堀内京子『PTA モヤモヤの正体』の書評が「赤旗」日曜版に載りました

 堀内京子『PTA モヤモヤの正体』(筑摩選書)の書評が「しんぶん赤旗」日曜版2022年1月16日号に載った。

 PTAにかかわりながら日常に感じるモヤモヤをクローズアップした著作は、任意加入問題やPTA改革を中心にいろんな本が出始めている。

 例えば、大塚玲子の以下の著作は近年ではそのひとつである。

 この『さよなら、理不尽PTA!』ではぼくも登場する。

 また、PTAを近代史の中において考察した岩竹美加子『PTAという国家装置』という重要な著作もある。

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 しかし、前者つまり日常に感じるモヤモヤと、国家や政治に到るまでをつなげて考えるという点では本書『PTA モヤモヤの正体』は自覚的にそこを行なっている。「役員決めから会費、「親の知らない問題」まで」というサブタイトルはそれをよく表している。

 

 本書の終わりには「問題を指摘することはPTA活動をしてきた人の否定ではない」という節タイトルで堀内の次のような一文がある。

PTAに問題があるという記事を読んだり、PTAの制度を変えようとしている人を見て、自分のPTA活動や経験を否定されたと思う人が少なくない。けれど、よく一言で「PTAは」と言われているけれど、一つひとつは相当に違っている。批判されているPTAの問題点はあなたのPTAとは違うかもしれないし、あなたの活動ではないかもしれない。(p.204)

 PTAを熱心にやってきた人ほどこの思いにとらわれてしまう。

 「PTAは地域問題を解決するためにこうがんばってきた」「私はPTA活動で人権の学習をこういうふうにやってみんなが喜ぶ運動をやってきた」——こういう体験はごまんとある。本当にそのPTA活動は社会進歩にとって有益だったのだろう。

 ぼくの周りにいる左翼活動家の先輩たちもPTAをがんばってきたので、ぼくのように退会してしまうこと自体が「活動の放棄」だと思われているフシもある。

 ぼくが今回の書評で問題にしたかったことは、堀内が「PTAは「自然現象」ではない」という節タイトルで述べている次の点につながる問題である。

「この町は冬の寒さが厳しい」とか「この地域は夏から秋にかけて台風がよく通る」といった自然現象は、私たちがどう頑張っても変えられない。けれどPTAは、自然現象ではない。あくまで任意団体で、法律で義務づけられているわけでもない。だから、私たちが変えていってかまわないものだし、参加するのも、退会するのも、私たちの自由だ。文科省や政治家よく「家庭の教育力の低下」などと言って危機感をあおるけれど、そうした言葉を素直に受け取ってしまう前に、「お国のため」のような、大きな何かに巻き込まれいないかどうか、立ち止まって考えてみることも必要だと思う。それが理不尽だと感じられたら、笑顔をつくって我慢し続けよりも、そこから逃げたり、ネットなどで仲間を見つけて、そうした状況を変えるための方法を考えたりしたい。(p.203)

 ぼくは「自然現象」ではなく「社会の中の制度」だと言いたい。

 町内会をやっている人も同じだが、PTAも町内会もまったく無垢な地域団体ではない。

 本書にあるように、それは何らかのイデオロギー、特に支配的なイデオロギーに絡め取られながら運営されている危険がある。

 町内会で言えば、公助を放棄した自助・共助の補完物として体良く使われていることがある。PTAは、「同調圧力に敏感になり、理不尽に耐えて任務を果たす母としての国民」を身につけさせられている危険がある。

 そのことに無自覚であってはならない、とぼくは思う。

 町内会やPTAに参加するときは、常にそのようなものに巻き込まれる危険があることを警戒しておくべきだろう。「自分はこういうすばらしい進歩的体験をPTA(あるいは町内会)で行なった」ということでは済まされない問題が、日本の各地では起きている可能性がある。