「福岡空港の軍事利用に反対」はどの党の議員のスローガンか?

「脊振通信基地」は全面返還されたのか?

 ある左翼系の集会に出ていて、福岡市の米軍基地が返還されているかどうかが議論になった。
 福岡市の米軍基地は、かんたんにいうと2つある。
 一つは、板付基地。こちらは福岡空港である。荒木栄作曲の歌「この勝利ひびけとどろけ」で有名な基地だ。
 もう一つは、脊振通信基地。県境にあり、福岡市と佐賀市にまたがっている。
 で、板付基地は、まだ返されていない。これははっきりしている。
 議論になったのは、脊振のほう。
 Aの人たちは、すでに米軍から全面返還された、という。Bの人たちは、返還されておらず、一部残っている、と主張した。
 Bの1人から、集会後「調べたけど返還されてなかった」という電話までぼくはもらったのだが、さらにAの人たちが調べて、結局全面返還されていたことがわかった。Bの1人も「全面返還されていました」と訂正した。
 といっても、代わりに自衛隊が管理し、米軍の下請けのようなことをやっているわけだが。

「基地を返せ」という運動

 ここでクイズ。
 下記はどこの運動団体の方針・事業計画か、おわかりだろうか?

今後の運動方針…
(1) 板付基地の全面返還の実現

  • 米軍専用使用条項の適用廃止及び専用使用区域(倉庫)の早期完全返還を要求します。
  • 米軍一時使用条項の適用廃止及び一時使用区域(滑走路,誘導路など)の廃止を要求します。

(2) 福岡空港の軍事基地化及び軍事利用に反対します。
(3) 返還された基地跡地の平和的利用の実現に努めます。
(4) 関係団体等と連携し,航空機騒音対策や空港周辺整備事業の推進を要請します。
(強調は引用者。以下同じ)

http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/59845/1/29siryou.pdf

平成29年度事業計画

  1. 板付基地の全面返還促進及び福岡空港軍事利用させない運動の実施
  2. 防衛省等に対する陳情活動の実施
  3. 米軍及び自衛隊による福岡空港の使用状況並びにこれに伴う被害発生状況に関する調査活動の実施
  4. 全国の基地(自衛隊基地を含む。)に関する調査活動の実施
  5. 基地問題に関する情報の収集及び資料の発行
  6. その他,本協議会の目的達成のため必要な活動の実施
http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/59845/1/29siryou.pdf

 「どうせ左翼系のアレだろ?」と思う人もいるかもしれない。


 実は、上記の方針・計画は、「板付基地返還促進協議会」という団体のもので、ここには、福岡市、福岡県、九州大学、福岡市議会の全会派の市議、福岡商工会議所、地域の自治会の連合体(自治協議会)、福岡市PTA協議会、連合、中小企業家同友会……などが構成団体として名を連ね、福岡市長・福岡県知事・九州大学総長も「顧問」を務めている。

2017年度 板付基地返還促進協議会 役員等及び委員名簿http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/59845/1/29meibo.pdf


 「板付米軍基地の早期返還」「福岡空港の軍事利用に反対」は自民党公明党議員のスローガンであり、高島福岡市長、小川福岡県知事のスローガンであり、PTAや町内会や大学のスローガンでもある。


 米軍基地の返還、というのは一部左翼の、かたよった要求や運動のように思っている人がいる。
 しかし、それは圧倒的な誤解である。
 超党派の運動なのだ。


 さらに言えば、これは福岡市の特殊事情でもない。
 在日米軍基地の返還運動は、渉外知事会(渉外関係主要都道府県知事連絡協議会)というものがあって、15の都道府県知事が共同して進めている事業だ(この15の都道府県には合計6517万人、日本の人口の過半数が暮らしている)。
 その2017年のパンフレットで、米軍基地の存在について、この知事会は次のように述べている。

基地の存在は、地域の生活環境の整備・保全や産業振興に障害を与えるとともに、騒音、事件・事故、環境問題など、様々な問題の原因となっていることから、基地の整理、縮小及び早期返還の促進を求めています。

http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/890344.pdf


 そして、もちろん日米地位協定の改定も要求している。

 日米地位協定は、昭和35年に締結されて以来、50年以上もの間、改定されておりません。当協議会では、米軍基地に起因する環境問題、事件・事故等を抜本的に解決するためには、日米地位協定の改定は避けて通れないものと考えております。
そこで、日米地位協定に次の6本の柱に掲げる15項目を明記することにより、日米地位協定を改定することを政府に働きかけるとともに、米国側にも理解を求めています。

http://www.pref.kanagawa.jp/uploaded/attachment/890344.pdf

 これらは知っている人は知っていて常識みたいなもんなのだが、知らない人にとっては腰が抜けるほどびっくりすることのようである。

違和感を覚える人たちへ

 正直、違和感を覚える人もいるだろう。
 しかし、かつては、自民党でさえ、結党当時、その政綱で「駐留外国軍隊の撤退」について準備をしていた。
https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/100285.html


 日本はかつて米軍の全面占領下におかれていた。
 占領を終えるにあたって、米国、そして日本政府や与党たる自由民主党が腐心したのは、「全面占領時代を形式的には終えて日本は独立するが、全面占領と実態は同じ状態をどうやって続けていくか」ということであった。
 その基本は、サンフランシスコ講和条約の第6条にあった。

連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。

http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19510908.T1J.html

と基本原則をうたいつつ、「但し」として次のように「例外」を入れる。

但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。

http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19510908.T1J.html

 この「二国間若しくは多数国間の協定」が「日米安保条約」である。
 こうして、全面占領を形式的には終わらせつつ、日本全土を米軍の基地として使わせる実質的な占領状態を継続させるしくみが日米安保条約だった。


 しかし、それだけでは、全面占領時代と同じような好き勝手はできない。
 安保条約を支えるたくさんの日米間の協定や約束が、全面占領時代と同じようなしくみを保障させなければならないのだ。
 このようなしくみは、日米間の「密約」の束が基本となっていて、国民の目から隠されている。
 また、絶対的権限を持つ占領軍が、日本政府をして日本国民を統治せしめるという「間接統治」のしくみが占領時代につくられたが、この「間接統治」もできれば引き継がせたかった。アメリカの意向をストレートに日本政府に伝え、議論させない場が占領後も必要だった。それが日米合同委員会である。
知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書) そのことを書いたのが矢部宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社新書)である。*1
 おいおいおいおい〜、陰謀論かよ〜。
 ……って思うかもしれない。
 ぼくも書いていて、「どう見ても陰謀論です」と思わざるを得ないのだが、本当に肝心の「例外」部分は「密約」化されていて、こんなもので日本の外交・軍事の根幹はおさえられているんだとびっくりする。
 対米従属という問題、特に軍事面でのそれは国民の意識の外に置かれるように隠され続けてきた。(矢部『知ってはいけない』については別の機会に感想を書きたい。)


 戦後、全面占領を受け、その後も占領が形式的に終わる時期には、米軍が日本に居座るということは本当に異常な問題として、保守を含めた多くの国民に認識され、意識されていた。
 その異常性への認識は、今でも全国の、超党派による基地返還運動として続いている。
 しかし、他方で、対米従属の一番際どい部分は「密約」によって隠され、そうした異常認識をだんだん眠りこませるようにもつくられてきた。
 この2つの要素がせめぎ合っているのが、いまの日本の現状と言える。
 しかし、そういう安保体制を続けてきたツケとして、日本は朝鮮戦争の一方の戦争当事者として協力・加担し続け、米軍の基地を置いたままにし、この軍事緊張に巻き込まれているともいえる。
 

*1:こうした対米従属観は、日本共産党などの左翼陣営が歴史的にはずっと提唱してきたものであり、矢部の著作にも共産党の幹部だった新原昭治の仕事がたくさん登場する。