俺もヒョンビンになれる 「愛の不時着」考

 熱心な同僚に勧められて「愛の不時着」を観る。

 韓国の財閥の令嬢であり、有能な会社経営者である女性ユン・セリがパラグライダーの事故で北朝鮮領内に不時着してしまい、北朝鮮の将校であり実は政府高官の息子である大尉リ・ジョンヒョクと恋に陥るという物語である。

 ハマって観ていた、と言って差し支えない。

 ハマった理由はいくつもあるのだが、例えば「北朝鮮の生活」に大いに興味を持った。

 もちろん、国連で壮絶な人権実態が報告されている現実においてこのような「牧歌的」な描き方が一つのファンタジーだとする批判があることは承知している。したがってこれを北朝鮮の「実態」として扱う気は毛頭ない。あくまで「韓国ドラマが描く北朝鮮像」ということである。

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  ただし治部れんげによれば「脱北して韓国に住む人物が監修したそうで、北朝鮮出身者からも、かなり実態に近いと高評価を得ている」ということだから、一定の裏付けがあるとは言える。

 

ヒョンビンに見惚れる

 しかし何と言ってもハマったのは、リ・ジョンヒョク大尉を演じたヒョンビンに見惚れてしまったからである。

 これは一体どういう感情であろうかと思い、ふと渡辺ペコ『1122』に出てくる女性主人公が、若いフーゾクの青年に見惚れる自分の心情を次のように解説していたことを思い出す。

こないだ動物園に青年と行ったとき

すごいきれいだなーと思ったの

骨格は美しくて肌はつるぴか

筋肉もきれいについてて

イケメンとかそういうのより

肉体が動物としてのピークに近い神々しさを感じるというか

(『1122』6巻)

 これか? これなのか? と思ったのだが、いややっぱりイケメン(韓国ドラマで出てくる言い回しで言えば「顔天才」)だからだろとも思った。

 そんな中で、やはり治部れんげの「韓流ドラマ「愛の不時着」が描く、ポスト#MeToo時代のヒーロー像。」という論考を読んでああこれかも、と思った。

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中でも「大好きなシーン」と多くの人が口をそろえるのは、第4話のラスト近く。北朝鮮の市場で迷子になったセリが途方に暮れていると、ジョンヒョクがアロマキャンドルを片手に探しに来てくれる。数日前には普通のろうそくとアロマキャンドルの区別がつかなかった彼は「今回は香りがするろうそくだ。合ってる?」とセリに尋ねる。

これは単なる「胸キュンシーン」ではない。

まず、アロマキャンドルなど知らなかった、ジョンヒョクの質実剛健な半生が垣間見える。加えて「君を探していた」などと陳腐なことは口にしない潔さ。何より、自分が手にしているものが、相手の希望と合っているか確認する行動が重要だ。ここに、ドラマ全体を貫くジョンヒョクのセリへの態度が表れている。彼女が困っている時、自分が行動するのは当たり前。何より大事なのは彼女の意思が尊重されることだ。

 

 治部はジョンヒョクの描き方を「『有毒な男らしさ』へのアンチテーゼ」として捉える。

 「寡黙で無骨、しかし強くて優しい男性」「愛した女性を守る男性」というのは「古典的な男らしさ」のように思える。

 しかし、まず「愛した女性を守る」という点について言えば、片務的なものではなく、実は、ジョンヒョクが韓国に行った時、こんどはジョンヒョクの命が狙われ、それをセリが守るのである。つまり「女性を守る男性」という一方的な構造ではなく「愛する男性を守る女性」というもう一方の姿が描かれ、ドラマ全体では双務的で均衡のとれた構造になっている。

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 またジョンヒョクは「寡黙で無骨」ではあるが、「強くて優しい」。その強さや優しさは、女性の生き方や人生・生活を尊重するように発揮されている。セリを帰そうとしないとか、一方的に生活を押し付けるとか、そういう態度は乏しい。不時着したセリの「わがまま」とも思える生活要求に丁寧に付き添って、出来るだけそれを実現させようとする。

ジョンヒョクに体現される男性像は、「私の意思を尊重してほしい」という現代女性の願いを反映している。自立して生きられる女性たちは、もはや「俺についてこい」という男性を必要としない。

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  「私の意思を尊重してほしい」という要求に応えていることは、「女性につくしている」ということではない

 対等な相手として交渉するということである

 なぜなら、現実的な生活で相手の意思を無視せず、まず尊重する。尊重するというのは、丸ごと飲み込むことではない。可能なものは実現するけども、難しいと思えることや自分の要求と相反するものは交渉を始めることになる。妥協点を探るわけだ。

 現実的な生活としては、相手の意思を尊重した上で交渉が開始されるわけで、男女が交渉に疲れてヘトヘトになる、という局面だってありうるのだ

 『逃げるは恥だが役に立つ』の新章では、みくりと平匡が例えば出産準備について交渉をする。その交渉は疲弊の連続でもある。

 「みくりを全力でサポートする」と宣言する平匡を全力で批判するみくりの必死の表情、平匡の勘違いを正される不安の表情をみよ。

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海野つなみ『逃げる恥だが役に立つ』10、講談社、p.61

 現実には多分こんな感じなのだ。

 だけど、「愛の不時着」のジョンヒョクはそういう現実生活の垢が削ぎ落とされて、美しく理想化されている。そう、まさに理想化されているのだ。平匡に大いに好感を持ったぼくは、だからこそジョンヒョクに好感を持ち、しかもその美しさに見惚れたのであろう。

 「私の意思を尊重してほしい」とは対等な相手との交渉のスタートであるとすれば、ヒョンビン扮するジョンヒョクは平匡であると言える。

 ジョンヒョク=平匡。

 となればですよ。

 平匡になら俺でもなれるような気がするし、ということは俺はジョンヒョクすなわちヒョンビンになれるってことですよ!