクションコミックス)「ガロ増刊号・つげ義春特集2」からじかに版をおこしたものです。当時の色版のずれやにじみなどを忠実に再現しています。

 9つの作品が載っている。

 双葉社のサイトでは、

なかでも伝説の「ねじ式」は元版の二色ページを倍増(16ページ)し扉絵も改訂した別バージョンとしてマニアにのみ知られた作品。「つげ全集」でも読むことができない異校版。ファン垂涎の愛蔵版です。

と書いている。

 ぼくには蔵書家としての執着は何もないので、本書の版としての独自の価値がどこにあるかは、ぼくにとっては全くどうでもいいことである。文庫でも全集でもなく、単に絵本のように手に馴染んで、いつでも本棚から取り出して気軽に読めるかどうか、そこが本書の「本」すなわち紙の書物としてぼくにとって大事なことだ。

 

 だから、ふつうに作品として思ったことを記しておく。

 「もっきり屋の少女」のことだ。

 この作品は、主人公(男)が山奥に釣りに行ったときに、少女(チヨジ)と出会い、その少女が1人で「ホステス」をしている小さな居酒屋に案内される話だ。

 主人公は次第に酔い始めるが、少女が主人公の手を持って自分の乳房に触らせる。主人公は驚きながらやや不機嫌になって「おいおい きみはこんな真似を誰に教えられたのかね」と問いただす。少女はこの居酒屋に売られてきたのだという。

 主人公が悪酔いして別室で眠ってしまい、目が覚めると居酒屋で、2人の男が少女の乳首を触る「ゲーム」をしている。性感に耐えて5分声をあげなかったら、ほうびに少女の欲しい靴を買ってやるというのだ。だが、少女は耐えきれない。

 その様子を主人公は盗み見ているだけだ。

 やがて主人公は「頑張れチヨジ」と囃し立てる声が続く居酒屋を去る。

 主人公は一人で歩きつつ、その囃し立てを真似しながら「頑張れチヨジ」「頑張れチヨジ」と言って去っていく。

 精神科医甲南大学名誉教授)の横山博が「『ゲンセンカン主人』と『もっきり屋の少女』——つげ義春の引き裂かれた女性イメージ」という評論(2006年)を書いている。

https://core.ac.uk/download/pdf/148080615.pdf

 

 横山は主人公と作者を重ねながら、少女を「開放的」に弄ぶ「野卑」な男たち、そして売られてきたという少女自身の境涯について、「およそ義春の近づける世界ではない」としている。

 主人公や作者がそう思っているわけではないが、性的な搾取をされている少女を目の当たりにし、気の毒さや憐憫を感じながらも、別にその世界に介入してがっぷり四つに取り組みしない。できるはずもない。

 そして、最後に「頑張れチヨジ」と言って立ち去るのは、むしろ男たち側の価値観や行動を何ら断罪せず、むしろその価値観に一体になりながら、無力極まる「エール」を送っていることになり、なんとも言えない侘しい気持ちになる。少女に、主人公は何もしてやれないのである。

 この「旅人」というポジションは、例えばメディアやネットで様々な現実を見聞きしながら、しかし大した取り組みもせずに通過していっている今の人間のように思えてくる。もちろんぼくもその一人である。

 つげの世界観としては、ぼくほど左派的な感覚はないだろうから、その傍観者性はいっそう徹底している。ほとんど罪悪などは抱かず、しかし虚しくそこを立ち去る悲哀をどこかに感じながら立ち去っているのである。

考えてみりゃあ もともと考えることなんかなかったのだからね

とは立ち去る主人公の言葉である。

 

 立ち入れない現実を垣間見てしまった時に、自分が旅人のように当事者性がまるでない場合がある。そこには無力であったり、傍観者であったりする侘しさが漂っている。そこでは「自分は無力だ」と嘆くことすらない。嘆くなら、フィールドに降りてきて何かをすべきだからだ。パレスチナの現実に対して何かをするということはあっても、では例えばコロンビアで起きている子どもの人身売買のために何かするかと言えば別に何もしていない。そこに多少の感傷だけが流れる。流れること自体がまた虚しいのである。

 

鈴木透『食の実験場アメリカ』

 リモート読書会で読んだ。

 

 

 サブタイトルが「ファーストフード帝国のゆくえ」なので、ははあ、アメリカ=ファストフード帝国批判なんだろうなと思って読んだが、さにあらず

 アメリカでの食文化が様々なエスニックな要素が混ざり合ってできた豊かな歴史を持ち(クレオール料理)、同時に、それがやがて近代の効率性によって画一化への変容しながらも、それへの批判者としてヒッピー文化が登場。ヒッピーの運動そのものは挫折したが、食から政治や社会を変える可能性について展望するにまで至る。

 

面白い小ネタがいっぱい

 ぼくが面白いと思った主な点は2点。

 一つは、アメリカの食・歴史についての小ネタが満載という点。これを学ぶだけでも、本書は十分楽しめるのではないか。

 例えばバーベキュー。今ぼくが日本で見ている姿は単なる「焼肉」なのだが、「バーベキュー」とは一体もともとどのようなものだったのかを本書で知れる。

白人の支配階級は、牛や豚などの良質な部位を奴隷たちに調理させるようになるのに対し、奴隷たちは家畜用の牛や豚はめったにありつけず、残った部位か、他の食材で調理するようになっていた。(p.26-27)

南部の貧しい白人や黒人奴隷たちにとって重要な蛋白源の一つとなったのは、野生の豚であった。これを捕まえて焼いたのである。その時用いられたのが、ヨーロッパとは違う焼き方だった。それがバーベキューである。(p.27)

語源は西インド諸島のタイノ族という先住民の言葉で、焼くための設備をさす言葉「バルバコア」にあるらしい。(同)

西洋の肉の焼き方が至近距離の直火で短時間に焼くのが一般的だったのに対して、バーベキューは低温の炭火を離れた場所に置き、その煙でいぶすようにしながら長時間焼くものであり、肉がその分やわらかくなる。だが、大掛かりな野外設備を必要とする長時間の重労働だったため、当初アメリカでこれを担っていた中心は黒人奴隷だった。黒人奴隷たちは、西インド諸島で先住インディアンたちと接触した際にこの技術を身に着け、南部へと持ち込んだと考えられる。(p.28)

 

 あるいは「コカ・コーラ」や「ドクター・ペッパー」のような炭酸の清涼飲料水。もともとは医療的な「薬」として売り出されていた。

アメリカの場合、ピューリタン的な倫理が世俗化されるにつれ、アルコールへの依存度を低めようとする禁酒運動が一九世紀以降盛んになってくる。それゆえ、アルコール抜きの飲みやすい、飲料水型の食品が求められるようになる。その結果開発されたのが、炭酸飲料だったのである。(p.98)

当初、炭酸飲料は、専ら病気の人が安全に水分を補給する手段とみられていた。ところが、これは普通の人が飲んでもいいのではないかという考えが広まり、炭酸水に様々なフレーバーを付ける試みが行われるようになる。(p.98-99)

 こうして「ドクター・ペッパー」「コカ・コーラ」の誕生へとつながっていく。「薬くささ」はその名残なのだ。

 

食を通じて社会を変える?

 もう一つは、本書が結論として食を通じて政治や社会を変える可能性について考察していることだ。

 筆者は、トランプ旋風などに見られるような反知性主義アメリカ第一主義を心配している。しかし、それを「食」が変えるかもしれないというのだ。

異種混交的なアメリカの食の成り立ちを再認識することは、他の集団からの恩恵をこの国が受けてきたこともあらためて浮き彫りにする。食べ物に刻まれた、忘れられた記憶を回収することは、アメリカと国境の外との世界との意外なつながりを明らかにしてくれる。それは唯一の超大国が苦手としている自己相対化のための契機を提供し、アメリカ型多文化主義アメリカが第一主義の併存するねじれ現象に一石を投じる可能性を秘めている。(p.233)

 うん、こう聞くと「なんて馬鹿げたことを」と思うかもしれない。

 いや、ぼくも「馬鹿げてる」と思った。

 だから、筆者も「荒唐無稽」かもしれないが…という言い訳を何度も書いているのである。

 確かに、アメリカの食の成り立ちの多様性を知るようになれば自分たちを相対化するきっかけになるのでは? という問いは、ある種の層には当てはまっても、とても社会運動として広く社会・政治を変えるようになるとは思えない。

 

 しかし、もう少し読み進めていくと筆者は子どもの食育を例にとり、文化・健康・環境・農業など様々な方向から政治を変えていく可能性はないだろうかと問題提起をしていく。つまり「食育」は確かに部分的な運動と変革に過ぎないが、それが全分野で起きれば社会的に小さくないインパクトを与えられるのではないか、と考えるのだ。

 さらに

食というテーマが比較的反知性主義の抵抗感が少ないと予想されることも考えれば、このシナリオの実現可能性にアメリカはかけてみるべきではないだろうか。(p.241)

いやむしろ、アメリカを先取りするような発想が他の国にあってもよいのではないだろうか。実際、アメリカのCSA〔一種の産直運動。コミュニティ・サポーティッド・アグリカルチャー〕の重要なヒントは日本の生活クラブだといわれる。食文化研究から得られる知見を社会が真剣に受け止め、食の変革の持つ射程を再認識できるなら、その社会的合意を実行に移す力は、日本にもあるはずだ。(p.242)

 これは例えば「おいしいものを食べる・作る」という運動や「農産物を育てる」という運動をすることは、トランプ支持層のような人たちも敷居が低いということを言っているのだと思った。

 実際ぼくの近所にも参政党の運動を熱心にしている人が街頭に立っているけど、ビラを読んだり、訴えを聞いていると食の話がメインだ。

 

 知り合いの学者が、2050年に日本で食糧危機が起きる可能性について学者仲間と共同で研究を深めている。その人は、耕地の確保、国内食糧増産、農業生産者への税金投入について、社会そのものを変えてしまうような国民合意=政治変革が必要ではないかと考えている。

 その場合、例えば

  • みんなで郷土料理を作ってみる
  • 安くて健康な食材を食べてみる
  • みんなでカボチャを育ててみる

というような企画や運動を考えることができる。

 食糧支援に多くの人が協力したり、「子ども食堂」にたくさんの住民が参加したりしているのは、「政治」に熱い層とは別の、「一般の人」が参加している事実を示している。

 食糧自給を引き上げる合意を作ることは政治の一大変革が必要になる。その流れが、実は様々な政治変革の結節点になる可能性が確かにあるのだ。

 また、これがヒッピー運動がたどった末路のように、「地球に優しい高価な食材を入手できる人たちだけの運動」になってしまえばダメだが、非正規労働のような低賃金労働者がどうすれば食糧を手に入れられるか、という運動と結びつけば、それらを対立させずに一体の運動として取り組むことも可能になる。

 左翼は従来型の運動に縛られず、こうした切り口や入口で運動を始めるべきではないのか…そんなことも考えさせられる一冊だった。

 

 次回の読書会テキストは石井遼介『心理的安全性のつくりかた』である。

 

 

ローズマリー・サリヴァン『スターリンの娘 「クレムリンの皇女」スヴェトラーナの生涯』

 スターリンの娘、スヴェトラーナ・スターリナあるいはスヴェトラーナ・アリルーエワの生涯を知ったとき、その激しさと寂しさに、複雑な思いがこみ上げてくる。

 前半生は、ソ連体制下で母親をはじめ、親しい人々が自殺や迫害など次々と横死する。後半生は、ソ連の抑圧体制から逃れて亡命し、アメリカに移住するが、結婚・離婚を繰り返し、著作によって手に入れた財産を失ってしまう。

 後半生は必ずしも抑圧政治のもとでの不幸ではない。しかし、ソ連崩壊まではソ連当局やKGBの魔の手が絶えず彼女の行く手に現れ、そのことに怯える。

 やがて、彼女は西側に幻滅し、ソ連に戻ってしまう。アメリカで生まれた娘・オルガとともに。しかし、そこでもまた彼女の望んだ幸福は得られない。彼女は再びソ連を出国し、アメリカの老人ホームで生涯を終える(2011年没)。

 根本的には前半の幸福の剥奪のされ方に強く規定された後半生の幸福の探し方があまりにも不器用で、読んでいてつらい。だから複雑な思いがこみ上げるのだ。

 もちろん、ソ連から脱出した後半生は、必ずしも「不幸」だと断じることはできない。しかし、家族や娘を持つぼくのような身からすれば、彼女の後半生の方がより身近に感じる。幼い娘(オルガ)と一緒に写っている写真(下p.170)などを見ると、何だか自分の娘の小さい時によく似ているような気がして人ごとのように思えない。アリルーエワが激昂して、本来依拠すべきはずの友人たちを失ってしまう様子などは見ていられないほどだ。

 それでも、彼女の人生の最終における、娘・オルガの次のような記述を読むと少しは心が慰められる。

 しかし、オルガによれば、スヴェトラーナの人生の最後の二年間は思いがけないほど平穏な二年間だった。「ある時、突然のように、母は物事を冷静に受け入れるようになっていた。以前ならば打ちのめされたに違いない事が起きても、母はその窮状を笑い飛ばして乗り越えることができるようになった」。母親にいったい何が起きたのだろうかとオルガは思った。娘としての自分の存在が何か役に立ったのだろうか? 「楽しかった昔の日々が戻ってきたような気がした。嬉しいことだった」。(下p.387-388)

 

自分の生き方を通じて到達した、徹底かつ慧眼の反スターリン主義

 スヴェトラーナ・アリルーエワの政治的ポジションは、反スターリン主義者ということになるだろう。基本的には前半生のソ連体制に何の疑問も抱かなかった時代を脱し、最終的にはソ連体制の厳しい批判者となる。

 単に反スターリンというだけではない。「スターリンは狂気の独裁者だ(狂っていた)」「ベリヤや側近に操られていた」という見方についても、彼女はきっぱりと退けている。

 私の父親は自分が何をしているかを理解していた。彼は狂気でもなかったし、誰かに操られて道を誤ったわけでもなかった。冷徹な計算にもとづいて権力を掌握し、その権力を維持するために奮闘していたのだ。彼が何よりも恐れたのは権力を失うことだった……すべてを狂気によって説明するのは最も単純で簡単な方法である。しかし、それは正確ではないし、何の説明にもならない。

 父はいささかも理想を信じていなかった。彼が信じていたのは生々しい政治闘争の現実だけだった。父にとってはロマンチックな意味での人民など存在しなかった。彼は強い人間を必要としていたが、自分と同等な人間は邪魔だった。役立たずの弱い人間も必要としていなかった。

 良心の痛みなど、父は少しも感じたことがなかったと私は思っている。(下p.80)

 著者・サリヴァン

スヴェトラーナはスターリンの実像を描き出そうとした。結局のところ、彼女ほど身近にスターリンを知る者はいなかったからだ。(同前)

スヴェトラーナが追及したのはスターリンの個人的犯罪にとどまらなかった。スターリンだけに責任があったのではない。独裁者による支配には共犯者の協力が必要だった。(同前)

と述べている。

 こうした視点に導かれ、アリルーエワの反スターリン体制への批判の射程はソ連崩壊後のロシアにまで及び、プーチンの本質を見抜いて次のように批判している。次の文章は、エリツィンの辞任後、プーチン政権が誕生する直前の1999年に、アリルーエワが友人の火山学者トーマス・ミラーに宛てて書いたものだ。

 私の意見では、ロシアは急速に過去に回帰しつつあります。恐るべきことに、KGBのスパイだった男が今や大統領代行なのです! 次の大統領選挙で国民がプーチンに投票しないことを願うのみです。…

 昔の共産党政権時代を経験し、冷戦の歴史を知る者にとっては、これは明白なことです。民主主義諸国の指導者たちはプーチンをボイコットすべきです。西側諸国は祝杯を上げてプーチン政権を歓迎しようとしています。ああ、トーマス、気をつけなさい。ロシアが民主主義を目指した時代はもうとっくに過去のものとなってしまったのです。(下p.379-380)

 ミラーはアリルーエワからの警告を聞いて「権力の動向に関するスヴェトラーナの的確な洞察力」を感じた(下p.379)。

 アリルーエワは「スターリンの娘」であることから逃れられなかったけども、スターリンの娘であるという呪いを生きることによって、スターリン体制はベリヤやエジョフらの「悪の側近」によるものでもなく、スターリンの「狂気」によるものでもなく、まさにスターリンを頂点とした体制によって引き起こされたことを正確に洞察し、そのような体制が現代ロシアにも続いていることを見抜いた。

 つまり政治的ポジションとして、スヴェトラーナ・アリルーエワ、すなわち「スターリナ」は自分の生き方を通じて到達した、徹底かつ慧眼の反スターリン主義者であったということができる。

 

 

 そのほか、本書を読んで感じたことを、思いつくままに書いてみたい。

 

自分の頭で物事を考えない人々は現代の先進国にもいる

 スヴェトラーナの伯母マリア・スワニーゼは、1937年前後の「大粛清」時代に、古参ボルシェヴィキたちの見世物裁判について次のような感想を書いている。

 一九三七年三月十七日

 私の魂は怒りと憎しみで燃え上がっている。単なる死刑ではとうてい飽き足らない。あんな邪悪な行為をする連中は、たっぷり拷問したうえで、生きたまま火炙りにすべきだ。党に寄生していながら祖国を裏切っていた連中だ。しかも、あんなに大勢いたとは! 寄って集って私たちの社会を破壊し、革命の勝利を台無しにし、私の夫や息子を殺そうとしていたのだ……。

 今度の裁判では、次から次に、大物幹部の名前が現れた。長い間、私たちが英雄と思っていた幹部たちだ。彼らは国家の大事業を指導し、国民の信頼を集め、何度も褒賞を受けてきた。その彼らが、実は、人民の敵であり、裏切り者であり、贈収賄罪の犯人だったのだ……いったい、どうしてこんなことが見過ごされてきたのか?(上p.112)

 ここには、スターリン体制そのものを疑うメンタリティは微塵もないというソ連民衆の一つの類型がある。罪名をでっち上げられた人たちが「除名」なり「追放」なりされて、やがて銃殺・流刑にされ、その人たちがいかに天下の大悪人であったかを口を極めて罵っている。

 スターリンスターリン官僚たちが、どれほどひどい抑圧と陰謀をそれらの人々に押し付けてきたのか。そのことを体制の外から、時には中から告発があっても、マリア・スワニーゼのようなソ連民衆には届かなかった。あるいはそのような告発を自分の頭で考えて、スターリンや官僚たちを疑うということを全くしなかったのだ。

 ぼくはつい最近もそのような光景を見た。「ソ連のような識字率の低い発展途上国だったからそういうメンタリティが残っているんだ」とはとても思えなかった。先進国であっても、自分たちのコミュニティの支配層の抑圧には気づかないし、声もあげられないということがある。マリア・スワニーゼのような人は先進国にも無数にいる。

 そして、当のマリア・スワニーゼはどうなったか。

 マリア・スワニーゼは本気で怒っていた。この段階では、彼女は自分の怒りの正当性に何の疑問も感じていなかった。その状態は彼女が逮捕されるまで続いた。

 同じ年の十二月二十一日、マリア・スワニーゼは夫のアレクサンドル・スワニーゼとともに、NKVDによって逮捕される。スターリンの親族から出た最初の逮捕者だった。(上p.112-113)

 

アリルーエワの個人主義的な強さに魅力を感じる

 本書の冒頭にアリルーエワが亡命を決断し実行するシーンが描かれる。また、パートナーの散骨をするためにインドすなわちソ連国外に出られるというまたとないチャンスをアリルーエワが手にして、どうやって亡命を果たすかは本書の中で描かれる。

 そこから、アリルーエワが強い意志を持った個人主義者であることを感じる。思いつきのような決断はあるが、そういう思い切りも含めて、人生のポイントとなるところで果断をする彼女の強さのようなものに魅力を感じる。

 スヴェトラーナの次の説明は自分の個人主義的な決断と、それを予想しもしないクレムリンの頭の悪さの鮮やかな対比になっている。

 人間が個人として独自に何かを決断できるということが彼ら〔クレムリン〕には信じられないのだ。私が自分自身の決断でロシアを去ったことも、私の亡命が国際的陰謀ではなく、何らかの組織による活動でもなく、誰の助けも借りずに私が単独で決断した行動であることが彼らには信じられないのだ。彼らは人間のどんな行動も何らかの組織によって支配されるもの、つまり集団的なものだと思っている。彼らは人々が同じように思考し、同じ意見を持ち、政治的同じ方向を向くことを目指して五〇年間にわたって営々と努力してきたが、その努力が失敗に終わって、独自にものを考える人間が現れたことに驚き、怒っているのだ。(上p.399-400)

 これもぼくは他で似たようなものを見た。何でもかんでもなにかの大きな力が陰で動き、それに操られ、支配され、膝を屈した人間が「反共宣伝に憂き身をやつしている」(本書上p.396)のだという説明。そして、スヴェトラーナ・アリルーエワに対した時のように、特定の個人に攻撃を集中するのだ。

 だが、そこに屈せず、自分の生き方を貫き通した「スターリナ」すなわちスヴェトラーナ・アリルーエワに強い魅力をぼくは覚える。

 

アリルーエワの描写

 スヴェトラーナ・アリルーエワの姿を描写した記述は様々ある。特に、周囲とのトラブルが多く、激昂して絶交してしまうことを繰り返してきた彼女は「その頃のスヴェトラーナの心理状態を双極性障害あるいは躁鬱症と名づける人もいるだろう」(p.226)と言われている(著者サリヴァンはそうした評価には留保を付けている)。

 そのうち、後半生の、老境に入る前の彼女を描いたものとしては、娘の同級生の母親ロザモンド・リチャードソンの描写は端的だ。

彼女は本当に面白い人だった。

スヴェトラーナには愛すべき一面があった。はっきりと定義することは難しいが、心の一番奥に普通とは次元の違う深さを秘めた人だった。類いまれな温かさで他人に感応できる人間だった。スヴェトラーナには深い精神性が備わっていた。広い意味での信仰といってもいいだろう。しかし、彼女はその深さを表現する方法を身につけていなかった。インドの神秘思想でさえ彼女には十分でなかった。その欲求不満が彼女を突き動かしていたのかもしれない。答えは見つからなかったが、彼女は妥協することを知らなかった。(下p.242-243)

次の角を曲がれば欲しかったものが見つかるのではないかと期待するのが人間の常だろう。スヴェトラーナは深い傷を追っていたが、非常に聡明な女性だと私は感じていた。その知性は並外れており、精神は偉大だった。しかも、楽観主義者で、信じられないほどエネルギッシュだった。ただし、そのエネルギーは間違った方向に向けられることがあった。また、怒りの発作を起こすこともあった。それはスヴェトラーナの人格の一部だったと私は思う。それも、これも、彼女の一面だった。(下p.243)

彼女はもちろんすべてをコントロールしたかった。その気持ちはある程度理解できる。ありとあらゆる評価が押しつけられていたから、彼女は自分についての情報の中身そのものを管理したいと思ったのだ。しかし、彼女のやり方は極端だった。彼女の主観では当然の対応だったかも知れないが、それは人々を仰天させることがあった。彼女は全員を薙ぎ倒して進んいった。(下p.243-244)

 本当に身近にいたら、付き合うかどうかはわからない。しかし愛すべき、そして知的に深い、だが、不器用で手に負えない側面があることを、この評はよく伝えている。

 

 今、自分の人生において、個人主義的な要素の重要性が大きく前に押し出されている。自分の人生の中でそれは大きく前に出たり、引っ込んだり、対立物と調和したり、また小さくなったりしてきた。高校生の頃は、自分の中の個人主義がマックスとなり、それが組織というものと格闘しながら付き合いを始めた時代が幕開け、それはずいぶんと長く続いた。

 いま自分の頭で考えずに大きなものに埋没してしまう惨めな生き方とは決別し、個人の生き方を主軸にしながら、それを時代や組織と調和させる新しい生き方が必要なのだと強く考える。アリルーエワの生き方は、その調和を全く成し遂げられなかった生き方であるが、檻を破ろうした個人主義のまぶしいばかりのほとばしり、そこに漂う悲哀こそが、むしろ今のぼくの心を打つ。

 

 

「スターリナ」

 スヴェトラーナ・アリルーエワの旧姓は「スターリナ」である。

 したがって、母親の姓に戻した「スヴェトラーナ・アリルーエワ」の前は「スヴェトラーナ・スターリナ」であった。

 しかし、[在インド米国二等書記官ロバート・]レイルには疑わしい点がまだ残っていた。なぜ彼女の姓は父親のヨシフの姓であるスターリナスターリンの女性形〕またはジュガシヴィリ〔スターリンの本名〕ではないのか? 女性は答えた。すべてのソ連市民に認められている改姓の権利を行使して、一九五七年に父親の姓スターリナから母親ナジェージダの旧姓アリルーエワに改姓したのだ。(上p.18)

一九五七年九月、スヴェトラーナはスターリナの姓を母方のアリルーエワに変更しようと決心する。スターリナスターリンの女性形〕という言葉の金属的な響き〔スターリは鋼鉄を意味する〕が心を傷つけ、苦しめるというのが彼女の言い分だった。(上p.282)

 だから、本書にも「スヴェトラーナ・スターリナ」の頃の記録は頻繁に登場する。

良い子のスヴェトラーナはスターリンの自慢の娘だった。スヴェトラーナがいかに純粋培養された優等生だったかは、彼女が三年生の時に校長のニーナ・グローザの業績を称えて書いた作文からも、はっきりと読み取ることができる。「校長先生の指導の下で、私たちの学校はソ連邦で最も優秀な学校の資格を獲得したのです。スヴェトラーナ・スターリナ」。彼女はすでに「共産主義を目指す小さな闘士」だった。(上p.102)

第二五模範学校についてのオリガ〔・リーフキナ/スヴェトラーナの同級生〕の思い出は楽しいものではなかった。さすがに教師たちが貧乏を理由に生徒を差別することはなかったが、子供たちは事あるごとにオリガに劣等感を思い知らせるような扱いをした。後に過去を振り返って、彼女は証言している。「最も得意になっていいはずなのに、自分の地位にこだわることなく、本当の意味で『人間性』を堅持している人物が一人だけいた。それがスヴェトラーナ・スターリナだった」。(上p.145-146)

 スターリンの娘であることを強調し、理解をさせるため、あるいは単なる誤解から、スヴェトラーナを改姓後にも「スヴェトラーナ・スターリナ」と記述することがある。

三月六日、〔国務長官ディーン・ラスクソ連駐在のルウェリン・トンプソン大使に秘密電報を打ち、スターリンの娘スヴェトラーナ・スターリナが米国への亡命を希望して保護を求めて来た旨の情報を伝達した。(上p.354)

それはモスクワの米国大使がUPI通信の特派員ヘンリー・シャピロから得た情報に関するメモだった。

〈モスクワ発

 一九六七年三月十三日

 役に立つ可能性のある情報を入手したので、国務省に伝達されたい。三月十二日の晩に行われたポーカー・ゲームの席で、シャピロ記者はスヴェトラーナ・スターリナの子供たちに接触し、取材記事を書いたことを漏らした。

 シャピロ記者によれば、モスクワではスヴェトラーナ・スターリナは色情狂であるという噂が流されている。一方、彼女の息子と娘は母親はいずれは帰国すると確信しており、今は夫を亡くして気が動転しているのだろうと考えている。シャピロの意見では、スヴェトラーナ・スターリナは一般市民の生活水準をはるかに上回る快適な暮らしを保証されていた。取材に応じた息子と娘は二人とも感じの良い人物で、母親を愛している様子だった。〉(上p.370)

 そして、現在もスヴェトラーナ・アリルーエワをスヴェトラーナ・スターリナと称することはある。つまりスターリンの娘であることを強調するためだ。

bunshun.jp

 独裁者の子供が他国に亡命した例というと、かつてソ連の元首相スターリンの娘スベトラーナ・スターリナ(当時41歳)がアメリカに亡命し、世界を驚かせたことがあった。ちょうどいまから50年前のきょう、1967年4月21日、スベトラーナは厳重な警戒のなかニューヨークのケネディ国際空港に降り立っている。