宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』

 潜伏キリシタンは、潜伏しているうちにその教義の本質がわからなくなって、民間信仰などと融合してしまったのではないか、というのが本書の趣旨である。というかそもそもキリスト教への改宗自体が領主の方針変更であったに過ぎず、住民はよくわかっていなかったというところが出発点だったとさえ主張している。

 

潜伏キリシタンは何を信じていたのか

潜伏キリシタンは何を信じていたのか

 

 

 ニューロック木綿子『そのとき風がふいた ド・ロ神父となかまたちの冒険』(オリエンス宗教研究所)には、江戸末期に開国後にやってきたキリスト教の神父(プティジャン)が鎖国前から伝えられてきた『どちりなきりしたん』というキリスト教の平易な教理書が正確であることにおどろくシーンがある。

 

 

 そして何よりも依然禁教下であるにもかかわらず、潜伏していたキリシタンたちがプティジャンを訪れ、「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」と信仰の秘密を表明するシーンが前半の山場として描かれている。

 『そのとき風がふいた』で主張されていることは、禁圧されていた日本のキリスト教は、キリスト教の教会体系と再び出会うことを待ち望んでいたということであり、それはとりもなおさず、キリスト者としての信仰の本質を失っていなかったということである。

 もし、信仰の内実を失って土着化していれば、このようなエピソードはありえなかったのではないか、と。

 

 他方で、『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』を読むと、個々の儀礼や信仰イベントがいかにも形骸化しているようにも感じられた。

「お札様」も、生月と平戸にのみ伝わるもので、カトリックの「ロザリオの十五玄義」 に由来している。お札様は、キリストとマリアの生涯の主な一五の場面の意味を短く小木片に墨書したものである。「御喜び様」五枚、「御悲しみ様」五枚、「グルリヤ(栄光) 様」五枚の計一五枚に、ごあん様・おふくろ様・大将様・朝御前様などと呼ばれる「親札」が一枚加えられ、 一六枚一組となっている。お札様は典型的なカトリックの信心用具であるが、本来の使用目的がわからなくなり、三種類の記号と、一から五までの数字が札に書かれているところから、いつの頃からか運勢を占う「おみくじ」として使用されるようになった。表面的にはカトリック的な姿を残しながらも、本質的にはきわめて日本的な民俗宗教らしい素朴なものに変容しており、カクレキリシタン信仰の実態を如実に示す好例となっている。

宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(角川学芸出版)KindleNo.2553-2560

 どちらが本当なのか。

 ぼくの実家は浄土宗だが、般若心経を読んでいる。浄土宗ではあまり使われないお経だと聞いている。そして、そもそもうちの父母は浄土宗がどんな宗教なのか知っているのか。いや、それどころか、仏教とはどんな宗教だと思っているのだろうか。

 ぼくが「般若心経を現代語訳したものを読もうか」と提案したとき、「いやお経というのは意味がわからないからありがたいのだ」と平然と述べたのが父だった。

 そして、父母が仏壇の前で毎日お経を唱えるのは、祖先信仰の気持ちからであってそれ以上でもそれ以下でもない。

 だとすれば、わが父母は仏教徒ではないのだろうか?

 

 中園成生『かくれキリシタンとは何か』(弦書房)では、神道や仏教と並存していた点を指摘している。これは日本人に今でも広くある宗教的態度で、仏壇を拝んでいた人が神社に初詣に行き、クリスマスを祝うというようなものである。

 

かくれキリシタンとは何か《オラショを巡る旅》FUKUOKA U ブックレット9 (FUKUOKAuブックレット)
 

 

 しかし、中園はキリスト教信仰の本体部分自身は、かなり忠実に継承されていたという旨を書いている。これは、プティジャン神父が『どちりなきりしたん』を読んで中世の教理がそのまま保存されていることに驚いたことに符合する。

 宮崎は、キリスト教信仰の本体が変容してしまっていると指摘するから、ここでは中園との主張の間に齟齬があるように思われた。

 中園はおそらくこうした禁教期変容論を意識して次のような批判をしている。

かくれキリシタンの定義から考えた時、ひとつ大きな問題としてあるのは、変わった記号や文字が刻まれた墓とか、異形の石像とか、由来が分からない陶磁器製の慈母観音像を、十分な根拠もなく、かくれキリシタン信仰に関する証拠として取り上げていることがあります。これらの資料の存在の前提になっているのは禁教期変容論です。……現存するかくれキリシタン信者が、そうしたものをかくれキリシタン信仰に用いた事は確認できません。これらはとどのつまりは、現代人の印象のみが根拠となっていて、学術的な裏付けを欠いています。(中園前掲p.52)

 ぼくは、別に学術的な議論をする力もないので、読んだ上での印象を以下に記そう。

 結論からいえば、禁教期にキリスト教の本義が忘れられて土着色が強くなった信仰エリアは存在するのであろう、ということである。だけど、だからと言って、それはキリスト教でもなんでもない、と言っていいかというと、うちの実家のように現場の宗教感覚なんてそんなものだろうから、もともとの教義・教理にまでさかのぼって「そんなのはキリスト教じゃない!」とまで否定するのはどうなのかなと思う。

 他方で、プティジャン神父の前に信仰を告白しに現れたような信者などは、相当に教義本体を守り続けてきたんじゃないかという印象があった。

 潜伏キリシタンは禁教期終了後、カトリックの教会の体系に復帰した部分と、独自の信仰を続けていった部分(後者を「かくれキリシタン」と呼ぶ)に分かれたが、大ざっぱにいえばそのような差となって現れたのではないか。