我妻ひかり『パコちゃん』1

 30歳。カフェでバイトをしている独身女性・「パコ」が主人公である。

 パコは妻子持ちのおっさんと不倫をしている。そして捨てられる。

 寂しさのあまり、行きつけのコンビニでバイトしている10近く下の男にナンパされ、セックスをし、付き合うようになる。

 

 

 パコはフラれた寂しさのあまり、男についていき、酒に酔い、セックスして体を触れ合わせ、不本意ではあっても寂しさを紛らわせ、「よしよし」してくれる人を求める。そういう隙のある設定が、読者の欲望を刺激しそうな気がするのだが、グラフィックがそれを裏切る。一見少年かと思うようなベリーショートで、しかも服装はあまり構わない。胸もない。いわば「女の色気」的なものは一切感じさせないのである。

 だから、読者であるぼくは欲望ではなく、基本的に、パコの寂しさやだらしなさを見つめながらこの物語を読むことができる。

 …と言いたいところだが、実はそうでもない。

 というのは、例えばパコは徹底して「不細工」に描かれる訳でもないのである。どこかしら中性的な魅力とリアルな存在感があり、それゆえに、やはり多少の欲望を交えてパコを見つめることになる。

 このマンガを読むことは、つらいとか、しんどいとか、そういう気持ちではない。快楽に近い感情なのだ。

 このマンガのどこが読んでいて快楽なのかを考えてみると、一つは、パコがハタチ近い学生の求めに応じてセックスをするところ。ぼくはその男子学生の視点になっているのだ。そして隙のあるパコを「慰めている」かのような感情を得る。

 二つ目は、パコがだらしなくて不運なところ。パコの将来の見通しとか人格の高潔さとか、そういう前向きな感情が何もぼくの中に湧かない。「かわいそう」という感覚で読んでいる。なんだこの気持ちは、と自分でも思うのだが、かなり上から目線の、傲慢な気持ちではないのかな。

 三つ目は、パコやパコの友達(女性)が風俗(男性)を利用するところ。風俗によって救われている感があるのだ。これも自分としては不思議なのであるが、「フーゾクで救われている人もいる」的なものを見たい欲望があるのだと思う。

 

 なんか…、けっこう身も蓋もない感情のベースで読んでるな…>俺