『ペリリュー 楽園のゲルニカ』完結を受けて

 戦争に参加した兵士を主人公にした物語がフィクションだというのはいくらでもあることだ。

 にもかかわらず、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』がフィクションだという前提には、やはり驚かされてしまう。

 

 

34人の生還者からフィクションを抽出する勇気

 というのも、激戦地ペリリューで戦死した人はたくさんいるけども(日本兵で約1万人余)、『楽園のゲルニカ』が描いているのは、戦闘を生き抜き、戦後に投降・帰還した人であり、これと同じ境遇だった実際の日本兵は34人しかいないからである。

 戦闘参加者が1万人であれば、個別の体験の中に貫かれている普遍性をえぐり出して、フィクションを作り上げることはできるし、その方が個々の実体験を追うよりも、リアルな全体像に迫ることができるかもしれない。

 空襲被害体験であっても、例えば「呉」とか「名古屋」とかいう具合に都市を絞り込んだとしてそこには体験者が数多くいる。フィクションはその無数の現実の中から生まれてくる。「#あちこちのすずさん」という問題提起は、その表れである。

 しかし、学校の1クラスほどしかいない人たちの特殊な経験の場合はどうか。

 それらは「改変できない」と思ってしまうのが普通ではなかろうか。

 第一に、体験者に対して、一体自分はどんな資格でその体験をそのまま伝えずに、「わかったふうに」それを加工してしまうのか、という怯えというか躊躇というか、戦後世代であれば当然持ち合わせる謙虚さのようなものが、そう思わしめる。

 第二に、34人という数少ない体験者の体験の中から、どのように普遍性をつかみ出せば、果たして34人の実体験をそのまま伝えるよりも「リアルな戦場」を描き出せるのか、そこにもためらいが生じるはずである。

 このように考えた時、作者・武田一義が、なぜフィクションを選んだか、ということに関心を持たざるを得ない。

 

鳥瞰と虫瞰

 「ペリリュー」という歴史を描こうとするとき、そこで何を選んで何を選ばないのか、という視点がポイントだ。とりわけ体験者でない、戦後世代がそれを「物語」にしようとするとき、何をカットし、何をデフォルメするのかが作家にとって最も重要な選択になる。

 「ペリリュー」を戦記として描こうとすればその母数は戦闘に参加した「1万人余」となるだろう。実際、「戦記もの」として「ペリリュー」を描くことは珍しくない。ペリリューでの戦闘以前では水際での上陸阻止に全力を傾注しそこが破られると「バンザイ突撃」をしてあっけなく全滅していったが、ペリリューでは初めて組織化された徹底した抵抗が行われた。

当初の防禦・迎撃計画は、日本軍伝統の水際撃滅作戦だったが、サイパンとグアムの戦訓を採り入れ、成算のない一斉突撃などは厳に戒める作戦に変更した。すなわち、最後の一兵になるまで戦う「徹底抗戦」を唯一最大の戦術としたのである。(平塚柾緒『玉砕の島 ペリリュー 生還兵34人の証言』PHP、p.78)

 大本営首脳はもちろん、日本政府首脳のペリリュー守備隊に対する期待は大きなものがあった。それは絶対国防圏の要衝として大本営が「絶対に大丈夫」と自信を持っていたサイパングアム島が、意外にあっけなく占領されてしまったことに衝撃を受け、新たに発令した「島嶼守備要領」(昭和十九年八月十九日示達)に即した初めての防衛戦にもなるからだった。すなわち、それまでの水際撃滅主義を捨て、主抵抗線を「海岸カラ適宜後退シテ選定スル」ことにした最初の戦法でもあった。

 敵の上陸予想地の海岸線陣地に配備されている兵はあくまでも“消耗兵力”〔で〕あり、単に米軍の上陸を遅延させる目的の時間稼ぎ要員でしかない。後方の主抵抗陣地に布陣する決戦要員の負担を少しでも軽くするため、一人でも多く敵を倒す防波堤的役割ということである。(平塚柾緒『写真で見るペリリューの戦い山川出版社、p.26)

敵はかならずバンザイ突撃を仕掛けてくると、歴戦の古参兵が言い張るのをこの日も何度も聞かされていたのだが。〔…中略…〕ところがバンザイ突撃どころか、日本軍の反撃は戦車と歩兵が協同した、見事に組織化された逆襲だった。〔…中略…〕日本軍はペリリュー島ではこれまでとは異なる戦法をとってくるかもしれない——このときの日本軍の反撃は、われわれにそんな警告を与えてくれた。(ユージン・B・スレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』講談社学術文庫、p.113)

 

 「戦記」としての「ペリリュー」に焦点を当てようとすれば、それは例えばいかに米軍を悩ませたか、という日本軍の司令官的目線になる。本作の原案協力者である平塚柾緒の『玉砕の島 ペリリュー』には「このペリリュー島戦まで負けを知らずにきた歴戦の〔米〕第1海兵隊も、ついにその部隊史に敗北の記録を載せなければならなくなったのである」(同p.141)的な記述が繰り返し出てくる(いささかうんざりする)が、例えばそのような視点である。

 どこに兵を配置し、どこで犠牲を出し、どこで決戦するか——そのような「鳥瞰・俯瞰」的な視点で戦争を眺めることになる。

 

司令官的存在の心情にも入り込む

 しかし、本作『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の作者である武田一義が選んだのは、一人の兵士——もちろんその戦闘をかいくぐった一人ではあるけども、最後まで生き延びて生還を果たした兵士に照準を当てることだった。

 主人公の田丸は将校ではない。下士官ですらなく、一等兵、まさに一兵卒でしかない。

 田丸は戦闘の全局を知るよしもないし、また、それを知ろうとする意思もほとんどない。ただ起きている目の前の事態に対して必死で生きようとする視点、いわば虫瞰が徹底している。

 ぼくは戦争を体験として描こうとすれば、極端な話、虫瞰たらざるを得ないと考えている。戦争を一種の娯楽として描く場合には鳥瞰・俯瞰になる。*1もちろん、戦争・戦闘の概要を知るために一定の俯瞰を採り入れる。本作でも、ペリリューの戦いを指揮した守備隊長である「大佐」が登場し、そうした視点は入り込んでくる。

 しかし、この大佐は、「目的を遂行」し、「組織的戦闘を終結」させることを宣言し自決する。

 武田は、その際にも大佐の死を虫瞰で描く。生きている大佐のまわりにハエと思しき虫を飛ばせ、自決した瞬間のコマを見開きで見せてその心情をこう描いている。

幼き頃より

覚悟ある武人の死は

美しいものだと

思っていた

だが 今

間近に来て知る

死というものは

実に汚らしく

おぞましく

無残な悪臭を放つ——

ならば 言葉だけは美しく——

 そして「サクラ サクラ」という玉砕を伝える電報を打つ。

 現実の歴史における指揮者だった中川州男大佐がどのような心情で死んでいったのか、ぼくらは知るすべもない。*2しかし、武田はフィクションとして指揮者の大佐がどのような気持ちで死んでいったかを大胆に推察し、むごく汚らしい現実として描いたのである。

 

 そして、「これでこの物語も終わりかあ…」と思っていたのだが、全くそうではなかった。そこから後の物語の方がはるかに長いのだ。この自決が描かれるのは全11巻中3巻なのである。

 

 

 そして、ぼくは実はペリリューは「玉砕」というイメージが強かったので、戦争が終わってからもそのことがわからずに戦後2年間も戦闘と残留を続けていた兵士が34人もいたことを知らなかった。そのために、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』が「組織的戦闘終結後」に田丸たちがどう生き延びようとしたかをえんえんと描いているので、びっくりしてしまったのだ。

 作者の武田は、戦闘がいかにむごたらしいものだったかということはもちろんだが、むしろその後、田丸たちがどう必死で生き延びようとしたのか、そこに関心が強かったことが、この構成からもわかる。武田はおそらくそこにこそ戦後世代に届けるべき要素を見出したのではないかと思う。

 

3頭身のリアリティ

 戦後世代に届けるにはどうしたらいいか?

 まず、絵柄から。

 この点はぼくも以前書いたし、様々なところで指摘され、すでに武田自身も述べている。

kamiyakenkyujo.hatenablog.com

――「ペリリュー」に登場するキャラクターは全員3頭身です。どうしてこの絵柄になったのですか。
 作品には残酷な描写があるので、苦痛なく読んでもらえるようにと思っています。残酷さや恐怖心をあおる演出でみせたいわけではないんです。視覚的な衝撃はなるべくない方向で、でも起こっている事象への恐怖はしっかりと感じてもらえるようにこころがけています。一方で、人間らしいシーンもあります。たとえば、みんなで集まって猥談するとか(笑)。あとはみんな食べるものがなかったのに、缶詰とか米軍から奪ってきて状況が良くなってくると、それを賭け事に使ってしまったり、花札でばくちをして自分の食べ物がなくなっちゃったり、とっても人間臭いですよね。同時に、戦闘状態もずっと継続している。そういうのが一緒にあるというのが面白くて。(デビュー作の)「さよならタマちゃん」も病気の話で、読むのがしんどいこともあるから、なるべく絵柄で緩和させて、かわいい絵柄で読んでもらおうというのがありました。

https://book.asahi.com/article/12192519

 

 ゆうきまさみは武田との対談で次のように述べている。武田が「衝撃の緩和」に焦点を置いていることと異なり、むしろ「効果的」と踏み込んでいる。

ゆうき たぶん、Twitterで誰かが薦めていたのを見て知ったんだと思います。それで1巻の表紙を見て「へー、この絵でやるんだ」と興味を持ったんです。

──とてもかわいらしい絵柄ですよね。

ゆうき うん、「この絵は効果的だな」って思いましたよ。この絵で戦争モノをやられると……グッときちゃうね。この絵だから戦争の凄惨さが効果的に見えてくるんですよ。

https://natalie.mu/comic/pp/peleliu

 「もともとこんな画風なんだろ」と思う人もいるのかもしれないが、開発されたものであることをゆうきとの対談では武田が述べている。

武田 もともとこのタッチは、デビュー作の「さよならタマちゃん」というエッセイマンガ用に作りあげたものなんです。僕は奥浩哉先生のところでアシスタントをしていたので、「さよならタマちゃん」以前の絵柄は、奥先生に近いものでした。

ゆうき えーっ、そうなんだ! じゃあこの絵は作ったものなんだ。

https://natalie.mu/comic/pp/peleliu

 

 楳図かずおが1967年に描いた戦争マンガ「死者の行進」と比較してみよう。

 同じ残虐なシーン——どちらも南方で食料や行軍をめぐり日本軍内で殺し合いをするシーンを描いていても、確かに武田の言うように現代の読者にとっては「入り込む」ハードルが違ってくる。

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武田『ペリリュー 楽園のゲルニカ』4巻、白泉社、kindle39/210

 

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楳図「死者の行進」/『漫画家たちの戦争 戦場の現実と正体』金の星社所収、p.126

 ぼくは「緩和」ということに焦点をおく作者・武田とは少し違い、むしろゆうきの指摘に近い。

 楳図的な劇画は「現実」に近いように見えて、今日ではむしろ読者にとってリアリティが遠い。「エロ劇画」が衰退し、手塚治虫ミームを持った「萌え絵」的なものの方にこそ、リアリティがあるのはその一例で、「3頭身」の「かわいらしさ」には現代の日本のマンガ読者が様々な角度からリアルを感じる装置が仕込まれている。

 その「かわいらしさ」のリアリティこそが、現代の読者が違和感なくそのまま自身を物語世界へ導入していける入口となっている。*3

 

「ペリリュー」という史実のどこをチョイスし膨らませるのか

 次に、戦後世代に届けるという点で、「ペリリュー」という史実のどの部分をクローズアップさせれば読者に届くだろうかと考えたとき、次のようなポイントが頭に浮かぶ。

  1. 戦闘においては、どうやったら勝てるか・任務を遂行するかということではなく、自分の命が奪われないように、どうしたら生き延びられるかという視点。米兵を殺すにしても、それは任務ではなく、とにかく自分を殺しにくる存在を倒す、そうしないと自分が殺されるということでしかないという視点。
  2. 本格戦闘終了後においては、食料や水をどうやって確保するのかという視点。ここでもやはり関心は「自分が生き延びる」ということ。
  3. この状態に終止符を打つという点においては、すでに戦争は終わり降伏すべきであると薄々気づきながらそれを言い出せないし、言えば仲間から団結を乱す者として拘束され、殺されるという状況下で、自分がどのように行動するか、ということ。

 この3点である。そして、この3点はいずれも「自分の命をどうしたら永らえさせ、生き延び、死なないようにするか」という問題意識で貫かれている。戦後世代にとって「ペリリュー」とはその点に尽きるのではないかと思う。

 そしてこの3点および共通の問題意識は、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』に強烈に貫かれている。

 補足して言えば、田丸がずっとそういう執着の中にいるわけではない。田丸を通して、そのことを読者が感じながら本作を読むのだということである。

 例えば1.について一例を挙げれば、第28話「生存本能」でばったり出会った行軍中の米兵を殺戮するシーンなどはまさに「無我夢中」という他ないものである。

 まだ組織的戦闘が続いている時でも、重傷者を「処分」するため囮にして米軍の射撃を引き出し、それによって米軍の位置を確定させて日本側からの逆襲の契機にするという作戦が組まれる。田丸はその作戦の「コマ」でしかない。俯瞰的な視点はかけらもなく、作戦や運命に翻弄される虫の視点そのものである。

 あるいは2.についても一例をあげよう。4巻で、大量のコメを見つけたと喜んだのもつかの間、それが腐敗して糸を引いていることがわかった時の絶望などが描かれる。「それで何もなければ食うしかないのでは?」とぼくなどは思ってしまう。そしてやはり食う兵がいるのだ。だが、激しい下痢に見舞われて半日で死んでいく。

 

 しかし何と言っても、「ペリリュー」という史実においては3.が印象的である

 原案協力者である平塚の『玉砕の島 ペリリュー 生還兵34人の証言』を読んでぼくが一番印象に残ったのは、最後に投降をするまでの過程であった。

 戦争は終わっている、ということを集団の中で言い出せない。

 過酷な状況を過酷な結束で通過している集団にとって、その結束を壊すような懐疑は発議さえ許されず、口にした途端、制裁され殺される。「連合赤軍」もそうであったし、現代の「ブラック企業」もそうであるし、戦争末期の日本社会全体がそうであった。

 生きのびたいという希望を描き、そこへ向けての脱出の過程で仲間との共同と確執を描き、それを抑え込む指導者の葛藤を描くためには、心情描写の解像度をどうしても上げなければならない。それはおそらくノンフィクションの「証言」だけでは、不十分なのである

 

 例えば、田丸と終始運命をともにすることになった吉敷という仲間の存在が不可欠だった。田丸と吉敷の会話を想像し、その心情を考えなければ、この希望・確執・葛藤は見えてこない。

 同様に、脱走して投降しようとした田丸と吉敷を追いかけていく島田少尉の存在も本質的なものである。

 脱走により投降が成功し、生還を果たすことができた。

 ぼくらの常識からいえば、田丸と吉敷が企てたことは感謝されこそすれ、非難されることではない。しかし、結束して生き延びようとした組織の論理を戦後の視点から一方的に裁けるのかといえば、そこに難しさは残る。少なくとも当事者には言いたいこともあろう。だからこそ、島田という存在を最後まで島で生き残らせ、田丸と戦後再開しても何も語らせないのであろう。島田は本来田丸に感謝し、謝罪すべきところであるが、それをしない。田丸もまたそれを求めない。そのような史実が持っている重みを捉え、当事者の心の襞に入り込んで戦後世代が想像を及ばせるためには、フィクションでなければ不可能であっただろう。

 

水木的なものの継承者として

 水木しげるの作品に「白い旗」という短編がある(1968年)。

 

 これは硫黄島の戦いを描いたもので、日本軍が組織的抵抗を終結した後、生き残った兵士たちが降伏のための「白い旗」を掲げようとする葛藤を描いたものである。

 この水木の物語は、武田の描いた葛藤に比べると、兵士たちの心の細やかな動きを追えていない。しかし、それはむしろ今から半世紀も前にその葛藤の心情を描こうとした、先駆としての偉大さだと言える。

 水木こそ「生き延びる」という意識と倫理を強烈に内包させた作品を描き続け、彼の生涯と体験もまたそれに貫かれている。

 武田はこの水木的なリアリズムの今日的な継承者なのである。

 

平塚柾緒の著作

 なお、本作を読み解き、その予備知識を得る上で、本作の原案協力者である平塚柾緒の2著(『玉砕の島 ペリリュー』『写真で見るペリリューの戦い』)は大変役立った。

 ペリリュー戦を考える上で、なぜ日本軍はペリリューを戦略的に重視し、そこで徹底した抵抗戦を狙ったのか、また米軍はそこをなぜ無視できなかったのかということがわからなければならない。この点で、『玉砕の島 ペリリュー』には初心者向けの丁寧な解説が載っている。

 さらに、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』のどこまでが史実で、どこからが創作なのかを知る上ではスレッジ『ペリリュー・沖縄戦記』とあわせて参考になる。

 例えば米軍によってコンクリートで入口を塞がれて生き埋めにされてしまう部隊の話が『楽園のゲルニカ』には出てくるが、これは実際にあった話である。また、米軍の拠点に物資を盗みに出かけ、そこで野外上映されている映画を見るという話も実話ということだ。

 あるいは、日米両軍による死体の損壊については『ペリリュー・沖縄戦記』に詳述がある。

 そして何より、「奇跡の投降」をめぐる話は、ぼくが考える『楽園のゲルニカ』の中心問題であるだけに、実際に何が起きたのかを知る上では平塚の著作は不可欠だった。

*1:そういう創作物はけしからんと言っているのではない。戦争を「ゲーム」「娯楽」として描くものをぼくは楽しんで読んでいる。

*2:遺された電報類はあるが、それは心情=真情であったかどうかはわからない。

*3:もちろん楳図の作品は古典としての意味があるし、楳図的グラフィックは現代であっても条件を整えれば全く違った印象を持って使えるのかもしれない。そのことは実際に別の作品として提示された時におそらくわかることであろう。