「やってる」感だけの空手形

 …っていうタイトルのエッセイを「日本とコリア」第252号(2021年10月1日号、日本コリア協会・福岡発行)に掲載していただきました(「これでいいのかニッポン!」というコーナーです)。

 日本政府は2050年までに温室効果ガス排出実質ゼロを打ち出していますが、福岡市はそれより10年早く2040年ゼロを打ち出しています。

 これは画期的なことだと思うんです。

 問題は中身ですよね。

 本当にやれるの? やる気があるの?

 …というのを、書いています。

 中身はぜひ同号を読んでほしいんですが、関連してお知らせしておきますと、同じく福岡市の気候危機への対応問題で、堀内徹夫市議(共産党)が10月6日の午後1時50分から決算特別委員会総会で質問を行います。堀内市議によると新事実をもとに追及するということであり、どういうやりとりになるか、大変楽しみです。

 

 このハナシ、別の角度からいうと、自治体は「計画」をまじめにやっているのか? という問題なのです。

 自治体は、市政運営の基本を長期の視点で定める「総合計画」をはじめ、たくさんの計画を策定します。

 今回問題にした気候危機打開は、福岡市では「福岡市地球温暖化対策実行計画」というものに定められています。

 しかし、これはとてもいい加減で、今の計画は2016年に策定されていますが、それ以前の計画では福岡市で温室効果ガスを総量でいくら削減するのかさえ決めていませんでした。2016年の計画でようやく総量でどれだけを規制するのかという目標値が入ったのです。しかしそれとて、2030年度に2013年度比で28%削減、2050年度に80%削減というものでした。

 

 さらに問題なのは、目標を定めても、それを本気でやれる仕掛けになっているのだろうかという問題があります。

 この「福岡市地球温暖化対策実行計画」というのは、「福岡市環境基本計画」の部門計画、つまり下のクラスの計画でしかありません。

 じゃあ「福岡市環境基本計画」というのは最高の計画なのかといえば、これまた「福岡市基本計画」という計画の環境パートという位置付けでしかありません。下請けの下請け、みたいな感じです。

 

 気候危機対策、とりわけ温室効果ガス排出実質ゼロなんていう目標の達成は、正直生半可な決意ではできません。生活・経済全般にわたる社会システムの大改革が必要です。おおごとなわけです。2050年の達成だってなかなか厳しい。それなのに、福岡市はそれを国よりも10年早くやろうというのです。

 野心的なのは結構ですが、実際の手立てが伴わなければ何の意味もありません。

 グレタ・トゥンベリに「なんだかんだ言っているだけで何もしていない」「空虚な言葉や約束は沈黙より悪い」って言われても仕方がないのです。

www.youtube.com

 開発計画や交通計画、経済政策が変わらなければ、しかも大きく変わらなければ、およそ達成などできません。

 「達成できる」と高島宗一郎・福岡市長はおっしゃるかも知れませんが、それならそれでいいんです。達成できるという根拠や数字を市民の前に出していただき、あまたある福岡市の計画・施策すべてを、「2040年排出ゼロ」と整合的なものにできるのであれば。

 このあたりが堀内市議の質問で暴かれると思います。

 

 斎藤幸平じゃありませんが、「福岡市地球温暖化対策実行計画」って、もし本気でやろうと思ったら、それ1本だけで社会を全分野にわたって大改革する政権、ひょっとしたら社会主義政権ができてしまうんじゃないかっていうくらいスゴイものだと思います。あくまで本気やろうとしたら、ですけど。

 「温暖化対策実行計画」だけじゃありません。

 例えば、子どもの貧困対策法に基づいて市町村は「子どもの貧困対策計画」っていうのを策定することになっています(努力義務)。

www8.cao.go.jp

 

 もし本当に子どもの貧困をなくす、いや一定の削減をするための目標を掲げ、そのための施策をやったとしましょう。そうなると、地域経済全体を底上げしつつ、実際に家計への所得が増え、しかも低所得層に回るように政策を取らねばなりません。加えて、現金などの直接支援が抜本的に増やされる必要があります。実際に貧困を削減する相当大胆な社会改革となるでしょう。

 しかし実際には、「学習支援をします」「朝ごはんを提供するNPOを支援します」程度のものだけでお茶を濁されることが多いのです(いや、それ自体は大事ですよ。それしか行わないという政策レベルを問題にしています)。

 

 こんなふうに、「計画」の目標を真剣に考え、市民とともに策定し、その達成に本気で、まじめに取り組めば、実はものすごい成果が得られるはずなのですが、おおもとの国政自体がそのような構えをとっていません。その流れを受けるほとんどの自治体で、同じように“諸計画を本気でやらない病”が蔓延しているのです。

 

 「月刊ガバナンス」2021年10月号は、「コロナ禍の自治体計画」を特集しています。

 

 ここで今井照・地方自治総合研究所主任研究員が紹介していますが、自治体が策定する計画が激増しています。これは近年、福田紀彦・川崎市長が「問題」にし、国へ要望書をあげています。

https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/151337/08-kawasaki3.pdf

 

 下記は今井の論文にある表です。その増加ぶりはわかると思います。

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今井照「国法による自治体計画策定要請の現状と対処法」/「月刊ガバナンス」N0.246所収、ぎょうせい

 今井は

計画策定要請が唐突に「降ってきた」ら、できるだけ手を抜くことも選択肢としてありうる。(p.19)

と露骨に言っています。現状の枠内で考えればそうなってしまうんでしょうね。

 

 同じ号で、高崎経済大学教授の佐藤徹は「行政計画あるある」という3つの特徴を書いています。これ、けっこう「あるある」なんですよね。

第1に、総じて行政計画の参照頻度はさほど高くはない。自治体では「計画のインフレ」状態にあると言われるほど、実に多種多様な行政計画があふれている。〔…中略…〕策定後は時間の計画とともに計画の存在感が希薄になっていく。計画を所管している部署の職員でさえ、異動になってはじめて当該計画を見たという職員も少なくない。計画に対する職員の認識でさえ、このような状況であるから、お世辞にもその計画は住民にとって身近な存在だとは言い難い。(p.24)

 実際の行政では参照されていないというわけです。

 さらに、

第2に、おかしな成果指標が設定されている。

 ぼくは、福岡市の男女共同参画基本計画を見ましたが、「あらゆる年代・性別で男女共同参画意識が浸透した社会 」というのを「基本目標1」として立てているのです。「意識が浸透」という目標自体が微妙ですが、その成果指標はどうなっているかといえば、「『男性は仕事、女性は家庭』という考え方に否定的な人の割合」を現行の男性68.2%、女性76.5%から「男性80%、女性80%」に引き上げるというだけなのです。女性なんかたった3.5ポイントですよ? しかもなぜ意識調査?

 5つある目標のうち3つまでは「理解度」「認知度」など意識調査のパーセンテージをあげるという成果指標になっています。客観的な現実をなぜ変えようとしないのでしょうか。それは「やってる」感がでないからでしょう。

第3に、目標値の設定根拠があまり知られていない。

 これがまさに今回の「温暖化対策実行計画」見直しです。

 なぜ2040年にゼロ? どうやってゼロに? というあたりが不明なのです。

 

 この「月刊ガバナンス」では何人かの識者が自治体の計画をどうするかについて論文を書いているのですが、率直に言って「現実主義」の名のもとに「現状の枠内での微調整」にとどまる話ばかりでした。なるほど、計画が多すぎ、不要・不急なものがあれば、それは手をつけなかったり、統合したりすればいいとは思います。

 しかし、問題はそこじゃないと思うんですよね。

 仮に策定しなければならない計画数が減ったとしても、国の意向に沿った「ほどほど」の計画しか立てられなかったり、コンサルや原局の「作文」で終わったりしたら意味がないわけです。

 特に今回のような気候危機打開という、社会システムの大改革をやらねばならないような問題は、自治体としてどう向き合い、計画をどう策定し、実際にどう実行するのかを真剣に追求しないといけないと思うのです。

 「やってる」感だけの空手形はもう要らないのです。