高校生のわが子は、もうすぐ期末試験である。
1学期はちょっとがんばっていたが、2学期の中間は全然勉強せず、テストの結果も順位も落ちていた。物理学(「物理基礎」)の出来が悪かった。
「俺の高校時代とおんなじだなあ」と思った。
もうね。斜面に止まっている四角い物体から矢印が出ている図を見るとと虫酸が走るんだよね。あと、滑車を引っ張ったりしている図とか。そんなもの引っ張ってないで、もっと有益なことしたら? とか思う。
娘はそんな高校時代のぼくを彷彿とさせる物理の成績である。
他の教科も同断である。
わが子はPCの前に座って、SNSとか動画とか見たりしながら、「ワハハ」とか笑っている。
もう長〜い時間そうしている。
「勉強しなきゃ」とbotのようにつぶやくが、つぶやくだけだ。
こっちがイライラする。
「その時間、勉強すればいいのに…。今日は休日だろ? 休憩入れても10時間くらいできるはずだよね」などと心の中で思う。
時間が無駄に過ぎているイメージが心から離れない。
水道の蛇口が出しっ放しのまま、それを放置してPCを見て笑っているようなイメージを持ってしまう。なんか言いたくなる。「いやあ…今すごい勢いで時間が浪費されてるけど?」って。
いや。
「心の中」ではとどめておけない。3日に1回くらい、そう言ってしまう。
「うるさい」「わかってる」と返される。(たまに「それなー」と言われる。)
ぼくがそう言ったからといって、取り掛かる訳でもない。
数学や物理はいろいろあろうが、少なくとも暗記系教科をやっておけば、驚くほど取り組んだ時間に結果が比例する。全然違うではないか。などとイラつく。
テスト前。イライラしたり、ハラハラしたりする時間が流れている。
だけど、全然勉強していない訳ではない。
いや…それなりにやっている。
ときどきPCから外れて、机の上で、「歴史総合」などのノートを作り出す。ちょうど「第2インターナショナル」「青年トルコ人革命」などを覚えている。「お父さん、問題出してくれる?」というので「アヘン戦争の後、1856年に、イギリスとフランスが清に対してしかけた戦争は?」などと問題をだす。1時間くらいそれをやった。
英単語も同じように問題を出す手伝いをさせられる。
ぼくは理数系はてんでダメなので、得意なつれあいが、夜も遅い時間に教えたりしている。
そして、「学校が楽しい」と、別にぼくが報告を依頼をしたわけでもないのにつぶやいて、状況を説明する。
その「楽しい」は、高校になってクラスの同質性が高まり、みんなふんわりと仲がよく、中学時代のような異質のグループに分かれてギスギスした感じがないから、という意味なのだが(その代わり、中学時代は部活動が彼女の居場所だった)。長い時間を過ごすクラスが落ち着けるので、うれしいわけである。
例えば、クラスの女子が授業で「わかりません」と答えた、その答え方がすごくホワワワワンとしていたらしく、それに対して思わずクラスのある男子(少々陽キャ系)が「え。かわいい」と全く何の気なしにつぶやいてしまい、クラス中爆笑になったという。しかもただ可笑しみを楽しんだという感じで。
そのつぶやきを、この年頃にありがちな、茶化したり、いじったりするわけでもなく、温かめに笑うというあたりが、娘が感じる人間関係の居心地の良さなのだ。
クラス生活、楽しそうだ。
それでいいではないか。
一体何がぼくは不満なのか。
中学の時と違って、ディープな友人が高校でいるわけでもなさそうではある。中学時代はそういう友達とずっと長い間おしゃべりしていたようだったが、今はそういう友達は同じ学校にはいない。だから、ストレスも格段に小さいようだけど、バッファーもまた小さくなったのかなと思う。その分、心の安定を得たり、ヒットポイントを回復するために、PCに長いこと向かうのかなとも思ってみたりする。
学校は楽しそうではないか。
勉強も自分なりにしているではないか。
そして、「勉強してない!」とぼくはイライラしているけど、本当にぼく自身は高校時代にそんなにやっていたかといえば、どこかで記憶が捏造されている気もする。ぼくは中学時代は自宅での勉強かなりやっていたし、そういう客観的記録も残っているが、高校になってからは、だんだんずる賢くなったような気もする。
英語のリーダーなどは、テスト前日まで結局ぼくは単語を覚える作業をせず、当日になって和訳だけ必死で丸暗記したという本末転倒のことを繰り返していたという黒歴史がふと蘇る。いうほど、お前自身は勉強してねーよ。
心の安寧を得ていないのは、娘ではなく、親たる自分の方なのだ。
と自分に言い聞かせてみる。