長い休み

 長い休みに入った。

 休み明けの日は一応決まっているけども、本当にその日に休みが明けるのかどうかはよくわからない。これまでの人生では、そんなことはなかったのである。

 休んでいる今、思い出し、読み返すのは大西巨人神聖喜劇』だった。

 戦争が始まって対馬の部隊に入隊し、そこで出会った様々な事件を物語を描いた、『神聖喜劇』には、主人公・東堂が、入隊して間もない頃に、朝の呼集時間を知らされておらず、呼集に遅れてやってきて、そのために同じく遅刻した他の4人の新兵とともに、軍曹から厳しく追及されるシーンがある。

 

 〔…〕「わが国の軍隊に『知りません』があらせられるか。『忘れました』だよ。忘れたんだろうが? 呼集を。」

 上官上級者にたいして下級者が「知らない」という類の表現を公けに用いることは固く禁物である、——入隊前にもいつかどこかでそういう話を聞いたうろ覚えが私にあったし、十日足らずの直接見聞によってある程度その事実を私はたしかめていた。とはいえ私一個は初めて今朝この問題に面と向かったのである。

「東堂は知らないのであります。」〔……〕

「チェッ。わからん奴じゃなあ。お前は、『忘れました』が言われんのか。」

 しかしここで仁多〔軍曹〕は、私の答えを待たずに、鋒先を他の一人に転じて、「お前は、どうだ?」と詰問した。相手はただちに「はい、谷村二等兵、忘れました。」と公認の嘘を叫んだ。仁多軍曹は、他の三人にも次ぎ次ぎにおなじ詰問を突きつけ、真赤な嘘を大声で吐かせておいて、ふたたび私にむかって、「どうだ? お前は。」とそれまでの問いの主部と術部との位置を逆さまにした言い方で迫った。

 つめたい恐怖が初めて私の胸を走った。軍隊の常道として、今度こそ仁多は「忘れました」以外の答えを断じて予想も予定もしていないのであろう。それが私にもさすがにわかった。四人の証人を手近に設けた彼の理詰めのやり口は、私を、そしてまた彼自身をも、どたん場に追い詰めたということになろう。もし私が私の以前に変わらぬ返答を繰り返すならば、彼は、立つ瀬を失い、暴力に訴えるよりほかには、この場の収拾策を持ち得ないのではないのか。

 野間宏『真空地帯』は軍隊を、一般社会と隔絶した無法と暴力の空間として描いた。これに対して大西は、軍隊は一般社会と隔絶しているどころか、法や規則によって動かされている一般社会と連続している、しかし特殊な社会であるという側面を描き出した。『神聖喜劇』はダンテの『神曲』のことである。『神曲』には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という有名な章句があり、地獄と世界は全く別のものであるかのように一見とらえられるが、実はその地獄は世界と地続きなのである。

 ここでも軍曹はすぐに暴力は振るわず、主人公・東堂を追い詰めるべく「四人の証人を手近に設けた彼の理詰めのやり口」が示される。

 ぼくは、今自分の近くにある理不尽に、このシーンを読みながら思いを致す。

 もし自分の行為が「ルール違反だ」と非難され、「罰をくらわせるぞ」と振りかざされたとしたら。

 ルールの明文、あるいはルールを運用するマニュアルの明文にはどこにも規定されておらず、また、規定されている文言からの類推や拡大の解釈からは導き出されようもなく、それどころか、マニュアルの存在さえもどうやらないらしい中で、「ルールを破ったことを反省しろ」と言われたとしたら、「そんなルールは聞いたことがありません」と言いたくなる。すなわち「知りません」である。しかし耳元で叫び続けられるのは「ルールを破ったことを反省しろ!」「ルールを忘れたのか、お前は!」なのだ。

 「知りません」と言うな。「忘れました」と言え。

 このシーンを読みながら、ぼくは自分の身近に存する理不尽についてどうしても思い出さざるを得ない。続く東堂の内心は、まさにぼくの心そのものである。

 戦争に対して何も抵抗できない自分の運命に自暴自棄になり、軍隊に入って「一匹の犬」となることを一旦は決意した虚無主義者・東堂は次のように思う。

 〔……〕私が「忘れました」を言いさえすれば、これはまずそれで済むにちがいなかろう。これもまた、ここでの、現にあり、将来にも予想せられる、数数の愚劣、非合理の一つにすぎない事柄ではないか。これに限ってこだわらねばならぬ、なんの理由が、どんな必要が私にあろうか。一匹の犬、犬になれ、この虚無主義者め。それでここは無事に済む。無事に。……だが、違う、これは、無条件に不条理ではないか。……虚無主義者に、犬に、条理と不条理との区別があろうか。バカげた、無意味なもがきを止めて、一声吠えろ。それがいい。——私は、「忘れました」と口に出すのを私自身に許すことができなかった。・・・・・顔中の皮膚が白壁色に乾上がるような気持ちで、しかし私は相手の目元をまっすぐに見つめ、一語一語を、明瞭に、落ち着いて、発音した。

「東堂は、それを、知らないのであります。東堂たちは、そのことを、まだ教えられていません。」

 他人から見れば東堂のこだわりは馬鹿げたことのように見える。

 「忘れました」と言いさえすればいいのだから。そして、言わなかったとして、それで帝国陸軍の何かが変わるということでもない。ただの東堂の中での小さなこだわりのようにも見える。

 東堂は、「大東亜戦争」(アジア・太平洋戦争)の開始において、虚無主義者になった。軍部や戦争を嫌悪していたにもかかわらず、他方で徴兵拒否・忌避のような「抵抗」をする気もなくそれをした人々に敬意も感じていなかった。東堂は

世界は真剣に生きるに値しない(本来一切は無意味であり空虚であり壊滅するべきであり、人は何を為してもよく何をなさなくてもよい)

というテーゼを打ち立てた。「聖戦」の欺瞞的本質をほぼ正しく理解し社会・国家の現実を全く肯定しないけども、その変革の可能性をどこにも見出し得なかった東堂が、追い詰められて打ち立てた主観的なテーゼであった。

 そのような虚無主義者に陥ったまま、東堂は軍隊に入った。この戦争で自分は死ぬ・死すべきであるという予感を抱き、「一匹の犬」となるつもりで。

 ところが、東堂は、その虚無主義に自分を浸かり切らせることに抵抗した。「忘れました」と言わず「知らなかった」と言い続けた。意識的・計画的に反抗したのではなく、些事のような、あまりにも小さな出来事であるかのような事件をめぐって東堂の中に「意識あるいは直観の雲」が生まれたと形容する。

 「雲」。まさに明瞭な形ではなく、自分自身にとってもとらえどころのない、不定形ではっきりしないものだったのだろう。その「雲」と、軽蔑すべき上官上級者を相手に子どもじみた抵抗を続けようとすることへの「自己嫌悪」とがせめぎ合う。

意識あるいは直観の雲が私に生まれ、または目覚め、さてそれが私を統制したからであった。……この自己嫌悪の情緒も私として嘘いつわりではないけれども、それと同様に、もしくはそれより以上に、あの何か強大な物に挑むような情念は私として真実切実である。ただこの二つの心的活動は、いずれもそれぞれ例の「一匹の犬」的表象からしばらく懸け離れているらしいが。もしここで私が、前者——自己嫌悪の情緒——に私自身を任せて、後者を一時の小児病的な血気の類として葬り去るならば、何かが、ある重大な何かが、私において最終的に崩れ落ち、潰れ滅ぶであろう。してまた私の仮りにもそこいらの下司某を貫いて挑むべき・挑むに足りる何物かがこの世に存在するのならば、その私の守り立てるべき・守り立てるに足りる何物かも私の内外になお存在するのであろう。この自己嫌悪を捩じ伏せることが、何はともあれ、いま私に必要である。

 

 もしぼくが仮に東堂と同じような状況であったとして、「理不尽な言いがかりかもしれないが、ここは一つ、ルール違反であることを認めしまえ。大したことではなかろう」「嘘も方便だ」と言って、そこで抵抗することを自己嫌悪の感情で片付けてしまえば、やはり同じように「何かが、ある重大な何か」が、ぼくのなかで「最終的に崩れ落ち、潰れ滅ぶ」かもしれない。

 見解が異なったものを保留する権利があるとぼくは考える。

 にもかかわらず、自分の見解を捨て、「すべて私が間違っておりました。あなた様のいう通りです。許してください。助けてください」と作文をして嘆願しなければ、罰せられる——そんな馬鹿げた枠組みが、仮にあったとして、それにぼくが屈するようなことがあるならば、「何かが、ある重大な何か」が、ぼくのなかで「最終的に崩れ落ち、潰れ滅ぶ」ことは疑いないように思える。

 

 ぼくの友人の一人に若い女性がいるが、その女性が自動車運転中に別の自動車との交通事故に遭った。明らかに相手側のミスである。車から出てきた相手の高齢男性は理不尽を怒鳴り散らすが、女性は全く動じない。その様子に業を煮やした高齢男性は、無言で力を込めて拳を振り上げるしぐさをして、目をカッと見開き、威嚇した。もちろん女性は「出るところへ出よう」と全く意に介さなかった。

 若い女など威嚇すれば「ごめんなさい!」と震え上がって言いなりになるだろうというジェンダーまみれの思い込みがその高齢男性に染み付いていて、しかも自分の中では効果のある威嚇をしたと信じ込んで実際に演じている情景が、ひどく滑稽で印象に残った。

 ぼくの身近にある理不尽も、おそらく端から見れば、そのような滑稽極まる情景なのだろうと想像して可笑しかった。

 ぼくたち、あるいは、ぼくたちの人生は、老人男性の玩具(おもちゃ)ではない。

 

 理不尽そのものに対してもそうなのだが、それ以上に「理不尽とわかっていても認めてしまえ」という「親切」や「現実主義」を装った使嗾こそが自分にとってはより苦しいものだと気づく。

 そんなルールは聞いたことがない、「知らない」と言い続け、知らせるように要求し、ルールの正確な理解を質問し続けようとする東堂に、上級者(神山上等兵)による「肉体的制裁」=暴力の危険が迫る。

 質問をやめ「知りません」を自らに禁じれば、その危険は去り、安寧が手に入る。しかしそのような恭順を自分は示したくない、という葛藤が東堂の中に生まれる。

 

 〔……〕もしただこのまま私が沈黙の恭順を装っていさえしたなら、その「望外の幸福」はすぐにも私の物となりおおせるであろう、と私は理解した。しかしそれと同時に、神山らの言い分を私は黙認することができない(かかる不条理、かくのごとき仮構前提に屈従することを私は私自身に許し得ない)、という圧倒的な衝動が、私の中に現れ出ていた。しかも二派に分裂した私の心と心とが、凄まじい速力で鬩ぎに鬩いだ。……『切り出そうか。』、『だまっていようか。』、『切り出そうか。』——神山が、ちょっと伏し目をした。……『言うまいか。』、『言おうか。』、『言うまいか。』、『言おうか。』——伏し目の神山が、たぶん何か最後の指示を与えそうな気配になった。……『言うまいか。』、『言おうか。』……『ええ、おれは言わねばならない。言ってしまえ。』……大きな氷の固まりが、私の胸板に押し当てられたかのようである。

 ……私は、強大な何物かに挑むような情念で、『東堂は、質問があります。』と切り出さずにはいられなかった。それまで短時間の私を無言無為の方向に引き留めようとした何物かの正体が、案外にも主として私の虚無主義ではなくて、いっそ主として私の損得の打算、暴力への恐怖、それほどでもない物事にも怖じ恐れてくよくよしがちな生まれつきの小心の類であったということを、私は、とうとう口を切ったとき、今更に見つけて知ったのである。

 東堂はここで自分の逡巡を「虚無主義」によるものだとカッコつけていない。そうではなくて、単にもっと単純な自分の臆病から来ていることを微細な心の動きをとらえて、正確に理解している。ぼくにも思い当たることがある。