渡辺ペコ『にこたま』


※ネタバレがあります


にこたま(1) (モーニングKC) 弁理士として働く岩城晃平は10年来つきあっていた浅野温子という彼女がいるのに、魔が差したように同僚の高野ゆう子と1回だけセックスをしてしまう。そして、高野は妊娠してしまう。さらにいえば、高野は岩城と結婚する気はさらさらなく、仕事をやめて実家に帰り、ひとりで子どもを産むという。超クール。クールビューティー。
 隠し事の負担に耐え切れなくなった晃平は、温子にそのことを打ち明けてしまい、当然微妙な関係になる。
 本作はこの3人をめぐる物語である。


 渡辺ペコのマンガはなんのかんのいっても『蛇にピアス』をコミカライズしたときから読んでいて、中にはけっこう佳品もあるけども、なんというか……こう……突き抜けた感触をなかなか得ない。
 竜頭蛇尾、というような作品もある。


 ところが、今回は最終巻がよかった
 全体がぼやけた印象だったのが、急にクリアになっていく感じがした。
 とてもよかったので、思わず全巻しっかり読み直した。


 自分でも何がそんなに良かったのだろう。
 最初は本当にこの3人の視線がまったく対等(あえていえば晃平1、温子1、高野は0.8くらい)に扱われていた。ところが、最終巻になって、ぼくのピントが急速に晃平に合わされてきた。


にこたま(5) <完> (モーニング KC) 逆にいえば、1〜4巻の晃平の行動が、煮え切らないぼくから見ても本当に煮え切らない感じだったんだな。浮気を打ち明けてもなお温子との関係を続けたいと考える晃平の行動は、ずるい、と感じた。
 温子が鋭く指摘したように、一見誠実にみえながら、隠し事を背負い切る負担を自分だけに担わせずに、温子と共有することによって軽くしているように見えるのだ。温子がそう言ったからぼくがそんなふうに感じさせられてしまっただけかもしれないけど、ともかくも晃平はヘタレなのである。ヘタレのぼくが言うのだから相当なものだ。


 晃平は確かに

「あっちゃん やっぱり戻ってきてほしい
 結婚しよう」
「俺はあっちゃんに対して責任負いたいんだよ」

と温子に宣言する。
 「あっちゃん」に対する責任……? 
 自分が他の女に子どもをはらませて、そいつがケッコンしないと言ったから、元の女と結婚する……というわけで、本来、元の女を去ることこそ、責任ではないのか。なのに、「責任」という言葉を使って、晃平が温子と結婚をしようとするのは、おかしいではないか、と思わざるをえない。
 というか、たぶん自分もそうしてしまいそうで、すごく嫌。


 というわけで、4巻までは、晃平の行動に感情移入できなかったのである。破局しそうでしない、居心地の悪い温子と晃平の関係がずっと続くのである。もうイヤ。早く別れて。そんな気持ち。


 ところが5巻(最終巻)にきて、晃平は「モテ」出す。
 クールであった高野に、いっしょに静岡に来て仕事をしないか、と誘われるし、だしぬけに晃平の家を訪問した温子から「コーヘーあたしとケッコンしない?」とプロポーズされるのである。

 静岡にいく新幹線の車内で晃平と高野がやや口論し、「すみません 口論 胎教に良くないです」と晃平が気遣い、「大丈夫だよ これくらい」と静かに高野が流す。そのあと、晃平は高野からクールに

「でもわたし岩城くんて
 けっこう好きなのよ」

って言われる。この感触。たまんねえ……。年上の美女に「○○くん」というのが小さいツボであるけど、それはおいとくとしても、

「男らしくない男を好む需要もあるってこと」

というのが、ぼくのハートをわしづかみである。さらにいえば、

「俺は優柔不断で 決断力がなくて 流されるだけじゃなくて
 大事な人を巻き込んで苦しめて
 そのくせふらふら無責任で
 さらに事の流れを人に託す
 ゲス男です」


「ちょっと岩城くん
 そういう弱音と自己憐憫
 こどもに聞かせたくないから
 やめてくれる?」

と真顔で高野から叱られるシーンに笑ってしまった。口論をお腹の子どもに聞かせることを初めに気遣っていながら、そのあとの弱音・自虐トークで自分の気持ちをラクにしようとする真情を見透かされた感じがいい。
 ぼくがこのシーンを笑っていられるのは、高野が、

「でもわたし岩城くんて
 けっこう好きなのよ」

と好意を打ち明けてくれたからだろう。安心して叱られる、という感覚だろうか。そういうところを含めて、ぼくは晃平そっくりで、どこまでもヘタレなんだろうと思った。好きなのよ、としっかり承認があって、この物語をまともに読めるようになった。
 温子に対しても然り。
 温子がプロポーズをしてくれた瞬間に、晃平が

「する
 します
 してください」

 二つ返事ならぬ、三つ返事。喉から手が出るほど欲しかった言葉だ。
 ああ、たぶん、ぼくもこんなふうに返事をするだろうなと思った。

 高野も温子も、晃平が「好き」なんだけど、それがどれくらいの熱量の恋愛感情かということにあまり興味を持っていない。明らかに「いっしょにいてほしい」という気持ちなのだ。この両者をきちんと峻別して、後者を求められたのである。

 ここでも、晃平が受け入れられた。
 晃平が高野にも温子にも必要とされているとわかって、ぼくは初めてこの物語を安心して読めるようになったのだ。そして、この巻ほど、高野や温子の顔をまじまじと読んだ巻もなかっただろう。二人ともとっても綺麗だな、こんなにキレイな人に晃平=ヘタレ男=俺は好きって言われてるわけですよ。みたいな。

 晃平は一人で考える。

共通項は
「パパ役」としての需要?
パパ特需きてる?
「お嫁さんにしたい」的な?
いやそんなファンシーな幻想じゃなくて
もっと現実的っつうか都合がいいっつうか

 そこに、「むるたん」という、温子との同棲生活のときにいっしょにいたぬいぐるみが、妄想の中で会話をし出すのである。

いいじゃん
それで充分じゃん
パパとしてのポテンシャル
見込まれてるとかステキっぽくない?
男はねーえ いでんしをつなげれば
それでおんのじだって
この本(福岡伸一『できそこないの男たち』)に書いてあったよ

 温子は「いでんしをつなげ」られない体になってしまったようだが、それでも晃平を受け入れたのは、「いでんし」を「ひろげたい」からだと、むるたんは言う。ラストで温子は晃平と「養子縁組」について考える。親のいない子どもを引き取ることを選択肢にするのである。


 こうしてみると、いかに自分は晃平に初めから感情移入していたのか。しかし、晃平があぶなかしい道を歩いている間は、まったくそのことに気づかなかった。
 それが最終巻になって、晃平が女たちに受け入れられたことをもって、霧が晴れたように急速にぼくは晃平との一体感を強めていった。
 「受け入れられる」ということが、自分にとって感情移入を果たさせるうえでこんなにも明瞭な区別をもたらすとは思わなかった。