「たくさんのふしぎ」2023年7月号として届いた佐々木ランディ・矢野恵司『沈没船はタイムカプセル』を読む。
娘が熱心に読んでいた。
本筋と関係ないけど、「たくさんのふしぎ」シリーズは絵本ではあるが、やはり文字が多い。それに打ち勝って読み進めるほどの力を見せるのは、娘の場合、中学時代にはまだ無理で、高校になってからであった。自分で選んできた小説などは中学時代から読んでいたが、「これを読むぞ」と決めて読み始めるには一定の決意が必要で、それはハードルになっている。「ちょっと読んでみようか」程度に手にとって読進めるというのは読書における一定の蓄積が必要なのだと思った。
余談はおいといて、本書の感想に戻る。
水中考古学(海事考古学)で解明された世界史や学問のエピソードを11ほど紹介するというオーソドックスなものだが、どれも面白すぎる。面白さの種類はいろいろあるけど、まあ、「つい人に話したくなる」的な面白さ。
とはいえ、「その話、知ってる」というのも少なくないかもしれない。ぼくがモノを知らないだけで(例えばエドワード・ティーチ=黒ひげというのをぼくはこの本で初めて知り、娘に笑われた)。
17世紀にスウェーデンで沈没した軍艦ヴァーサ号の話だけ紹介して感想を述べておこう。
スウェーデン王が世界に自国の威容を発信しようと、世界最大級の軍艦を作らせるが、進水したとたんに風が吹いて倒れ、沈んだ。
なぜヴァーサ号はすぐに沈没してしまったのだろうか?〔…〕国王は建造をいそがせ、さらに、船の大きさなどたびたび注文の変更を要求していたらしい。そのため、船は細長く不格好に背が高くなった。大砲の搭載数も多く、船を荘厳に見せるため装飾が多くほどこされた。これらが船のバランスに悪影響をおよぼしていた。
それはあかんやろ…。*1
しかもスウェーデンの船大工とオランダの船大工が「じゃっかん異なる基準のものさし」を使っていたために左右対称*2のはずのものに「微妙な違い」が。
同じ設計図でつくっていても、もともとの基準が異なっているため大きさが異なるし、船の設計にくわしくない王様の命令で寸法が変わる……こんな状況で当時世界最大の船の建造を進めていたのだ。
仕事で、エラい人から「こうしなさい」と言われることがぼくもある。
で、その指示が、ぼくからみて無茶な場合・非合理な場合がある。
そんときどうするかといえば、一度か二度は「それやると××になっちゃいますよ」「やめといた方がいいんじゃないでしょうか」と進言する。
それで「ん、そう?」と思い直してくれるタイプの人と、「違う。そんなことにはならない」と押し通してしまうタイプの人といる。
後者の場合は困ってしまうわけだが、執行する権利はエラい人にある。ぼくはただエラい人の代理として作業したり起案・起草したりしているだけなので、最終的にはエラい人に従う。何と言ってもエラい人は責任者であり、その責任を超えてぼくが何かを執行することはできないからである。でも一応は言いましたからね、と。
しかし、責任を取るのはエラい人だしね。(でも、どうかな、そういうのはダメなのかな。上の暴走を止めないそういう態度があれか、アイヒマンを量産しちゃうんだろうか。悩むところである。だけど、もしこの仕事の指示が、ぼくも加わる会議で決定されるなら文句もいいようがあるけど、それ以外の細かい決定や指示は自分の関与が及ばぬところであるから、作業効率から考えても、従うしかない。)
まあ、世間では、仕事が終わり結果が出た後でも、しばしば「あれは正しかった」と言い張って「責任取ってないな…」と思われるような向きもあるが。
ヴァーサ号の場合、設計士や大工が「おい、船が沈んだぞ、どういうことだ」「貴様らのせいだ!」と言われて国王から殺されてしまっていないか、大いに気になった。もしそうなら可哀想すぎる。国王よ、お前が掘った墓穴だろ。
ヴァーサ号は防腐加工をして引き揚げられ、博物館になっている。「ストックホルム随一の観光スポット」(本書)だそうである。
この絵本はたいそう面白かったので、『沈没船が教える世界史』を読んでみようかと思った次第。