山口つばさ『ブルーピリオド』

 『このマンガがすごい!2019』で2018年(2017年9月〜2018年9月)のマンガのベスト5を回答した(オンナ編)。

 「オンナ編」しか選んでいないので、では「オトコ編」でトップを選ぶとしたらどうなるか。(実は1つだけアンケート回答しているのだが、それは除外して考える。)

 

このマンガがすごい! 2019

このマンガがすごい! 2019

 

 

  それは山口つばさ『ブルーピリオド』(講談社)だろう。

 勉強もそこそこできるし、私生活もリア充っぽい男子高校生・矢口八虎が「絵を描く」ということに突如取り憑かれ、美大を目指し始める物語である。

 

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

 絵は下手でもいいなら誰でも描ける。それだけでなく、絵を見て「これはうまい!」ということも誰でもできそうである。

 いや……ホントにできるのか?

 ネット上で「ものすごく上手い絵」というのが賞賛される記事やツイートが流れてくることがあるが、それは「写真のようだ」という上手さであることが多い。例えばぼくのような素人が「写真のような」絵を描けば、「上手い」と言われるだろう。

 じゃあ、「写真のような」絵を描くことが「上手い」ということだろうか。

 ピカソの絵*1は「写真のような」絵ではない。

 このあたりに来ると次第に「絵が上手い」ということの輪郭が、ぼくの中でぼやけ始めてしまう。『ブルー・ピリオド』の冒頭は、ここから始まる。

 ピカソの絵は何が「上手い」のか?

 いやそもそもそれは「上手い」のか?

 あれなら、自分にも描けるのではないか?

 本作は、絵が「上手い」、あるいは絵が人に感動を与えるとはどういうことか、それを八虎が絵を学んでいくプロセスをロジカルに追うことで明らかにしている。というか、絵について素人であるぼくのような読者に話しかけるように物語っていく。

 読者の中で実際に絵筆を持って絵を描き始めるという人は少なかろう。だけど、例えば美術館に行って、絵の前に立つことは、日常の中で頻度は高くないとはいえ、あることだろう。

 だから、八虎が美大予備校の友だちと美術館に行く時の話は、ぼくらにとって「実践的」である。

 美術館の絵ってどう見たらいいんだ? ということに対する問いである。

 友人の橋田悠(はるか)は、絵を全部見る必要なんかないんだ、もっと自由に見ていいんだとまずぶちかます

 橋田は、自分が絵を買い付けるつもりで見てはどうかと提案する。その提案を受けて、八虎は解説を「全部正しく覚えなきゃ」という思い込みから解放される。金を出す、生活を共にする、自分のものにする……という基準が八虎の中にできる。

 鑑賞がずっと自由になるのだ。

 もし、そういう基準にしたら、「写真みたいな」絵を選ぶんじゃないのか。「えっ、これ絵ですか? 写真みたいですね〜」って驚かれたいから。

rocketnews24.com

www.youtube.com

 

 絵画鑑賞を印象と知識の二つの柱で考えた場合、最近の世の中の流れはどちらかといえば、後者を重視する方に傾いてきている。『武器になる知的教養西洋美術鑑賞』『名画の読み方』などといった本が書店の店頭に並んでいるが、これらはどれも西洋絵画のバックボーンである歴史やそれにともなう約束事を教える体裁を取っている。

 

「色がきれい」「名画はやっぱりいいなぁ」

あなたは名画を前に立った時、そんな感想を持っていませんか?

こうした「感性を重視した鑑賞」は、とても大切です。

ですが、同時に実にもったいない。

なぜなら、感性に頼っている限り、どれだけ多くの作品を鑑賞しても、

「西洋美術の本質」には触れられないからです。

(秋元雄史『武器になる知的教養 西洋美術鑑賞』の「商品説明」より) 

 

武器になる知的教養 西洋美術鑑賞

武器になる知的教養 西洋美術鑑賞

 

 

 中山公男『絵の前に立って 美術館めぐり』(岩波ジュニア新書、1980)は、やはり絵画を印象で捉えることと、同時にそれを知的に読み解くという2つの柱を立てるのだが、タイトルが示すように、まず絵の前に立つこと、印象の重要性を説いている。

 

絵の前に立って―美術館めぐり (1980年) (岩波ジュニア新書)

絵の前に立って―美術館めぐり (1980年) (岩波ジュニア新書)

 

 

 中山はその理屈をこう述べる。

 

 感覚とは主観的なもので、したがって相対的なものでしかない。しかし、すぐれた芸術家は、そのような主観性――つまり、その芸術家が生きている時代や社会の動向もふくめた個性や気分――を尊重し、それらを根拠としながら、そこから普遍的なものをみちびきだしてくれる。画家の目は、私たちを、別な時代、別な国、そして別な感じ方へとみちびき、同時に、そこに普遍的なもの、人間的なものをみいだすのを助けてくれる。(中山同書p.2)

 

 

 つまり、ある歴史的な時代にとらわれない、どの時代にも共通する人間の本質的なものが名画にはあるはずで、それを感じろと言っているのである。今流行りの歴史を読み解く作業とは正反対だ。

 だけど、これをやるのはなかなか難しいような気がする。

 それよりは、『ブルーピリオド』の中で橋田が述べているようなことの方が指針となる。

 

 橋田の唱えた名画鑑賞法は、“絵画の中に普遍的なものを見出せ”という中山公男の主張よりは、誰でも実行しやすい、はるかに「実践的」な方針である。

 そして、絵画に対しての距離を自由にしようとしている。

 絵、特に絵画(西洋絵画)は、ぼくらが考えているよりももっと自由なものだということだ。

 夏期講習で自由に絵(油絵)を)を書いてみるという課題を与えられた八虎は、周囲の予備校生たちがカンバスを削り始めたり、テープを貼り始めたりする姿を見て呆然とする。え? ここは油絵をやるところじゃないの? と。

 そして八虎は同じ講習生が「あれも工夫の一つじゃん」と指摘したのを聞いて、反省する。

 

また表面的なところで思考停止するところだった

画材って絵の具とオイルのことだと思ってた

 

絵って思ってたよりずっと自由だ

 

 

 この「自由」という言葉を最近どこかで聞いた。

 そうだ、石塚真一の『BLUE GIANT SUPREME』だ。

 空港に置かれたピアノで、有名なクラシックのピアニストと連弾したジャズピアニストの演奏を聴いて、自身もピアノを弾くオーディエンスの一人が、

 

ジャンルをのみ込んで、

自由に表現できて…

ピアノって

こういう楽器だったんだ…

 

と再認識させられる。自分がピアノ弾きであるにも関わらず、ピアノという楽器の自由さに驚かされるのである。

 

 

 

 芸術に形式はある程度必要なものかもしれないが、その形式の中にある本質に触れ、形式の四角四面さを打ち破る時、自由さを感じるのだろう。そしてそれが本質や普遍性に触れるということでもある。

 絵の自由をどう取り戻すのかということが、創作する側にも、鑑賞する側にも求められるし、それがテーマになっている。

 

 だから、『ブルーピリオド』に出てくる女装男子・鮎川龍二の姿や言動からぼくは目を離せないでいる。

 2巻末に載っている鮎川の自由さはなかなかにシビれる。文化祭の出し物が「悪ノリ」で決まることに抵抗し、そう発言する鮎川。「やば 空気読む気ないじゃん」とつぶやく八虎。鮎川が皮肉っぽく返す。

それで何も言わないなら

君は空気そのものだね

  空気であったことが八虎のそれまでの人生だった。そこから自由さを取り戻すということが絵画であり、絵画とは自由なものなのだ。

*1:ピカソの絵」って言ったって、いろんな時代があるけどね。

コミケでの中核派参加問題、「韓国人・中国人お断り」張り紙問題

 コミケでの中核派参加問題、「韓国人・中国人お断り」張り紙問題について思うことを書いてみる。*1

togetter.com

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 コミケは自主的な団体である。そういう団体がどのような結社方針を持とうがそれは結社の自由である。だから、「中核派お断り」という方針を持つことは、非難されるかどうか別にして、法律では規制されない自由である。もちろん「共産党お断り」「自民党お断り」という方針を持つことも自由である。

 

 しかし、自主的な団体として結社の自由を行使できたとしても、その結社の自由を制約される場合がある。結社の自由は広く認められないといけないのだけども、どうしても緊急避難的に結社の自由という人権を制約・調整してでも保護すべき他の人権があるからだ。

 例えば、「障害者お断り」。これは障害者差別解消法の「不当な差別的取り扱い禁止」に違反する。

 同じように、「韓国人・中国人お断り」。これは「ヘイトスピーチ対策法」に違反する。

 「なんでこの2つは特別なんだ?」と思うかもしれないが、特定民族の排除をする行為が戦争や虐殺を煽るなどの取り返しのつかない行為を招いたから、「特別」なのである。障害者に対しても同様である(他にもあるけど)。

 むろん、それは「じゃあ女性に対してはどうなんだ」とか「共産主義者に対してはどうなんだ」とか、無限にそこへ連なる列は考えうる。しかし、法律で明確に禁じられているのは今のところ限られているのだ。どんどん法規制の対象を広げていけば、逆に結社の自由を壊してしまうからだ。あくまでも緊急避難。

 ただし、障害者も韓国人も、それらを差別することは、「違法」ではあっても、それを具体的に罰したり、阻止したりするまでの明確な措置まではない。そこは結社の自由に対して慎重にしているのだ。

 

 もう一つの系列で、団体を規制する法律がある。

 破壊活動防止法暴力団排除条例のようなものだ。破壊活動防止法は破壊活動をすることを目的にしているとされた団体を規制することができる。暴力団排除条例は、暴力団の団員を様々なシーンから排除する条例だ。

 中核派は過去に刑法などの犯罪行為について、個々のメンバーが逮捕されただけでなく、団体として犯行声明を出している。しかし、中核派そのものが破防法を適用されたことはない。また、暴力団排除条例などの対象でもない。

 中核派を慣用的な意味で「反社会的勢力」とは言いうるけども、団体そのものが法律で規制されている存在ということはできない。

 

 コミケがどういう結社の方針を持つかは、基本的に結社の自由である。しかし、公共施設を貸す側の行政はどうか。

 地方自治法244条に次のように定められている。

 

2 普通地方公共団体……は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。

3 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。

 

  中核派メンバーである(中核派メンバーがいる)ことだけで「貸さない」ということはできないのである。*2

 

 結論。中核派の参加を禁じる自主的団体を作ることはできる(したほうがいいという意味ではない)。「韓国人・中国人お断り」をするのは違法になる(施設使用の禁止にまで至るかどうかは微妙)。つまり中核派の参加排除問題と韓国人の参加排除問題はレベルの違う問題である。同様に、特定の性の排除問題ともレベルの違う問題である。

 

コミケとしてはどうしたらいいのか

 ここで論考を終わってもいいんだけど、コミケとしてはどうすべきなのだろうか。つまり「中核派の参加禁止」を自主的なルールにしていいのかどうかということだ。もちろん、コミケ運営がコミケをどう考えるか・どうしたいのかということ次第なので、ぼくが口を出すことではないが、あえて考えてみる。

 「反社会的な団体のメンバーは参加できない」というような規約を考えてみよう。

 その場合「反社会的」を定義するのはなかなか厄介ではないか。「暴力団」の定義は暴対法にあるし、「組織的犯罪集団」の定義は例えば国際組織犯罪防止条約にある。しかし、前者には中核派は入らないし、後者は共謀罪問題で話題になったように定義が曖昧である。

 もちろん、「中核派革マル派などの極左暴力集団のメンバーは参加できない」というルールを設けることも可能だ。自主的団体なのだから。

 しかし、その場合、一体コミケはなぜわざわざ「中核派革マル派」を排除しているのかわからなくなる。コミケとは何を目指す団体なのだろうか、という問いが浮かび上がってくる。

 例えばコミケが「日本の伝統的な文化交流」を目ざす団体ならそういう「極左排除」の自主ルールはわかりやすいのだが、まさかコミケがそんな団体だとはいうまい。

 

 中核派は、団体として犯行声明を出したことがある。そういう角度から絞り込むこともできるだろう。「団体として犯罪行為を行った団体のメンバーは参加できない」のような規約だ。

 しかし、例えば企業が企業ぐるみで犯罪をすることもある。そういう企業の従業員はコミケに参加できないのだろうか。

 また、たとえその辺りが中核派に絞り込めるような定義を行ったとしても、なぜそんな「中核派排除」の規約を作るのか、というコミケの理念は説明できない。

 

 社会運動団体とコミケでは、この自主的ルールは違うだろう。ぼくは学生時代、中核派に殴られたり、蹴られたり、監禁されたりしたことがある。そうした暴力そのものを団体の中で振るうような場合は、もちろん「暴力を振るう人、ふるった人は参加できない」みたいにして規約で定めて排除すればいいんだけど、それは別に「中核派だから」排除するということでなくてもいいはずである。

 「中核派に運動をめちゃくちゃにされた」という経験を持つ団体であれば、「中核派出禁」みたいなことをやってもいいとは思う。「運動をめちゃくちゃにされた」というのは、例えば「学費値上げ反対の運動団体」のはずなのに、中核派メンバーが会議のたびにずっと「スターリン主義批判」つまり共産党批判ばかりしていて、そのための議論で何時間もかかってしまい、誰も寄り付かなくなってしまうような場合だ。

 だから、社会運動団体では、中核派革マル派をターゲットにして排除をする規約を設けることはありえるように思われる。逆に、共産党自民党を排除する規約を設けることもあるだろう。*3

 

 コミケの場合、中核派ということで参加を排除することは難しいように思われる。

 ぼくは「できるだけ表現の自由を最大限尊重する形で。良い・悪いは言論や表現の自由によって決着をつける」という角度で団体のデザインをすべきではないかと考える。

 綺麗事でない言い方をすれば、「差別的」「人権侵害的」表現であっても、できるだけ許容し、なんでも表現できる場所としての存在意義を確保するということだ。

 もちろん、行政の使用許可が得られないのでは困るので、妥協点は必要だし、おおむね法律の範囲内とするわけだが、あくまで表現の自由を最大にすることを眼目におく。だから、個人への名誉毀損・侮辱、女性蔑視、障害者差別・民族差別、暴力団賛美などもギリギリまで許容するし、その限界を求めていくことになる。その自由の拡大を求めて社会・政治運動をすることもあるだろう。

 このようにコミケをデザインするなら、中核派メンバーの参加は認められるべきだということになる。

 もちろん、コミケの運営はコミケの自由なので、ぼくが口を出すことではない。今のは「もしぼくがコミケの運営の独裁者になって運営のあり方をデザインするとしたら」というほどのものでしかない。

*1:本当にそんな張り紙があったのかという基本問題があるのだが、ここではもしそうした張り紙があったとしたら、という仮定の問題として考えてみる。

*2:「障害者お断り」「韓国人・中国人お断り」を掲げる団体は「違法」なので使用を禁止できる理由にはなりそうだが、法律だけでは罰則や義務的な措置がないので微妙だ。条例などで具体的に定めれば使用させないことはできるだろう。

*3:もちろん、ぼくはそれを批判するけどね。

サンドウィッチマンのコントの中の「ご飯論法」

 昨日の記事で、「ご飯論法」をやっている政権はコントっぽいということを言いいました。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

 

 2007年にサンドウィッチマンがM1グランプリをとった時のネタ、ピザ屋の配達の冒頭は、ぼくは「ご飯論法」っぽいなといつも思っています。

 ピザ屋の店員である富沢が1時間もたってお客(伊達)の家にピザを配達してくるところからコントは始まります。

伊達「おせーよ。こっちは1時間待ってんだぞ」

富沢「すいません、迷っちゃって」

伊達「迷うって、道一本じゃねーか」

富沢「いや、行くかどうかで迷っちゃって…」

  これは「迷う」という言葉をすり替えています。「道に迷う」という意味を「行くかどうかで迷う」という意味にすり替えています。「ご飯」という言葉を「食事」という意味から「米飯」という意味にすり替えている「ご飯論法」そのものだと思うんですよね。

 ぼくがスピーチで例に挙げた「文書の破棄を確認した」という財務省の局長だった佐川の言葉はどうか。「確認した」というのは、本来「文書の破棄を現認した」という意味のはずなんですが「一年たったら文書を破棄するというルールの確認をした」という意味にすり替えています。

 

新語・流行語大賞トップテン「ご飯論法」受賞でのスピーチ

 『現代用語の基礎知識』選、ユーキャン 新語・流行語大賞トップテンに「ご飯論法」が選ばれ、ぼくは、上西充子教授と共同受賞させていただきました。

 その時のぼくのスピーチを下記の記事から転載しています。書き起こしありがとうございました。

note.mu

 ぼくは、今年の重大なニュースの一つが、森友問題に関わる公文書改ざんの発覚だったと思っています。民主政治の危機です。そのことに関わる言葉としてスピーチできたのは意義のあったことだったなと思っています。

 なんども言ってますけど、この論法についての発見は上西さんによるものでした。論法として問題を提起することで、相手がすり替えようとしているものが見えてきました。

紙屋高雪のスピーチ(書き起こし)

 ブロガーの紙屋と申します。今日、選んでいただきまして、どうもありがとうございます。


 今日、話を聞くと、他の国語辞典(大辞泉)でも(「新語大賞」の「次点」として)この「ご飯論法」を選ばれたっていう話を聞いてて、ちょっと私自身もびっくりしています。

 といっても私自身は、上西さんの話をツイッターで「ご飯論法」と名前を付けただけなんですけども、ただ聞いた時にですね、初めて「あ、これ森友の問題でも、加計の問題でも、すごくよく見る論法だよね」と。政権全体にこれが広まってるんじゃないかと、すごくビックリした記憶があります。

 例えば、森友問題で佐川さんっていう財務省の局長だった人がいますね。あの方が「文書は、捨てたことは確認しました」という答弁をしたんです。その時に、その後文書が出てきちゃって、「あなた、確認したって言ったよね」と証人喚問で追及されちゃったんです。その時に佐川さんが「いや、確認したっていうのは、文書を1年で捨てるという、そういうルールを確認した、そういう意味なんですよ」っていう言い訳をされたわけですよ。つまり「私、一般的なルールを確認しただけであって、実際に文書を捨てるところを目で現認したわけじゃありませんよ」という、そういう開き直りをやったわけです。

 これ、典型的な「ご飯論法」だなというふうに思いました。「ご飯」という言葉をすり替えてやるのと同じように、「確認する」という言葉をすり替えてやるっていうやり方ですから。調べてみると官房長官もやっているし、首相秘書官も、さっきもありましたけれどもやってるし、政権全体に広がっているわけですよ。

 昨日、ちょうど M1グランプリがありましたけれども、その言葉のすり替えでコントやってるみたいなもんなんですね、これ。政権全体がコントやってるみたいな。だから、もともと昔から官僚っていうのは、あいまいな答弁とか、ちょっと小難しい答弁をするっていうのはやってたんですけれども、そういう「わかりにくい答弁」じゃなくて、言葉をすり替えて「嘘を言う」、「フェイクを言う」、そういうやり方だと思うんです。

 だから国会の答弁というのは、民主政治の基礎になっているので、それが、フェイクが積み重ねられていっちゃうとですね、政治全体がフェイクになっちゃう、そういうふうに思います。なので、そういうところの危機感が、「ご飯論法」と聞いたとき、最初笑われる方もいらっしゃると思うんですけども、「実はそれは笑い事じゃないんだな。恐ろしいことなんだな」という、そういう危機感が今回、こういう形で選ばれたり、受賞につながったのかなというふうに思っています。

 どうもありがとうございました。

『ポプテピピック』を一言で紹介できんかった

 テレビにインタビューされる機会があり、「何を読んでいるんですか?」と言われ、ちょうど電子書籍で『ポプテピピック』を読んでいる最中だった。

 

 「それはどんなマンガですか?」と問われ、返答に窮した

 喘ぐようにやっと絞り出した一言が「……シュールなギャグの4コマです」。

 くわー、情けねえ

 何が「マンガ評論家」だ。

 しかも、小5の娘とセリフの掛け合いをやって遊んでいますと言ったもんだから「じゃあ言ってみてください」と言われ、悩んだ挙句、

 「もしもし ポリスメン?」……。

 伝わんねえ。全然伝わんねえよ。

 その前の3コマのセリフも言おうと思ったけど、いっそう訳わかんねえ。

 そのあと、「はいクソー」「二度とやらんわ こんなクソゲー」のやつも紹介して、俺が「はいクソー」というだけで、後の3コマのセリフと所作を娘がやるのが、面白くてたまらんと思っているんだが、そんなニッチな親バカ事情、心底どうでもいいわと全視聴者が思うだろうなと心が震えた。

 

 『ポプテピピック』の紹介は難しい。

 ハイコンテクストな笑いなのだ。

 本質を一言で言わなくてもいい。

 一般の人に、面白さの一端がわかるように伝えるにはどうしたらいいかということだ。

 あなたも『ポプテピピック』の短い紹介を考えてみよう。

 

 結句ぼくが考えたのは、

主人公がサンリオのキャラクターみたいなかわいい顔をしているんだけど、その表情が全く変わらずに、かわいい絵柄のまま、グロいことを言ったり、野蛮なことを言ったりする

というものだ。

 どうかな。

 ダメか。

 

宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』

 潜伏キリシタンは、潜伏しているうちにその教義の本質がわからなくなって、民間信仰などと融合してしまったのではないか、というのが本書の趣旨である。というかそもそもキリスト教への改宗自体が領主の方針変更であったに過ぎず、住民はよくわかっていなかったというところが出発点だったとさえ主張している。

 

潜伏キリシタンは何を信じていたのか

潜伏キリシタンは何を信じていたのか

 

 

 ニューロック木綿子『そのとき風がふいた ド・ロ神父となかまたちの冒険』(オリエンス宗教研究所)には、江戸末期に開国後にやってきたキリスト教の神父(プティジャン)が鎖国前から伝えられてきた『どちりなきりしたん』というキリスト教の平易な教理書が正確であることにおどろくシーンがある。

 

 

 そして何よりも依然禁教下であるにもかかわらず、潜伏していたキリシタンたちがプティジャンを訪れ、「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」と信仰の秘密を表明するシーンが前半の山場として描かれている。

 『そのとき風がふいた』で主張されていることは、禁圧されていた日本のキリスト教は、キリスト教の教会体系と再び出会うことを待ち望んでいたということであり、それはとりもなおさず、キリスト者としての信仰の本質を失っていなかったということである。

 もし、信仰の内実を失って土着化していれば、このようなエピソードはありえなかったのではないか、と。

 

 他方で、『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』を読むと、個々の儀礼や信仰イベントがいかにも形骸化しているようにも感じられた。

「お札様」も、生月と平戸にのみ伝わるもので、カトリックの「ロザリオの十五玄義」 に由来している。お札様は、キリストとマリアの生涯の主な一五の場面の意味を短く小木片に墨書したものである。「御喜び様」五枚、「御悲しみ様」五枚、「グルリヤ(栄光) 様」五枚の計一五枚に、ごあん様・おふくろ様・大将様・朝御前様などと呼ばれる「親札」が一枚加えられ、 一六枚一組となっている。お札様は典型的なカトリックの信心用具であるが、本来の使用目的がわからなくなり、三種類の記号と、一から五までの数字が札に書かれているところから、いつの頃からか運勢を占う「おみくじ」として使用されるようになった。表面的にはカトリック的な姿を残しながらも、本質的にはきわめて日本的な民俗宗教らしい素朴なものに変容しており、カクレキリシタン信仰の実態を如実に示す好例となっている。

宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(角川学芸出版)KindleNo.2553-2560

 どちらが本当なのか。

 ぼくの実家は浄土宗だが、般若心経を読んでいる。浄土宗ではあまり使われないお経だと聞いている。そして、そもそもうちの父母は浄土宗がどんな宗教なのか知っているのか。いや、それどころか、仏教とはどんな宗教だと思っているのだろうか。

 ぼくが「般若心経を現代語訳したものを読もうか」と提案したとき、「いやお経というのは意味がわからないからありがたいのだ」と平然と述べたのが父だった。

 そして、父母が仏壇の前で毎日お経を唱えるのは、祖先信仰の気持ちからであってそれ以上でもそれ以下でもない。

 だとすれば、わが父母は仏教徒ではないのだろうか?

 

 中園成生『かくれキリシタンとは何か』(弦書房)では、神道や仏教と並存していた点を指摘している。これは日本人に今でも広くある宗教的態度で、仏壇を拝んでいた人が神社に初詣に行き、クリスマスを祝うというようなものである。

 

かくれキリシタンとは何か《オラショを巡る旅》FUKUOKA U ブックレット9 (FUKUOKAuブックレット)
 

 

 しかし、中園はキリスト教信仰の本体部分自身は、かなり忠実に継承されていたという旨を書いている。これは、プティジャン神父が『どちりなきりしたん』を読んで中世の教理がそのまま保存されていることに驚いたことに符合する。

 宮崎は、キリスト教信仰の本体が変容してしまっていると指摘するから、ここでは中園との主張の間に齟齬があるように思われた。

 中園はおそらくこうした禁教期変容論を意識して次のような批判をしている。

かくれキリシタンの定義から考えた時、ひとつ大きな問題としてあるのは、変わった記号や文字が刻まれた墓とか、異形の石像とか、由来が分からない陶磁器製の慈母観音像を、十分な根拠もなく、かくれキリシタン信仰に関する証拠として取り上げていることがあります。これらの資料の存在の前提になっているのは禁教期変容論です。……現存するかくれキリシタン信者が、そうしたものをかくれキリシタン信仰に用いた事は確認できません。これらはとどのつまりは、現代人の印象のみが根拠となっていて、学術的な裏付けを欠いています。(中園前掲p.52)

 ぼくは、別に学術的な議論をする力もないので、読んだ上での印象を以下に記そう。

 結論からいえば、禁教期にキリスト教の本義が忘れられて土着色が強くなった信仰エリアは存在するのであろう、ということである。だけど、だからと言って、それはキリスト教でもなんでもない、と言っていいかというと、うちの実家のように現場の宗教感覚なんてそんなものだろうから、もともとの教義・教理にまでさかのぼって「そんなのはキリスト教じゃない!」とまで否定するのはどうなのかなと思う。

 他方で、プティジャン神父の前に信仰を告白しに現れたような信者などは、相当に教義本体を守り続けてきたんじゃないかという印象があった。

 潜伏キリシタンは禁教期終了後、カトリックの教会の体系に復帰した部分と、独自の信仰を続けていった部分(後者を「かくれキリシタン」と呼ぶ)に分かれたが、大ざっぱにいえばそのような差となって現れたのではないか。

 

ティリー・ウォルデン『スピン』

 この作品を読もうと思ったのは、(2018年)4月15日付の読売で、朝井リョウが書評をしていたからだった。

 

スピン

スピン

 

 

 

 22歳の著者は5歳からスケートをはじめ、スケーターになるつもりだったが、それがかなわぬものとなるまでに起きた出来事を描いている。

 

 朝井はこう書いた。

 

主人公が同性の友人と初めて唇を重ねる場面がある。その直後の心情が表された頁を見たとき、私は瞼を閉じた。いま両目を満たした予想外の表現を、世界を見つめる新たな視点として体内に染み込ませるために。(朝井前掲記事)

 

 ぼくもそこに興味を惹かれて読んだ。

 ここからネタバレがある。

 

 

 

 

 ただ、朝井が「予想外の表現」としてそのネタバレをわざと伏せているのは、絵画表現を含んだものだと思うから、筋だけは追わせていただく。どんなふうに表現されているのかは、ぜひ実際に読んでみてほしい。

 

覚えているのは

スリルでも自由な感覚でもなく――

恐怖だった(本書p.203)

 

 恐怖だというのだ。

 テキサスで同性愛者でいるということは恐怖である、と。

 少女が恐怖を覚えた理由は、YouTubeで見たヘイトビデオやヘイトの存在だった。

 でも主人公は、その気持ちを「おさえこんで」、「ただこの子と一緒にいたいだけ」という気持ちでまたキスを繰り返す。

 そこにあるのは、高揚じゃないのか?

 ヘイトがあるといってもそれを超えて高まる恋愛感情に身を委ねる「スリル」じゃないのか? 「自由な感覚」じゃないのか?

 違う。作者ティリー・ウォルデンは、わざわざそれらの感覚を否定して「恐怖」だと書いている。

 

 それほどまでに同性愛に踏み出すことは、この地では恐ろしいのか。

 でも、読んでいてぼくにはその恐怖は、そのコマ以外には伝わってこない

 むしろ、相手に出会え、ずっといられることに対する高揚が伝わってくるのだ。しかもその高揚には見覚えがある。大人になってからのセックスを介した関係ではなく、ただベッドの上で無駄話をしたりゲームをしたりじゃれあったり抱き合ったりキスをしたりする、友達なのか恋人なのか境目がない、子どものような関係。

 見覚えがあるというのは、子どものときに同性の友だちとキスはしなかったけど、じゃれあって、ずっとそんな感じで過ごしていたな、という感覚だ。

 だから、ぼくは朝井の言うことには半分同意するけども、半分は同意できない。

 朝井はそこを想像したのだろう。これが恐怖の上に成り立つ関係だと。

 だからこそ朝井にとっては、このコマの表現は、「世界を見る新たな視点」とまで言い切れるのに違いない。

私は、物語を読む歓びの一つに、世界を見つめる視点が増えること、があると思う。性別、国籍、世代、文化、様々な立体物である世界を多角的に見つめられるようになる。その行為は時に思いやりや想像力という名で、自分自身や自分ではない誰かを肯定する豊かさを形成する。(朝井前掲)

 ぼくにはここまで「新しい視点」を獲得することは、できなかった。ぼくは自分の中のノスタルジーでこの本を読んでしまったのである。

 だから、主人公がやがて訪れる「恋人」との破局に出遭うシーンも、それが「恐怖」に取り巻かれた「もろい」関係の結果だったという想像にはあまり立てなかった。同性愛関係を知った相手の母親が二人の仲を引き裂き、それを告げるためにかかってきた恋人からの電話の「問答無用さ」にぼくはまたしても見覚えがあった。

 抗議しようと思っていたが、なんの抗議もできず、大人の「問答無用さ」に押し切られる自分の無力さに見覚えがあったのだ。

 だからこの電話シーンの最後のコマで、別に大ゴマでもなんでもなく、連写された一つのコマの片隅で涙を流しながら電話を流す主人公に、無力のリアルさを見た。

 ここでも、ぼくは「恐怖」を想像するのではなく、自分の思春期に重ねて読んだ。

 

 読後に改めて朝井の書評を読み返し、ぼくは自分に驚かざるを得なかった。

 それは、何度も言うようだが、ぼくはこの本を思春期の無力さやあがき、自分へのいたたまれなさ、浮き沈み、そういう自分に重なるものとして読んだのである。なので、自分が十代に戻ったかのような読書時間を過ごすことになったのだが、朝井は「世界を見る新たな視点」とまでいっており、あまりにもそれとかけ離れていることに驚いたのである。

 

 あなたは本書をぼくのように読むか、それとも朝井のように読むのか。