『サクッとわかるビジネス教養 東南アジア』

 元旦の「しんぶん赤旗」を読んでいたら、志位和夫の東南アジア訪問についてのインタビューが載っていた。

www.jcp.or.jp

 日本共産党は安全保障の枠組みとして、「地域協力」を押し出している。同党の綱領では、なかでも東南アジア諸国連合ASEAN)を「とくに」とわざわざ名指ししている。まあ、毎年の選挙政策や街頭の訴えなどでも必ずと言っていいほど出てくる。

 それくらい“激推し”されているASEANではあるが、実はぼくはASEANについてよく知らない。ASEANも知らないし、東南アジア各国についてもほとんど知識がない。

 例えば日本共産党は、ASEANの枠組みである東アジアサミット(EAS)を発展させることを呼びかけ、さらにASEANインド太平洋構想(AOIP)への発展を支持しているのだが、EASもAOIPも自民党政府自身が担い、それへの支持をうたっているものだ。これをどのように使うのか、別の言い方をすればこの会議の現状のどこに課題があるのか、それをAOIPへと発展させなければ達成できない理由はどこにあるのか、残念ながらぼくはほとんど理解できていない。

 今回のインタビューではさらに、この枠組みだけではなく、北東アジアで独自にそうした努力をすることが新たに打ち出されたのだが、EASやAOIPとの関係も今ひとつぼくはわからなかった。

日本は東アジアの平和構築のために「二重の努力」を行うべきだということを強調しました。すなわちASEANとともにEASを発展させ、AOIPを成功させるための努力を続けることと同時に、北東アジアの固有の諸懸案を外交によって解決する――これらの両面で“対話の習慣”をつくっていく努力を払うことが必要だ、東南アジアで発展している“対話の習慣”を北東アジアにも広げたい、こういう新しい整理をしたのです。…ASEANと協力してAOIPを成功させる、そして、東アジアの全体を平和の地域にしていく、これが基本なのですが、北東アジアには独自の諸懸案があります。その諸懸案について「ASEANまかせ」というわけにはいきません。北東アジアの諸懸案は、北東アジアで解決する努力をやりながら、AOIPを成功させる。EASの場もそういう諸懸案の解決のために役立てていくというような姿勢がいると思うのです。「ASEAN頼み」で東アジアの平和がつくれるわけではなく、北東アジアでは北東アジアの独自の努力がいる――「二重の努力」が必要だと思います。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-01-01/2024010101_01_0.html

 

 そもそもASEANとはどういう枠組みなのか、どんな発展をしてきたのか、そういうことをわかりやすく書いた本はないものだろうかと探しているが、なかなか見つからない。

 しかし、そもそももっと手前の、超入門のところで実はぼくはよくわかっていないのではないか、と思った。

 例えば、志位インタビューでは次のようなことを言っている。

 …私は、ASEANではどうやって、“対話の習慣”を持つようになったのですかと聞きました。ハッサンさん〔インドネシアのハッサン・ウィラユダ元外相〕はこう言いました。

 「対話は多様性の産物です。インドネシアは人種、言語、文化的に多様で300以上の民族がおり、私は西ジャワの出身ですが、スマトラ北部の人と話すときは相手に何を言っていいのか、悪いのかを意識します。私たちにはそのような内的プロセスがある。基本的に全ての東南アジア諸国が多様な国です。多様性の中で、対話は日常生活、生き方そのものなのです」

 「対話は多様性の産物」――。これもなるほどと思って聞きました。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-01-01/2024010101_01_0.html

ASEANで“対話の習慣”がつくられたのは、「多様性の産物」だ。多様性があるからこそ、対話せずにはいられなかった。私たちは「ハビット」を「習慣」という言葉に翻訳しましたが、「癖」とも訳せます。「対話せずにはいられない」という感じだと思います。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-01-01/2024010101_01_0.html

 へえ。志位和夫って「多様性」や「対話」に関心があって、そこを目指しているのかあ。ふうん。ほお。ぜひともそれは目指してもらいたいことであるなあ、としみじみ、心の底から、衷心より、強く思った。

 それはともかく。

 え? でも東南アジアって「多様性」があるの?

 例えば、志位和夫が訪ねて対談したラオス政権って、「マルクス・レーニン主義」を標榜する人民革命党の指導性を憲法に書き込んで、一党制を法制化している国家なのでは? とか思ったりするし、ベトナムもそうだし、ミャンマー軍事独裁国家で少数民族を弾圧しているし、シンガポールは超監視国家だし、カンボジアも…そして何より当のインドネシアは、ポル・ポトの虐殺に匹敵する、50万人の共産党員、さらに華僑など200万人の虐殺をやった国じゃないの? という気持ちになった。

 政党外交をするときに「内政の評価と外交は別です。内政の評価には踏み込みません」ということをよくいうけど、その原則の話とはちょっと違う。ある国や地域の特性を解明するという、いわば学問的な課題を探求して、その答えが「多様性」というのだから、国の内政のあり方にもそれは否応無しに関わってこざるを得ない。

 

 たぶん、ハッサンのいう「多様性」は別の意味なのだろう。

 そこで本書を読んだ。なぜか。いやまったく偶然に本屋で手にとって。監修は助川成也・国士舘大学教授である。

本書では、東南アジアを理解するキーワードとして「多様性」を提示しました。多様性の背景を社会・経済・政治・歴史、そして各国事情に分けて解説し、多忙なビジネスマンに「サクッと」理解できるようにしました。…東南アジアは、1960年代後半以降、自ら「多様性」を実践し、国際的な存在感を高めてきました。(p.174)

というくらい「多様性」を中心においてまとめられたのが本書である。

 p.28-29で「多様性の土壌で育まれる各国独自の文化」という説明があるが、ここでは「多様性」の意味は、一つは、一国の中に多様な民族と言語が入り混じっているという事情。

近代以前から、現地には多様な民族が存在していましたが、第二次世界大戦後、植民地時代の国境を踏襲したまま各国が独立したという経緯から、東南アジア諸国には多様な民族が混在しています。(p.30)

 二つは、EUや中東と違って、「地域全体」で信仰する宗教はなく、仏教・イスラム教・キリスト教と国ごとに主要な宗教の色合いがまるで違い、強制の契機が少なく、緩やかに調和しているということを挙げている。

東南アジアは総じて、民族や宗教の多様性に寛大です。(p.31)

 しかし、そうではないタフな例も、必ず例示されてはいるのだが。

 

 これに加えて、3つ目に、政体があまりにも違いすぎているという事情もある。立憲君主制、共和制、「社会主義」体制で、その中でも国ごとにかなり事情が違う。(p.

70-71)

 

 このような「多様性」がある以上、ASEANは「全会一致」「内政不干渉」が原則にならざるを得ない(p.74-75)。初めはこれらは「共通認識」にすぎなかったが、2008年にASEANの憲章として成文の原則となった。

 

 簡単にいうと、国を単位にしてみた場合、かなりデリケートに違いがありすぎるので、そこに触れてしまうとあっさり壊れてしまうから、もう内政には徹底して干渉しないし、とにかくみんな一致しない限りは前に進みませんよという原則にしておかないと力を合わせられない、というふうにして始まったのだろうと想像する。それがASEANの「多様性」という意味なのではないか。

 

世界で最も成功をおさめた地域協力機構ともいわれています。(p.77)

 

 ASEANの成り立ちは、むしろ分断・対抗から始まっている。

ASEANの発足は1967年、「バンコク宣言」を発出したことに遡ります。当時の加盟国は、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5カ国。東西冷戦時代、共産主義国家であったベトナムカンボジアラオスに対する「反共の砦」としてスタートしています。(p.76)

 このASEAN発足の説明はスタンダードなものだろう。他の解説書でもみたし、最近読んだ倉沢愛子インドネシア大虐殺』でも次のような記述を見た。

インドネシア共産党PKI)などの大虐殺をした後〕スカルノからスハルトへの政権交代PKIの消滅によって、インドネシアはそれまでの容共国家から、親欧米的な反共国家へと変身した。東南アジアの勢力バランスは自由主義陣営に有利なものとなり、その結果、反共5カ国からなる東南アジア諸国連合ASEAN)が成立した。(倉沢kindle10/2548)

 だが、本書『サクッとわかるビジネス教養 東南アジア』では、その後の変化、つまり「反共の砦」として出発したはずのASEANに「共産主義」を掲げる国家が加わって、ASEANの性格が変貌したことについて分析的なことはほとんど書かれていない。次のような記述が簡単にあるだけだ。

ソ連が崩壊して共産主義勢力が弱まった後は、ベトナムなどが加盟。(p.76)

 やはり、地域協力としての枠組みがどう発展していったかについては、もっと本格的な本を読まないとわからないのだろう。

 だけど、とりあえず東南アジアについて「なんもしらない」というズブズブのシロウトであるぼくとしては本書のようなわかりやすい、イラストとキャプションで理解できるような本がまずは大事だった。

 んで、上記以外のことで、本書で触れ、自分があまり認識がなかった(あるいは全く知らなかった)ことについていくつか挙げておく。

 

 第一。戦後は反日感情が強かったが現在は親日感情が高い。本書ではその理由としてODAや福田ドクトリン(軍事大国化の否定、東南アジアの自主努力に協力など)にもとづく外交の影響を解説している。

 第二。AEC(ASEAN経済共同体)にもとづく一体化の推進。FTAやTPPなどの自由貿易路線であるため日本共産党や「赤旗」ではほとんど取り上げられない視点。

 経済圏としてのまとまりというだけでなく、6.6億人もいて、経済が高い成長(年平均5.6%)をしているがゆえに、有望な市場としての注目が日本企業から集まっているというのはなとなく理解した。高島宗一郎・福岡市長も注目するわけだ。

 

 第三。中国の影響力の強まっている国々としてラオスカンボジアミャンマーをあげる。

特に親中的なカンボジアラオスミャンマーでは中国の経済援助は抜き出ています。(p.92-93)

南シナ海問題で〕カンボジアが中国寄りの姿勢を示し、会議は紛糾、共同声明は不採択に。共同声明が発出できない事態はASEAN創設以来初めてのことで、地域協力機構としての存在意義を揺るがす事態となりました。(p.93)

 まあ、この通りだとは思わないけど、ASEANがもともと影響のあった米国と、中国との間で「自主独立」をどう発揮するかということが課題だという背景理解につなげることができる。

 たとえばフィリピンについても、親米的外交と米軍基地が存在してきたが、冷戦終結の1992年には米軍基地が撤退した。しかし、中国との南シナ海での紛争が激化する中で、「1998年に『訪問軍地位協定』を締結、合同軍事演習を実施する米軍に法的地位を与えました」(p.163)。

南シナ海スカボロー礁領有問題について〕フィリピンは中国への反発を強め、国連海洋法条約に基づき仲裁裁判所に提訴して勝訴しましたが、中国がフィリピン産バナナの輸入を差し止め、フィリピンの農業が大打撃を受けました。(p.163)

 そしてさらにドゥテルテ政権になって「徐々に中国寄りの姿勢を強めています」(同前)。

 そんな具合に、米中のはざまで揺れながらも、各国の軍事・外交戦略、そしてASEANとしての自主性を貫いていることがわかる。

 

 第四。シンガポールが統制国家であり「明るい北朝鮮」と言われていること。

教育は総じて規律が厳しく、言論統制もされており、与党一強の体制です。「明るい北朝鮮」とも揶揄され、市民は規律の遵守が求められます。特に厳しいのが刑罰で、徹底した監視社会になっています。(p.156)

 国土の広さが東京23区ほどだということ。ほとんどの人が公営団地に暮らしていること。一人当たりのGDPも日本の倍だということ。マレーシアから「追放」された1965年以降に経済大国になったこと。なども興味深かった。

 

 第五。本書がインドネシアを「多様性を尊重する東南アジアきっての民主国家」(p.170)と評価していること。

 「かつて強力な独裁国家だった」(同前)としつつ、1997年の通貨危機スハルトの退陣以後、民主化を進めてきたとして、「長らくスハルトの独裁政治が続いたインドネシアですが、現在は東南アジアでもっとも民主的な国と呼ばれています。多様な宗教や民族を受け入れる土壌もあり、社会も安定しています」(p.167)、「民族や宗教の多様性を認める現在のジョコ大統領は、国民から高い支持を得ています」(同前)。

 これもそのまま信じるかどうは別だけど、少なくとも、ぼくが最初にイメージしてしまう9月30日事件(大虐殺)や、スハルトの独裁などから大きく変わっている可能性があって、昔のイメージのままでは何も語れないなとは思った。

 志位と対談したインドネシア元外相(ハッサン)が「多様性」を挙げたのもわかるというものだ。

 また、次の記述も注目した。

中でも、最大の人口を誇ったジャワ人の言語であるジャワ語を国語にせず、インドネシア語を共通語にしたことが、あらゆる面で功を奏しています。(p.166)

 

 でも、やはり地域協力の枠組みとしてのASEANについては、もっと基本的なことが学べるような本がどうしても必要だと思う。

 そういう本がすでにあれば誰か教えて欲しいものである。

 

補足(2024.2.16)

 ASEANの出発点が「反共の砦」であったかについては、以下の記事を参考に。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com