コミケでの中核派参加問題、「韓国人・中国人お断り」張り紙問題

 コミケでの中核派参加問題、「韓国人・中国人お断り」張り紙問題について思うことを書いてみる。*1

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 コミケは自主的な団体である。そういう団体がどのような結社方針を持とうがそれは結社の自由である。だから、「中核派お断り」という方針を持つことは、非難されるかどうか別にして、法律では規制されない自由である。もちろん「共産党お断り」「自民党お断り」という方針を持つことも自由である。

 

 しかし、自主的な団体として結社の自由を行使できたとしても、その結社の自由を制約される場合がある。結社の自由は広く認められないといけないのだけども、どうしても緊急避難的に結社の自由という人権を制約・調整してでも保護すべき他の人権があるからだ。

 例えば、「障害者お断り」。これは障害者差別解消法の「不当な差別的取り扱い禁止」に違反する。

 同じように、「韓国人・中国人お断り」。これは「ヘイトスピーチ対策法」に違反する。

 「なんでこの2つは特別なんだ?」と思うかもしれないが、特定民族の排除をする行為が戦争や虐殺を煽るなどの取り返しのつかない行為を招いたから、「特別」なのである。障害者に対しても同様である(他にもあるけど)。

 むろん、それは「じゃあ女性に対してはどうなんだ」とか「共産主義者に対してはどうなんだ」とか、無限にそこへ連なる列は考えうる。しかし、法律で明確に禁じられているのは今のところ限られているのだ。どんどん法規制の対象を広げていけば、逆に結社の自由を壊してしまうからだ。あくまでも緊急避難。

 ただし、障害者も韓国人も、それらを差別することは、「違法」ではあっても、それを具体的に罰したり、阻止したりするまでの明確な措置まではない。そこは結社の自由に対して慎重にしているのだ。

 

 もう一つの系列で、団体を規制する法律がある。

 破壊活動防止法暴力団排除条例のようなものだ。破壊活動防止法は破壊活動をすることを目的にしているとされた団体を規制することができる。暴力団排除条例は、暴力団の団員を様々なシーンから排除する条例だ。

 中核派は過去に刑法などの犯罪行為について、個々のメンバーが逮捕されただけでなく、団体として犯行声明を出している。しかし、中核派そのものが破防法を適用されたことはない。また、暴力団排除条例などの対象でもない。

 中核派を慣用的な意味で「反社会的勢力」とは言いうるけども、団体そのものが法律で規制されている存在ということはできない。

 

 コミケがどういう結社の方針を持つかは、基本的に結社の自由である。しかし、公共施設を貸す側の行政はどうか。

 地方自治法244条に次のように定められている。

 

2 普通地方公共団体……は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。

3 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。

 

  中核派メンバーである(中核派メンバーがいる)ことだけで「貸さない」ということはできないのである。*2

 

 結論。中核派の参加を禁じる自主的団体を作ることはできる(したほうがいいという意味ではない)。「韓国人・中国人お断り」をするのは違法になる(施設使用の禁止にまで至るかどうかは微妙)。つまり中核派の参加排除問題と韓国人の参加排除問題はレベルの違う問題である。同様に、特定の性の排除問題ともレベルの違う問題である。

 

コミケとしてはどうしたらいいのか

 ここで論考を終わってもいいんだけど、コミケとしてはどうすべきなのだろうか。つまり「中核派の参加禁止」を自主的なルールにしていいのかどうかということだ。もちろん、コミケ運営がコミケをどう考えるか・どうしたいのかということ次第なので、ぼくが口を出すことではないが、あえて考えてみる。

 「反社会的な団体のメンバーは参加できない」というような規約を考えてみよう。

 その場合「反社会的」を定義するのはなかなか厄介ではないか。「暴力団」の定義は暴対法にあるし、「組織的犯罪集団」の定義は例えば国際組織犯罪防止条約にある。しかし、前者には中核派は入らないし、後者は共謀罪問題で話題になったように定義が曖昧である。

 もちろん、「中核派革マル派などの極左暴力集団のメンバーは参加できない」というルールを設けることも可能だ。自主的団体なのだから。

 しかし、その場合、一体コミケはなぜわざわざ「中核派革マル派」を排除しているのかわからなくなる。コミケとは何を目指す団体なのだろうか、という問いが浮かび上がってくる。

 例えばコミケが「日本の伝統的な文化交流」を目ざす団体ならそういう「極左排除」の自主ルールはわかりやすいのだが、まさかコミケがそんな団体だとはいうまい。

 

 中核派は、団体として犯行声明を出したことがある。そういう角度から絞り込むこともできるだろう。「団体として犯罪行為を行った団体のメンバーは参加できない」のような規約だ。

 しかし、例えば企業が企業ぐるみで犯罪をすることもある。そういう企業の従業員はコミケに参加できないのだろうか。

 また、たとえその辺りが中核派に絞り込めるような定義を行ったとしても、なぜそんな「中核派排除」の規約を作るのか、というコミケの理念は説明できない。

 

 社会運動団体とコミケでは、この自主的ルールは違うだろう。ぼくは学生時代、中核派に殴られたり、蹴られたり、監禁されたりしたことがある。そうした暴力そのものを団体の中で振るうような場合は、もちろん「暴力を振るう人、ふるった人は参加できない」みたいにして規約で定めて排除すればいいんだけど、それは別に「中核派だから」排除するということでなくてもいいはずである。

 「中核派に運動をめちゃくちゃにされた」という経験を持つ団体であれば、「中核派出禁」みたいなことをやってもいいとは思う。「運動をめちゃくちゃにされた」というのは、例えば「学費値上げ反対の運動団体」のはずなのに、中核派メンバーが会議のたびにずっと「スターリン主義批判」つまり共産党批判ばかりしていて、そのための議論で何時間もかかってしまい、誰も寄り付かなくなってしまうような場合だ。

 だから、社会運動団体では、中核派革マル派をターゲットにして排除をする規約を設けることはありえるように思われる。逆に、共産党自民党を排除する規約を設けることもあるだろう。*3

 

 コミケの場合、中核派ということで参加を排除することは難しいように思われる。

 ぼくは「できるだけ表現の自由を最大限尊重する形で。良い・悪いは言論や表現の自由によって決着をつける」という角度で団体のデザインをすべきではないかと考える。

 綺麗事でない言い方をすれば、「差別的」「人権侵害的」表現であっても、できるだけ許容し、なんでも表現できる場所としての存在意義を確保するということだ。

 もちろん、行政の使用許可が得られないのでは困るので、妥協点は必要だし、おおむね法律の範囲内とするわけだが、あくまで表現の自由を最大にすることを眼目におく。だから、個人への名誉毀損・侮辱、女性蔑視、障害者差別・民族差別、暴力団賛美などもギリギリまで許容するし、その限界を求めていくことになる。その自由の拡大を求めて社会・政治運動をすることもあるだろう。

 このようにコミケをデザインするなら、中核派メンバーの参加は認められるべきだということになる。

 もちろん、コミケの運営はコミケの自由なので、ぼくが口を出すことではない。今のは「もしぼくがコミケの運営の独裁者になって運営のあり方をデザインするとしたら」というほどのものでしかない。

*1:本当にそんな張り紙があったのかという基本問題があるのだが、ここではもしそうした張り紙があったとしたら、という仮定の問題として考えてみる。

*2:「障害者お断り」「韓国人・中国人お断り」を掲げる団体は「違法」なので使用を禁止できる理由にはなりそうだが、法律だけでは罰則や義務的な措置がないので微妙だ。条例などで具体的に定めれば使用させないことはできるだろう。

*3:もちろん、ぼくはそれを批判するけどね。