大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

 中学3年の終わり頃、高校の下見に遠くの街に電車で出かけた。遠くの高校に行くかもしれなかったのはぼくともう一人の生徒だったので2人で出かけた。親友というわけではないが、生徒会の役員を一緒にやる程度には友達だった。

 その街はぼくの中学のあった田舎とは格段の差のある「都会」で、景色に圧倒されながらその街を歩いていた。

 その時、前の方から自転車に乗った若者、おそらくぼくと同じ年頃の一団が奇声を発しながらやってきた。10人くらいの集団だっただろうか。彼らは自転車に乗ったまま、ぼくらとすれ違いざまにぼくの腹をわざわざ蹴って通り過ぎていった。

「何すんだこのやろう!」

と大声をあげたのはぼくであった。

 その罵声を聞きつけ、彼らは自転車を止めた。

 そして、降りてこっち向かって走ってきたのである。

 ぼくは青くなって逃げ出した。

 ところが、もう一人は駈け出さなかった。自分が発言したのではないと考えたのだろう。

 しかしその一団にそんな「道理」は通用しない。たちまち友人は取り囲まれ、殴られ、蹴られ始めた。

 ぼくは見捨てて逃げるわけにもいかず、戻るしかなかった。今考えれば110番通報したり大人に助けを呼んでから戻ればよかったのだと思うのだが、そんなことを考える余裕はなかった。

 戻るや否や、ぼくもボコボコにされた。

 「金を出せ」と言われた。

 「ありません。勘弁してください」と弱々しくぼくは哀願した。結局財布を巻き上げるまではしなかったが、ふんという感じで彼らは立ち去った。鼻血が出たので、派手な絵面となった。ただ、「全治●ヶ月」というようなことはなかった。

 どうやって帰ったのかもあまり覚えていないが、その友達とはあまり話さなくなってしまった。二度と思い出したくない、つらい記憶となったのだ。

 ぼくは優等生意識の裏返しもあったのだろうが、「不良ども」を心の底から軽蔑していた。「そんな奴ら」から暴力を受け、屈服させられ、哀れがましく許しを請うたことで、プライドがズタズタになった。はじめにイキがっただけに、その落差を思うと、その時は震えるほどに悔しかった。早く忘れよう、なんでもなかったんだ、という思いが交錯した。

 直接的な暴力はなおさらだろうが、人を理不尽な力によって屈服させること、それによってどう尊厳がが踏みにじられるのかということを、そんな経験からも少しばかりわかるような気がする。もちろんレイプ被害はその何倍・何十倍も苦しいものなのだろうが。

 繰り返すが、直接的な暴力に限らない。

 圧倒的な力の非対称性を背景に、押さえつけられるということの屈辱感を想像するとき、体が熱くなる。

 

 リモート読書会で読んだ大江健三郎『芽むしり仔撃ち』で最も印象的な箇所はラストの第十章「審判と追放」である。

 

 戦争中、感化院の少年たちが疎開ということで送られた村で、感染症が流行り、少年たちは感染した動物の死体の処理の仕事をさせられた挙句、村人たちが計画的に避難する中で村に強制的に隔離される。やがて村人たちが戻ってきて、村長は、少年たちをなじり始め、一緒にいた脱走兵の行方などを糾問する。

「この汚ならしい感化院のがきども」と村長が突然怒りくるって叫んだ。「お前らは何一つ正直に白状しない。俺たちを甘く見るつもりか。俺たちは、お前らの痩せた首を一締めでつぶしてしまうことができるんだぞ、叩き殺すこともできるんだぞ」

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』新潮文庫、p.170 Kindle 版)

 しかししばらくして戻ってくると村長は恩着せがましく、お前らを許してやると述べた。感化院の教官が戻ってくるので、少年たちを置いてけぼりにして閉じ込めたことを他人に言うなと少年たちを脅すのである。

 主人公の「僕」は、許してやると言われた一瞬は心を開きかけたが、急に態度を硬化させた。

 僕の心の中で開きかかっていた蓋が急速に固く閉じた。そしてそれは僕の躰のまわりへ伝染し、僕の仲間たちみんなが村長への硬く対抗する態度、しっかりした姿勢を取戻した。僕らはうまくはめこまれようとしていたのだ。そして《はめこまれる》ことほど屈辱的でのろくさでみっともないことはないのだ。…

 「おい、いいな。そういえよ」と僕らの無反応にその装われた冷静さをかきみだされた村長が僕らを見まわしていった時、僕ら仲間たちはすっかり態勢を挽回し、内部の同志としての固い結束をとり戻し、村長に対して挑戦的に胸をはり眼をきらきらさせていた。(大江p.173)

 しかし結束は長く続かなかった。村人が圧倒的な暴力を見せつけた後、従う者は握り飯を食わせてやると言い出した。次々に崩れ、最後に抵抗の意思を示し続けるのは「僕」一人になる。鼻先に熱い汁と握り飯を出すが、「僕」はそれをはたき落とす。

「ふざけるな」と村長は喚いた。「おい、ふざけるな。おいお前は自分を何だと思ってる。お前のような奴はほんとの人間じゃない。悪い遺伝をひろげるだけしかない出来ぞこないだ。育ってもどんな役にもたたない」

 村長は僕の胸ぐらをつかみ、僕を殆ど窒息させ、自分自身も怒りに息をはずませていた。

「いいか、お前のような奴は、子供の時分に締めころしたほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」(大江pp.178-179)

 

「いいか、おい?俺たちはな」と村長は喚いた。「お前を崖から追い落すこともできるんだぞ、お前を殺して誰一人それをとがめる奴はいないぞ」

 彼は短く白髪を刈りこんだ頭を振り、怒りにみちた声で叫んだ。

「お前たち、俺がこいつを殺してそれを巡査にうったえるものがいるか?」

 首をしめつけられてのけぞった僕のまえで僕の仲間たちはおびえて黙りこみ僕を裏切った。

「分ったか、おい、これでわかったか」

 僕は眼をつむり、苦い涙を睫にからませてうなずいた。僕には自分が最後の土壇場でまで見すてられたことがわかりすぎるほどわかっていた。僕の胸ぐらをしめつけていた腕がゆるみ、僕は深い息と小さい咳をして躰をたてなおした。(大江p.179 )

 そして「僕」は追放という審判を受け、追放される。しかし、実際には追放ですらなく、いつまでも抵抗し続けていた「僕」を、村人たちは他の少年の見えないところで殺してしまおうとしていたのである。すんでのところで「僕」はそれを免れるが、一瞬免れただけで、逃げられたのかどうかすらわからないまま結末が閉じられる。

 逆らった者を、徹底的に力で封じ込め、ジャッジし、追放し、抹殺する。

 抵抗に立ち上がった人々が崩れる無様で情けのない瞬間、どうやっても逃げきれない力の網の中で抵抗を続ける無力感、悔しさが活写されている。

 

 次回の読書会はその対極にある文化について。桑野隆『生きることとしてのダイアローグ バフチン対話思想のエッセンス』(岩波書店)である。